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 風があるな、と思ったのがいけなかった。
 プレイ再開を促す審判のホイッスルが鳴った直後。
 Jリーグ入りが内定しているという相手エースが蹴ったフリーキックは、明人の虚をついたグラウンダー、つまり地面を転がる速いボールだった。
 ボールの影が人壁の上や間ではなく、その下から見えた瞬間、しまったと感じた。壁に入った味方も二人ほど、自分と同様にまんまと騙され、跳び上がってしまっている。そして彼らの足下を、まさに這うように飛んできたシュートが指先をかすめた。
 背後で、サイドネットが揺れた。

「うおおおおお!」
「ナイッシュー!」

 大歓声が相手の滝浜二高ベンチと、彼らの応援席から湧き上がる。
 やられた。滝浜二高のエース、()()(がわ)選手の右足が素晴らしいことは知っていたし、事前にビデオでセットプレイの研究もしていたが、このシュートは完全にノーマークだった。見事に裏をかかれ、決められた。

 全国高校サッカー選手権県予選。準決勝後半。
 王者、滝浜二高の分厚い攻撃を、明人のファインセーブなどもありなんとかしのぎ続けていたオハ高だったが、後半三十分、ついに均衡を破られた。
 相手とは対照的に、静まり返るオハ高側のスタンド。この日のために急遽かけつけてくれた吹奏楽部の演奏も、ぴたりとやんでしまっている。
 それでも。

 まだ0対1だ。時間もある。顔を上げろ。切り替えて、まず同点。

 両手を口に当てた明人がそう叫ぼうとしたとき、まるで心を読んだかのように、高い声が響き渡った。

「オハ高、ラスト十分! 顔上げよう! 切り替えよう!」

 桃香だった。どんな女子よりも似合うジャージ姿で、まるで監督のごとく仁王立ちして、フィールド全体に声を届けている。

「集中して! まず同点や!」

 チームを鼓舞するマネージャーに応えて、すぐさま声が続く。

「そうだ明人! 今のはしょうがねえよ! 切り替えよう!」

 ベンチの亮介だ。ポジション柄仕方ないが、ここまでの予選でただ一人出番がない。だがいつものように決して腐らず、毎試合ベンチから大きな声を出してくれている。

「万が一おまえが怪我しても、俺がいるから。だから安心してプレイしろ。全力でやれ。一緒に全国、行こうぜ」

 なんのてらいもなく、そう言って自分の肩を叩くこの同級生を、明人はあらためて凄いやつだと思う。

「大丈夫! ワンチャン、あるぞ!」
「やろうぜ、オハ高!」
「いけるいける!」

 スタンドからは、ベンチ外メンバーたちの声も聞こえてきた。フィールドに入ることすら許されない彼らも、一緒に戦ってくれているのだ。
 そして、指揮官である沖田先生も。

「そうだ、大丈夫だ! 自信持て! やれてるぞ! 自分たちのサッカー、できてるぞ!」

 名門と呼ばれる大学サッカー部出身の先生は、こんな状況も何度も経験してきたのだろう。はったりでもなんでもなく、まだまだ勝負を諦めていない声で呼びかけてくれる。それどころか言葉通り、逆に自信を持った顔で、なんと親指まで立ててみせている。
 そうだ。これがうちの監督だ。顧問の先生だ。この人からサッカーを、周囲への感謝の心を、真剣に取り組んで得られる何かを教わってきたのが、県立小原高校サッカー部だ。

「はい!!」

 フィールドの十一人はもとより、ベンチも、ベンチ外も含めた三十六人全員から、すかさず大きな声が返る。

「よしっ、このままやろう! ワンチャン、決めるぞ!」

 植原キャプテンのその声がきっかけとなったかのように、吹奏楽部もふたたび演奏を始めてくれた。曲は――。

「あ」

 緊迫した空気のなか、明人の喉から一瞬だけ間抜けな声が漏れる。
 競技場に響いたのは、時代劇のテーマだった。それも、お忍びで市井の暮らしを楽しむ江戸将軍が庶民のために悪を斬るという、自分がもっとも好きな番組のものだ。

