4

「二度……ですか」
「そうなの。だから今は、三度目の人生ってことになるのかな」

 いよいよもって、漫画やゲームの世界みたいだ。二の句が継げない明人を前に、だが直は穏やかに説明を重ねてくれる。

「一度目は、十一歳だった過去に跳んじゃったの。小学五年生。どっかのアニメじゃないけど、リアルに〝見た目は子ども、頭脳は大人〟だったから、身体に馴染むだけでもけっこう大変だったな。まあ大変て言えば、今も大変だけど。受験生だし」
「…………」
「なんにせよそのときは明人君と同じで、自分からはっきりと望んだリープじゃなかったし、やっぱりもとの時代に帰りたいって思ってた。それが不可能なら、せめて高校時代のほうがよかったなって」
「え?」
「あ、別に小中学生の頃に嫌な思い出があるわけじゃないよ。けどオハ高時代なら、正君や明人君にもまた会えるでしょう」

 まるで気楽な旅行者みたいな台詞だが、言うまでもなくこれはタイムリープの話である。

「幸いって言ったら変だけど、そうしたら一年後の今頃、小六の終わりにまた跳ぶことができて。それも今度は望んだ通り、オハ高一年生だった頃に」
「あの、直さんはまさか」

 さっきと同じ言葉を投げかけながら、明人は尋ねた。

「そうなる可能性を、知ってたってことですか」
「うん?」
「自分がタイムリーパーになっちゃうかもしれないっていう、予備知識があったんですか? なんか今の話し方だと、そんなふうに聞こえるんですけど」
「ああ、うん」

 やはりなんでもないことのように認めた彼女は、今度も逆に確認してきた。

「明人君は、なんにも知らなかったみたいだね」
「はい」

 そりゃそうでしょう、とは明人は言えない。自分も知る可能性があったことに、すぐさま思い至ったからだ。祖父もタイムリーパーだったらしき事実。そして、祖母が渡してくれた《飽きた》の六芒星。

「高校の頃、両親から教えられてたの。もちろん今のお父さんとお母さんには、私が本当は大人だって伝えてあるし、理解もしてくれてるよ」
「ひょっとして、直さんのご両親も?」
「ううん。父も母もタイムリープ能力は持ってない。明人君のところと似てるけど、うちは母方のお祖母ちゃんがそうだったみたい」

 だったみたい、ということは直の祖母もすでに亡くなっているのだろうか。

「お祖母ちゃん、私によく似た人だったんだって。あ、中身がね」

 中身が、とは言っているが、ひょっとしたら外見も似ていたのかもしれない。直のルックスは母親似だと、正から聞いたばかりでもある。もしそうだとすれば、とても綺麗で魅力的なお祖母さんだったはずだ。
 穏やかで明るい口調のまま、直の告白は続いていく。

「じつはもとの人生でオハ高に入ったばっかりの頃、家族会議みたいなのがあったの。で、そのときの母さんの最初のひとことが、〝直は、本当は大人じゃないわよね〟だよ? 思春期の娘に、藪から棒に言う台詞じゃないと思わない?」
「はあ」

 なんと答えたものわからない明人を見て、「ごめんね」とおかしそうに直は小さく肩を揺らしている。

「父さんの方があらためて、〝変な質問だけど、やたらとはっきりした現実みたいな夢を見たりしないか?〟って訊いてくれたの。だから、子どもの頃からよくあるよ、って答えたら二人して神妙な顔になっちゃって」
「そこで教わったんですか?」
「うん。見先の家にはたまにそういう女性、明晰夢でタイムリープできる女の子が生まれることや、私も多分、タイムリーパーの一人になるだろうって可能性を」
「女の子?」
「うん。うちは女性だけ」

 いつの間にか直の浮かべる笑みが、いたずらっぽいものに変わっていた。何度も向けてくれた、あのお得意の微笑に。

「で、明人君の家、近守家は男性だけ」
「えっ!?」
「ていうか、これもうちの両親から聞いたんだけどね」

 そうして直は見先家と近守家、さらには時間跳躍者たるタイムリーパーについて、知っていることをより詳細に教えてくれた。



「日本だけじゃなくて、じつは世界中にいくつか似たような家、似たような家系があるらしいの」
「タイムリーパーが生まれる家、ってことですか?」
「そう。たとえばフランスにはシュヴァリエ、本来は〝騎士〟を意味する名字があるんだけど、騎士の身分じゃなくても、そう名乗ることを許された家が存在するんだって」
「リーパーの家系だから?」
「うん。どんな時も国に仕え人々を守る者、って意味合いも込めてみたい」
「なるほど……」
「アメリカやイギリスにある、クラークっていう姓もらしいよ。〝牧師〟が語源だけど、他には〝記録係〟っていう意味もあるの。理由はもうわかるでしょう」
「……はい」

