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 二年後。都内某所――。
 大手出版社・スターライト文庫編集部の編集者である秋山洋子は、立て続けに入っていた作家との打ち合わせが終わると、自席に座ったまま真正面にある掛け時計を見上げた。
 時刻は十四時二十五分。
 作業は山積みだが、そろそろ昼食をとらないと午後の業務に差し支える。大きく伸びをしてから席を立ち、弁当箱の入った鞄を肩に引っ掛けたところ、ふと、部署内のミーティングスペースに見知った顔があることに気がついた。
「あれ、斎藤くんだ」
「あ、秋山先輩お疲れ様っす」
 コンビニのおにぎりを頬張ろうとしていた彼は、営業部の若手社員、斎藤。洋子とは同じ出身大学のよしみである。
「大賞選考会議、十四時半までじゃなかったっけ。もう終わったの?」
 洋子は彼のそばまで歩み寄り、首を捻りながら尋ねた。
というのも、この日、すぐ近くの大会議室ではスターライト文庫が主催する大規模な小説大賞およびイラストコンテストの最終選考会議が行われており、今、目の前にいる斎藤は大賞関連の広報担当をしているはずだった。
 大賞関連の広報担当者といえば、当然のことながら選考会にも参加するし、コンテストの結果が出次第すみやかに各部署と連携をとったり、受賞者への連絡――受賞の意志確認等の事前連絡だ――をすることになっているため、こんなところでのんびり昼食をとっている場合ではないはずだ。
 洋子が疑問に思っていると、斎藤は苦笑しながらその理由を説明した。
「あー……いやそれが、思いの外議論が白熱しちゃって。小説部門の大賞がまだ確定しないんですよね」
「うわ。ずいぶん荒れてんだ」
「うす。今回は小説部門もイラスト部門も、十年に一回あるかどうかの超大作が集まってるって編集長が太鼓判押してるくらいっすから。まだしばらくかかりそうだってことで、一旦休憩挟んで一時間後に仕切り直すことになったんすよ」
「なるほどねえ。それで今頃昼ごはんってわけか」
「午前中も別件の会議入ってたんでつい食いそびれちゃって……。斎藤先輩もこれから昼飯っすか?」
「うん。せっかくだしここいい?」
 洋子が自身の鞄から弁当を取り出しながら尋ねると、斎藤はもぐもぐ口を動かしながらも「もちろんっす」と、資料の束を脇に避けてスペースを空けた。
 遠慮なく彼の脇に腰掛け、自身の弁当を広げる。小綺麗に詰まっているおかずの中から黄色い厚焼き玉子を引き上げつつ、洋子はふと、脇に寄せられた斎藤の書類に目をやった。
『イラスト部門・受賞候補作一覧』
 書類にはマルやバツ、殴り書きのメモなどの赤字が入っており、リストの下にはプリントアウトされた応募作が並んでいるようだった。
「イラスト部門の受賞者は決まった?」
 いずれ洋子の元にも情報が入るはず。とはいえ、やはり気になるし待ちきれなくて尋ねてみると、斎藤はにんまりと笑って親指を立てた。
「そっちはもう決まりました。まあ、そっちもそっちで色々議論はあったんですけどね。最終的にはほぼ満場一致って感じで、綺麗に納まった感じでした」
「うわなにそれ、すっごい気になる……!」
 得意顔の斎藤を見て、余計に好奇心が駆り立てられる洋子。
 小説部門にも、イラスト部門にも、自分が受け持っている作家の卵、あるいはイラストレーターの卵が何人かエントリーしていたはずだ。
 受け持ったクリエイターには皆公平にアドバイスしているし、皆公平に良い結果が出ることを願っているものの、内心……洋子にはどうしても気掛かりとなっているイラストレーターの卵が一人いた。
 過去に佳作をとり担当付きとなった、まだ若いイラストレーター志望の子だ。
 その子には目を見張るような画力があるが、若さゆえかトラブルにも見舞われやすく、繊細で打たれ弱いという難点があった。
(あの子の絵はどうなっただろう)
 前回のコンテストでは、巧みなグレースケールのみでのイラストで勝負を仕掛けてくるという、奇想天外な作品を魅せてくれた。
 あれはあれで心躍らされるものがあったし、独特なタッチにはやはり類稀な才能を感じたけれど、賞を与えるにはまだ早い。彼――いや、彼女かもしれない――には、もっと世界を騒然とさせるような、圧倒的なカラーイラストが描けるはず。
 そう思って少し厳しめなアドバイスを送ってから、約二年が経つ。
 彼はその後、洋子のアドバイス通り次々と意欲的にカラーイラストを描きあげては自社他社問わず様々なイラストコンテストに積極的に挑戦をし続けたと聞いている。
 とはいえ、軒並み落選続きだったと、今から約二ヶ月前に送られてきたメールに書いてあったが、そのメールに今までのような迷いや悲嘆の色はなかった。
