「……シヴァ様に、厄を運ぶ訳にはいかねーから……」

ボソリと若者から呟き落とされた言葉。
それは突如出頭してきた少年の、自首した理由だった。

「シヴァ様?確かヒンドゥー教にそんなような名前の神様がいたよな?そのことか?」

そう尋ねると少年はキョトンとした顔をした後、どこか納得したような表情へと変えたかと思うと、それ以降、いくら問ただそうと、その『シヴァ様』について答えることは無かった。

代田(しろた)先輩。どうでした?そちらの事情聴取。」
「ああ、なんだか少し変なんだよなぁ。『シヴァ様』がどうのって言ってたけど、それについて問いただしても答えねーんだ。」
「シヴァ様?なんでしょうね、それ。」
「一応、ヒンドゥー教に三大神のうちの1人としてシヴァと呼ばれる神様がいるってのは聞いたことあるんが……どうもそれとは違うようだし。」

変な案件が来たもんだ、とため息混じりに言葉を吐き出し、買ったばかりの缶コーヒーを一気に煽る。

今思えば、全てはこの1件からが始まりだった。

「……また『シヴァ様』か。」
「これでもう16件目ですよ。その『シヴァ様』っていう人物が事情聴取に出てきたのは。」

最初の1件目は17歳の少年によるひったくり事件の自首。
その後、詐欺などの受け子や、危険ドラッグや覚せい剤などの販売、使用などの罪を、次々と自首しだす者達が現れ始めた。
どれもまだ10代の若者たちで、その者達の誰もが「何故自首をしたのか。」という問いに『シヴァ様』という謎の人物の存在を口にしたのだ。

ある者は「シヴァ様のお傍にいるためには自分の罪を償わなければならないと思ったから。」と答え、またある者は「シヴァ様に会って、私は救われた。だから罪としっかり向き合って、人生をやり直したい。」等と答えた。
他の者もそれぞれ理由は違えど、『シヴァ様』という人物に向ける心は尊敬や憧れ、崇拝のようなものばかり。

初めはヒンドゥー教の中でもシヴァ、という三大神の1柱を最高神として崇める『シヴァ派』と呼ばれる宗教に属しているのか、とも考えたのだが、それにしては「あの方」や「あの御人」などといった誰かを指し示すセリフが多く、周辺での聞き込みでも、彼らが何かしらの宗教にのめり込んでいる様子は伺えなかった。

(……それに、その『シヴァ様』を崇拝する人間の年齢層が若いことも気になる……)

調書の記録をパラパラと捲りながら、椅子に深く凭れる。
自首してきた少年少女達には直接的な関係性や関連性は見つからず、互いに面識があるようにも思えない。

「代田先輩!また『シヴァ様』です!」
「おいおい……次はなんだ?万引きか?振り込め詐欺か?」

はあぁー、と深い溜息を着きながら立ち上がった俺が見たのは、今までにない程に顔色を青ざめさせた後輩の姿で、すぐさま只事でないことが察せられた。

「……大森(おおもり)?大丈夫か?」

あまりの顔色の悪さにそう声をかければ、後輩の大森はどこか泣きそうな顔をしながら「……被疑者は19歳の少年で、容疑は殺人です……」と情けない声で言葉を紡いだ。

「殺人……!?」
「俺ぇ……殺人事件なんて担当したことないですよぉお……!」
「あぁもう!!情けねぇ声だすな!ほら行くぞ!」

生活安全課に配属されたばかりの後輩の背中をバシッと少し力を込めて叩けば「痛いですよ先輩!」と、声が返ってくる。

取調室に既に居た同期と交代し、俺は目の前の少年に「代田と言います。ここからは私が話を聞かせていただきますね。」と、いつもの荒っぽい言い回しを極力丁寧なものへと変え、声をかけた。
ずっと俯いていた少年の顔が恐る恐る上げられ、俺と目が合う。

俺は少年の目を見たまま「君は『シヴァ様』と呼ばれる人間を知っているかい?」と尋ねた。
1度、自首の際にシヴァという名前が出たらしいのだが、取調室ではその名を出さず、ただ自分が犯した犯行とその動機のみを語り、自首に関しては一切口を閉ざしていた。

俺の口から『シヴァ様』という名前が出た瞬間、少年の目が見開かれ、一瞬にして恐怖に染まった。

今まで自首してきた少年たちとは正反対と言ってもいいその反応に俺も思わず目を見張った。

「……殺される……!」

ボソリと、そう震えた声を零した少年。

「殺される?一体誰に……」
「俺はきっと『シヴァ様』に殺されるんだ!」

俺がセリフを言い終わるよりも先に被せるようにそう叫んだ少年。
ガタリと椅子から勢いよく立ち上がった少年の手首に付けられている手錠が、ガチャガチャと繋がれた机とぶつかり音を立てる。

