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 教室のスピーカーから、軽快なジングルが流れる。

《――というわけで、本日の『オハオヒ』は、古豪復活を担う我がオハ高サッカー部の守護神、二年一組の近守明人選手にお越しいただきました! 近守さん、こんにちはー!》
《こんにちは。よろしくお願いします》

 続けて、いかにもラジオパーソナリティといった感じの女子生徒と明人の声。

「あ、始まったで」
「なんか両方とも知ってるから、笑えるなあ」

 昼食時の二年一組。机を並べ替えた島のいたるところで、弁当箱をつつきながら生徒たちが頬を緩めている。

「近守君、こういうときでも落ち着いとるね」
「ね。全然緊張してない感じ」

 桃香の眼前でも、女子バスケ部に所属する友人、ユッコとアスカが面白そうに頷き合う。

「インチキ侍だからよ。それにDJ、りっちゃんやし」

 ちょっぴり眉間にしわを寄せながら、桃香は好物の卵焼きをぱくりと口に入れた。不機嫌だからなのか、卵焼きが入ったからなのか、子どものような頬が丸くふくらむ。

「まあ、それもあるやろね。毎日教室で顔合わせてるし」
「むしろ絶対、りっちゃんの方が笑いこらえてるって」
「そうそう。昨日の時点で、今さら近守君に他人行儀にインタビューなんて、って言っとったし」
「多分、おっぱい揺らしてわろてるで」
「あはは、想像できるわ」

 女子高生らしい軽やかな笑い声を立てながら、二人は桃香の顔を覗き込んできた。

「桃香、近守君っておっぱい星人なん?」
「巨乳大好きとか?」
「はあ!?」

 思わずむせそうになった桃香は、慌ててマイボトルのお茶を口にした。お陰で卵焼きをじっくり味わえなかったではないか、と思いながら。

「知らんわ、そんなん!」
「そっか。桃香に聞いてもねえ」
「そやね。りっちゃんと比べたら、ますます桃香が可哀想――」
「うっさいわ!」

 ユッコもアスカも、少なくとも自分よりは胸が大きいので、桃香は余計な台詞をすかさず遮った。
 放送部が昼休みに流す『オハ校・お昼の生放送』、通称『オハオヒ』は、そのクオリティの高さから、生徒たちだけでなく教職員にも好評のプログラムとなっている。
 というのも、単に流行の音楽を流したりするだけのありがちな構成ではなく、学内や地域で話題のトピックを取り上げ、ときにはこうして関係者を招いてインタビューも行なったりする、じつに本格的なものだからだ。聞くところによると、オハオヒに憧れて放送部に入部する一年生も少なくないのだとか。

 その人気番組で今年度のメインパーソナリティを務めるのが、()(とり)(りつ)()
 明人たちのクラスメイトであり、明るい語り口と耳に優しい声は「昼休みのラジオの人」としてファンが多いらしい。ルックスも黒縁眼鏡がよく似合う、ついでに言えば胸も大きいチャーミングな女の子である。

「りっちゃん、職権乱用してアピールすればええのにね」
「そやね。うちやったら、絶対そうするわ。わざとおっぱい強調するような服着て」
「古風な人がタイプって言っとったもんな。近守君とか、まさにドンピシャって感じやし」
「ええやん、ええやん。サッカー選手とアナウンサーって、よくありそうな組み合わせやん」

 アナウンサーじゃないやろ、と言ってやろうとした桃香だが、機先を制してユッコに箸ケースを向けられてしまった。マイクよろしく、片手で握ってこちらに向けてくる。

「そのへん、第一夫人としてはどーなんですか? 所さん?」
「うちの明人に言い寄るんなら、たとえりっちゃんでも許しませんわ! みたいな?」

 同じ素振りで、アスカも調子に乗っている。

「誰が第一夫人やねん! イスラム教か! ていうか、うちの明人って、むしろ保護者かい!」

 関西人らしく、すかさず反応してつっこんでしまった。その間も、律子による明人へのインタビューは続いている。

《間もなく始まる全国高校サッカー選手権の県予選ですが、チームの状態はどうですか?》
《いい雰囲気だと思います。みんな、気持ちも入ってますし》
《オハ高が二十年ぶりの全国切符を手にするには、最後の砦となる近守さんの活躍次第、という期待の声も多いです》
《いえ、ベンチの選手はもちろんベンチ外やマネージャーも含めた、チーム全員の頑張りが大切だと思ってます。サッカーはチームスポーツですから》

 あ、また言っとる、と桃香は思った。同時に、ほんの少しだけ顔がほころぶ。「マネージャーも」と、さり気なく入れてくれたのが嬉しい。
 相手が律子だからというのもあるかもしれないが、めずらしく明人は、自分から積極的に言葉を続けている。

