◇
「イッチー、ちょっといい?」
放課後。帰り支度をしているところで廊下から声をかけられた。ファミレスで席が目の前だった茶髪の岸田さんだ。その陰に隠れて、石川さんもひょっこりと顔を出した。驚いたけれど、あまり目立ちたくないので窓際から廊下へと足を進める。
「ああうん、どうしたのわざわざ」
「えーだってイッチー連絡先も教えてくれなかったし! だから来ちゃった」
「そっか、呼んでくれたらおれが行ったのに、来させるみたいになってごめんね」
「ハイ出たイッチーの人たらし発言! 本当は来る気なんてないくせに〜」
「そんなことないって。それで、なんかあった?」
後ろでウミネコたちがざわついているのがわかった。それもそうだ、岸田さんと石川さんはB組でいちばんかわいいとされる2人だから。
「いや、ここだと話しにくいし……一緒に帰らない?」
岸田さんが言いにくそうにコソリと耳打ちした。けれどそんなのは意味がなく、普通にクラスメイトに聞こえたと思う。その証拠に、「あーあ、またイッチーが全部持ってっちゃったよ」なんて声も聞こえる始末。いやいや、まだ何も言われてないから。
それにしても、岸田さんって本当に人当たりのいい人だな。対して石川さんは、今日も今日とて岸田さんの後ろに隠れて様子を伺っている。この感じは、たぶん、本当に用事があるのは石川さんの方なんだろう。
「あー、うん、でも、話なら隣で聞こっか? 空き教室だからさ」
笑顔は崩さない、それが鉄則だ。
岸田さんの目が一瞬丸くなったのがわかった。きっと今までこうやって異性に声をかけて断られたことなんてなかったんだろう。その気持ちはおれも男だからわかるよ。でも、変に特別扱いするのは、おれにとってもふたりにとってもデメリットしかない。
ウミネコたちは聞き耳を立てようとしていたけれど、タイミングよくやってきた担任に「おいお前ら今日反省文だろ! さっさと職員室!」と急かされていった。ちょうどよかったな。
「……うん、そうだねありがと!」
一瞬崩した表情をすぐパッと変えてわらう岸田さんにまた微笑んで、3人で隣の空き教室へと向かった。
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「それで、話って?」
「えーっと、ごめん、話があるのは私じゃなくてね」
とん、と岸田さんが石川さんの肩を優しく叩いた。その瞬間、石川さんの白い頬がほんのり赤く染まっていく。予想通りだった。
みるみる赤くなるその姿を見て、落ちない男子なんていないだろうと思う。こういうの、かわいいって言うんだろうな。おれも女の子を好きになったことがあるからなんとなくわかる。ウツミと出会う前の話だけれど。
「あの、ごめんね突然、呼び出すようなことして……」
「ううん全然大丈夫だよ」
「この間、イッチーくんが、私の手綺麗だって褒めてくれたのが嬉しくて、……そのお礼が言いたくて」
「お礼って、そんな大したことじゃ……」
「ううん、私ずっと、女子なのに手が大きいことがコンプレックスで……いきなりこんなこと言われて困ると思うんだけど、イッチーくんのこと、いいなって、思って……」
段々と尻窄みになる、同時に少しだけ泣きそうな声をした石川さんの視線が、おれからゆっくりと離れて下へと落ちていく。
こういう素直な好意を、受け入れられる自分だったらよかった。自分のことを好きになってくれる女の子のことを、好きになれたらよかった。
どうしてそんな簡単なことが出来ないのだろう。どうして今目の前にいるこの子の好意に応えることができないのだろう。どうして自分は、普通じゃないんだろう。
「……うん、伝わったよ、ありがとう」
ありがとうなんて、響きのいい、いちばん適当な言葉だよ。そんな言葉しか返せない自分にいつも幻滅する。
