「警察なら、安全だとそう思ったんですか?」

拘置所の冷たい空気が更に冷え込む。
目の前の男の、つり上がった口角が何よりも不気味で吹き出す汗が止まらない。

「愚かですねぇ。何故シヴァ様の権力が警察に及んでいないと思ったんですかぁ?ねぇ、聞こえてます?」

たった今、冷や汗をダラダラと流し、部屋の隅で震えているのは、最近クラスメイトの殺人容疑で自首してきた19歳の少年だった。
シヴァ様がまとめる『チャトランガ』という組織に入りたくて、現状を変えるためにクラスメイトを殺した、三日月(チャーンド)に「生粋のサイコパス」と称された少年だ。

そんな少年を檻越しに言葉で追い立てている男は震えて何も喋りもしないその少年に、イラついたように舌打ちを零す。

「まあ、いいです。」

カツッと質のいい靴の踵を鳴らした男は、檻から1歩引く。

「貴方は何が罪で罪とはどのようなものかをしっかりと考えてくださいね。ま、貴方はすでに我々のブラックリストに乗っています。死にたくないのなら、大人しくしている事ですね。」

こくこくこくと首がとれそうになるほど上下させる少年を見て、男は満足そうににっこり笑う。

「あぁ、でも、貴方のせいで我々の存在が警察に露見してしまったのは頂けないですねぇ。」

しかし、次の言葉にヒュッと少年の喉の奥が引きつった音をたてた。

「大人しく、していて下さいね?死にたくはないでしょう?」

再びこくこくと頷く少年に、「素直なことはいい事ですねぇ。」と男はようやく踵を返し、去っていった。

それにようやく安堵した少年はズルズルと壁伝いに座り込む。

少年は正直言ってしまえば、大人に頼れば何とかなると思っていた。
なぜならシヴァ様はまだ10代の少年であると風の噂で聞いていたからだ。

幹部たちも軒並み10代。
子供ばかりで構成された組織だ、と。

所詮は子供の組織。
大人の所に逃げ込めば手なんて出せないと、そう高を括っていたのだ。

それがどうだ。
これのどこが、ただの子供の組織だというのか。

「……お、れは、ばかだ……!」

少年は頭を抱えたままその場に蹲った。



****

「黙秘ぃ?」

あのシヴァ様と呼ばれるやつに殺されると言っていた少年を担当している同期が重々しいため息と共に吐き出した状況に、代田は思わず首を傾げる。

「なんで今になって黙秘なんか始めてんだよ。」
「知らないよ……殺人の動機は『いじめられてたから』。シヴァ様に関しては『知らない』『わからない』の一点張りだよ……」
「おいおい、最初と言ってることが違ぇじゃねーか。」

そうなんだよ、と代田の同期は一気にコーヒーを煽った。

「今までどちらかと言えばサーンプとかいうやつに殺人を唆されたみたいな言い方してたのに、サーンプに関しても完全黙秘。チャトランガって組織も知らないって言い出して黙りだよ。」
「……そりゃちょっと様子がおかしいな。」

代田は顎に手を当て、唸るようにして考え込む。
手に持ったコーヒーの缶は少し温くなっていた。

「あ!代田先輩!ここにいたんですか!」
「おい大森、バタバタ走ってんじゃねぇよ。」

考え込んでいたが故に深く沈んでいた意識を無理やり浮上させられ、少し不機嫌そうに小言を零す代田。
しかし、それを全く気に留めた様子もなく、大森は「それどころじゃないんですよ!」と、声を上げた。

「あの林懐高校の不良グループが、ある人物の傘下に下ったそうです!」
「はあぁーっ!?」
「……おいおい、林懐高校っていやぁ、手の付けられねぇあそこだろ?」

大森の言葉に代田だけではなく、代田の同期も目を見開く。

彼ら生活安全課の人間から常にマークされている林懐高校の学生は、どうも治安が悪く、学校内に不良グループ『青龍』と名乗るやつらが存在し、辺りでやりたい放題している中々の問題高校だ。
現在のリーダーである高校1年生の野々本春は入学早々に3年生をボコボコにし、リーダーの座に着いた、近年でも特に血の気の多い少年だった。

