『イチ、俺のこと好きでしょ』


言うつもりはなかったのに、イチがあまりに意地っ張りなものだから、思わず口からこぼれ落ちてしまった。突然放たれた確信的な言葉に驚いたんだろう。イチの体温が下がるのがわかった。でももう後戻りはできない。

イチのことを恋愛的に好きかと聞かれると、正直「わからない」が的確な感情だと思う。そもそも異性に対しても特別な感情を抱いたことがないから、同性だからどうとかそういうことは特段気にならない。俺に取って大事なことは、”イチが俺のことをどう思っているか”と”俺がイチのことをどう思っているか”、そのふたつだけ。

でも、イチは多分、違う。


「ごめん、今日聞いちゃったんだよね、石川さん達と話してるとこ」
「おま……」
「あれ、俺のことじゃないの?」
「何言ってんだよ、おれたち男同士だぞ? お前最近おかしいって……」
「じゃあ、好きな人って誰?」


するりと横に寝ているイチの身体に腕を回す。後ろから抱くようにイチの手のひらに触れた。

『おれたち男同士だぞ?』─────そうだ、イチが時々見せるひどく不安そうな顔は、きっとこの言葉に全部詰まってる。男の俺のことを好きなことが、ひどく後ろめたいのだろう。そんなの、別にどうだっていいのに、イチって生真面目な奴だね。


「……ごめんって思ってる?」
「なに、が」
「なんでそう、後めたそうにするんだろ」
「そりゃだって、そうだろ」
「イチが俺を好きなことに、何か問題でもある?」
「何言って、」
「ごめんなんて思わないでよ、謝んないで、何も変なことじゃないから」


謝らなくていい。後ろめたさなんて感じなくていい。なんで自分の感情を否定するようなことをするのだろう。俺には理解できない。素直にぶつかってくればいいのに。


「……ごめんウツミ、ダメなんだよ、こんなこと普通じゃない」


俺の言葉に、返すのがそんな言葉とか。じゃあ普通ってなんなわけ。まあ、そういうことを気にするのも、イチらしいけど。

俺はね、自分の感情がまだわかんないけど、わかんないなりに、こうやって距離を縮めてるんだよ。好きという感情はわからないけど、B組の名前も知らない女子の手を褒めているところとか、興味がないくせに思わせぶりな態度をとるところとか、イチのそーいうところは好きじゃない。好きじゃないという感情はこんなにもはっきりしている。


「謝んないでって言ってるのに」
「ウツミがおれの気持ちを汲でくれてるのはわかってるけど、別にどうこうなりたいわけじゃないから、ウツミは気にしなくていい」


全部自分が悪いみたいに言うんだね。

俺がどれだけひっついてもこちらを見ようともしない。自分の部屋に誘って一緒に寝ようだなんて、自分のことを好きな相手に酷なことをしているのかも、なんて今更気づく。でも、なんだかわからないけど、こんなに不安そうなイチのことを放っておけなかった。気持ちより先に身体が動いた。俺は人の温もりってこんなにも安心するものなんだなと思うのに、イチは真逆でこの温もりに対して不安を覚えているなんて変な話だ。


「イチってさ、誰かと付き合ったことある?」
「は?」
「高校はないよね、俺聞いたことないし。中学の時は? モテたでしょ」
「いやいや……この状況で何なんだよ……」
「イチが素直じゃないから、恋バナでもしよっかなって。寝る前の雑談だよ」
「いーから、じゃあ離せって」
「離れたら教えてくれる?」
「……」


無言は肯定でしょ。するりとイチの身体から自身を離してやる。寮に入居する時、セミダブルのベッドを買ってよかった。シングルだったら流石に男2人は狭かったと思う。


「……いたよ、3人くらい」
「へえ、さすが人気者」
「別にそーいうんじゃないけど……」
「それって男子?」
「いや、全員女の子だよ」


え、そうなんだ。意外な答えにちょっと驚く。イチが自分に対して持っている感情に気づいてから、イチの性対象は男性のみだと思っていた。


「……男が好きだと思った?」
「いや、まあ、うーん」
「おれもわかんないけど、別に女の子のこと好きだった時もあったよ。だから、男が好きとかじゃないんだと思う。ウツミだから、」


あ、と。まるで俺のことを特別だと言うような話だと気づいたのか、イチがそこで口を閉ざした。かわいいとこあんだね。

やっぱくっついてもいい? なんて言ったら、どんな顔をするんだろう。未だに背を向けられているから、今でさえイチがどんな表情をしているのかわからないけど。

でも、今の話を聞いてなんとなくわかった。イチが自分の感情に持っている大きな不安や葛藤の理由。

元々女の子が好きだったはずのイチが、突然同性に惹かれてしまったら、それは確かに戸惑うかもしれない。俺みたいに恋愛感情に疎いのとはまた違うだろう。だってイチにとって今までの当たり前から逸脱した感情なわけで、受け入れるのにも差し出すのにも葛藤がついて回るのだろう。

だからすぐに「ごめん」と言う。謝るような感情じゃないのに、それがまるで悪いことのように。


「イチがその気なら、俺もそうなるかなって思ったんだけど」
「だから、ウツミは別におれのこんな感情に付き合わなくていいから」
「こんな感情、ね」
「ごめんな、考えなくてもいいこと考えさせて、全部おれのせいだ」


ああほら、また謝る。そして俺も、そういうことを言わせたいわけじゃないのに、上手に言葉を紡ぐことができない。自分の感情に疎い分、曖昧な気持ちでイチの好意に応えるのは違う気がした。


「ね、また一緒に寝てくれる?」
「いや、状況考えろって」
「ずるいってわかってるけど、俺もイチの横がいちばん寝れるから」
「……」


沈黙は肯定だって、さっきもそうだったよ。懲りないね、イチ。