「明人、あんたのテーマやで!」

 桃香の声も、ちょっぴり笑ってしまっている。どうせ彼女が吹奏楽部の同級生あたりに、こっそり頼んでおいてくれたのだろう。まったく。

「オハ高、切り替えよう! まず同点にしよう!」

 リードされているチームとは思えない明るさと元気を取り戻したベンチ、スタンド、そして仲間たちに向かって、明人自身も最後方からひときわ大きな声を出した。
 そう。きっと大丈夫だ。アディショナルタイムまで何があるかわからない。最後まで気持ちを切らさずボールを、相手を、勝利を追い続けた人間にだけ、チャンスは文字通り転がってくる。サッカーって、スポーツって、そういうところが絶対にある。
 十数分後のアディショナルタイム。〝そういうところ〟は、実際に訪れた。



「キーパー!」

 センターバックを務める同級生、()(とう)(かい)()が声を出したときには、明人はすでにペナルティエリアを飛び出しかかっていた。長谷川が繰り出した、糸を引くような美しいスルーパスが自分に向かってくる。事前にスカウティングしていなければ、きっと決定的なチャンスを創り出されていただろう。

「おおっ!」
「キーパー、すげえ!」
「あれ、読んでたの!?」

 スタンドがどよめく。あっという間にスピードに乗った明人は、ペナルティエリアとセンターサークルのほぼ中間、自軍ゴールから三十メートル近くあろうかという地点にまで達していた。キーパーが手を使えるペナルティエリアの幅が十六・五メートルだから、それがいかに勇気あることか、素人でもわかるプレイだ。
 だが本人は、自分でも驚くほど冷静だった。

 長谷川さん、やっぱり上手いなあ。

 そんなことまで考えながら、同時に縦一〇五メートル、横六八メートルの正規サイズのフィールドを一瞬だけ視野に収める。
 パスコースは三つ。近くの海斗につけるか。後半から投入された、ヘディングの強い(おさ)()さんにロングパスを送るか。それとも――。
 アディショナルタイムも、もうほぼ残っていない。難度は高いが、三つ目にトライすべきだと決めた瞬間、

「明人! ダイレ!」

 同じ意志を持った声が届いた。左サイド前方で、スクールカラーでもあるオレンジ色の長袖が大きく振られている。二の腕部分には、汗と枯れ芝の色に汚れたキャプテンマーク。そして彼の前方には、二十メートルほどのスペース。

「竜也さん!」

 信頼する主将の名を、明人は叫び返していた。要求通りダイレ=ダイレクトパスで、しっかり右足を合わせる。おそらくこれが最後のワンプレイだろう。自分にとって、高校サッカー最後のパスになるかもしれない。最後のキックかもしれない。

 届け! 届け! 届け!!

 この八十分間、二十数人の高校生たちに一千回以上も蹴られてきたボールは、願いを受け取ってくれたかのように、正確に四十メートルの距離を飛んでいった。
 パスが、通った。

「おおおお!」
「植原君!」
「キャプテン!!」

 一年生のときから地区の選抜チームに選ばれてきたオハ高サッカー部主将が、猛然とドリブルを開始する。目の前を塞ぐディフェンダーは、たった一人。絵に描いたようなカウンターアタック。

「あっ!」

 そのとき明人の目には、植原がバランスを崩したように見えた。身体が横にぶれ、左足がボールの外に一歩だけ、踏み出される。
 無理もない。八十分以上も走って、競り合って、チームを鼓舞してきたキャプテンだ。いや、八十分だけじゃない。主将に任命されてから一年以上、植原竜也という人はチームを引っ張ってきたのだ。同じクラスの正も、

「植原はほんと、すげえよなあ。生まれつきのリーダーっていうか、リーダー以外似合わないっていうか。あいつが将来、総理大臣になっても俺は驚かないよ」

 と、素直に認めるほどの高校生である。もっともそのあとに「あ。でもあいつ、ああ見えて意外にアイドル好きだったりするんだぞ? 好きな歌手は――」などと、余計な情報まで教えてくれるのだが。
 その主将の足運びが、乱れた。
 ああ! という想いと、しかたない、という想いが同時に脳裏をよぎる。しかたない。竜也さんなら。キャプテンなら。彼が、あの人が俺たちの最後のワンプレイなら。
 だが。
 オハ高サッカー部キャプテンは、本当に「すげえ」男だった。

