朝日にとって、チャトランガは未知の存在だった。
都市伝説のようでありながら、確かにその存在を主張している謎の組織。

しかし、行動の大半は義賊のようなもので、それによって保たれている秩序があるのも事実だった。その在り方が気にならなかったと言えば嘘になるが初めはさほど大きくない街ひとつのことに過ぎなかったし、同じく水面下で動く組織でも、まだ国際テロ組織である『弓の射手』の方に危機感を持っていたくらいだ。
『弓の射手』は水面下で動いているとはいえ、交渉人『ヴァジュラ』と呼ばれる幹部の存在や、ギャングの虐殺。要人の暗殺や各諜報機関のスパイを拷問し見せしめに殺して吊るすなど、悪逆非道の様を見せつけていた。

対してチャトランガは、シヴァと呼ばれる謎の人物への崇拝のような発言は出てきても本人に繋がるような話もなければ、事も未成年犯罪者の自首や、私的制裁程度のものでしか無かった。だからこそ、国家レベルの問題では無いと朝日も対して気にしていなかった。

その存在が無視できないほど大きくなったのは、まるで公安の動きに合わせるかのように、チャトランガの『シヴァ』を崇める人間が、各危険組織を内部崩壊させた時だ。

情報が漏れているのかと疑うほどのタイミング。しかし、チャトランガの存在を調査しても実態は掴めず、結局上層部は存在を確認できなかったとしてチャトランガの存在を無視した。
何より証拠もなく、公安の情報も流出した事実は確認できなかったからだ。

それでも、朝日はチャトランガが『都市伝説』とはどうしても思えなかった。
ならば、と独自に調べてみるも、チャトランガに関しては裏の関係者は皆口を噤む始末。

それが、ますますチャトランガという組織の大きさを示す様で、朝日は調べれば調べるだけ、実態を掴めないということが恐ろしくて堪らなくなっていった。

しかし、『弓の射手』が日本に入国した可能性があると国際刑事警察機構(ICPO)から秘密裏に連絡が回ってきたことにより、事態は一気に進むこととなった。

(やはり、チャトランガは存在した……)

まさか、自分があのチャトランガと協力者関係を結べるとは。
もちろん、協力者となるにあたって、公安の上層部にも話は通してある。
存在を信じていなかった者たちは私との協力者関係が真実なのかと疑っていたが、『弓の射手』への対策に向こうも乗り気だと伝えれば、手のひらを返したようにその存在を認めた。

そして何より驚くべきは、『シヴァ』と呼ばれる人間の『先見』の力だ。
『弓の射手』の動きを公安よりも早く察知し、この街が最初のターゲットになるの推察し、紅葉組を潰し、『弓の射手』の裏社会への進出ルートを消した。

更にはシヴァ本人が、『弓の射手』交渉人ヴァジュラと、まだ存在が明らかになっていないボスと思しき人物と直接接触したと言うでは無いか。

(これが、シヴァと崇められる人物……!)

太鼓(ダマル)の件から、その先見の力を理解していたつもりだったが、これは最早理解を超えるレベルの能力であり、人智を超えていると言ってもおかしくは無い。

(有り得るのか……頭脳だけでここまで先を読むということが……)

いっそ、未来が見えるとでも言われた方が納得してしまう。
それほどまでにこのシヴァは呼ばれる人物は規格外だった。

そんな彼が、

「警察内部にテロ組織の人間がいる。」

と、断言したのだ。「いるかもしれない。」ではなく、「いる。」と。

ひと言に警察内部と言っても各地域部署と様々だ。しかし、『弓の射手』の人間が、内部に入り込むとして、利があるとするのなら、それは警察が『弓の射手』に対してどの程度の情報を得て、どう対策しているか、それらの情報を知ることだろう。

「……そんな、『弓の射手』の情報は公安で止まっているはず……つまり、内通者は公安に……!?」

そう、国際テロ組織『弓の射手』は、各国超機密情報として扱われており、公安以外の部署に情報共有はされていない。

(ありえない話じゃない……シヴァの信仰者も何人か公安にいた。『弓の射手』の人間がいてもおかしくは無いし、向こうに寝返っている可能性だってある。)

だが、そうなると、『弓の射手』への対策や、公安の動きが筒抜けだったということになる。

「すぐさま秘密裏に内部調査を行います。貴方が居ると断言するということは、確実に居るのでしょう。」

そう告れば、シヴァの髪がサラリと揺れてその頭部が傾げられる。揺れる黒髪が何度か仮面をなでていた。

「……1人で動くのは良くないですよ。例えば信頼出来る部下と一緒に動くとかどうでしょう?チャトランガを調べさせた部下とか。」

なんてことないように軽く言われた言葉に、私は思わず身を固くした。
確かに、初期のチャトランガの調査は部下に頼んでいた。
その部下達が軒並みシヴァを心酔し、チャトランガという組織の調査結果を隠していたのは私と代田刑事しか知らない事実だ。

(……いや、彼なら知っていても何もおかしくは無いか。)

それに、チャトランガへと傾倒している部下と協力するのも一理ある案だ。
シヴァ本人が打倒『弓の射手』のため動いているのに、シヴァに心酔している彼らが『弓の射手』を排すために動かないはずがない。
今回の件に関しては決して裏切らない信頼たる人物たちとなり得るだろう。

「わかりました。部下達と連携を取り、必ず内通者を炙りだします。」

そうしっかりと口にすれば、「あっ。」とふと第三の目(アジュナ)と呼ばれる幹部が音を発した。
必然的にこの場にいる人間の支線が第三の目(アジュナ)へと向けられる。

「さっき言った『情報』の誘導。その内通者を使えばいいんじゃないですか?」
「……なるほど、内通者からの情報なら野々本が渡すよりも信ぴょう性が増す。」

第三の目(アジュナ)の提案に(サーンプ)も賛同を示す。確かにそれなら未成年を危険なリスクに晒す必要も無い。

(……シヴァの『第三の目』……彼も恐らくは未成年だと言うのに……)

先程から指摘も的確、シヴァ程では無いが先を見すえる頭脳もある。

(本当に末恐ろしい組織だ……)

そう思うと同時に、敵で無くて本当に良かったと、内心で私は胸を撫で下ろした。