夜、ウツミの部屋にて。ウツミと『付き合っている』という謎の関係になってから(もちろんおれは認めていないけれど)、度々ここへ足を運んでいる。ウツミがどうしても夜寝れないというから仕方がない。今日は意地になったウツミに無理矢理連れてこられたんだけど。石川さんのことをどうやら相当気にしているみたいだ。

ていうか、おれの気も知らないで、よく誘えるよな。律儀に隣で寝てやるおれもどうかと思うけどさ。


「……ウツミ、まだ怒ってんの」
「別に怒ってない」
「怒ってんじゃん」
「石川さんのこと好きなわけ?」
「そんなことひとことも言ってないだろ」
「じゃあなんで優しくすんの」


暗闇の中隣で寝ているウツミには相変わらず背を向けていて。それも気にくわないのか、ウツミの腕が後ろからおれの身体にまわった。近づくなよ、と思う反面、その行動がまるで拗ねた子供のようで、かわいいとさえ思ってしまう。最悪だ。そもそもウツミはおれのことが好きなわけじゃないのに、おればっか意識して馬鹿みたいだよな。きっと仲のいい友人をとられそうで気にしているだけだ。ウツミはそれを何か他の感情と勘違いしているだけ。

だから、違う。嫉妬とかじゃない。触れたいなんて欲望には全部蓋をしていなきゃいけない。おれからウツミに触れるのは絶対にダメだ。タガがはずれたらもう後戻りはきっとできない。


「優しくしてるわけじゃないって。ちゃんと断ってるし。たまに一緒に帰ってるだけ」
「でも押せばいけるって思われてるんでしょ」


それは正直その通りでぐうの音も出ない。実際今日そんなようなことを言ってたし。


「……ね、ちゅーしていい?」
「は?!?!」
「ダメ?」
「ダメに決まってんだろ、何言ってんだよ」
「じゃ抱きしめるのは?」
「いやダメだって、てかおまえほぼおれに抱きついてんじゃん」
「でもイチは俺に近づいてこないでしょ」
「そりゃそうだろアホか」
「なんで?」


なんでと聞かれると、なんでだっけ。いや、ダメだろ、普通に考えて。こいつまじで何考えてんの?


「……おまえ本当おかしいって、第一おれのこと好きなわけじゃないくせに」
「でも好きかどうか試したいって言ったじゃん」
「尚更おかしいから」
「でもさ、してみなきゃわかんなくない?」


勘弁してくれ。誘惑すんな。こっちはギリギリで耐えてんの。してみなきゃわかんないとか、そういうレベルじゃないの。こっちはおまえのことがずっと好きなんだから、一度触れたらもう後戻りなんてできねーんだよ。


「……いや、おれはウツミがちゃんとおれのこと好きじゃないとしたくない」
「ふーん、そういうもん?」
「普通そうだろ」
「イチってやっぱ真面目だね」
「なっ、」
「うん、でも、そういうとこいいなって思う」
「……」
「あーあ、イチには敵わないなー」


いや、それ俺の台詞なんだけど。
納得したようにするりとおれの身体から離れたウツミの熱がほどけて溶けていく。それに少しばかりの寂しさを覚えるのは変な話だ。今日玄関口で聞いたピアノの音がまだ耳にこびりついている。いつ消えてくれるのだろう。おれはいつまでこの男に囚われ続けるのだろう。


「じゃあ、俺がするまで他の人とはしないでね」
「ウツミとするかどうかなんてわかんないだろ」
「俺はしたいって言ってるのに」
「バカじゃねーの、早く寝ろ」


おれのほうがずっとおまえに触れたいと思ってんのに、簡単に言うなよ。ていうかそんな確証のない未来の話すんな。おれはいつだってウツミと一定の距離を守ってるよ。おまえは知らないだろうけど、離れる覚悟だってしてる。ずっとこのままじゃいけないってわかってるから。


「ねえそういえばさ、」
「うん?」
「今度、オケに混ざることになって」
「え? オケって?」
「オーケストラ」
「へえ、ピアノも混ざれんの? 弦楽器のイメージだけど」
「ピアノも弦楽器だよ。滝センセーの知り合いのオーケストラでピアノ協奏曲やることになったんだって、1曲だけだけど参加することになった」
「へえ、すごいじゃん」


背中越しだけれど、ウツミの声がやけに嬉しそうなことがわかる。おれは素直に凄いと思う。だってウツミのピアノはあまりに綺麗な音をしているし。

というか、滝先生って。うちの高校の音楽教師だ。音楽と美術が選択科目で、おれとウツミは音楽選択。週に1時間しか授業がないのに、いつの間に滝先生と仲良くなったのだろう。ウツミがピアノを弾けることを滝先生が知ってること自体知らなかった。


「最近仲良くなったの。放課後よく弾いてたら、話しかけられて」
「……へえ」


おれの気持ちを見透かすようにウツミがそう言う。なんか癪だな。

そういえば最近ウツミは放課後はひとりで姿を暗ますことが多かった。テスト週間ということもあっておれはそそくさと寮に帰るか図書館に寄るかしていたから気がつかなかった。(意図的にウツミを避けていたから、というのもあるけれど)

入学したすぐからウツミが趣味でピアノを弾いていることは知っていたけれど、そういえばちゃんとステージに立っている姿を見たことがない。というか、そういうものは興味がないのだと思っていた。あくまで趣味の範囲内、個人で弾きたいときにふらっと奏でる、そんなものなのかなと勝手に思っていて。


「来てくれない?」
「え、いいの?」
「いいのっていうか、来て欲しいから誘ってる」
「……」


なんだその、むず痒い回答。来て欲しい、だなんて、おれを喜ばすのが上手いから嫌になる。ウツミは計算して言っているわけじゃないんだろうけど。


「イチに聴いて欲しいって思ったから、久しぶりにちゃんとピアノやろうと思って」
「なんだよ、それ」
「んー、人前で弾くの、あんまり好きじゃないんだけど。イチがこんな俺を好きだって言ってくれたから、また弾いてもいいかなって思えた」
「なんなの、それは」
「べつに、それだけ。電子チケットあとで送っとく」


またこいつは、無自覚にそういうことを簡単に言ってのける。やがてすやすやと寝息を立て始めたウツミの隣で、おれは今日聞いたピアノの音を脳内で再生しながら高揚感に包まれる。いつか捨てなきゃいけない関係だってわかってる。進めることも捨てることもできない自分は弱いけれど、どうしようもなく、背中越しの熱とピアノの音が恋しくて仕方がない。