 まさに歴史を記録する者、という意味だろう。他人事のように感心してしまった明人だが、すぐさまあることに気がついた。

「ならひょっとして、うちや直さんの家も?」

 ええ、とばかりに無言で直は頷く。瞬きよりほんの少し長い時間、目を閉じながら。
 そのまぶたが開いたときには、さっきまでのいたずらっぽい光は瞳から消えていた。愛しい者を見つめるような、透き通った眼差しだけが明人を見つめてくる。

()き人々を()る者。そして、()()る者」
「あっ!」

 何かの託宣を受けたように、明人は顔を上げた。近守。見先。そんな意味が、自分たちの名字に込められていたとは。
 さらに直は告げる。

「近き人々を守り、道を()す者。()々を()るく照らす者」
「!!」

 言葉通りだった。自分と正は、たしかにそうした願いを込めて名づけられたのだと、両親から聞いている。

「婿養子さんだそうだから、お父さんのお名前はわからないけど。ごめんね」
「いえ……」

 明人の脳内で、家族から聞いた話が甦る。母と結婚するとき、父は近守家の婿に入るよう望まれたと言っていた。それは笑い話として語られた「格好いいから」などという理由などでは決してなく、家名を残す必要があるからこそだったのだ。

「まあ全部、両親からの受け売りだけどね。私も最初はびっくりしたよ。同級生で部活も一緒の近守君――あ、その頃はまだ名字で呼んでたの――と、そんな繋がりがあったなんて。《飽きた》の紙についても、同じタイミングで一緒に聞いたの。今はどこの家にもないだろうけど、ずっと昔はああいう特殊な触媒を使って、タイムリープの可能性を高めていたらしいよ、って。見先の家系にも使った記録があるみたいで」
「へえ」
「ただ、そうやっていろんな知識は授けられたけど、あなたたちの家がどのタイミングでタイムリープの秘密を伝えるのかはわからないし、正君はどう見てもリーパーっぽくなかったから、ずっと普通に接してたってわけ。ちょっと変わった人、とは最初から思ってたけどね」

 直の顔にふたたび軽やかな笑みが浮かんだので、釣られて明人も笑っていた。ちょっと変わった人。たしかにその通りだ。

「じゃあ、直さんの名前も?」
「うん。私の字、〝じか〟にとか〝じき〟にとも読むでしょう。隔てがない、っていう意味の」
「ああ」

 そういうことか、と明人も納得する。

「時間の隔たりがない人。そうして()()て何かを()す人、みたいな?」
「ご名答。さすが、頭脳は大人」
「おたがい様ですけどね」

 テンポよくやり取りしながら、もう一度笑い合った瞬間。

「だから、ね」

 ふわりと、あのシトラスの香りが明人の鼻腔をくすぐった。同級生たちとはまったく違う、大人びた香り。
 そして直後にはもう、美しい切れ長の目が十センチ以上近づいていた。

「本当は、もっとあなたと仲良くなりたかった」
「な、直さん!?」
「正君は違うみたいだけど、弟の明人君はどうなのかなって。私の勝手な願いだし迷惑かもしれないけど、でも、あの子が私と同じだといいなって。本当のことを話して、おたがいに相談とかできたらいいのにって、ずっと思ってたの」

 言葉を切った直は、そこで少しだけうつむいた。

「けど、叶わなかった。あのときは。もとの人生では」

 こんな状況にもかかわらず、長い睫毛に見とれそうになっていた明人だが、「もとの人生では」というひとことで、はっとなる。

「てことは、直さんも過去改変を? ……あっ! だから!」
「うん」

 直もすぐに理解してくれたようだった。

「だからさっき、PK戦の話になったときに、()()()()()()()()()、って言ったの。もとの人生では私たち、ここまで親しくなかったものね」
「はい」

 その通りだった。だからこそ彼女と、どう接していいかわからなかったのだ。たしかにもとの人生でも、兄の紹介で何度か直と顔を合わせたことはあった。けれども、それだけだった。こんなふうに向こうから積極的に声をかけてくれて、沢山話をして、ましてや自身の試合を取材してもらうなんて事実は、当たり前だが存在しなかった。

