もう夜もだいぶ更けた頃。
代田の部下である大森優大は、蒸し暑さの残るビルの隙間を音を立てないように歩き進めていた。

視線の先には代田の同期である刑事、小台(こだい)(かなめ)の背中がある。尾行がバレないように細心の注意を払いながら、仲間の後をつけているのは他でもない、代田からの命令だったからだ。

突然公安の人間が来たと思えばその日の夜に仲間の尾行をしろなど、大森は初め「新米ぺーぺーの俺に出来ると思ってんですか!?」とべっしょべしょに泣いた。
こんなの絶対公安案件。どうして新人の俺にそんな重要そうな尾行を任せるのか。ちなみに代田には「泣き言言うな!」と引っぱたかれた。

大森が回想に意識を飛ばしている間にも小台はスルスルと裏路地を進んでいく。
流石にここまでくれば大森も何かが可笑しいと気づいた。このまま進めばあるのは廃工場地帯。廃墟が立ち並ぶ、裏の者が屯するような、到底刑事が出入りするような場所では無い。

深追いはしなくていい、と代田は予め伝えていたが、大森には余りにも情報が無かった。
代田が何故、小台を新米の自分に尾行させるのか。
訪れた公安が一体代田に何の用があったのか。

分からないことが多すぎる。だからこそ、大森は怪しいと分かりつつも、廃工場地帯に1歩、また1歩と足を進めてしまった。

小台は一切迷うことなくスルスルと廃墟の隙間を進んでいく。

そして小台はとある廃墟に入っていった。本来であればこの時点で代田へ連絡をし、大森は引くべきだった。
しかし、大森はその後を追い、廃墟に入ってしまった。

だが、廃墟には追っていた人物の姿は無く、伽藍堂な空間が広がっていただけだった。

(なっ……!?確かに今ここに入っていったのに!)

思わず足音がなるのも構わず、広々とした廃墟の真ん中に走り出る。

そして

「尾行が余りにもお粗末だよ、大森君。」
「こ、小台刑事……」

カチャリ、と背中に当たる硬い感触。
刑事である以上、見慣れたその黒く光る物。
何故、小台が拳銃を突きつけてくるのか、大森は分からず、嫌な汗が背中を伝った。

新人故のわかりやすい反応。
刑事としては対象を見失った時こそ、周りを警戒すべきだった。

「な、何のつもりですか……どうして、拳銃なんか……」
「僕もね、驚いたよ。君は典型的な素人の動きだった。」

尾行のお粗末さ。標的を見失った時の動き。
それ以前に、仕事を進める要領の悪さ、そそっかしさ。とはいえやる時はちゃんとやる刑事としての度胸。配属された新人として、典型的な動きをする青年だった、と小台は続けた。
大森は銃を突きつけられるわ貶されるわで更に泣きそうになった。

「まさか、それら全てが演技だったとはな。」

カツリ、と革靴の音が鳴る。
物陰から現れたのは代田と公安の男だった。
それに、大森は溢れんばかりに目を見開いた。

「な、何の話ですか……?だって、だって俺……代田刑事が尾行しろって言ったから……!なのに、なんで……!」

「くさい芝居はもういい。」

大森の震えた声を代田の冷たい声がピシャリと切り捨てる。
それに、大森は哀れなほど肩を震わせた。

「最初に違和感を感じたのは、短大生殺人事件の時だ。」

代田が切り出した言葉に大森は「え……?」とその瞳を潤ませる。今にも泣きそうなその顔に、代田は眉を寄せた。

「『サーンプ』という単語を調べた時、お前は言ったよな。『他に三日月の髪飾りや三叉の槍、太鼓や髪の毛の先に川なんかをモチーフにしてる』って。どうしてその4つだけをピックアップしたのか、俺ァ不思議だった。」
「え、だって……代田刑事の開いたサイトにはそう書いてあったから……!」
「ああ、そうだな。だから俺も違和感を感じつつも(サーンプ)含め幹部が5人いると仮定して動いた。」

でもな、と代田は言葉を続けた。

「あの時開いたこのサイトにはな、1番上に、第3の目が表記されていたんだよ。」

呆然とする大森に、代田はスマートフォンの画面を見せた。
それは確かに短大生殺人事件の起きた日に見たシヴァ神に関係する事が書かれたサイトで、代田の言う通り、1番上に『第3の目』についての記載。そしてそれより下に(サーンプ)などの記載が続いていた。

「お前は、当時幹部に居なかった第三の目(アジュナ)を無意識に除外したんだよ。」
「そ、そんなのたまたま目に入らなかっただけですよ……!」

そうかもしれないな、と代田はどこか自嘲気味に笑った。

「だがな、お前ある時を境に幹部人数を1人増やして話してたんだよ。」
「え……?」

そんなはずはない、と大森の口が震える。
それに公安の男が持っていたタブレットを大森にも見えるように向きを変えて持ち替えた。

「これは、『とある組織』の新幹部に関する資料です。」
「こいつが加入したのは紅葉組の抗争が起きた前後。ただ幹部入りする前から幹部とほぼ同じ扱いだったらしい。」

代田の言葉に、大森の顔には「何の話かわからない」とありありと書かれている。
代田は1つ息をついてから、再び口を開いた。

「俺が、松野翔を調べていた時だ。お前はこう言った。『この少年は、サーンプ以外の幹部5人の内の1人なんでしょうか?』ってな。」

それに、大森はピクリと肩を震わせた。

「お前はあの時、無意識に幹部を6人として計算していた。それまでずっと5人で話をしていたにも関わらずにな。」
「お、俺バカだから間違えただけですよ……!代田刑事、俺、何に疑われてるんですか……俺、俺、バカだから言われなきゃわかんないっすよ……!!」

そう半泣きで喚く大森に、答えたのは代田ではなく、公安の男だった。

「君は知っていたのではないですか?幹部が1人増えたことを。」

その言葉に大森はとうとうボロボロと泣きながら「知らないですよォ……!」と言葉を震わせる。
そんな大森に代田ははぁーと深く息を吐いた。

「いい加減その演技を辞めろ、大森。」

再び冷たく代田が言葉を投げる。


「お前がチャトランガ幹部太鼓(ダマル)だったんだな。」