「また空振りですか。」

そう呟いて報告書を机に投げ捨てたボスである男に、報告書を持ってきた下っ端は哀れな程に肩を震わせた。
幹部が集まるこの部屋はただでさえ下っ端には恐ろしいと言うのに、男の機嫌が下がった途端、部屋の温度が一気に冷え込んだような錯覚に陥る。

「少なくとも槍の里田と呼ばれる少年は、幹部のうちの誰かだと思っていたんですけどねぇ。」

投げ捨てられた報告書には里田大樹を含めた『チャトランガ』という組織に関わりがありそうな人物をピックアップし、動向を監視したそれぞれの日の詳細が記されている。
だが、そのどれも『チャトランガ』という組織に繋がるような動きは無く、シヴァどころか幹部にすらたどり着けそうにない。

「まあ、監視に気づかれていればアリバイの偽造なんて容易いもの。疑いが完全に晴れた訳ではありません。」

そう言って「引き続き監視しなさい。」とだけ命令し、下っ端を下がらせた。

「ところでヴァジュラ、青龍のボスはどうでしたか?」
「それが全然。」

と、話を振られたヴァジュラは肩を竦めて見せる。

「意外と冷静で頭がキレる子だったよ。噂っていうのは当てにならないね。作戦が価値のあるものかわからなければ自分たちに参入するメリットはないって言われてしまったよ。」

なんて薄く笑いながらまだ湯気の登るコーヒーに口をつけた。
青龍のボス、野々本は血の気が多く手が付けられない、という噂を聞いていた男も「おや、それは意外ですね。」と目を丸くする。

「……ですがそうなると、やはり青龍とチャトランガは関わりがありそうですね。紅葉組との抗争に参加していたのも青龍らしい、との事でしたし。」
「あくまで噂の域を出ないのがチャトランガの嫌なとこだよねぇ。」
「ええ、全く。」

そう、チャトランガという存在はどれも噂の域を出ないあくまで『噂』でしか世間に情報が流れてこない。

未成年で構成されているらしい。
幹部が何人もいるらしい。
牡丹組はチャトランガと同盟を組んだらしい。

どれも語尾に「らしい」が着くような、そんなあやふやな情報しかないのだ。

「唯一存在に確信を持てるのはリーダーであり、もはや崇拝されていると言っても過言では無いシヴァと呼ばれる存在。……ですが、彼ないし彼女の起こした奇跡こそ、それこそ都市伝説のようなものばかり。」
「幹部も『サーンプ』と『トリシューラ』という名前はちらっと出てくるけど、それ以外は人数も名前も分からないからねぇ。」

困ったものだね、とヴァジュラは再びコーヒーに口をつける。

ふと静かにしていたもう1人の幹部が、ヴァジュラの隣で「発言してもいいっすか?」と、手を挙げた。
それに男は「かまいませんよ。どうぞ。」と発言を許可し、促す。

「今のところそのセイリュウとかいうグループがチャトランガとの唯一の足がかりになりそうなんですよね?なら適当に下っ端ボコって家族なり恋人誘拐すりゃチャトランガが勝手にこっちに頭突っ込んでくるんじゃないんすか?」

そう提案すれば、「相変わらず(ティール)は血の気が多いですねぇ。」と、男が息を吐く。

「それが有効だと判断できるほどの情報すらないのが現実なんですよ。」

と、男は自分のティーカップを持ち上げ、「おや、これはいい香りですね。」と紅茶を1口口に含んだ。

「いいですか、(ティール)。適当な下っ端では切り捨てて終わってしまうかもしれないのですよ。なんせ、ここまで徹底的に情報が秘隠されているのです。昔からこの土地を牛耳り、数多の目と耳があるのならば、シヴァの鱗片程度は分かるかもしれませんが、我々『弓の射手』は生憎この地では新参者です。」

そう言ってカップをソーサーへと戻した男に(ティール)と呼ばれた男は、少し不満そうに眉を寄せる。

「そもそも、そこがわかりません。なんで、日本の、しかもこんな首都圏でもない街なんかを。」
「日本だから、ですよ。ボクのルーツはこの国なんです。」

そんな男の返答に、優雅にコーヒーを飲んでいたヴァジュラも「あー、そういう理由だったの?てっきり私は先進国の中で1番落としやすそうだからだと思ってたよ。」と、驚きを口にする。

