「俺のこと好きなんじゃないの」


突然腕を掴まれて何事かと思えば。思わず声の主であるウツミの方を見ると、ぱちくりと目を丸くしておれを見ていた。
いやいや、え? 何? どういうこと?
言った本人がいちばん驚いた顔をしている。今の何? 


「あー、違う、間違った」
「え、」
「いや、違わないか、うん」
「え、なに」


するりとおれの腕から掴んでいた手を放して、そのまま自身の額へと持って行く。背の高いウツミのことは、必然的に見上げる形になる。机ふたつ分の距離。ウツミは相当困惑しているようだ。自分でも今の行動原理がわからないらしい。おれが一番わかんないのに。

そうだ、ウツミは自分のことに対しては人一倍疎い奴だった。


「なんだろ今の、ごめん忘れて」
「いやいや、そんなわけにはいかないだろ」
「うーんと、まあそうだよね」
「何? どういうこと?」
「なんだろ、咄嗟に行って欲しくないって思っちゃって」


え、だから、それはつまり、そういうことなわけ? だとしたら、おれは相当舞い上がるけど、それでもいいの?


「えっと、それはつまり、」
「うん、そうだな、付き合おっか、俺ら」
「は?!!」
「え?」


なに突然、なんなの? 

おれが心底驚いた顔をしたことに驚いたのか、ウツミが困った顔でこちらを覗き込んでくる。え、何。なんなのこの状況。昨日の今日でなんでこんなことになってんの。


「いや、てか、ウツミ、オマエ付き合うってどういうことかわかってる?」
「まあそりゃ、俺も男子高校生だし、わかってるけど」
「いやわかってねーだろ、付き合うっていうのは、好き同士が結ぶ契約みたいなモノで、俺とウツミじゃ条件が合わないって」
「でも俺、今、イチのこと独り占めしたいって思ったし」
「は?!!」
「石川さんだかなんだか知らないけど、俺より優先されるのが気にくわない」
「いやなんだよそれ……」


言葉をこぼしながら額に手を当てたウツミは、視線だけをちらりとこちらに向けた。その視線がやけに熱っぽくて勘違いしそうになる。

ウツミがおれを好きとか、付き合うとか、そんなの、あり得ない。第一おれたちは男同士だし、ウツミからおれに対する好意を感じた事なんてないし。付き合うっていうのは、もっと、お互い両思いの気持ちが成り立つからできるものであって。


「てかさ、好き同士が結ぶ契約みたいなモノっていうけど、だったらイチは中学の時付き合ってた女の子のことちゃんと好きだったわけ?」
「はあ?」
「自分から人を好きになったのなんて初めてだって、さっき言ってたじゃん」
「あー、いや、まあそりゃ、そうだけど」
「自分のことが好きな相手が気になるのなんて普通のことじゃないの? なんか俺変なこと言ってる?」
「いや、そんなことはない、けど……」


開き直ったのか、机に手をついておれにそう迫るウツミの表情はやけに真剣で面食らう。

確かに、中学生の時何人かと付き合ったことがある。自分で言うのもなんだけれど、おれはそこそこ容姿が整っていて人当たりもよく、所謂モテるタイプだった。自分から告白したことは一度もなくて、すべて相手からの好意を受け入れただけ。そのときは、相手が好きだと言ってくれているのなら、断る理由なんてないと思っていた。普通にかわいいとも思っていたし。だけどそれが恋ではなかったことに、高校生になって初めて気がついた。

それは、ウツミに出会って、”惹かれる”という言葉の正体を知ってしまったからだ。かわいいなんていう単純な気持ちだけじゃない。ウツミのことは、言葉にするのがむずかしいけれど、ひどく熱くて、ゆるぎなくやさしい日だまりのような、かと思えば突き刺さる雷雨のような、それでも結局触れたいと願ってしまう、そんな邪な視線で見てしまっている。

一度見てしまえば視線を逸らすこと何て出来ない。ウツミのことが好きだ。初めてピアノを聴いた時から。───いや、はじめてウツミの指先を綺麗だと思ったときから。ずっと、その指先に、触れたいと思っていた。


「正直まだ、イチのこと好きかと聞かれたらわかんない。俺、人のこと好きになったことないから。でも試してみるのもアリじゃない?」
「試す、って……」
「イチのこと、好きなのかどうか、俺も試したい」


好きになれるかどうか、じゃなくて、好きなのかどうか、なの。こいつ、意味わかって言ってんのかな。
ウツミの視線にぐっと唇を噛むと、「で、」と目線が鋭くなった。まだおれ何も言ってないのに。


「石川さんのとこ行くの?」
「……困ってるみたいだから、行こうと思った、けど……」
「それめちゃくちゃつけ込まれてるじゃん、昨日告白された相手でしょ」
「まあそうだけど」
「イチってホント真面目っていうか人が良すぎるっていうか」


はあ、と溜息をつかれる。ウツミがこんな反応をするなんて思ってもみなかった。

石川さんには昨日告白まがいのことをされて断ったけれど、それなら友達に、と押し切られて連絡先を交換した。大人しい見かけによらず結構グイグイとくるタイプのようで、昼休憩も呼び出されて中庭で話したんだった。彼女のことは、容姿が整っているな、とは思うけれど、それ以上にはきっとならない。ならないのをわかっていて断り切れない自分が一番最低だけど。

いや、でも、ほんの少し、もっと嫌な感情を持っていたはずだ。ウツミと関係を深めることなんて出来るはずもなくて、昨日の夜、ウツミが無理におれの気持ちに応えようとしているなら、早くこの気持ちを捨てるべきだと思った。おれは石川さんの好意を利用しようとしただけだ。傷つけていいわけないのに。

ていうか、ウツミだって、そもそもおれがウツミに対して好意なんて持たなければよかった話なわけで。


「ごめん、ウツミ、おれのせいで色々考えさせすぎたのかも、本当気にしなくていいから、」
「だから、違うから。謝んないでって何回言えばいいの」
「いや、だからおれはおまえの為を思って、」
「わかった、俺のためを思うなら石川さんのとこ行かないで。行って欲しくない」


再びぎゅっと腕を掴まれた。今度は困惑した表情じゃない。意思を持った真っ直ぐな視線でおれを見る。逃れられない。

ずっと触れたいと思っていた。でも、こんな形で叶うだなんて思ってもみなかった。まだ、おれはこの視線を信じることができない。