私の毎朝は『王様』を眺めて始まる。

いつもと同じ時間、同じ車両の電車に乗り込めば、そこにはいつもと同じように座席に佇む1人の少年の姿がある。
ブックカバーによって覆われてしまっている本のタイトルはわからないが、彼が読んでいるというだけで、あの本が輝いて見えた。

切れ長の目は伏せられ、文字の羅列を追って動いている。
男子にしては少し長めのサラサラの前髪は、その辺にいる男子なら地味で野暮ったく感じるだろうに、彼だとむしろクールにも感じてしまうのだから本当に凄い。

(あぁ!今日もカッコイイ!)

地元でも進学校と名高い有名校の制服に身を包む彼はいつ見ても神々しい。
彼の隣に座ろうなんてそれこそ烏滸がましく、いつも遠目で眺めてはその堂々たるその御姿を目に焼きつける毎日だ。

そんな彼はいつも、電車のアナウンスが鳴ると、席を立つ。

けれど、今日は違った。

彼は自身の降りる駅名が告げられるアナウンスが鳴っていないのにも関わらず、席から優雅に立ち上がったのだ。

(どうしたんだろう?)

誰もが彼の動向を見守る中、1人だけ、スイスイと乗客の間を通り抜けていく男がいた。

(……えっ!?)

それは本当に一瞬だった。
吊革に捕まり、『王様』を注視していた1人の女性のトートバッグから、その男は財布をスったのだ。

よりにもよって王の御前でなんて浅ましい!

思わずあの男の胸ぐらを掴んでやろうと、足を踏み出した時、『王様』が動いた。
流れるように財布を持つ男の腕を掴み取った『王様』は、そのまま無表情にスリの男を見やった。

「ああっ!?それあたしの財布!?」

と、即座に持ち主である女性が声を上げ、周りにいた乗客は即座に理解した。
なぜ『王様』がアナウンスが鳴る前に動いたのかを。

(『王様』は気づいていらした……!?)

そうだ。
きっと彼は気づいていたのだ。
あの男がスリで、通りすがりに財布を盗んでいることに。

そしてスリは、よりにもよって『王様』の前で盗んだのだ。
『王様』はそれを許すようなお人ではない。

『王様』は男から財布を奪い取ると、持ち主である女性の方へと放った。
そして、まるでタイミングを見越したかのように

「ーー駅。ーー駅です。お降りの方は──……」

と、彼の降りる駅の名前がスピーカーから告げられる。
彼はそのまま何事も無かったかのように電車から降りようと扉へと足を進めだした。

「あ、あの!」

と、緊張した面持ちで盗られた財布の持ち主である女性が声を上げた。
きっとお礼を言おうとしたのだろう。
けれど彼は

「……学校あるんで。」

と、一言告げるとお礼を聞くこともせずに電車から降りていってしまった。

まるで自分は何もしていませんと言わんばかりに。

けれど、私は知っている。
彼が、降りたホームでこちらを見ながら微笑んでいたことを。

(……『王様』の声、初めて聞いた……)

今日はとてもいい日になりそうだ。