「もとの人生だと明人君、今以上にストイックっていうか、寡黙な感じだったんだもん」
「す、すいません」

 よくわらかないが、明人としては謝るしかない。あまり自覚はないものの、直が言うのだからやはりそうなのだろう。

「あのときの俺は、自信がなかったんだと思います。試合もあんまり出られてなかったし」
「でもサッカーが大好きなのは、同じでしょう」
「はい、もちろん」
「あと、桃香ちゃんがいつもそばにいてくれるのも」
「……はい」

 これも、ささやかな過去改変程度ではなんら変わっていないことの一つだった。桃香は、あのチャーミングな幼馴染みは、もとの人生でも今とまったく同じように、明るく元気に接してくれていた。

「素敵な子だよね、ほんと」

 無言で、けれどはっきりと明人は頷いてみせる。本人がいないからというのもあるが、素直に認められる。桃香はいい子で、素敵で、本当に魅力的だ。
 でも……。

「気にしないでいいと思うよ」

 口には出していないのに、直は心の声に被せるようなタイミングで言い、首まで振ってくれている。タイムリーパーだとかそういうことは関係なしに、やっぱりこの人は鋭い。
 そして、優しい。

「もとの人生では桃香ちゃん、告白しなかったんでしょう」
「……はい」

 そう。それが事実だった。
 桃香が気持ちを伝えてくれたことは本当に嬉しいし、自分も彼女のことを憎からず思ってはいる。もとの人生だったら、きっと喜んで恋人同士になっていただろう。
 でも。

「俺が大人だから、やっぱりまわりとは違うから、桃香も好きになってくれたのかなって。だとしたらそれは、なんていうか、その」
「騙してるみたい?」
「ええ。騙したうえに、過去まで変えちゃうってことに――」
「そんなことない」

 さっきよりもさらに素早く被せながら、直が強い口調で否定する。

「もとの人生でだって、桃香ちゃんは絶対にあなたのことが好きだった。私の方は仲良くなれなかったけど、いつも明人君を見てたから、正君にあなたのことばっかり聞いてたから知ってる。試合に出られなくても、今以上に寡黙でも、やっぱりサッカーが大好きで、真面目で、そばにいる桃香ちゃんのことを大切にしてる人だって。そんなあなたと一緒にいるとき、桃香ちゃんも本当に嬉しそうな顔をしてるって。だから」
「直さん……」
「だから余計、あなたに近づけなかった」

 美しい切れ長の目がもう一度、明人を捉えてくる。

「私は――」

 揺れる瞳のなかに、自分がはっきりと映っている。

「――いつか中身が、大人に入れ替わっちゃうかもしれないから。もしあなたがそうじゃなかったら、正君や桃香ちゃんと同じ普通の高校生なら、とびっきり可愛い幼馴染みの子と幸せになるのが一番だと思ったから」

 照れ隠しのように浮かべる微笑から、直の気持ちが、優しさが痛いほど伝わってくる。

「だって、嫌だよね」
「え?」
「目が覚めたら、おばさんになっちゃう彼女なんて。一つ違うだけなのに、OLみたいな先輩なんて」
「そんなことないです!」

 先ほどのお返しのように、明人は強く否定してみせた。

「そんなこと、あるわけないじゃないですか!」

 両手が勝手に動いて、彼女の肩をそっとつかむ。これ以上、綺麗な瞳が潤まないように、この人の優しい気持ちが溢れて、こぼれて、どこかへ行ってしまわないように。

「直さんは、凄く素敵です。綺麗です。俺だっていつも見てました。いつも気になってました。いっつも、いっつも、兄ちゃんを羨ましく思ってました。クラスも新聞部も同じで、毎日顔を合わせて家にまで送って行けて。つきあってるの? って、何度も何度も訊きたくなって、でもイエスって答えられたらショックだから訊けなくて、直さんの話題すら出せなくて。そのくせたまに兄ちゃんが、直が、って言い出すだけでドキドキしたりして。桃香も可愛いけど、直さんだってめちゃくちゃ素敵です。俺の方こそ一年早く生まれたかった。なんで兄ちゃんと双子じゃなかったんだ、なんで直さんと同級生じゃないんだろうって思ったりしてました。それは今の人生でだって変わってません。いえ、今のがもっと気になってます。こんなに仲良くなれて。沢山話をしてくれて。沢山笑ってくれて。だから俺も、俺は、俺だって、桃香と同じくらい、桃香と比べられないけど、なんか二股みたいで節操ないけど、つまり、直さんが、直さんに、直さんを……」

 一気にまくしたてたせいで、肺が苦しい。「……何言ってんだ、俺」という今さらのつぶやきだけが続く。
 そこでようやく気がついて、「あっ! すみません!」と慌てて手を離した刹那。