「え!?」

 八十メートル以上離れている位置からは最初、何が起こったのかわからなかった。ただ、植原主将がボールごと、相手の身体をすり抜けたように見えただけだ。まるで場所を入れ替わるように。すっと、どこまでもスムーズに。
 一秒にも満たない時間の後、明人がそのプレイを理解したときには、スタンドの声はもはや悲鳴に変わっていた。

「植原君!」
「いけえ!」
「決めろ、竜也!!」

 ゴールライン、そして左右のゴールポストから十六・五メートル。ゴールキーパーだけが手を使うことを許される聖域、ペナルティボックス。
 この土壇場で、最後のディフェンダーを「股抜き」して聖域に侵入したキャプテンは、まるで普段のシュート練習のように、冷静にゴールネットを揺らしてみせた。
 歓喜が、爆発した。



「明人」
「はい」
「おまえ、好きな食べ物なんだったっけ?」
「はい?」

 十分ハーフの延長戦は、両チームともにノーゴール。競技場全体がいよいよ異様な雰囲気に包まれるなか、ベンチ前で沖田先生が最初に発したのは予想外の台詞だった。

「あの……」
「やっぱ肉か? それとも意外に甘い物とか?」

 円陣を組んでいる全員が、ぽかんと口を開けている。緊張のあまり、さすがの先生も壊れてしまったのだろうか。
 いち早く反応したのは、桃香だった。

「魚です! それも、まご茶漬け! お刺身をヅケにして、あっついお茶かけて美味しそうに流し込むんですよ? 侍どころか、お爺ちゃんかっちゅうねん」
「お、おい、桃香」

 動揺しながらも、明人は慌てて彼女をとがめた。PK戦直前の円陣で、そんなどうでもいい話を堂々と暴露しなくてもいいだろうに。
 だが桃香から情報を得た沖田先生は、心底おかしそうな笑顔になっている。

「はは、明人らしいなあ。ほんと、おまえはいろんな意味で期待を裏切らないな」
「はあ」

 どうやら先生は、パニックを起こしたわけではないらしい。延長戦の間もずっと変わらなかった、自信に溢れた顔をしている。いや、自信を通り越した確信というか、このPK戦ですらなんでもないこと、いつもやっていることですよ、といった感じの表情だ。

「竜也」
「はい」

 笑うべきか緊張感を保つべきか、なんとも微妙な表情をしていたキャプテンに、今度は話が振られる。

「明人がPK止めてくれたら、部費の残りでまご茶漬、奢ってやってもいいか?」
「は?」

 土壇場で同点ゴールを決めてみせた彼ですら、思わず頓狂な声を出してしまっている。それはそうだろう。けれどもさすがと言うべきか、植原はすぐに先生の意図を理解したようだった。

「あ、はい! 頼むぞ、明人!」

 チームメイトたちも、いい感じで肩の力が抜けたようだ。口々に「安上がりでええな」、「ヒーローになって、マジで奢ってもらえ」などと明るい声が上がり始める。

「まあ、そういうことだ」

 笑顔のまま、沖田先生が全員の顔を見渡す。

「PK戦なんて、くじ引きみたいなもんだ。こればっかりは勝っても負けてもしょうがない。だから、あとは明人に任せよう。蹴る人間も迷わずに蹴ってくれればそれでいい。仮に外したとしても、誰も文句は言わないさ。順番は練習通りでいいよな」
「はい!」

 緊張から開放され、適度に引き締まった表情で円陣全体が元気に答える。大きく頷いた沖田先生は、「OK」と続けた。

「ちなみにみんなは、PKを外す人間はどういうやつか、知ってるか?」

 知っていたが、明人はあえて答えなかった。相手のシュートを止めることに専念できるよう、チームの総意として自分は最後、十一番目のキッカーにしてもらっていたからだ。

「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」

 返事はまたしても桃香だった。サッカーの有名な格言を口にしたマネージャーが、沖田先生と同じように全員をぐるりと見渡す。
 柔らかく微笑む幼馴染みの視線を、明人もしっかりと受け止める。