 まるで別人のように逞しく、前向きに、これからも諦めずに挑戦を続けるという強い意思表示とアドバイスへの感謝が丁寧に綴られており、末尾には年一で開催している我がスターライト文庫のイラストコンテストにも、渾身の力作を一件送ったという報告が添えられていた。
 贔屓をするわけではないが、やはり彼がどうなったかが気になるわけで、洋子は目の前の斎藤に向き合うと、前のめりで尋ねてみる。
「ねえ斎藤くん。イラスト部門の大賞作どれ? どうせこの後に知ることになるんだし、ちょっとだけ先に見せてよ」
 洋子は懇願するよう「お願い!」と、手を合わせる。
 すると斎藤は、わざとらしく眉を顰めて難色を示しつつも「仕方ないな〜。今度昼飯奢ってくださいよ?」と、手元の資料をこちらに差し出してきた。
 ちゃっかりした条件付きではあるが、先輩想いの後輩を持ったものである。
 洋子は礼を述べ、飛びつくように資料を持ち上げて捲る。
『イラスト部門・受賞候補一覧・大賞者……』
 今回の大賞受賞候補者は八名で、うち受賞者は三名。大賞、銀賞、佳作。リストを見てすぐに、洋子は察した。
(ない……か)
 改めて見直してみても、そのリストに例のイラストレーター志望の子のペンネームはなかった。
 落選かあ、と、気落ちしそうになるのをグッと堪えていると、いつの間にかカップ麺をずるずる啜っていた斎藤が、別の束に挟まっていた資料を洋子に差し出してきた。
「そっちがイラスト部門の受賞者で、『フリー創作部門』はこっちっす」
「『フリー創作部門』……?」
「自由テーマの小説、もしくは自分でおおまかなストーリーを設定したイラストで審議される部門っす」
「ああ、そういえば去年から新設された部門があったんだっけ」
 しばらく選考担当から外れていたので失念していた。小説部門では決められたテーマごとの小説が、イラスト部門ではお題に対するイラストが求められるのに対し、フリー創作部門では自分でテーマやあらすじを自由に設定し、それに対する小説本文、あるいはあらすじ付きのイメージイラストのどちらかを提出するといった、よりクリエイターらしさが求められる部門だ。
 ライター、イラストレーターのどちらからでもエントリーが可能で、洋子の記憶が正しければ、前年の受賞者であるイラストレーターは個性的なSF作品のあらすじと共に、その世界観を表す見事なイラストを提出して受賞が決まった。
 その後、筆力の高いライターがマッチングされ、あらすじから詳細なストーリーが起こされると、最終的には受賞作のイラストが正式な表紙や挿絵となって書籍化に至ったはずだった。
「この部門、意外とイラストレーター志望者の間じゃ話題なんすよね。受賞作がそのまま小説の表紙や挿絵になるわけだし、それなりに有名なライターがマッチングされることが決まってるんで、注目度も高くて売り上げも期待できますからね」
「……」
「んで、大注目となった第二回目のフリー創作部門大賞は、満場一致でソレ(・・)でした。合作での応募らしいんですけど、圧巻のイラストに、あらすじがこれまたよくて。『弱虫な画家志望の少年が、八十八日間しか地上に居られない美しい天使に恋しちゃうファンタジーな物語』なんすけど……って、秋山先輩、聞いてます?」
 受賞作を手にしたまま、食い入るようにイラストを見つめて微動だにしない洋子。
(嗚呼。これだわ、これなのよ……)
 圧倒的画力に、迸るような無限の色彩――。
 洋子の求めていたものが、二年越しに返ってきた答えが、そこに堂々と記されているようだった。
「秋山先輩〜?」
「……聞いてる」
「なんだ、聞いてたんすか。どうです、すごいでしょう?」
「すごいなんてもんじゃないわ」
 ――紙の中央で、一人の少年が天に向かって手を伸ばしている。
 少年の視線の先には、天から舞い降りてきた翼の生えた美しい黒髪の少女がおり、二人の世界には眩しいほどに輝く、無限の色彩が広がっている。
 見れば見るほどより緻密に、繊細に、しかし迷いのない力強いタッチで、洋子はあまりの美しさに、心を両手でガツンと掴まれ、この世界にぐんと引き込まれてそのまま呑まれてしまうような、そんな激しい衝撃を受けた。
「五百点満点ね。私の目に狂いはなかったってことだわ」
「……へ?」
「ううん、こっちの話。受賞作の刊行が楽しみね」
 洋子はふふっと口元を綻ばせ、受賞作となったイラスト数枚を手元に広げる。 

【大賞】
『君と僕の世界に色が灯るまでの八十八日間/イラスト:小鳥 遊(ストーリー原案:雪谷紬)』

 曇りなき表情で幸せそうに微笑む少年少女。
 彼らの世界には、どこまでも果てしなく鮮やかな色が広がっていた。
 

 ー了ー