情報が得られなかった代田は、業務の片手間にチャトランガの聞き込みを行った。
こうなったら地道に探すしかないと、野々本達青龍が出入りする場所の近くや、里田達の不良グループの周辺を片っ端から探っていく。
肝心の松野翔に至っては特別な人間関係も見つからず、実家の近所の聞き込みくらいしか出来なかった。

(いや、人間関係にひとつ引っかかるのは……)

王様と崇められる芝崎汪。
以前調べた時は出てこなかった情報だが、松野翔はどうやら彼と親しいらしい。

わざわざ芝崎が松野のいる学年棟に出向いて、庇い立てたという話が聞き込みで上がった。

(どうしてもひっかかるんだよな……)

少年たちが崇め、裏社会から絶対的な信仰を集めるシヴァという人物。

学生たちが崇め、学校だけではなく様々な人間から王様と讃えられる芝崎汪。

2人の人物像はあまりにも似ている。
かと言って決定打となる証拠がある訳でもない。

何なら芝崎という少年は同じ学校に所属している、というところ以外里田や松野との接点が見当たらないのが現状だ。

「あ、代田先輩!これ、組織対策課から代田先輩にって渡されました!」

思考に沈んでいた意識が、大森の声で浮上する。
そうだ、今はまだ紅葉組の後始末をしているところだった。

「ああ、ありがとうな。」
「先輩またボーッとしてましたよ?今日は残業せずに帰った方がいいんじゃ……」
「なーに言ってんだよ。あと少し何だからちゃっちゃと終わらせんぞ。」
「もー、先輩最近疲れ気味なんですから無理しないで下さいよ!」

はいこれ差し入れです、と少し茶化し気味にコーヒーの入ったマグカップが置かれる。
まだ湯気が揺らめくそれは淹れたての芳ばしい匂いが立ち上っている。

ありがとな、と1口飲んで、渡された茶封筒の中身を取り出す。
そこには紅葉組が潰える前、紅葉組と牡丹組の小競り合いに関係する資料がホチキスで留められていた。

(下っ端通しが絡む小競り合いはそこそこ起きてんな……潰される直前はこれか。)

ペラリと1枚捲り、「……は?」と思わず声が漏れる。

そこに書かれていた内容はあまりにも簡潔だった。

『近くに居合わせた高校生達の通報により重傷者1名が緊急搬送された。』

たったそれだけ、たったその一文で当時の調書も何も無く終わってしまっている。

(おいおいおい、こんな資料ありえねぇだろ!)

高校生達からの簡易調書もなく、通報者の名前も残っていない。
本部通信司令室にすら当時の通報履歴が残っているか怪しい。

「クソッ。」

感情のまま紙をテーブルに放り投げる。
完全に警察内部にチャトランガのメンバーがいることがこれで証明された。
協力者なのか、はたまた構成員なのか。下っ端なのか幹部クラスが紛れ込んでいるのか、そこまではわからないが、少なくとも簡単に捜査資料を書き換えられるほど捜査前線に近い人間にチャトランガの内通者がいる。

苛立ちを表すように膝を揺らす代田に、

「えらく気が立っているじゃないか。」

と声を掛けてきたのは代田の同期だった。
よいしょという掛け声と共に隣の椅子に座る同期に「じじクセェな。」と言えば「もう僕も君もおっさんだよ。」なんて軽口が返ってくる。

「これは必要なかったかな。」と、代田がいつも飲んでいる缶コーヒーを取り出した同期に、彼もまた大森と同じように代田を心配して話しかけてきたのだろう。

「まだそのチャトランガっていうのを調べてるのかい?」
「あー、まぁな。」

なんて曖昧な答えを口にする。
同期である彼もまた、内通者の可能性があるのだ。
詳しく話す気が無いことを察したのだろう同期は「もう若くないんだから体壊さないようにしなよ。」と肩を竦めて戻って行った。

ほんの少し疑うことへの罪悪感を感じつつ、机の上に放り出した資料を再び茶封筒へと戻していく。

そして今度はノートパソコンを取り出し、検索バーをクリックしてチャトランガと打ち込んだ。

(……これもインドに関係する単語か。)

検索結果には、古代インドのボードゲームであること、今のチェスや将棋の起源と言われていること。

そして、

「『チャトランガという人たちを探しています』……?」

ひとつのSNSの投稿の見出しが、検索結果一覧に鎮座していた。
慌ててその投稿をクリックすれば、有名なツブッターの画面が開かれる。

投稿の内容は助けてもらった事へのお礼が言いたいというものだった。

そしてその投稿のコメントには「自分も助けてもらいました。チャトランガありがとう!」「どうしようもない人生歩いていた俺のこともチャトランガは、シヴァ様は助けてくれた。ありがとう。」と言った言葉が溢れていた。

そのコメントは数百に登るもので、投稿に便乗するように『ありがとう』というお礼の言葉が溢れている。

指先が震えた。
きっと彼らはチャトランガが、シヴァが助けなければ救われなかった人達だ。
警察が、取りこぼしてしまったであろう未来の被害者達だ。

指先が震えたまま、投稿主のアイコンをクリックすれば、投稿者である彼女の今までの投稿が一覧として出てくる。

そして、1番上には

『私は会えませんでしたが、おばあちゃんが会えたそうです!本当にありがとうございました!』

という、投稿だった。
そこには『ちゃとらんが(ちゃとらんか?)と名乗る方々を探しています。』と手書きで書かれたボードを持って笑い合う老婦と女性の写真が映っている。

自分の中の正義が揺らぐ音が聞こえた気がした。

このまま、シヴァを、チャトランガを追うことは果たして正しいのだろうか。

ああ、正しいはずだ。だって彼らは犯罪を犯している。現に殺人事件だって起きている。
罪人を捕まえ、秩序を守るのが刑事の仕事じゃないか。

いや、秩序なんて守れていたのだろうか。
自分が、刑事として今までしていたことは果たして人を救えていたのだろうか。

ぐるぐるぐると頭の中を回る思考が気持ち悪い。
これ以上考えてはいけないと分かっているのに、考えることが止められない。

しかし、生活安全課に入ってきた人物によってその思考は中断させられた。

「代田刑事は居られるかな。」
「っは、はい!」

ピシッとノリのきいたスーツ、そしてその立ち振る舞い。その雰囲気。

(……おいおい、なんで公安がこんな街の刑事課に!)

代田は直ぐにその人物の正体がわかった。
代田も人脈は広い方だ。だからこそかつて公安だった人物の知り合いもいる。

「君の調べているある『組織』について、話があります。」

目の前の人物は眼鏡のブリッチを押し上げながら、そう代田に告げた。