林懐高校の不良グループ、青龍のリーダーになった野々本春は、周りから思われるほど喧嘩が好きな訳ではなかった。

元々青龍のリーダーを倒したのだって、向こうから絡んできたのを返り討ちにしただけだった。しかも絡んできた理由は生まれつきのこの髪色が気に入らないというものだ。

それなのにいつの間にかリーダーにされ、喧嘩ばかりの日々。
全てがつまらなかった。

クオーターである自分はどういう訳か祖父の金の髪色を隔世遺伝で継いでしまい、黒髪の父と母からは疎まれて育った。

父が母の浮気を疑ったからだ。
母がハーフであるため、金髪の子供が生まれるのはおかしい事じゃないのに、1度生まれてしまったその疑念は、二人の間に罅を入れるには十分だった。
家庭崩壊まっしぐら。ただ同じ家にいるだけの他人。

まともな子供なんて育つはずがない。

喧嘩だって売られたら買った。
殴られたから殴り返した。

そうしている内に、いつの間にか警察からも目をつけられ、周りからも恐れられるようになっていた。

(くだらな。)

世界の全てが下らない。
つまらない。

生きていても仕方がない。

そんな無気力感に#苛__さいな__#まれる日々だった。

「シヴァ様?」
「ああ、シヴァ様は素晴らしい御方なんだ。」

そんな時だった。
俺がシヴァ様という存在を知ったのは。

中学の時のクラスメイトで、同じように家庭環境に問題があった彼は今でもこうして会って話をしていた。
恐らく、唯一友人と呼べる人物。
そんな彼が、ある日突然、タバコも酒も万引きも辞めたのだ。

万引きに至っては警察に自首までして、返せる盗品は全て返し、残りはバイト代で弁償していく、なんて報告を受けた時は思わず持っていた飲み物を落としかけた。

何が彼をそんなに変えたのか。
タバコも酒も万引きも、彼のストレスを発散させる手段だった。まさか家族が今更更生したのだろうか。

だから尋ねた。
「なんでだ?何がお前をそこまで変えたんだ?」と。

そこで彼は「シヴァ様に出会ったからだ。」と答えたのだ。

その表情は友人であった自分でも見たことないくらい晴れやかなもので、ああ、彼は『救われた』のか、と漠然と思った。

彼とシヴァ様の出会いは偶然だったらしい。
詳細は言えないが、彼が死を覚悟した瞬間、彼はシヴァ様に救われたのだと、嬉しそうに言っていた。

神なんているわけがない。
それが口癖だった彼が、シヴァ様は神のような御人だと、言う。

気になった。
あんなに荒んでいた彼を救って下さった神は、俺のような人間であっても救いの手を差し伸べてくれるだろうか。

だから、つい口にしてしまったのだ。

「誰か『シヴァ様』と呼ばれる人を知ってるやついるか?」

なんて。

もちろん、青龍のメンバーも噂は聞いた事あっても誰も正体を知らなかった。
実在するかも怪しい存在だと言われ、再び無気力感に襲われ、自ら探すのを諦めた。

しかし、俺に媚びを売りたいやつらが勝手に調べ始め、なんとシヴァ様と思しき人物のいる組織を見つけたのだと言い出した。

「しかも見てくださいよ!これ!こいつですよ!」
「槍の里田っつー中坊ん時からやべぇやつっすよ!」

こんなやつまで従えてんすかね!?なんてスマホの画面を見せてきてゲラゲラ笑うそいつらに何故か無性にイラついた。

誰も頼んでないのに。
ゲラゲラと笑うそいつらの声が耳について腹のそこがフツフツと煮えるようだった。

そんな時だ。

「頭ァ!!大変です!どっかのグループが殴り込んできやがった!!」
「……は?」

売られたから買った。いつだってそうだ。

ならば今売られている喧嘩を思いっきり買ってやろう。
でなければこの怒り、どこにぶつければいいんだ。

沸き立つ怒りのまま、乱闘騒ぎの渦中に向かえば、そこにいたのは

(……槍の里田……?)

つい先程画面の向こうで見た、少年だった。

ああ、あいつらがきっとシヴァ様のことを怒らせたんだ。

ならば俺に救いなんてやってこない。
シヴァ様に見捨てられたんだ。

足元が崩れていくような、そんな感覚がした。

次の瞬間には、腹に激痛が走ったかと思えばそれに呻く間もなく意識が暗転した。


****

目が覚めた時、そこは俺の知らない場所だった。
パーカーのフードを深く被った男と女。そして槍の里田。彼らが俺を監視するように取り囲んでいる。

(……ああ、俺は神直々に罰せられるのか。)

何を言われても、聞かれても答える気になれず、ただ無言でそこに在った。
まあ、でも、最後にシヴァ様を見れるのならそれはそれでいいのかもしれない。

ふいにカツリ、と靴底がコンクリートを鳴らす音が聞こえた。

「……早いな。」

そこにいたのは、とても美しい人だった。
叩けば簡単に飛んでしまいそうな儚さがあるのに、確かにある存在感が彼を弱者にしない。

「シヴァ様!」
「おう!なんてったってシヴァ様直々のご命令だったからな!」

(……彼が、シヴァ様……)

なんと神々しいことか。

「流石三叉槍(トリシューラ)さん。」と微笑むお姿は慈愛に満ち、それを向けられる槍の里田が羨ましい。

「……シヴァ様……」

本物。
本物のシヴァ様。

俺の友人を救い、今から俺を罰するであろう神。

そんな彼が、まるで、目線を合わせるかのように、しゃがみ込み、

「……チェスはできますか?」

とその美しい御声を俺に向けた。

「は、はい。」

吃りながらもすぐに頷けば、シヴァ様は嬉しそうに「なら、一局やりましょう。」と、告げた。

まるで夢を見ているかのようにぽーっとチェス盤を眺める。

シヴァ様がチェスを好まれると聞いて、友人とよくやっていた。最初は下手くそだったが、最近はそこそこの試合になっていると思う。

けれども、今対面しているのは友人ではない。
かの神なのだ。

夢にしか思えなかった。

「チェックメイト。」

対局の結果は、当然の事ながらシヴァ様の勝利だった。
だが、試合そのものはシヴァ様も楽しめたようで、とても満足気に笑っていらっしゃる。

「……夢みたいだ。」

思わず零れ落ちた言葉。

そんな言葉ですら拾い上げて、シヴァ様は「どうして?」と優しく尋ねられた。

「シヴァ様が、俺を見てる。シヴァ様が俺とチェスをしてくれた。シヴァ様が、目の前にいるなんて、夢みたいだ。」

二度と目が覚めなくてもいいと思えるくらいの素晴らしい夢。
ぽーっとシヴァ様のご尊顔を眺めれば、

「これからは何度でも対戦しよう。ちょうど、最近チェスを覚え始めた子がいるんだ。その子とも対局してみるといい。」

と、ひどく簡単にそう仰った。

これから何度でも対戦する、というと言うのはシヴァ様は俺をその懐に歓迎されたと言うことだろうか。

それこそ都合のいい夢にしか思えなくて、拘束の跡が残る右手で左手の甲を勢いよく抓る。鋭い痛みがそれは現実だと訴えていて、じわりじわりと胸の奥に歓喜が込み上げてきた。

シヴァ様と何度も会える。

シヴァ様と同じ机でチェスをする。

それを俺は、たった今許された。

声にならない感動が、込み上げて、じわりと涙が滲んだ。

俺は、神の懐に招かれた。そこにあることを許された。

こんな素晴らしい日はきっと他にない。

この日、俺は初めてこの世というものに生まれ落ちたことに感謝をした。