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《オレンジの風、ついに全国へ》
 四半世紀ぶりの歓喜だ。全国高校サッカー選手権予選、準決勝で優勝候補の滝浜二高を撃破した我らが小原高校サッカー部は、去る十一月八日に行なわれた決勝でも2―0で西(せい)(よう)(だい)()(ぞく)高校を破り、見事に全国大会出場を決めてみせた。試合の詳細についてはスポーツ欄に譲るが、応援に訪れた多くの生徒同様、記者も久しぶりに胸が震えた瞬間であった。
 沖田先生(体育科)の掲げる「全員で戦う」というコンセプトは、まさに「言うは易し、行なうは難し」だが、オレンジ色の勇者たちはベンチ外、マネージャーも含めて清々しくそれを体現していた。身体を張り、足を投げ出し、気持ちを表に出しながらも相手や審判への敬意を忘れないスポーツマンシップ溢れるスタイルは、全五試合で警告ゼロという数字はもちろん、タイムアップ後の相手応援席からの大きな拍手にも表れている。
 元日からはいよいよ全国の強豪が相手となるが、オハ高らしいスタイル、オハ高らしいサッカーでのさらなる躍進を、スタンドやテレビで応援しよう。(Chika)


 今日の練習はいつも以上に活気がある。いいことだ。大切なことだ。
 だが桃香は、さり気なく頬をふくらませていた。

「なんやねん、みんな」

 それもそのはずで、部員たちが張り切っているのは、来たるべき全国大会緒戦に向けて、というだけではないことが明らかだったからだ。一年生などは張り切りすぎてというか、こちらを頻繁に見るあまり、イージーなミスを連発している。

(みや)(もと)ぉ! 集中せぇ!」

 フィールド内にいる沖田先生よりも先に、声が出てしまった。これではマネージャーではなくコーチだ。いや、最近知ったのだが他の部には、実際に桃香のことをコーチと誤解している生徒もいるらしい。たしかに試合中などはそう見えてしまうかも、と今さらだが自分でも少々反省はしている。

「それにしたって、なんやねん。ほんま」

 ふたたびぼやく横で、チームの不純な(?)活気の原因となっているゲストが苦笑した。

「ごめんね、なんか私がいると気になっちゃうのかな」
「いえいえ。ただ単にみんながアホなだけですから」

 笑顔で返しつつ、桃香は部員たちをばっさりと斬り捨てておいた。その通りです、とはさすがに言えない。

「直先輩が来てくれたからって、ええとこ見せようとしすぎなんですよ。そんなに上手い選手、おらんやろっちゅうねん」
「ごめんね。本当にいつも通りでいいから。使う写真も多分一、二枚だし」
「はい。遠慮せんと、好きなだけ撮っていってください」

 十二月に入ったこの日、いよいよ迫った全国高校選手権に向けて部の様子をふたたび特集してくれるとのことで、新聞部から直が取材に訪れたのだった。沖田先生もむしろ歓迎して「おお、新聞部か。選手権予選でも、いい記事書いてくれてたよな。ありがとう。好きなだけ取材していってくれ」と、グラウンドへの立ち入りを全面的に許可している。
 ついでに「見先って、あれだよな。体育祭のときのマリー・アントワネットだろ」などと微妙な間違いをして、直にしてはめずらしいリアクションに困った顔をさせていたが。

「明人君、今日はお休みなんだよね」

 亮介と一年生の(はら)()和也しかいないゴールマウスを見て、その直がちょっぴり残念そうに確認してきた。

「はい。なんか三十九度も熱が出てるらしくて、一昨日から学校休んでます」
「三十九度!? 心配ね。桃香ちゃん、練習終わったらお見舞いにでも行ってみようか。どうせ私たち、近いんだし」
「私もそうしようと思ったんですけど、電話したら、インフルエンザっぽいから絶対に来るなって」
「インフルエンザっ()()?」
「病院行ってもわかんないだろうから、ですって。なんにせよ、うつしたくないからみたいですけど」
「そう……」
「あ! ドッキリで、二人してとつぜん行っちゃいましょっか」

 桃香がおどけて言うと、だが意外なほどきっぱりした口調が返ってきた。

「駄目よ。絶対、駄目」
「え?」
「あ、ごめんね。ほら、インフルエンザだったらやっぱり大変じゃない。普通の風邪よりずっとうつりやすいし。ここで桃香ちゃんまで倒れちゃったら、サッカー部は大変でしょう」
「まあ、そうですけど」
「大丈夫。抜け駆けなんてしないから」
「はい?」

