4
「寒くなったねえ」
「ああ」
「冷えるねえ」
「ああ」
「温もりが恋しい季節やねえ」
「ああ」
「ちょっと、なんなん!? そのやる気のない返事!」
駅からの帰り道。桃香と並んで歩きながら、いつものように(?)明人は一方的に怒られてしまった。
「何がだよ」
「普通こういうときは、じゃあ俺があっためたる、とか、大丈夫? とかいって、ぎゅっと手ぇ握ったりするのが男子やろ!」
「は?」
「なんでこう、あんたはサービス精神とかボランティア精神とか、デリカシーとかデモクラシーとかに欠けてんねんやろ。ああ、こんなことなら子どものときから、もっと教育しとくべきやったわ。うちの育て方が、あかんかったんやろか」
「はいはい。ていうか、一個だけ完全に別ものが交ざってるぞ」
勝手に保護者のようなことを言い出す桃香の横顔を、明人はこれまたいつものように、呆れ顔で見つめた。本人の言葉通り、頬が寒さで赤くなっており、典型的な「秋冬の女子高生」といった姿である。
やっぱ、〝残念〟だよなあ。
「ん? なんか言うた?」
「いや、なんでもない」
あやうく唇が動いていたらしい。目ざとく発見されてしまったが、桃香はすぐに視線を前方に移している。
「あれ?」
「うん?」
「あれ、正さんちゃう?」
「ああ、ほんとだ」
桃香が手で示した二、三十メートルほど前方には、たしかに兄、正のうしろ姿があった。そして隣には頭半分ほど小さい、もう一つの影。
「あ」
「直先輩や!」
その名を口にしようかどうか半瞬ためらったそばから、桃香が嬉しそうに叫んだ。
「正さーん! 直せんぱーい!」
大きく呼びかけながら、すでに小走りにもなっている。仕方ないな、と思いながら明人もあとに続いた。
「おお、桃香ちゃん」
「あら? 今日はよく会うね」
同時に振り返った二人も、顔をほころばせてくれる。
「桃香ちゃんも今、帰り?」
「は、はひ!」
昼休みに続いて会えたことに加え、さっそく気さくに声をかけてもらえた桃香は、すっかりファンの表情だ。若干声も裏返っている。
「いつも通り、ボディガードに送らせてました!」
「ボディガード?」
またもやの勝手な言い草は、隣の正がすぐに理解したらしい。追いついた弟の姿を見て、「ああ、たしかに」と笑っている。
「そこは否定してくれよ」
抗議しつつ、明人は直に向かってすぐに頭をさげた。
「こんばんは」
「こんばんは、明人君。こんな時間まで練習? お疲れ様」
自分には「サラリーマンみたい」と言っていたくせに、似たようなリアクションをして直は微笑んでいる。ただ、大人びた笑顔には、むしろそれがしっくりくるのも事実だった。
「お疲れ様です」
思わず生真面目に返してしまった瞬間。
桃香が「あの! その! あのですね!」と、ふたたび素っ頓狂な声を発した。
「どうした、桃香ちゃん?」
「大丈夫?」
先輩二人に揃って怪訝な顔をされた彼女が、何かを思い切るような顔で、とんでもない質問を続ける。
「お、お二人はおつきあいされてて、恋人どうしで彼氏さんと彼女さんだったり、するんでありますでしょうかっ!」
明人は思わず天を仰いだ。
「おまえ、日本語がさっき以上に変」
というか、そういうことをダイレクトに訊くな。
けれども直は、昼休みのときと同じく面白そうに微笑んでいる。
「ふふ、やっぱり面白いね、桃香ちゃんって」
「ありがとうございます!」
「褒めてるのか?」
「直だから、褒めてんじゃねえの?」
かたわらで声を潜める兄弟の声が聞こえているのかいないのか、直はいたずらっぽい笑顔のまま、桃香と明人の顔を交互に見つめ返してきた。
「あなたたちの方は?」
「はい?」
「桃香ちゃんと明人君は、つきあってるの?」
「とんでもない!」
すかさず反応する当人たちの声は、だが返事とは裏腹に見事なまでに重なってしまった。
「そうなんだ? でもやっぱり、息がぴったりだね。カケル君とミナト君みたい」
「なんだそれ?」