「ありがとう」

 温かい言葉とともに、温かい何かが明人の頬に触れた。

「桃香ちゃんには悪いけど、ほっぺだけ抜け駆けさせて。年上へのハンデってことで」

 今までで一番近い距離、息のかかりそうな場所で切れ長の目が笑っている。潤んだままで。優しく濡れたままで。
「もちろん、正君にも内緒だからね」

「は、はい」

 呆けたように、明人は認めるしかなかった。これは現実なのだろうか。

「あ、やばい。私、泣きそう」

 あえておどけた調子で言いながら、直がコートのポケットに手を入れる。明人は慌てて自分のハンカチを差し出した。

「すいません。なんか俺が、変なこと言っちゃったから」
「ううん、ありがとう。凄く嬉しかった」

 首を振った直は素直に受け取ってくれて「明人君のハンカチだあ。やばい、これ持って帰りたい。食べちゃいたい」などと、たまに見せる天然ボケをこんな場面で発揮しつつ、そっとまぶたをぬぐっている。
 微笑ましい仕草を見つめるなかで、明人は大切なことを思い出した。

「あ、そうだ」

 直の方も思い出したらしく、声が重なる。

「直さん」「明人君」

 やはり同時に苦笑するも、ここにきて初めて気の利いた台詞を言えた。

「どうぞ。レディファーストですから」
「あはは。じゃ、お言葉に甘えて」

 笑ってくれた直は、こほん、とわざとらしく咳払いまでしてみせてから、にっこりと伝えてきた。

「私は、二〇一九年からきたの」

 口にした直後、けれども彼女は怪訝な顔になった。明人が「えっ!」と声を上げたからである。

「あれ? 明人君はそうじゃないの?」

 心配そうな顔をされてしまったので、即座に首を振ってみせる。

「いえ、同じです! 俺も二〇一九年からです!」
「じゃあなんで、びっくりしてるの?」

 綺麗な眉を寄せたままの直だったが、「ひょっとして」と何かを察した表情になった。

「それも詳しく聞いてないんだ」
「それも、って?」

 今度は逆に、明人が怪訝な顔をする番だった。タイムリーパー同士とはいえ、いや、リーパー同士だからと言うべきか、またしても会話が噛み合わない状況が、もどかしくもある。
 直も同じだろうが、彼女の方はその噛み合わなさを、なんだか楽しんでいるようにも見える。いつの間にか浮かんでいる、お得意のいたずらっぽい笑みがそれを示している。

「ごめんね。私はさっき言った通り、早いうちから両親がいろいろと教えてくれたから」

 笑ったまま言いながら「ちなみにだけど」と続けられた直の言葉は、まるで脈絡のないものだった。

「リーパーだった明人君のお祖父さんて、若い頃から性格が変わらなかったんだって。お祖母さんからそう聞いたって、正君が言ってたよ」
「は?」

 なんで急に祖父ちゃんの話が?

 きょとんとするばかりの明人に、直はますます顔をほころばせている。

「お見合い結婚だったそうだけど、出会った当初から年寄りじみたところがあったみたい。あ、ごめんね、失礼な言い方しちゃって」
「い、いえ」
「おそらくご結婚前にはもう、〝跳んで〟きてたんでしょうね」
「そうなんですか!?」

 たしか二人は太平洋戦争が終わる少し前に結婚したのだと、祖母から聞いた覚えがある。「貧乏だったから、派手なことはできないご時勢で逆に助かったんよ」と彼女は笑っていた。

「多分。ううん、きっとそう」

 まるで祖父本人に会ったことがあるかのように、いったん首を振ってから、直は大きく頷いた。

「わかるの。私も同じだから」
「同じ?」
「でも明人君だって、同じはずだよ」

 だが明人には、ますます意味がわからない。何が「同じ」だというのか。

「私の最初のリープ、つまりさっき言った小学校五年生に戻ったときだけど、それは明人君と同じ二〇一九年」
「はい」

 どうやら、さっきの話に戻るらしい。というか直はこのためにわざわざ、一見関係なさそうな祖父の話を持ち出したようだ。

「で、私が二度目のリープをしたのは小学校六年生、一九八九年の今頃。正確に言うと、一月七日の晩」
「え?」

 少し驚いた顔になった明人を見て、直は得意のいたずらっぽい微笑を浮かべた。

「なんで日付まで正確に、って思ったでしょ」
「は、はい」
「そこが()()なの」
「ええっと……」
「よく思い出してみて。あの日、二〇一九年の明人君が〝跳んだ〟日、何があったか。ううん、何が始まったか」