「助けてくれ!俺は……俺はシヴァ様に認められたかっただけなんだ……!なのに、俺は間違えて……!死にたくない!俺まだ死にたくないんだ!」
「落ち着け!落ち着くんだ!」
「助けてくれよ!俺は!死にたくない!」
「落ち着けって!」

明らかにパニックを起こしている少年を大森と二人がかりで抑え込むも、少年は収まる様子がない。
初めての反応に俺も大森も困惑する。
今までの少年少女達はシヴァ様に敬意などは寄せれど、恐怖を抱いている様子はなかった。

彼は、シヴァ様という人物の何かを知っている。

そう考えた俺と大森がなんとか少年を抑えつつ、落ち着くように声をかけ続けて何分がたっただろうか。

ようやく、少年がどこか脱力したようによろよろと椅子に座り直すのを見て、俺も自分の椅子に座り直した。

「……君はシヴァ様に認められたかったと言ったけどそれについて教えて貰ってもいいかな?」

と、極力優しく声をかけると、ゆっくりと少年は頷いた。

「……俺は、クラスメイトを殺した。理由は虐められてたからって言ったけど、本当は『現状を変える』ことができるって、証明したくて……」
「現状を変える?」

そう俺がオウム返しで言葉を返せば、少年はまた、ゆっくり頷いてみせた。

「俺、ずっとあんな低脳なやつにあれこれ言われても我慢して我慢して我慢して……ずっとずっと耐えてきてたんだ。けど、ある日『シヴァ様』の話を聞いて……俺、シヴァ様に会いたくて、そのために『チャトランガ』に入りたくて……」
「チャトランガ?……それは何かのグループかな?」
「……俺もよくわからない。けれど、何かの組織的なものだと思う。」

『チャトランガ』。
初めて出た『シヴァ様』に繋がる情報。
恐らくまだ警察も把握出来ていない何かの組織。
今はそこに『シヴァ様』がいる、それがわかっただけでも有難いことだった。
何せ、『シヴァ様』という名前しか出てこず、それが果たして誰かを指し示すものなのかすら憶測の範囲内でしかなかったのだから。

「……そんな時、サーンプと名乗る人物とあったんだ。チャトランガについて探ってたから、怪しまれたみたいで……」
「サーンプ?その人物はどんな人物か覚えているかい?例えば痩せ型の男だったとか、小柄な女性だったとか。」
「……夜だったから、体型に関しては背が高かったくらいで、他はちょっとよく分からなかったけど、声は男の声だった。」
「顔は見たかい?」

ふるふると力なく頭を振る少年。
曰く、暗闇の中、黒いフードをすっぽり被ってマスクもしていたため、全くわからないらしい。

「それで、サーンプと名乗るその人物に会ってどうしたんだい?」
「……なんでこちらを探っているのか聞かれた。だから俺は『メンバーになりたい』って答えたんた。でも!断られたんだ!君には不向きだって!」
「不向き?」
「……だから、俺はどうしたら入れてくれますかって聞いた。そしたら『まずは現状を変えて見せろ』って。」

そこで最初の「現状を変えることができると証明したかった」というセリフに結びつき、俺は痛くなってきた頭のこめかみ部分をほぐすように指で押した。

「……だけど、殺した直後、突然現れたサーンプに言われたんだ。シヴァ様の管轄で余計な血を流すなって。シヴァ様のお目汚しになるって。……俺は『シヴァ様』に嫌われたんだ!きっと外に出たら殺される……!」
「……そうか。話してくれてありがとう。」

後ろにいる大森に目配せをし、後は同期に頼み、取調室から退室する。
どうも、彼は殺したことに対する反省よりは、自身の身の可愛さに自首してきた傾向が強い。
その事にどこか胸糞悪さを覚えながら、大森に「『シヴァ様』についてどう思った?」と言葉を投げた。

「……初めは犯罪を助長させたのかと思いましたけど、どうも違うようですよね……」
「ああ、そのシヴァの下につくサーンプってやつが何者なのかはわからないが、やつのセリフからして『シヴァ様』の管轄地での殺人はどうもNGらしいしな。」

俺はスマートフォンを取り出し、検索バーに「シヴァ サーンプ」と打ち込み、虫眼鏡のマークを親指でタップした。

「……(サーンプ)?」
「サーンプって、蛇って意味なんですね。」

検索結果を覗き込んできた大森は「あっ。」と、検索結果の1つをタップした。

「……インドでの偶像上のシヴァには首に蛇が巻きついていることが多いのか。もしかしたらそれになぞらえたコードネームのようなものかもしれないな。」
「はい。あとここには他に、三日月の飾りや三叉の槍、太鼓や髪の毛の先に川なんかをモチーフとして装飾に付けられているみたいですね。」
「そうなると、少なくともサーンプと名乗った男を含めて5人、『シヴァ様』と呼ばれる謎の人物に付き従っているってことになるな。」

まだわからないことも多いが、少なくとも、何かの組織らしいということがわかっただけでも前進だろう。

「よし、大森。この『チャトランガ』ってやつら、徹底的に調べんぞ!」
「はいっ!」