楽しげな直の言葉に、正が首を傾げる。
「あら。『フットボーラー翔』、知らないの? 弟君がサッカー部の守護神なのに」
「俺は漫画読まないって言っただろ」
明人は隣で苦笑するしかなかった。近守家全員が、どちらかといえば活字を好む一家ではあるが、国民的サッカー漫画の名前すら知らないのは弟としてもどうかと思う。
残念そうな顔になって、直は続けた。
「ふーん。面白いのに。明人君みたいなキーパーも出てくるよ。ストイックな天才で、ペナルティエリア外からのシュートは絶対決めさせない、通称――」
「スーパー・グレート・ゴールキーパー!」
今度は女子二人の声が見事に重なり、桃香と直はそのまま大きな歓声を上げた。
「うわ、意外! 直先輩、〝フトカケ〟読まはるんですか!?」
「うん。私も漫画はそんなに読まないけど、スポーツものだけはけっこう読むの」
「じゃあじゃあ、『タッチライン』とかも知ってます?」
「知ってる! あれもいいよねえ、青春してて。私はやっぱり次郎ちゃん派かな」
「キャー! めっちゃわかります! あの優しいとこがいいですよねえ! ちょっとぬーぼーとしとるけど」
直と手まで取り合っている桃香の目が、ちらりとわざとらしい視線を送ってくる。
「そうそう! 凄い選手だし、チームメイト想いなのにね。ヒカリちゃん相手にするときとかは、ちょっとぬーぼーとしてて」
またしても、ちらり。しかも今度は直が、からかうような笑顔とともに。
「な、なんで俺の方見てるんですか、二人して」
思わずつっこんだ明人だが、サッカー漫画どころか漫画そのものを読まない兄まで、調子に乗って茶々を入れてきた。
「いいなあ。もてもてだな、明人。俺もぬーぼーとしようかな」
「……意味がわからないんですけど」
ぬーぼーというより飄々としている兄を軽く睨みながら、明人は盛り上がる桃香と直の後ろを、ともについていくしかない。
結局、兄と直の関係については今日もわからずじまいだった。
「寒くなったねえ」
「ああ」
「冷えるねえ」
「ああ」
「温もりが恋しい季節やねえ」
「ああ」
「ちょっと、なんなん!? そのやる気のない返事!」
駅からの帰り道。桃香と並んで歩きながら、いつものように(?)明人は一方的に怒られてしまった。
「何がだよ」
「普通こういうときは、じゃあ俺があっためたる、とか、大丈夫? とかいって、ぎゅっと手ぇ握ったりするのが男子やろ!」
「は?」
「なんでこう、あんたはサービス精神とかボランティア精神とか、デリカシーとかデモクラシーとかに欠けてんねんやろ。ああ、こんなことなら子どものときから、もっと教育しとくべきやったわ。うちの育て方が、あかんかったんやろか」
「はいはい。ていうか、一個だけ完全に別ものが交ざってるぞ」
勝手に保護者のようなことを言い出す桃香の横顔を、明人はこれまたいつものように、呆れ顔で見つめた。本人の言葉通り、頬が寒さで赤くなっており、典型的な「秋冬の女子高生」といった姿である。
やっぱ、〝残念〟だよなあ。
「ん? なんか言うた?」
「いや、なんでもない」
あやうく唇が動いていたらしい。目ざとく発見されてしまったが、桃香はすぐに視線を前方に移している。
「あれ?」
「うん?」
「あれ、正さんちゃう?」
「ああ、ほんとだ」
桃香が手で示した二、三十メートルほど前方には、たしかに兄、正のうしろ姿があった。そして隣には頭半分ほど小さい、もう一つの影。
「あ」
「直先輩や!」
その名を口にしようかどうか半瞬ためらったそばから、桃香が嬉しそうに叫んだ。
「正さーん! 直せんぱーい!」
大きく呼びかけながら、すでに小走りにもなっている。仕方ないな、と思いながら明人もあとに続いた。
「おお、桃香ちゃん」
「あら? 今日はよく会うね」
同時に振り返った二人も、顔をほころばせてくれる。
「桃香ちゃんも今、帰り?」
「は、はひ!」
