長かったような、短かったような、そんなチェスが終わりを迎えた。
「約束通り、『弓の射手』は解散しましょう。……とは言え、もう残っているのも、ボクだけでしょうが。」
と肩を竦めて見せる。
チャトランガと違い、ボク達は国際指名手配されているテロ組織。公安が絡んでいる以上、他の幹部はもう捕まっていると考えていいだろう。
「今回の条件は『勝者はそれ以上敗者を追わない。』『第三者の介入は厳禁』。だが、拘束し放置したやつらを警察が勝手に拾うのは俺たちの知ったことじゃないからな。」
案の定、蛇は淡々とそう告げた。
「全く、口の回るガキが多くて嫌になりますね。何も言いませんよ。所詮、ボクらは負け犬です。」
遠吠えはごめんです、と目を閉じて薄ら笑う。
少ししてエレベーターのベルが鳴り、そこから降りてきたのは日本の警察と公安だった。カツカツと質のいい革靴を鳴らしながら、ボクの周りを取り囲む。
「国際テロ組織『弓の射手』ボス、ルドラ。国際法に基づき、逮捕する。」
広げられた逮捕状に、日本の警察の律儀さに感心してしまう。ボクは「はいどうぞ。」なんて軽く言いながら、その手を前に出した。
ガチャンッと音を鳴らして、ボクの手に手錠がかけられる。
(……ボクには無縁のものだと思っていましたが……まあ、芝崎君の手によって終わりを迎えたというならば、悪くは無いのかも知れませんね。)
ボクの半身。魂の片割れ。
彼と出会えたことはこの人生において一番の幸運だ。
そして、終わりを彼の手で与えられるというのも、これはまた幸運なのかもしれない。
ボクが立ち上がり、歩き出しても、芝崎君は座ったまま何も言わずにいた。
(……ボクの犯した罪の数を考えれば、もう二度と会うことは無いのでしょうね。)
それでも、何も言わないということは別れの言葉もないということ。それはそれで良かったのかもしれない。
自分の思想が間違っているなんて思わないが、それでも裏社会の恐怖の闇を、安息の闇に変えてみせた芝崎君の事を、もっと早く知りたかったとも思う。
(……さようなら、ボクの半身。ボクの片割れ。)
そう、心の中で呟いた時だった。
ずっと無言だった芝崎君が口を開き、
「またチェスしましょう。」
そう告げたのは。
ボクだけではなく、周りの公安の人間も驚いているのが分かる。
(……君という人は……)
わかっているはずだ。この子の頭脳であれば、ボクがこの先どうなるかなんてわかっているはずなのに、それでもボクとの再会を願ってくれるだなんて。
(……嗚呼、こんなに嬉しい言葉はない。)
気を抜けば目に熱を灯した雫が落ちてしまいそうな気がした。
「……そうですね。君が望むのなら、いつか、きっと。」
グッと芝崎君が下唇に力を込めたのがわかる。
恐らく、芝崎君にとって初めて出会った自分と同等の力量を持つ人間がボクだった。
ボクもそうであったように。
けれども出会った時にはもう、お互い後戻りができない位置に立っていた。抱えるものも多すぎだ。
(……嗚呼、ボクの半身。できることなら、君のその行く末を隣に立って見ていたかった。)
ボスとして、リーダーとしての威厳を保つため、泣きそうになるのを我慢する17の少年。
彼はきっと世界の闇すらも変えてしまうのだろう。
(……その時、彼のことを知れる位の場所には居たいものですね。)
静かに登るエレベーターの中、ボクの心は驚く程に凪いていた。
普通なら起きるでろう計画を潰された怒りも、恨みも何も無く、残念とも悔しいとも思わないのだ。
こんなにも穏やかに訪れる終わりはきっと他にない。
(……嗚呼、そうか。ボクは君に救われたのか……)
ボクと同じ頭脳を持って、全力でボクに挑み、そして勝ってみせた。
その芝崎君という彼自身の存在に、ボクは救われたのだ。
「さて、何から話しましょうね。弓の射手の構成?裏のつながり?人脈は広い方です。お役に立てるでしょう。過去の犯罪に関して確たる証拠は残していませんが自供ならいくらでも提供しますよ。」
取り調べを担当する公安だけではなく、同席している国際刑事警察機構の人間も怪訝そうにこちらを見てくる。わかりやすいその態度に思わず笑ってしまう。
「えらく協力的じゃないか。どういう風の吹き回しだ?何を企んでいる?」
「企む?まさか!ボクはただ、先を見たいだけですよ。」
公安は誰のことを言っているのか分かったようだが、国際刑事警察機構は誰のことか分からず更に不可解そうに眉を寄せた。
どうせそんな顔をしたところで、あの子を知ればきっとこいつも崇拝するのだ。ボクの半身、魂の片割れのことを。
「あの子がどうこの社会を変えて、守って、育てていくのか。あの子の行く末を、ね。」
そのために、まずはボクの地位を確たるものにしなければ。