《大前提として、僕だって必ず試合に出られるわけじゃありません。沖田先生は、うちにはスタメンが約束されてる人間は一人もいない。コンディションのいい選手から使う、っていつも仰ってますから》
《でも近守さんは、地区の選抜にも選ばれているんですよね。やはり信頼されているのでは?》
《日本代表なわけじゃないですから、地区選抜程度の肩書きなんて、なんの役にも立ちません。実際、夏の地区大会では僕じゃなくて(りょう)(すけ)、同じ学年の譲原(ゆずりはら)君が先発していましたし》
《そうなんですか?》

「え? そうなん?」
「近守君て、凄いキーパーなんちゃうの?」

 いつの間にか大人しく聞き入っていたユッコとアスカも、意外そうな顔をしている。
 明人の言う通り、夏の大会では同級生の譲原亮介が、オハ高のゴールを守ることが多かった。明人は選抜チームの大会もあったし、季節的にもきつい時期なので、疲労を考慮した沖田先生が二人を使い分けたというのが実際のところだ。けれどもたしかに、亮介も素晴らしいプレイを披露していた。対戦相手の監督が何人も、「オハ高さんのキーパー、あれで選抜じゃない方の子なんでしょ? いいなあ。うちならレギュラー確定だけどなあ」などと唸ったほどである。

 ただ明人と、そして亮介もだが彼らが立派なのは、試合に出られなくても絶対に腐らないところである。たった一つだけの「チームの王様」とまで呼ばれるポジションを争うライバルなのに、常におたがいにアドバイスして声をかけ合っている。寡黙で冷静な明人とは対照的に、亮介は元気印のムードメーカータイプではあるが、だからこそ波長が合うのか、仲はまったく悪くない。

《僕たちディフェンス陣だけじゃありません。キャプテンの植原さんだって選抜、それもチームの主力だったし、フォワードの西(にし)(かわ)さんの決定力も、かなりのレベルだと思います。それ以上に、オハ高の強みはチームワークで――》

 うん、スイッチ入っとる。
 冷静ではあるものの、自然と言葉が溢れてくる感じの声を聞きながら、桃香はもう一度微笑んだ。
 普段は朴訥な明人だが、特にサッカーの話題となると、こうして途端に喋ることがある。このスポーツが心から好きな気持ちが痛いほど伝わってくるし、そういうときは自分もなんだか楽しくなってくる。

「本人も言っとるけど、うちでレギュラー保証されとる人なんておらんの。全員サッカーがオハ高の持ち味なんやから」
「ふーん」
「なんかええね、そういうの」

 友人たちの素直なリアクションに気をよくした桃香は、さらに続けた。

「たしかにキーパーとしての明人は、ひいき目抜きにしても、かなりいい選手だとは思うけどね」
「へえ」
「シュートへの反応もやけど、何より守備範囲が広いんよ。足下……あ、足でボールを扱うことね、そこもフィールドプレイヤーと変わらないレベルやから、どんどん前に飛び出して相手のパスをカットしてくれるの。あれは、めっちゃ助かるわ」
「ほうほう」
「でもって、あの通りの性格やから、ピンチになっても冷静さを失わんし。PKもけっこう止めてくれるんやで」
「なるほどー」
「キーパーはチームの王様っていうぐらいやから、あんなふうに高い技術と冷静な心を兼ね備えとるんは、マジで貴重なんよ。しかも明人の声って、意外と通るやん? 味方への指示も的確で――ってなんやの、二人とも? 何にやにやしてんの?」

 興が乗っていた桃香は、ユッコとアスカの表情にやっと気がついた。

「やっぱり桃香は、第一夫人やねえ」
「ほんまほんま。めっちゃ彼のこと理解しとるもんねえ」

 最初こそにやにやしていた二人だが、今はもうそれが「微笑ましい」といった表情に変わっている。
「ち、違うっちゅうねん。単に子どもの頃から知っとるから――」
「しかもサッカーの話になると、熱く語っちゃうところはよく似とるねえ」
「うん。似た者夫婦やねえ」
「こりゃ、りっちゃんでも敵いませんなあ」
「おっぱいだけじゃ、ゴールは奪えませんなあ」
「何言うてんの、二人とも! しかもおっぱいは余計なお世話や!」

 思わず大きな声を出してしまった桃香は、男子生徒の視線から逃れるように、慌てておかずを口につっこんだ。
 しかし。

「むぐっ!?」

 箸の先には、弁当箱に敷いてあったアルミホイルもくっついていたのだった。



 インタビューが行なわれた日、練習がめずらしく早めに終わったので、明人は居残って筋トレをしていた。休養も大切だとはわかっているが、やはりなんだか落ち着かない。今日は女バスが学校で練習する日なので、桃香も「ユッコたちと帰るね」と体育館の方へ行ってしまっている。

「よっ、と」

 懸垂をしようと、スクワットラックの上部に渡されているバーに、声を出して跳びついたとき。
 ノックの音がして、声が続いた。

「失礼します」

 いつかのデジャヴみたいだ、と思いつつ振り返った先にいたのは、やはり直である。

「あ、お疲れ様です」
「お疲れ様。電気点いてるのが見えたから、ひょっとしたら明人君かなって思って」

 今日は「お疲れ様」には、つっこまれなかった。むしろ直自身も、同じ言葉を返してくれている。

 綺麗だな。

 猿のようにバーからぶら下がったまま、明人はぼけっと見とれてしまった。少し伸びたのだろうか、黒髪が肩先で揺れ、隙間から真っ白い首筋が見え隠れしている。それだけで心拍数が上がった気がして、さり気なく首を振ってから慌てて床に飛び降りた。