 訊き直そうか、と桃香が躊躇しているうちに直はいつもの大人びた、そしてちょっといたずらっぽい口調に戻って、柔らかく微笑んだ。

「本当は二人でお粥でも作ってあげたいところだけど、治ったらにしようね」
「はい!」


   ***


 結果として明人はまるまる十日間、学校を休む羽目になった。後半の三、四日は熱も下がり元気な状態だったが「まだウイルスを持ってると、クラスや部に迷惑をかけるから」と、かなり慎重な対応をとってのことだ。ただしその間も、勉強はもちろん近くの公園で自主トレもしていたので、部活の方でも復帰初日からある程度動くことができた。

「全然いけるやん。自主トレ、結構ハードにやってたん?」
「まあ、少しずつ上げてった感じかな。ヨーヨーテストもやりたかったけど」
「ヨーヨー?」

 いつものように桃香を送っていく帰り道。きょとんとされたので、慌てて説明する。

「プロの選手とかがやる体力テストがあるんだよ。体育のシャトルランあるだろ? ブザーに遅れないで、ダッシュを繰り返すやつ。あれのアスリート用みたいなのなんだ」
「うわ、あのきっついやつ? あんなん自分からやろうとしたん?」
「いや、だからできなかったんだけどな。音源もないし」
「あたりまえやん。うちら、プロやないねんから。それにしても――」
「ん?」
「明人って、ドM?」
「は?」
「あんなきっついトレーニングを自分から、しかも一人でやろうと思う人なんておらんて。絶対ドMや。やっぱ変態や」
「なんでせっかく自主トレしたのに、マネージャーから変態呼ばわりされなきゃいけないんだよ」

 だが桃香は、いつものようにポンポンと言葉を続けてくる。表情も明るい。なんだかんだ言って、心配してくれていたようだ。
 その心遣いは、やっぱり嬉しい

「ちなみにやけどさ。Mの人って、やっぱあれなん? 女王様に鞭でしばかれるのとかに憧れるん? なんならうち、こっそりやったろか? 学校のみんなには内緒にしとくから。ついでになんやったっけ、あの先がとんがったまたがるやつ」
「三角木馬?」
「ああ、そういう名前なんや、あれ。……って、ほんまに詳しいやん! いやーん! 変態! ドM侍!」
「……アホか」

 うん。本当にいつも通りの、元気な桃香だ。

「あ、そうそう」

 百段坂の途中、その元気が余っているようにぴょんと段差を飛び下りた彼女は、思い出したように振り返った。

「明人、クリスマスどうするん?」
「え?」
「先生がオフくれたやん。なんか予定あるん?」

 大きな猫目が、しっかりとこちらを見つめてくる。毎度ながら明人は思う。

 ほんと、黙ってれば可愛いのに。

 本人に確認したことはないが、じつは桃香は男子からラブレターをもらったり、ときには直接、「つきあって欲しい」と言われたことが何度かあるらしい。いずれも丁重に断ってきたそうだが。

「桃香、こう見えてかなりもてるんよ?」
「中身はこんなやし近守君がおるけど、それでも勇気を出してコクってくれる人もおるんやからね?」
「そうそう。一年のときは、手紙もいくつかもらっとったし」
「ご主人、奥さんを大事にしたってや」
「そうざます、そうざます」

 彼女と仲のいいユッコとアスカに笑いながらそう言われたのは、夏前のことだったろうか。ただ、聞きつけた本人がすかさず、
「こらあ! 余計なこと言うな! しかも、こう見えてとか中身はこんなってなんやねん! それ以前に誰が奥さんや! うちはマネージャーや!」

 と、いつも通りの素早さでつっこみにきたのだが。
 そんな幼馴染みが「あんな、もしひまやったら」と、ちょっとはにかんだような表情で何かを言おうとしている。

「家族で食事、かな」
「へ?」
「毎年、家族四人で食事するんだ、クリスマス。あれ? 言ったことなかったっけ?」
「え? あ、えっと、そうやね、聞いたことあった……かも」
「ああ、四人じゃなくて五人か。リンタロウもいるし。外に出かけることもあるけど、あいつのお土産もちゃんと買ってくるんだ」
「そ、そっか。リンちゃんもクリスマスやもんね。元気にしとるん?」
「うん。やっぱ夏より冬の方が元気みたい。たまには会ってくか?」
「ええの!? うわあ、リンちゃんに会えるの久しぶりや! 忘れられてないかなあ」
「覚えてるに決まってるって。いつも桃香が来ると、俺といるとき以上に大喜びしてただろ」
「うん、そやね。きっとリンちゃんは人間の中身がわかるんやね。さすがやわあ。お利口さんやわあ」
「なんだよ、それ」

 結局、普段と変わらぬ会話になってしまい、百段坂を下り切る頃には、桃香が何を言おうとしたのかも明人は忘れていた。