「生憎、ボクはこのように青眼ですし、肌も白いですからね。黒髪くらいしか日本の要素はないでしょう。」

軽く鼻で笑うようにそう告げ、

「腐敗しきった社会へ絶望したボクを、産み落としたのはこの国です。ならばボクの理想のために1番初めに破壊と再生の恩恵を受けるべきだと、そうは思いませんか?」

まるで三日月のように口角が吊り上げられる。
不気味なその笑みに(ティール)は思わず身震いをする。
代わりにヴァジュラは飄々としており、「なーるほどね。」なんて軽い口調でカップをテーブルに戻した。

「それに、この街を最初に狙うのはかつて猪鹿組と呼ばれたジャパニーズマフィアがいたからですよ。紅葉組もその派生でした。今ではもう用のない存在ですけどね。」
「日本の裏社会を手っ取り早く手に入れるにこの街を落とすのは最善策ってわけだ。まあ、今は1番の不安要素、『チャトランガ』を潰してしまうため、っていうのも大きいだろうけど。」

淡々と説明する2人に、「そうなんすね。」と(ティール)が、おずおずと頷く。
2人と比べてあまり頭の良くない#矢__ティール__#は、不満に思いつつも、考えがあるのなら俺は何も言うまいと引き下がる。
しかし、

「……はぁ、紅茶も冷めてしまいましたし、報告も大したものもないし、ボク、散歩してきますね。」

「えっっっ。」

思わぬボスの言葉に、素っ頓狂な声を出してしまった。

「……ぅえ!?まてまてまて、ルドラ君??君、一応国際テロ組織のボスって自覚あるの?何のためにこんな高セキュリティなアジトを用意したと思ってるの?おじさん泣いちゃうよ??」

1拍置いて、ヴァジュラも慌てて、席から立ち上がる。その際勢いよく揺れたテーブルに、カップからコーヒーがこぼれ落ちる。

「交渉人であるヴァジュラはまだしも警察どころか裏の人間の誰1人ボクの存在にたどり着けていないのですよ?平和ボケした日本の街を歩くくらいなんの問題もないでしょう。」

なんてスタスタ出口に向かって歩き始めるボスに、「問題しかないんだけどなぁ!?」とヴァジュラが慌てふためきながら追いかける。

ぽかんと口を開けたまま突然の展開を飲み込めずにいる(ティール)に、ヴァジュラが「ちょっと(ティール)君も止めるの手伝ってよ!おじさん若者の足の速さについていけない!」と叫ぶ。
しかし、ようやく状況を上手く飲み込んだ(ティール)は頭があまり良くないのでボスの言葉に素直だった。

「ボスが大丈夫っつってんなら大丈夫なんでしょ。」
「このボス全肯定bot君が!!」

もうやだこの自由人共!!なんて叫びながら、廊下を走っていったヴァジュラは、少ししたら肩で呼吸をしながら、戻ってきた。

「……普段、全然動かないのに……なんでこういう時だけ、動くの、早いの……!!」

ゼェゼェ荒い呼吸を繰り返す、ヴァジュラに「大丈夫っすか?」と(ティール)は自分用に買った水の入ったペットボトルを投げ渡す。
それを難なくキャッチしたヴァジュラは「ありがとうね……」と言いながら、キャップをあけ、一気に中身を煽る。

「ヴァジュラさんおじさんなんすから、もっと運動した方がいいっすよ。」
「あのね、私は交渉人なの。君みたいな実働部隊じゃないの。わかる?」
「俺バカなんでよくわかんねぇっすね。」

そんな(ティール)にヴァジュラは「なんでこんな子幹部にしちゃったの!」と崩れ落ちた。

「ま、相手のシヴァとかいうやつも正体不明なんすよね?案外街でボスとバッタリ会ったりとかすんじゃないっすか?」

なんてあっけらかんと言って、「腹減ったんでなんか買ってきまーす。」とそそくさと居なくなる(ティール)に、ヴァジュラは深くため息を吐いた。

「……そんな簡単に見つかったら苦労しないんだよ。」