そんなやつが誰かの傘下にくだるなど、天変地異の前触れかと聞きたくなるほどありえない事だ。

「何かの間違いじゃねぇのか?」
「いえ、大々的に声明を出したんですよ!あの野々本春が自ら!警察に!」
「はぁーっ!?」

どうりで大森が慌てるはずだ。
警察に直接声明を出してくるなど、自分たちがマークされていることを知った上での行動だろう。

「なんて声明を出してきたんだ?」
「『俺たち青龍は、槍の下につく。俺たちの真のリーダーがそこに居る。今を持って青龍は事実上解散し、俺たちは全てあのお方のものとなった。』と……」
「事実上解散……!?」
「おいおい……」

青龍は長らく存在していた不良グループだ。
3年生が卒業していけば1年生が加入し、常に一定数の人数がいた。つまりその規模は常に安定している。
それなりの人数、ましてやあの警察側がマークしている問題児である野々本という人物が、誰の下に着いたのか。
下手にヤクザや半グレ集団に関わる存在だとこれからの未来ある若者が喰いものにされてしまう。

「……しかし、『槍』か……」
「その『槍』と称された人間が、真のリーダーということでしょうか?」

顎に手を当て再び考え出した代田と同じように大森も唸りながら、考察を述べる。

「……『槍の里田』だ。」

ふと、代田の同期がぽつりと呟いた。

「知ってんのか?」
「ああ、中坊の頃からヤンチャしてる餓鬼がな。たしかそう呼ばれてたはずだ。」
「中坊から……そいつは林懐高校には行ってねぇのか?」

中学生でそこそこ名が通るほどの不良なら、林懐高校に進学していてもおかしくは無い。だが、林懐高校ならば、青龍に所属しているはずだ。

「ああ、あいつは確か鳥夢(とりむ)高校に行ったはずだ。」
鳥高(とりこう)っていやぁここらじゃ1番の進学校じゃねぇか!」
「ああ、俺もびっくりしたよ。」

あくまで聞いた話だがな、と補足をつけた同期に、代田は「だとしても、調べてみる価値はあんだろ。」と、答えた。

「シヴァ様とか言うやつが、もしかしたらその槍っていうのと関わりがあるかもしれねぇしな。」
「その『槍の里田』ってやつは幹部なんでしょうか……?」

「わからねぇが、宗教上のシヴァ神は三叉槍を持ってるって言うしな。幹部の可能性は十分ある。それに、あの殺人を犯した餓鬼以外は、皆シヴァ様と呼ぶ人物に心酔していた。野々本のその声明も、心酔っぷりが見て取れる。『あのお方』ってのが、シヴァ様の可能性だってあんだろ。」

なるほど、と代田の考察に同期も大森も頷けば、代田は空になった缶をゴミ箱に放り投げた。

「俺と大森はその鳥高の里田ってやつを探ってみる。殺人の方は頼んだぞ。」
「おう。そっちは頼んだ。」

ほら行くぞと代田が大森の肩を叩く。
大森も慌てて「はいっ!」と返事をし、代田の同期に頭を下げてスタスタ歩いていく代田の後ろを追いかけて行った。

休憩スペースに残された同期は、残ったコーヒーを一気に煽り、「さてと、俺も仕事しますか。」と、缶をゴミ箱に放った。



****


「ええ、(サーンプ)。予定通り警察の目は三叉槍(トリシューラ)に向きましたよ。青龍を傘下に入れたのはいい切り札でしたね。」

『了解した。お前も、バレないように気をつけろよ。』

「おや、私がそんなミスをするとでも?」

『フッ、いや、思わないな。だが、慢心は油断を招くぞ。シヴァ様を悲しませるようなことはするな。』

「ええ、もちろんですよ。なんて言ったって私は、シヴァ様の為の太鼓(ダマル)なんですから。」