チャトランガを追っている代田の元に現れたのは、公安でも警察本部警備部公安課……ではなく、警視庁公安部、公安機動捜査隊と呼ばれる実働部隊の人間だった。
各都道府県に配属される警備部公安課ならば事件によっては生活安全課と連携を取ることもある。
だが、警視庁公安部の公安機動捜査隊は実働部隊でありテロが起きた時等に派遣されるため、表社会に顔を出すこともあるが、その一方でテロの未然対策等も行っている警視庁きっての頭脳集団でもある。

そのため秘匿性も高く、ましてや警視庁直轄ということは国の直轄ということ。こんな一介の街警官にわざわざ会いに来る理由がわからない。

立場もこちらの方が下のため、代田を呼び出してしまえば要件は済むはずだ。

ザワザワと騒がしくなる生活安全課を後にし、空いている会議室へと入り、鍵をかける。

「それで?なんでわざわざ俺の所へ?呼び出せば済むはずでしょう、アンタらの立場なら。」
「いえ、あくまでこれは私個人で動いている事なのです。」

これを、と渡されたタブレットには恐らく今まで公安が対応したと思われるテロ組織の未然防止に関する資料が映し出されていた。
それを慣れないながらに人差し指でスクロールしていく。

「……どれも、内部分裂や資金繰りの破綻、人員不足などによっての計画中止……組織の内側の要因で自滅しているな。」
「その通り。そしてそう仕向けたのは我々公安です。一応は。」
「一応は?」

何やら不穏な物言いに思わず片眉が上がる。
目の前の人物は「本来であれば、」と言葉を続けた。

「ジワジワと相手を自滅に追い込むため、もっと時間が掛かるはずです。ですが、我々の動きに合わせるかのように資金繰りに失敗したり、内部に裏切り者が出たり、多数の脱退者が出たりと、あまりにも急速に自滅しているのです。」
「公安の情報が洩れてるってのか?」

ならば尚更なぜ自分に声をかけてきたのかと代田は怪訝さを隠すことなく表す。
それに苦笑しながら「そう簡単に情報が漏洩していたら、日本はとっくに他国に乗っ取られているでしょうね。」と男は代田の持つタブレットを更にスクロールしていく。

「私はあなたが追う組織、『チャトランガ』が関与していると考えています。」

これを、と指し示された資料に乗る人物に、代田は「……おい嘘だろ。」と思わず言葉を漏らす。

資金繰りに失敗した反グレ組織。
そこの主な資金源であったのは詐欺グループだった。
しかし受け子掛け子の自首が相次ぎ挙句に中枢の人物まで自首したことにより、詐欺グループは破綻。資金源を失った反グレ組織も共に破綻した。

そしてその自首した受け子掛け子の人物の中には代田が担当した者達もいた。

次に過激思想の新興宗教団体は、神の名のもとにテロを計画していたものの、内部に裏切り者が相次ぎ、信者と脱会希望者での大乱闘騒ぎとなり、暴行罪で逮捕に至った。
脱会希望者達は名こそ出さないものの「私たちは本物の神を見た。現人神と出会ったんだ。」と新興宗教団体を裏切った理由を話している。

脱退者が相次ぎ、組織自体が自然消滅してしまったテロ組織は、その脱退者の多くが今までの過激思想が嘘だったかのように献身的に社会貢献を行っているらしい。
その理由は「ある方に認めてもらうため」と話していたという。

「……これは、まさか……」
「上層部はまだチャトランガの存在に疑問を呈していますが、私は確実に彼らは存在していると考えています。そして、一部では現人神と崇拝されている、シヴァと名乗る人物も。」

代田を真っ直ぐに見る男は、代田自身もシヴァの存在を確信していると、そう判断したため、代田へとこの話を持ちかけたのだ。

「正直言って、どこから情報が漏洩したかは分かりません。洩れるようなヘマもしていません。ですが、シヴァが噂のような頭脳を持っていたとしたら、僅かな情報からこちらの動きを予測していてもおかしくは無い。」

そして、更に厄介なことになりつつあるのだ、と目の前の男は一旦眼鏡を外し、眉間を揉んだ。

「先日、『弓の射手』と名乗るテロ組織が日本に入国した可能性があると判りました。」
「……それは、俺が聞いてもいい話なのか?」

そう代田が問えば少し疲れたように、されど意味ありげに笑う男。
はぁ、と深くため息をつきながら、代田は手を軽く振り続きを促した。

「『弓の射手』は最近各国の諜報部で問題視されている新手のテロ組織です。」
「その割には大々的に報道されてないな。」
「はい、それこそ『弓の射手』の思うつぼになるため、水面下で計画の妨害、腹の探り合い、牽制のしあいが各国行われている状態です。」

