組織であるチャトランガには、ボスとするシヴァ様の下に、幹部が在り、そして組員が存在する。

そして俺は他でもない、シヴァ様の『武器』だ。
あの日から俺は、シヴァ様のために生きている。

俺、里田大樹はシヴァ様のいるような進学校に通えるほど頭が言い訳ではなかった。
どちらかと言えば馬鹿の中でも更に馬鹿な方で、中学生のときからよくやんちゃしていたクソガキだった。

そんな俺がシヴァ様と出会ったのは「中学生のくせに生意気だ。」と高校生にボコられていた時だ。

当時まだ中学2年生で、背もまだ伸びていないシヴァ様は正直か弱い美少女と言われても違和感のない少年だった。
高校生だけではない。ボコボコに殴られていた俺でさえ、突然現れたシヴァ様を心の中では鼻で笑った。こんなヒョロヒョロしたガキなんて1発殴られて終わりだろう、と。

しかし、最初に飛びかかった高校生の拳は1発も当たることなく、ひらりと交わされ、まるで蝿を叩くように顔面に1発入れられ、伸びてしまっていた。

「……ああ、すみません。鬱陶しい蝿がいまして。」

なんて、儚い顔をして吐かれた言葉はあまりにも淡々とした言葉だった。

「なんだあれ……化け物かよ……! 」

倒された高校生の仲間がガタガタと震え出す。
中学生相手に高校生が怯えているなんてお笑い種もいい所だが、シヴァ様にはそうさせるだけの迫力と得体の知れない畏怖があったのだ。

地べたに這いずくばっている俺にもわかる。
こいつには勝てない。

たとえ何人がかりで飛びかかろうとも、彼にとってそれは蝿が飛んでいるようなものであっさりとあしらわれ、気づいた時には地面に倒れ伏しているのだろう。

「な、なんなんだてめぇは!?」
「こいつの、な、仲間か!?」

震えた声で持っていた鉄パイプの先を少年に向けた高校生達にはすでに先程のような威勢の良さは存在しなかった。

少年はふと、自身が伸した不良のポケットから落ちた折りたたみのナイフを手に取った。
そんな危険なものまで持ってたのかよ、とぼんやりとした頭で思う一方、彼が持てば例えナイフでも美しく見えるんだな、とよく分からないことを考えていた。

小さなナイフと鉄パイプ。
ましてや中学生と高校生。
分で言えば明らかに高校生が有利で、少年に勝ち目など無いように見えた。
しかも俺達がいるのは狭い廃屋のような場所で、他の第三者からの視界には入りにくく、助けなど来ない場所だ。

しかし、次の瞬間、ドッと壁になにか固いものが刺さるような音がした。

「……俺はただの中学生ですよ。喧嘩とは、無縁です。」

ギギギと、まるで油の切れたブリキ人形のようにぎこちなく首を動かし、自身の隣を見た高校生の1人。
その隣には顔スレスレのところの壁にナイフが刺さっており、そしてそのナイフは先程まで少年が手に持っていたものだ。

ナイフを迷いなく投げるその狂気さ。
そして狙った場所に確実に当てるそのコントロールの正確さ。

適うわけが無い。

喧嘩とは確かに無縁だろう。
彼を目の前にすれば、喧嘩なんてできるわけがねぇ。
まるで『王』だ。
圧倒的な力を持ち、人々を支配する『王』。

高校生達は情けない声を上げて、転びながらも必死に逃げていった。

彼はそれをつまらなそうに見やってから俺の方に近づいてきた。

「……大丈夫ですか?救急車呼びます?」
「問題ねぇよ……これくらい……!」

彼の問いかけに食い気味にそう答えたのはただの意地だった。強がりだ。
この圧倒的な強さに、せめて少しでも近づきたい、目の前の少年に自分が弱っちいちっぽけな存在で終わって欲しくない、そんな意地だった。

その後、俺は人が変わったように勉強した。

彼の下で、彼のために働きたかったからだ。
だが、馬鹿では役に立たないだろう。
ただ殴る蹴るだけできる道具では彼の役には立てない。
なぜなら彼自身が圧倒的な強さを持っているからだ。
ならばそんな彼をサポートできるように、勉強も喧嘩も、全てにおいて強くなろうと思った。

そして俺は地元の中でも有名な進学校へと入学。
もしかしたら彼もこの学校にいるのではないかと探すも、俺の期待は裏切られ、彼に会えないまま、俺は2年生へと進級した。

「新入生代表、芝崎汪。」
「はい。」

けれども、俺はようやく彼を見つけることが出来た。
初めてあった時よりも伸びた身長。低くなりだした声。少し声を出しにくそうにしているのを見ると声変わりの途中なのかもしれない。

彼はいつの間にか『チャトランガ』という組織のボスになっていた。
もちろん俺もすぐに入り、彼、シヴァ様とチェスを何局か対戦するほどの仲となった。

彼は俺を覚えていなかった。それでもいい。あんな無様な出会いより、俺はシヴァ様のために働き、守り戦う姿を見て欲しい。

「俺を、三叉槍(トリシューラ)に……?」
「ああ、お前のことはシヴァ様も気に入っているし、喧嘩での実力や裏でのお前の人脈は役立つ。幹部になり、シヴァ様を支えてくれ。」