 いい顔、してるな。

 その表情は、いつもよりもさらにチャーミングだった。

「あんな」

 穏やかに、桃香は話し始めた。

「うち、みんなが羨ましい。うちも小学生の頃、サッカーやっとったから。全国大会を賭けた準決勝で、こんなに沢山のお客さんが自分のキックだけを見てくれる瞬間なんて、人生で一度あるかないかやん。蹴れるもんなら、うちも蹴りたいよ。一緒にやりたいよ。こんな痺れるPK戦」

 仲間たちが何も言わずに頷き返す。

「だから蹴る人は、悔いのないように蹴って。右でも左でも、ド真ん中にズドンでも、どんなキックでもええから、自分が信じたシュートを打って。後悔だけはしないPKにして。それで外れても、先生が仰ったみたいに絶対誰も責めへんよ。うちは、オハ高はそういうチームじゃないやん」

 大きな瞳がもう一度、明人を見る。陽の光を反射した猫目が、美しく潤んでいる。

「明人も」

 そうだ。

「自分が信じるように、やりたいようにして」

 やろう。

「PKのゴールを守るのだって、勇気あることやん」

 信じるように。

「うちの知ってる明人は、勇気のある人やから」

 悔いのないように。

「子どものときから、ずっと」

 持てる力のすべてを出そう。
 この子の目からこぼれるのが、嬉し涙になるように。



「よろしく」

 百九十センチはあろうかという相手ゴールキーパーは、身体とは裏腹に優しそうな顔をした人だった。たしか三年生のはずだ。

「よろしくお願いします」

 おたがいにきちんとキーパーグローブを外した右手で握手を交わすと、明人はもう一度軽く頭を下げてから、みずからのポジションへ向かった。幅七・三二メートル、高さ二・四四メートルの枠を守るライン上。目の前、十一メートルの至近距離から放たれるシュートに、たった一人で立ち向かう場所へ。
 コイントスの結果、先攻は滝浜二高になった。ハーフライン上に肩を組んで並ぶ両校の選手たちから、一人目のキッカーが小走りに出てくる。

 オハ高の誰もが、だろうな、と思った。
 滝浜二高の一人目は、エースの長谷川だった。
 PK戦は両チーム五人ずつが蹴り、その成否で勝敗を競うものだ。五人目まで同点ならば、あとは差がついた時点、つまりどちらかが外した時点で終了の「サドンデス方式」となる。何番目に蹴ろうがプレッシャーは凄まじいものだが、なかでも難しいのは奇数番目、一、三、五番手のキッカーと言われている。特に一番手は先頭としての重圧と責任感から、チームのエースや主将が務める場合が多い。オハ高も、先頭はキャプテンの植原が蹴る予定になっていた。
 そのとき。
 明人の鼻腔が、シトラスのような香りを捉えた。

 え?

 香りのする方向へ顔を向ける。するとゴール裏左手、少し離れた場所に、思いもよらない人の姿があった。

「あっ!」

 直だった。
 なんと直が、大人のカメラマンたちに交ざって、《PRESS》と書かれたビブスを身につけて堂々と立っている。デニム姿で大きな一眼レフも手にしているので、何も知らなければ「若手のカメラウーマン」そのものだ。たしかに取材も兼ねて応援にきてくれるとは言っていたが、まさか本物の取材者になっているとは。
 あとから聞いた話によれば、試合校の新聞部ということで県サッカー協会が粋な計らいをしてくれて、一般新聞社などと同等の扱いでフィールドに入る許可をくれたのだという。
 明人が見つめる先で、形のいい唇が小さく動く。読唇術が使えるわけではないけれど、彼女の声まではっきりと聞こえた気がした。