「聞いたよ、お昼のインタビュー」

 こちらの動揺を察しているのかいないのか、話を振ってくる直の顔には、先日同様のいたずらっぽい微笑が浮かんでいる。

「ああ、ありがとうございます」
「めずらしく、いっぱい喋ってたね」
「はあ」
「ああいうの、慣れてるの?」
「いえ、別に」
「ふーん。この前も言ったけど、なんかプロ選手のインタビューみたいだったよ」

 じつは桃香やチームメイト、さらには沖田先生にまで明人は似た感想をもらっていた。インタビュアーが同級生の、しかもよく会話する律子だったこともあるのだろう。

「なんかちょっと、焼き餅妬いちゃった」
「え?」

 ピンク色の唇をとがらせながら、直が近寄ってくる。ふわり、といつものさわやかな香りが漂う。

「あのDJの子、明人君や桃香ちゃんの同級生でしょう? 名取律子ちゃん」
「はい。あ、でも名取とは全然そういうこと、ないですから! 彼女は誰とでも仲いいですし!」

 明人の口調は、無意識のうちに弁解するようなものになっていた。

「でも、かなり可愛よね。眼鏡も似合うし」
「まあ、たしかに見た目は……って、名取のこと知ってるんですか?」
「前に新聞部で、取材させてもらったことがあるの。顔出しはNG出されちゃったから私の出番はなかったけど、見学してたんだ」
「ああ」

 そういえば律子自身も以前、言っていた気がする。

「いいなあ」
「え?」
「私も、もう一年遅く生まれればよかったな。さすがにそれはできないけど」

 どういう意味ですか、と聞く前に、直がさらに近づいてくる。

「ちなみに桃香ちゃんと律子ちゃん、どっちがタイプ?」
「はひ!?」

 その桃香ではないが、明人は変な声を出してしまった。

「どっちも可愛いじゃない。元気な幼馴染みと、眼鏡が似合うインテリタイプ。明人君なら、どっちが好き?」
「な、何言ってるんですか!」

 たしかに二人ともルックスは悪くない、いや、むしろひいき目抜きにしても、間違いないく可愛いと思う。だが決して、そんなふうに見たことはない。

「じゃあさ、OLみたいな一つ上の先輩は?」
「は?」

 どうも今日は、いつも以上に会話のペースを握られている気がする。
 というか、

「OLみたいな先輩?」
「うん。私、よく言われるの」

 ああ、と明人は納得するしかなかった。直の落ち着いた雰囲気や、「可愛い」というよりも「美人」と呼ぶに相応しいルックスは、たしかにOLっぽい。このままスーツでも着れば、ちょっと童顔な新入社員ぐらいの設定でも、じゅうぶんいけそうな気がする。
 それはさておき。

「ええっと……」

 なんで急に、妙なアピールをしてくるのだろう。相変わらず言動の先が読みにくい人だ。
 顔が熱いのを自覚しながら明人が言葉を探していると、「あ、困ってる。真面目だなあ、もう」と、おかしそうに笑われてしまった。こういう無邪気表情は、年齢相応なのだが。

 ほんと、なんなんだろう、この人。

 大人っぽさと可愛らしさが同居している整った顔を、明人は無意識のうちにまた見つめてしまっていた。
 直はといえば、そんな視線を意に介さず、むしろ自分からさらに目を合わせてくる。

「ごめん、また筋トレの邪魔しちゃったね。すぐそこで、接写の練習してたら音が聞こえたから」
「せっしゃ?」

 拙者、という単語が一瞬思い浮かんだものの、すぐに打ち消した。こんなだから、桃香に「侍」呼ばわりされるのだろうか。

「被写体にカメラを凄く近づけて、写真を撮る方法。結構技術がいるんだよ」
「ああ、接写」

 ようやく理解する。実際に、そうして撮られた画像も知っていた。図鑑などでよく目にするあれだ。よくわからないが、ピントが合わせづらかったりするのかもしれない。

「トレ室の裏に、ちょっとだけコスモスが咲いてるんだ。だから練習にちょうどいいかなって。別に明人君のストーカーとかじゃないから安心して。あはは」

 笑いながら直はもう一度、いたずらっぽく視線を合わせてくる。切れ長の目がきらめいたような気がして、明人の心拍数はまた上がってしまう。

「じゃ、また。明人君も気をつけて帰ってね」

 唐突に話を切り上げた直は、カメラウーマンらしくない華奢な手を振ると、軽やかな足取りとともに去っていった。女子に「気をつけて」などと言われたのは初めてだったが、明人の方はそんな自覚もないまま、固まって彼女を見送るしかない。

「ストーカー、って……」

 ようやく口をついたのは、呆然としながらの一言だった。