おれの言葉に察したのか、石川さんがぎゅっと掌を握ったのがわかった。その指先は、やっぱり綺麗だと思う。けれどなぜ綺麗だと思ったのか、彼女自身の言葉でわかってしまった。
“女子なのに手が大きい”─────ウツミの手に、少しだけ似ていた。綺麗だと思ったのは至極単純なそんな理由で、自分自身に反吐が出そうだ。
「ごめんね、迷惑かけるつもりじゃなくて、」
「ううん、迷惑だなんて思ってないよ」
「……ひとつだけ聞いてもいい?」
「うん? もちろん」
石川さんの後ろにいる岸田さんも、どうしたらいいかわからないような表情を浮かべている。そりゃそうだよな、ふたりみたいに綺麗で性格もいい女の子のこと、断るおれがどうかしてるよ。
「……好きな人、いたりする?」
今度はまっすぐにおれを見上げた石川さんが、意思を持った口調でそう尋ねた。あ、もう、迷いが消えたんだな、と思った。昔から、人の気持ちを汲み取るのがやけに得意だ。
「……うん、好きな人いる」
それは、はじめて、口にした言葉だった。
「勝算は、あるの?」
「勝算?」
「……その人と付き合える可能性は、どれくらい?」
見かけによらず食い下がるんだなあ。そういうところも男心をくすぐるんだろう。ウツミと出会ってなかったら、一瞬揺れていたかもしれない。そういう時期だって実際あったわけだし。心惹かれる、という意味を知る前だったら、の話だけど。
「可能性、か」
「うん」
「んー、そう言われると、難しいな、殆どゼロに近い」
「え、だ、だったら……!」
「でもね、おれがその人と付き合う可能性はゼロに近いけど、……その人を好きじゃなくなる可能性も、ゼロに近いんだよね」
だから、ごめんね、気持ちはすごく嬉しい。
そんな風に言葉を並べると、石川さんは観念したように、「そっか、聞いてくれてありがとう」と肩を落とした。ごめんね、と、嬉しい、を、同時に使うのってずるいよな。便利な言葉を並べてごめん。応えられなくてごめん。やさしくできなくて、ごめんね。
「イッチー、ちょっといい?」
放課後。帰り支度をしているところで廊下から声をかけられた。ファミレスで席が目の前だった茶髪の岸田さんだ。その陰に隠れて、石川さんもひょっこりと顔を出した。驚いたけれど、あまり目立ちたくないので窓際から廊下へと足を進める。
「ああうん、どうしたのわざわざ」
「えーだってイッチー連絡先も教えてくれなかったし! だから来ちゃった」
「そっか、呼んでくれたらおれが行ったのに、来させるみたいになってごめんね」
「ハイ出たイッチーの人たらし発言! 本当は来る気なんてないくせに〜」
「そんなことないって。それで、なんかあった?」
後ろでウミネコたちがざわついているのがわかった。それもそうだ、岸田さんと石川さんはB組でいちばんかわいいとされる2人だから。
「いや、ここだと話しにくいし……一緒に帰らない?」
岸田さんが言いにくそうにコソリと耳打ちした。けれどそんなのは意味がなく、普通にクラスメイトに聞こえたと思う。その証拠に、「あーあ、またイッチーが全部持ってっちゃったよ」なんて声も聞こえる始末。いやいや、まだ何も言われてないから。
それにしても、岸田さんって本当に人当たりのいい人だな。対して石川さんは、今日も今日とて岸田さんの後ろに隠れて様子を伺っている。この感じは、たぶん、本当に用事があるのは石川さんの方なんだろう。
「あー、うん、でも、話なら隣で聞こっか? 空き教室だからさ」
笑顔は崩さない、それが鉄則だ。
岸田さんの目が一瞬丸くなったのがわかった。きっと今までこうやって異性に声をかけて断られたことなんてなかったんだろう。その気持ちはおれも男だからわかるよ。でも、変に特別扱いするのは、おれにとってもふたりにとってもデメリットしかない。
ウミネコたちは聞き耳を立てようとしていたけれど、タイミングよくやってきた担任に「おいお前ら今日反省文だろ! さっさと職員室!」と急かされていった。ちょうどよかったな。