昼休みに続いて会えたことに加え、さっそく気さくに声をかけてもらえた桃香は、すっかりファンの表情だ。若干声も裏返っている。
「いつも通り、ボディガードに送らせてました!」
「ボディガード?」
またもやの勝手な言い草は、隣の正がすぐに理解したらしい。追いついた弟の姿を見て、「ああ、たしかに」と笑っている。
「そこは否定してくれよ」
抗議しつつ、明人は直に向かってすぐに頭をさげた。
「こんばんは」
「こんばんは、明人君。こんな時間まで練習? お疲れ様」
自分には「サラリーマンみたい」と言っていたくせに、似たようなリアクションをして直は微笑んでいる。ただ、大人びた笑顔には、むしろそれがしっくりくるのも事実だった。
「お疲れ様です」
思わず生真面目に返してしまった瞬間。
桃香が「あの! その! あのですね!」と、ふたたび素っ頓狂な声を発した。
「どうした、桃香ちゃん?」
「大丈夫?」
先輩二人に揃って怪訝な顔をされた彼女が、何かを思い切るような顔で、とんでもない質問を続ける。
「お、お二人はおつきあいされてて、恋人どうしで彼氏さんと彼女さんだったり、するんでありますでしょうかっ!」
明人は思わず天を仰いだ。
「おまえ、日本語がさっき以上に変」
というか、そういうことをダイレクトに訊くな。
けれども直は、昼休みのときと同じく面白そうに微笑んでいる。
「ふふ、やっぱり面白いね、桃香ちゃんって」
「ありがとうございます!」
「褒めてるのか?」
「直だから、褒めてんじゃねえの?」
かたわらで声を潜める兄弟の声が聞こえているのかいないのか、直はいたずらっぽい笑顔のまま、桃香と明人の顔を交互に見つめ返してきた。
「あなたたちの方は?」
「はい?」
「桃香ちゃんと明人君は、つきあってるの?」
「とんでもない!」
すかさず反応する当人たちの声は、だが返事とは裏腹に見事なまでに重なってしまった。
「そうなんだ? でもやっぱり、息がぴったりだね。カケル君とミナト君みたい」
「なんだそれ?」
楽しげな直の言葉に、正が首を傾げる。
「あら。『フットボーラー翔』、知らないの? 弟君がサッカー部の守護神なのに」
「俺は漫画読まないって言っただろ」
明人は隣で苦笑するしかなかった。近守家全員が、どちらかといえば活字を好む一家ではあるが、国民的サッカー漫画の名前すら知らないのは弟としてもどうかと思う。
残念そうな顔になって、直は続けた。
「ふーん。面白いのに。明人君みたいなキーパーも出てくるよ。ストイックな天才で、ペナルティエリア外からのシュートは絶対決めさせない、通称――」
「スーパー・グレート・ゴールキーパー!」
今度は女子二人の声が見事に重なり、桃香と直はそのまま大きな歓声を上げた。
「うわ、意外! 直先輩、〝フトカケ〟読まはるんですか!?」
「うん。私も漫画はそんなに読まないけど、スポーツものだけはけっこう読むの」
「じゃあじゃあ、『タッチライン』とかも知ってます?」
「知ってる! あれもいいよねえ、青春してて。私はやっぱり次郎ちゃん派かな」
「キャー! めっちゃわかります! あの優しいとこがいいですよねえ! ちょっとぬーぼーとしとるけど」
直と手まで取り合っている桃香の目が、ちらりとわざとらしい視線を送ってくる。
「そうそう! 凄い選手だし、チームメイト想いなのにね。ヒカリちゃん相手にするときとかは、ちょっとぬーぼーとしてて」
またしても、ちらり。しかも今度は直が、からかうような笑顔とともに。
「な、なんで俺の方見てるんですか、二人して」
思わずつっこんだ明人だが、サッカー漫画どころか漫画そのものを読まない兄まで、調子に乗って茶々を入れてきた。
「いいなあ。もてもてだな、明人。俺もぬーぼーとしようかな」
「……意味がわからないんですけど」
ぬーぼーというより飄々としている兄を軽く睨みながら、明人は盛り上がる桃香と直の後ろを、ともについていくしかない。
結局、兄と直の関係については今日もわからずじまいだった。