物語の終わりが嫌いだ。
 ペットボトルの飲み物を一口分だけ残す人と似ている。あるいは、敬愛していた人物の何気ない姿に失望の念を禁じ得ないものと同じかもしれない。だから、いつの間にか最終巻が発売されていた漫画も、一応は買ったけれど、多分読むことはないのだ。
 それまでの巻は全て本棚に並んでいる。そこに最終巻だけ存在しないのはどこか気持ちが悪い。でも、透明の包装はきっといつまで経っても()かれないのだろう。

 読んでしまえば、見てしまえば、知ってしまえば、文字通り終わってしまうのだ。一つの物語が綺麗に、もしかしたら、残酷に。自分の中で幕を閉じる。どんな形であれ、終わりということには変わりない。
 しかし、知らなければ物語は終わらない。最後の一ページさえ読まなければ、もしかしたらまだずっと先のことが描かれている可能性は零ではない。
 大抵の人は名残惜しさを感じつつもページをめくるのだろう。そうしないのは知的好奇心よりも、終わりを認識する恐怖の方が何倍も大きい。それだけのこと。
 選択は日常だ。人は一日に三万五千回選択をしているらしい。
 本当かよ? と思う反面、そうだろうなあ、とも思う。
 シェイクスピアだって、『Life is a series of choices.(人生は選択の連続である)』と作中で書いているくらいだ。
 日々の選択の中、自分がこの漫画の最終巻を読まないと選択をしただけのこと。

 だからこそ、あの時の選択が正しかったのか、今でも時折疑問に思うことがある。
 きっと、正解なんてどこにもない。ただ、結果という事実が残っているだけだというのに。

         *

「この、人殺し……!」

 そう言われて、俺はただ頭を下げた。ボロボロと泣きじゃくって声を荒げる女性を振り向く人はあまりいない。そもそも、この室内にはごく少数の列席者がいるだけ。焼香の並びなんて、出来やしない。

 緩やかな焼けた香木の香りに紛れ、白い花の甘いジャスミンのような匂いが鼻を撫でる。
 少しだけ、泣きそうになった。奥歯を強く噛みしめて堪える。まだ、彼女との約束が残っていた。
 天井を仰ぐ。明るすぎるな、とつい思ってしまう。
 深く息を吸い、この場に似つかわしくないほど大きく口角を上げる。

「――あっはっはっはっ!」

 自分の高笑いが反響して空気を揺らす。
 眼前の彼女と目が合った。今にも笑い声が聞こえてきそうなあどけない笑顔だ。だから、俺は悪びれもなく笑い続けた。目の前の女性がたじろいでも、周りの大人が止めようと肩を掴んできても、ずっとずっと大笑いした。それが、彼女の望みだったからだ。
 悲しい気持ちをぶち壊すだけの大声での笑顔。そのはずなのに、笑うほどに胸が締め付けられていった。

 息が切れるほど笑いこけ、部屋が静まると、ようやく女性が呟く。

「あなた……狂ってるわよ……」

 そんなこと、言われなくても自分が一番分かっている。
 もう一度、女性に頭を下げて式場を後にした。眩い白球に照らされた天井より、真っ暗な空がやけに落ち着く。
 ネクタイはさっさと外した。やっぱり、あんまり似合わないね、という声が今にも聞こえて来そうだったから。
 駐車場の外壁を背に、ずるりと座り込む。五月にしては暑苦しい夜だ。
 身体中の力を抜くと、月明りがやけに目に沁みた。