 明人の頭のなかで、光が走った。

「あっ!」

 そうだ。あの日、たしかに大きな出来事があった。いや、直の言う通り、()()()()

「新元号!」
「正解」

 直の笑みが、にっと深まった。
 あの日。《飽きた》の六芒星を握って眠りについた、あのときは――。
 二〇一九年の五月一日、いや、正確に言えば日付が変わる直前、四月三十日の深夜だった。特に何を意識するでもなく、いつものように本を読み、ネットを開き、そしてベッドに入った夜。
 天皇陛下の生前退位により、平成が終わって新たな元号が始まる、まさにそのタイミング。そして一九八九年一月七日も直の言う通り同じ状況、すなわち平成に切り替わる前の、昭和最後の日だ。

「つまり元号が変わるタイミングが、タイムリープのタイミング?」
「うん。うちの両親いわく、なんでかはわからないけどリープの発生率が高くなるんだって」
「…………」

「他には大きな天変地異とか、政変も該当するらしいわ。外国だと、たとえば革命とかクーデターが起きたり国王が逝去される直前なんかに、やっぱり〝跳び〟やすくなるそうよ。もちろん必ずリープするってわけじゃないけど、そういうタイミングで明人君が持ってる《飽きた》の紙を使った場合は、ほぼ確実に跳べるぐらいにまで成功率が跳ね上がるとも言ってた」
「……だから、俺は跳んできたのか」
「うん。前提であるタイムリーパー能力。加えて《飽きた》の六芒星。たまたまだろうけど、明人君は元号が変わるタイミングで、二つを重ねて使ったんでしょうね。で、私もやっぱりあの晩に、能力が発揮されて明晰夢を見た。そして小学五年生の頃へと跳んだ。そういうことだと思う」
「なるほど」
「私の方は、そうやって跳んだ先の一年後、平成が始まるタイミングでこの時代へ向けて二度目のリープをしたんだけど、そのときどこかで明人君のお祖父さんも、お祖母さんとご結婚される以前へとリープしていたはずよ」
「そうだったんだ……」

 筋の通った説明に、今度は明人が頷く番だった。だから祖父は、中身が老成した若者だったのか。それにしても元号改正が関係しているというのは、なんとも日本的ではないか。

 いや――。

「ちょっと待ってください」

 はっと、明人は息を呑んだ。

「直さん」
「何?」

 真っ直ぐに自分を見返す目を見て、明人は悟る。この人は端からそのつもりなのだと。

「駄目です」

 首を振ってみせるも、直は何も言わない。ただ優しく微笑んでいる。美しい笑顔に、明人は心の底から実感する。自分は彼女のことが大切だ。どこまでも。

「直さん」

 もう一度、明人は名を呼んだ。強い意志を、気持ちを込めて。

「直さんは今夜もう一度、跳んでください。日付が変わる直前に。タイミングが合って《飽きた》の六芒星があれば、ほぼ確実にタイムリープできるんですよね」

 直の微笑が、困ったような色を帯びる。描かなくても美しい眉が、少しだけハの字になる。それでも彼女は何も言わない。
 明人は言葉を重ねた。

「見先家のリーパーも、これを使えるんですよね。それに直さんは、未来にだって跳べるんでしょう」

 迷いはなかった。力になりたいと思った。この人と、両親と、兄と、リンタロウと、そして桃香と。自分の手は小さいけど、できることはわずかだけど、それでもせめて、身近にいる大切な人たちくらいは助けたい。助けさせて欲しい。

「あなたはどうするの?」

 ようやく口を開いてくれた直は、はっきりと問い返してきた。どうするの。この時代に残って、一九九五年のこの日、このときに居続けてどうするの、と。

「大丈夫なの?」

 大人の女性らしい落ち着いた、けれども心底自分のことを心配してくれているとわかる声が、重ねて訊いてくる。
 だから明人もまた、はっきりと答えてみせた。

「大丈夫だと思います。時間もわかってますから」
「明日の早朝、だよね」
「はい。午前五時四十六分」
「そうね。何も変わらなければ」
「俺たちのささやかな過去改変ぐらいじゃ、多分変わらないはずです」

 ふと視線を動かすと、もう一組の瞳もこちらを見つめていた。ここ、百段坂に着いてすぐに見つけた黒猫だった。
 そのつぶらな瞳もまた、「大丈夫?」と心配してくれているように思える。

「大丈夫です」

 猫も直も安心させるように、明人はもう一度くり返した。笑顔すら浮かべて。

「俺は、近しい人たちを守る人間ですから」

 大事な人を、好きな人を、明るく照らす名前だから。

「震災だって、一緒に生き延びてみせます」