「……うん、そうだねありがと!」
一瞬崩した表情をすぐパッと変えてわらう岸田さんにまた微笑んで、3人で隣の空き教室へと向かった。
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「それで、話って?」
「えーっと、ごめん、話があるのは私じゃなくてね」
とん、と岸田さんが石川さんの肩を優しく叩いた。その瞬間、石川さんの白い頬がほんのり赤く染まっていく。予想通りだった。
みるみる赤くなるその姿を見て、落ちない男子なんていないだろうと思う。こういうの、かわいいって言うんだろうな。おれも女の子を好きになったことがあるからなんとなくわかる。ウツミと出会う前の話だけれど。
「あの、ごめんね突然、呼び出すようなことして……」
「ううん全然大丈夫だよ」
「この間、イッチーくんが、私の手綺麗だって褒めてくれたのが嬉しくて、……そのお礼が言いたくて」
「お礼って、そんな大したことじゃ……」
「ううん、私ずっと、女子なのに手が大きいことがコンプレックスで……いきなりこんなこと言われて困ると思うんだけど、イッチーくんのこと、いいなって、思って……」
段々と尻窄みになる、同時に少しだけ泣きそうな声をした石川さんの視線が、おれからゆっくりと離れて下へと落ちていく。
こういう素直な好意を、受け入れられる自分だったらよかった。自分のことを好きになってくれる女の子のことを、好きになれたらよかった。
どうしてそんな簡単なことが出来ないのだろう。どうして今目の前にいるこの子の好意に応えることができないのだろう。どうして自分は、普通じゃないんだろう。
「……うん、伝わったよ、ありがとう」
ありがとうなんて、響きのいい、いちばん適当な言葉だよ。そんな言葉しか返せない自分にいつも幻滅する。
おれの言葉に察したのか、石川さんがぎゅっと掌を握ったのがわかった。その指先は、やっぱり綺麗だと思う。けれどなぜ綺麗だと思ったのか、彼女自身の言葉でわかってしまった。
“女子なのに手が大きい”─────ウツミの手に、少しだけ似ていた。綺麗だと思ったのは至極単純なそんな理由で、自分自身に反吐が出そうだ。
「ごめんね、迷惑かけるつもりじゃなくて、」
「ううん、迷惑だなんて思ってないよ」
「……ひとつだけ聞いてもいい?」
「うん? もちろん」
石川さんの後ろにいる岸田さんも、どうしたらいいかわからないような表情を浮かべている。そりゃそうだよな、ふたりみたいに綺麗で性格もいい女の子のこと、断るおれがどうかしてるよ。
「……好きな人、いたりする?」
今度はまっすぐにおれを見上げた石川さんが、意思を持った口調でそう尋ねた。あ、もう、迷いが消えたんだな、と思った。昔から、人の気持ちを汲み取るのがやけに得意だ。
「……うん、好きな人いる」
それは、はじめて、口にした言葉だった。
「勝算は、あるの?」
「勝算?」
「……その人と付き合える可能性は、どれくらい?」
見かけによらず食い下がるんだなあ。そういうところも男心をくすぐるんだろう。ウツミと出会ってなかったら、一瞬揺れていたかもしれない。そういう時期だって実際あったわけだし。心惹かれる、という意味を知る前だったら、の話だけど。
「可能性、か」
「うん」
「んー、そう言われると、難しいな、殆どゼロに近い」
「え、だ、だったら……!」
「でもね、おれがその人と付き合う可能性はゼロに近いけど、……その人を好きじゃなくなる可能性も、ゼロに近いんだよね」
だから、ごめんね、気持ちはすごく嬉しい。
そんな風に言葉を並べると、石川さんは観念したように、「そっか、聞いてくれてありがとう」と肩を落とした。ごめんね、と、嬉しい、を、同時に使うのってずるいよな。便利な言葉を並べてごめん。応えられなくてごめん。やさしくできなくて、ごめんね。