非常に胃の痛い案件です、と男はわざとらしく腹を摩る。

「しかし、各国で『弓の射手』は人員を増し続け現在かなりの規模になりつつあります。そして、最初のターゲットが、」
「この日本って訳か。」
「はい。」

チャトランガは今やその勢力を全国に伸ばしつつある組織だ。
裏社会の大物だった紅葉組が潰えたことによってその勢いは増している。
更には義賊的な面を持つチャトランガはそんなテロ組織を放っては置けないだろう。

(……となると、この男の目的は……)

この公安の男は個人で動いていると言っていた。先程男本人も言っていたが、公安全体はまだシヴァやチャトランガの存在自体に懐疑的。つまりはチャトランガの核心に触れる情報を得ることが出来なかったということだ。

「お前らの力を使ってもチャトランガの存在そのものを確認することは出来なかったんだろ?」
「ええ、そうですね。」
「それなのに、どうやって協力者にするつもりなんだよ。」

そう問えば僅かに目を開く男。しかし、その動揺は1秒にも満たず、すぐさま元の表情へと戻される。

「公安の癖して顔に出すぎだぞ。」
「貴方が特殊なんですよ……話が早くて助かりますけどね。」

ふぅ、と一息吐き出して、「身内の恥を晒すようですが、」と絞り出すように言葉を吐いた。

「恐らく、チャトランガを調べていた部下のほとんどがシヴァに信仰心を抱いてしまったようでして。」
「それってつまり……」
「チャトランガを下手に敵に回せば公安の半分が寝返ると考えていいでしょうね。」
「なっ……!?」

あまりにも予想外の事態に、代田も思わず言葉を詰まらせる。
それに自嘲気味に笑いながら男は尚も続けた。

「気づきもしませんでした。皆上手いこと口裏を合わせていましたからね。まさか調べて何も出てこないでは無く、調べた人間が軒並み隠していたなんて、想像もしませんでしたよ。」

ですが、と男はタブレットへ目を向けた。

「『弓の射手』の入国で、1人が秘密裏に『チャトランガと連携すべきだ』と進言してきた者がいました。」
「なるほど……!それでチャトランガの存在に確信を……」
「ええ。そしてそれが貴方へ声をかけた理由でもあります。」

そう言うと男は貸してください、と再びタブレットに触れ新しいファイルを開き、代田に画面を見せる。
そこには現時点で判明しているチャトランガという組織の幹部や構成の情報が乗っていた。

「その部下曰く、チャトランガは日本を守るためなら協力してくれるはずだ、と。そして、この街の刑事課の誰かが、幹部太鼓(ダマル)であることを教えてくれました。本人も会ったことはなく誰かまでは知らないそうですが。」
「……太鼓(ダマル)……こいつが、この署のどこかに……」
「他の幹部よりはコンタクトを取りやすいはずだと。そして、この署を調べていくうちにチャトランガを追っている貴方の存在を知ったんです。」

なるほどな、とぼやきながら代田がすぃーと画面の資料を捲っていけば、幹部の情報が1つ、追加で添付されていた。

第三の目(アジュナ)?」
「ああ、彼は最近幹部に上がったようです。それまでは幹部は5人だったようですが。」
「5人……この第三の目(アジュナ)ってのもヒンドゥー教に関わりがあるのか?」
「ええ。偶像上のシヴァ神には第三の目があるそうです。恐らく、そこからかと。」

代田は自身のスマートフォンを取り出し、検索機能を使ってシヴァ神の情報が載るページを開いていく。
そこには確かに第三の目に関する記載があり、他の幹部名として資料に乗っていた三日月(チャーンド)(ナディ)と言った単語も確かに明記されていた。

(……なるほどな。)

「この幹部がいつ幹部入りしたかわかるか?」
「ええ、おおよそは。とはいえ幹部入りする前からシヴァ本人が目をかけていたようで周りは幹部入り前から幹部と同じ扱いをしていたようですよ。」

そう言って、幹部資料の一部を指し示す男。
それに代田は深く息を吐き出した。

「……お前さんの狙い通り、この署にいる幹部、太鼓(ダマル)は公安の動きを知るために向こうから動くしかないだろう。わざわざ生活安全課に自分の存在をアピールしてくれたからな。」

焦っているはずだ、と代田は続ける。
それに公安の男は「そこまでお気づきでしたか。」とわざとらしく感嘆する。

「上手く釣り出してやるよ。この資料で、」

俺は誰が太鼓(ダマル)か予想がついた、と代田はタブレットを男へと渡した。