(サーンプ)の地位を持つ神島洸太のその言葉に俺はようやく、シヴァ様の『武器』になれたのだと、ようやくお役に立てるのだと、歓喜した。

そんな風に幹部入りしたものの、学校でシヴァ様と会うことは早々なく、学年を考えれば当然だが、2年生と3年生では校舎の棟が違うこともあり、すれ違うことすらなかった。

「あ、シヴァさ……えぇっと、リーダー!」

そのせいか、思わず見つけたその姿に、声をかけてしまった。
思わず「シヴァ様」と呼びそうになったが、慌ててそれを誤魔化して、リーダーと呼び直す。

シヴァ様は背を向けていたものの、俺の声に振り返り、その場に留まってくれた。

「え、兄貴!?」
と、後ろで舎弟どもが騒いでいるのが分かるが、シヴァ様の御前だ。そんなものは無視をする。

恐らく舎弟どももまさか俺がかの有名な『王』をリーダーとしてしたっているなど知らなかっただろう。
こんな進学校には珍しい吹き溜まりな奴らのトップがまさか『王』だとは誰も思うまい。

「リーダーも飲み物買いに来たのか?」
「……ええ、まあ。……今日は少し暑いので喉が乾いてしまいまして。」

流石に校内だからなのか、いつもよりシヴァ様の言葉に壁があるような気がする。
理由は分かるが、距離が置かれているようで少し寂しくも思えた。

「なにを飲むんだ?」

と、尋ねればシヴァ様は少し考えるような仕草をした後

「そうですね……冷たい紅茶でも飲もうかと……」

呟くようにそう答えた。

「待ってろ!すぐ買ってくるからな!」

すぐさま片手に財布を装備し、自動販売機に走れば、シヴァ様は当然と言わんばかりの顔でその場で待っていた。
こういう所もなんとも王らしい。

「ほらよリーダー!」
「……ありがとうございます。」

アイスティーのペットボトルを差し出せば、それを受け取るも、蓋を開けることなく、シヴァ様は自動販売機へと視線をやった。
もしかしてこのアイスティーじゃなかったのか?と不安に思った時、

「ト……あー……先輩は何を買いに来たんですか?」

と、そんな言葉がシヴァ様から零された。
そういえばシヴァ様は俺の本名を知らないな、と思いいたり、

「里田大樹だ。俺はコーラでも飲もうかと思って来たんだ。そしたらリーダーが居たんだ。」

自分の名前とシヴァ様の質問の答えをまとめて言葉にした。
するとシヴァ様は自身の財布から小銭をを出し始め、それを戸惑いなく自動販売機に入れていった。
やはり、俺が買ったアイスティーはお気に召さなかったのか、と密かにショックを受けているとシヴァ様はコーラのボタンを押し、購入したコーラをそのまま俺に向けて差し出してきた。

「え、リーダー?」
「飲みたかったんですよね?」

アジトにいる時のような、少し緩んだ表情。
シヴァ様の不意打ちに感動と尊さが相まって体が震えてしまう。

シヴァ様が!俺のために!

(このコーラは家宝にしよう。)

感動のあまり震えてしまっている手にシヴァ様はペットボトルを持たせると「すみません、授業が始まるので。」とその場から退散してしまった。

舎弟どもが「兄貴!まさか『王』に気に入られているんすか!?」と騒いでいるが、うるさい今俺はシヴァ様の尊さを実感しているんだ。


***


もちろん芝崎汪から見た当時の真実は、本当に蝿が周りを飛んでいて偶然蝿を追い払おうとして振った手が勢いよく高校生の顎に当たってしまい、そして強く脳を揺らしたために気絶させてしまった故に起きたことだ。

彼自身が「手になんか当たった……?」と、振り返った時には高校生は地面に伏していたため、視界に入っておらず彼は人を気絶させたことにも気づいていない。

「……ああ、すみません。鬱陶しい蝿が今して。」

というセリフも彼を凝視していた他の高校生に「手を振ってる所見られた!変な人に思われてる!?」という、斜め上どころか180度違う解釈をしたため、「蝿がいたから手を振っていただけですよ!」という弁明であるし、

「な、なんなんだてめぇは!?」
「こいつの、な、仲間か!?」

そもそも彼はこの時点でようやく人が襲われていることに気がついたのだ。
相手は鉄パイプを持っているし、見るからに不良。
なんとか襲われている人を助けて自分も逃げる方法はないか、と辺りを見渡した時にたまたま視線が下に行き、気絶していた高校生に気づいた。
「きっとこの人は止めに入って返り討ちにされたんだ……!」と、更に曲がった解釈をした芝崎は襲われている人を助けて自分も逃げる、という案から、とにかく自分だけでも逃げて大人に助けを呼ぼう!という案に変わった。

しかし、不良達の気をそらさなければこのまま逃げても追われるだろう、と考えた芝崎は倒れている高校生のポケットから落ちた折りたたみのナイフに気づき、それを拾い上げた。

彼自身、これで応戦しようなどとは思っていなかった。
ナイフという危険物が投げられればどんな怖い不良だろうとも一瞬は身構えて目を瞑るだろう、という考えの元、本人は彼らの『天井付近に向かって』、ナイフを投げたはずだった。

ところがスルッと手から離れたナイフは人の顔の真横に刺さり、流石の芝崎もこれは焦った。

そして、ボコボコにされている人物がそれなりに名の知れた同じ中学生の不良だと気づいた時、「あ、これ俺も仲間と思われてボコボコにされるやつ……」と思ってしまったのだ。

「……俺はただの中学生ですよ。喧嘩とは、無縁です。」

喧嘩なんてしたことないです、と、仲間じゃなくてただの通りすがりの人ですよ、と言えば良いものを、彼の口下手がここぞとばかりに発揮された瞬間だった。

つまり、彼は本当に喧嘩とは無縁であり、全ては偶然の賜物である。