 頑張って。

「はい!」

 はっきりと言葉にしながら、明人は切れ長の目を見つめ返した。強い意志とともに視線を正面に戻し、ゴールライン上に立ちはだかる。
 わかる。
 相手の蹴る方向が。ボールの来る方向へ、自分が迷いなく飛べることが。直後にどよめきと大歓声が湧き起ることも。
 スポーツの世界では、極限まで集中した精神状態になることを「ゾーンに入る」などと言う。
 このときの明人は、外から見る限りまさにそれだった。一人目の長谷川、そして次の選手と、なんと二連続のPKストップ。文字通りゴール前に立ちはだかる姿に、数十メートル向こうの仲間たち、そして何よりベンチやスタンドが大いに盛り上がる。

「よおおおおおっし!」
「ナイス、明人!!」
「ナイスキーパー!」

 だが明人自身は、どこまでも冷静だった。一本目も二本目も、軽く拳を握り締めただけですぐにペナルティボックス外へ出ていき、味方のキックを待つ。決めてくれ、いや、決まるはずだ、と祈りながら。
 そして。
 PK戦に入って四度目のどよめきと歓声が、スタンドから響き渡った。オハ高の二人目、センターバックの()(とう)(かい)()がガッツポーズとともにハーフウェイラインへと戻っていく。

「オッケー、海斗!」
「いいよ、しょうがないよ!」
「ナイッシュー!」
「次、止めよう!」

 重なりながら飛び交う、讃える声と鼓舞する声。「悪い!」と味方に叫びながら自分と擦れ違う滝浜二高のキーパー。

「サンキュー、海斗!」

 きっちり決めてくれた同級生に手を叩きながら、明人は三たび、ゴールラインへと向かった。
 これを止めたら、かなり有利になる。直後の三人目が決めれば、その時点で3―0となってオハ高の勝利。仮に外したとしても2―0なので、四人目、五人目をいずれも滝浜二高が決めてオハ高が外すという展開になって、やっとサドンデスに突入という状況だ。つまり最低でも、二本分のアドバンテージを手にすることができる。しかも向こうは、そうなったら「外せば負け」という大きなプレッシャーもつきまとう。
 是が非でも止めたい。いや……止める。止まる。
 そう。止めるんだ。俺が、今、このPKを。

 向かう先、サイドネットの向こう側に直の姿が見えた。こちらに向けてレンズを構えている。二本目のときまでは意識的にそちらを見ないようにしていた明人だったが、今度は自分から強い視線を送ってみせた。
 ファインダー越しに、目が合ったことを確信した瞬間。
 唇が、自然と動いた。

「止めます」

 ポジションにつき、両手を大きく広げる。
 はっきりとわかる。目の前の選手が、どういうキックをするのか。どこにシュートが飛んでくるのか。そして――自分は、どうすべきなのか。
 ホイッスルが響き、相手キッカーが助走を開始する。9番。右利き。ストライカー。
 彼の軸足が自分から見て右側に開いたとき、軽くホップした明人の重心はすでに左足へと移っていた。
 瞬間。世界が、スローモーションになった。

 無心のまま伸ばした左手の先に、飛んでくるボールのメーカー名までが見える。掌に強い感触が飛び込んでくる。視界の端に、天を仰ぐ青いユニフォーム。対照的に全員がガッツポーズをしている、オレンジ色のユニフォーム。
 時間の感覚を取り戻した世界で、明人は真っ先にゴールの裏側を振り返った。
 直が、両手で口を押さえていた。



 オハ高の三人目、点取り屋の西(にし)(かわ)がPKを沈めた瞬間は、さすがに明人も声にならない声を上げて仲間たち方へと駆けていった。

「うおおおおおおお!」

 ベンチで亮介が絶叫している。沖田先生も両手を突き上げている。

「みんなー!」

 歓喜の輪に向かって、ちぎれるほどに両手を振る桃香。

「桃香!」

 自然と、その名を大声で呼んでいた。

「明人お!」

 身体ごとこちらを向いて跳びはねる幼馴染みに、明人は叫び返した。

「ありがとう!」

 頭のてっぺんまで揺れるポニーテールの下で、大きな目が見開かれるのがわかる。

「ありがとう、桃香!」

 もう一度叫ぶと、真っ赤になっていた彼女の目尻から、光が零れるのが見えた。
 ゴール裏でシャッターを切り続けてくれている、あの人と同じように。