三日月(チャーンド)の地位を持つ日向美夜は、新しくやってきたメンバーに、疑心を抱いていた。

同じく幹部である 三叉槍(トリシューラ)が勧誘し、シヴァ様が直々に本拠地であるこの部屋まで連れてきた彼は、緊張のあまり目を回す勢いだった。
調べれば調べるほどに平凡。
特記するような才能もなければ、成績も平均通り。広くも狭くもない友好関係。特に問題のない、平均的な家庭。

(……何故シヴァ様はこんなやつを……?)

ただ組織に入れるだけならわかる。
実際、彼はクラスでの現状を変えたいと願い、 三叉槍(トリシューラ)に、喧嘩を教えてくれと頼み込んだ。(サーンプ)が試験を与えたとして、それはきっと合格になるだろう。

だが、そうだとしても、わざわざシヴァ様が気にかけ、幹部しか知らないあの部屋にまで通した事が、どうしても納得できない。

シヴァ様のことを疑う訳では無い。
きっとシヴァ様にはシヴァ様のお考えがあるのだろうし、シヴァ様が目をかける存在であるのならば、私たちが邪険にする訳にも行かない。
それでも、やはり納得は出来なかった。

(あんな平凡なやつ……私や(サーンプ)は前の組織からいるけれど、それ以外の幹部は皆何かしら才能があるから幹部の地位にいるのよ……それなのに、なぜシヴァ様は……)

幹部の部屋に通したということはシヴァ様は恐らく、彼を幹部に据えたいと考えているはずだ。
三叉槍(トリシューラ)は武力と人脈を、私はハッカーとしての才能を、(サーンプ)はカリスマ性と組織をまとめる裁量を心得、その才能をシヴァ様のために使っている。
けれども、彼には何が出来る?
年齢に関しては問題ない。なんせ最年少幹部である(ナディ)の名を持つ、宮川(みやがわ)小鳥(ことり)はまだ15歳の中学生だ。その分突飛した才能があるのだし。

そう、彼には突飛した才能なんて無いのだ。
まるで、今までの自分を否定されているようだった。
才能があるから選ばれたのだと、私の才能をシヴァ様が欲していると、そう思っていた私自身を。

(……やぁね、全く……(サーンプ)とチャトランガの前身である組織を作った時には、こんな気持ちでいたわけじゃないのに。)

私がこの組織に入った理由に、私の妹が関わった事件がその根幹にある。

私の妹はまだ小学生だった。
それなのに、殺されたのだ。小さな、あの子を私よりも年下の男の子によって。

彼は当時まだ中学生で、名前も報じられることもなければ、その顔が晒されることもなかった。そして大した刑期を受けることもせず、出所した。
許せるはずがなかった。

まだ彼が反省していたのならば、私の怒りも次第に収まったかもしれない。
だが、彼は全く反省なんてしていなかった。次のターゲットの子供に目星を付けるような行動も見られ、再犯も時間の問題だった。

そんな時だった、(サーンプ)である神島洸太と出会ったのは。
彼もまた、最愛の兄弟を他者に殺された1人だった。そして加害者が大した罰を受けずにのうのうと生きている点に関しても同じだった。
私たちはその憎しみと恨みに共感し、お互いがお互いの復讐を計画した。

罰を逃れ、免れた罪人に、正当な罰を。

自分勝手な理由だといえばそうかもしれない。でもこの世の中には罰から逃れた罪人が多すぎる。

だから、私たちはお互いの復讐を計画した。
バレないように、綿密に練られた復讐計画を。

それが、前身である組織『チェス』を作り上げるきっかけとなった。
同士が、世の不平等さを変えたいと願うもの達が、こんなにも集まり形となった組織。

法が全ての罪人を裁けないのはある意味仕方がないのかもしれない。
法を作るのも、人を裁くのも、結局は人なのだから。
それでも、法すらも無視して制裁が下されるのなら、それは見方を変えれば抑止力に繋がる。

だから私はシヴァ様に着いてきたのに。

(……前の組織の気持ちを引きづったままではシヴァ様の理想のために立っていることは許されないのかしら……)

ぐるぐると回る思考はどんどんマイナスの方へと向かっていく。
吐きそうなぐらい、胸の底が気持ち悪い。

「そして、クイーン。」

シヴァ様の穏やかな声が、突然耳に飛び込んできた。

(……あ、違う。私じゃない。駒の話だわ……)

松野翔はチェスを、畏れ多くもシヴァ様直々に教えて貰っている最中だ。
その中の説明でクイーンが出てきただけだと言うのに、何故かこのタイミングでその名前を呼ばれた事に、何故か胸がざわめいた。

なんとなく、私にも話しかけているかのような、そんな気がしてしまったのだ。

「彼女が1番大きく動き、そして攻撃の要になる事ができる。上下左右斜め、どこにでも行くことが出来る。」
「えっ!それってほとんど無敵って事じゃないですか!」
「まあ、そうだな。彼女を取られればほぼ負ける。攻撃でも守りでも彼女は要だ。動ける範囲が広い分、可能性も多大だ。だからこそ、彼女を終盤まで残せるか否かも重要になってくる。」

そう淡々と説明していくシヴァ様を思わず見つめていれば、分かっていたかのようにこちらへと微笑んだシヴァ様。

シヴァ様はチェスで負けない。
ここぞの勝負で負け筋なんて決して見せない、上に立つ強者だ。

つまりそんなシヴァ様が序盤でクイーンを落とすことなどするはずがない。

必ず終盤まで残す。

クイーンを。
(クイーン)を。
そして(チャーンド)を。

最後まで。

(ああ!私が愚かだった……!)

まるで心を見透かすように、そしてその奥に巣食う不安を知っているかのように!
最後まで手放さないという意志を、さりげなくこちらに向けるシヴァ様のなんと崇高なことか!

(……そうよ、私は最後までシヴァ様にお仕えするのよ。それが三日月(チャーンド)である私の務め……!)

懐深いシヴァ様が私たちを捨てるなんてありえないのだから!



「シヴァ様!ありがとうございました!」

勢いよく頭を下げる松野翔は、進学校に通うだけあり、飲み込みが早かった。
まあ、そもそも、シヴァ様に直々に教えて貰っておいて、わからないなんてほざいたものならバットでボコボコにしてやるけれど。

「こちらこそ。楽しかったよ。今日教えたのはあくまで基本。これらを理解して経験を積み、応用していけばより優れたプレイヤーになれる。……それに、松野君は新人だし、色々な角度から物事が見れるかもね。」

(……そういうことね。)

シヴァ様は、新しい幹部を『育てる』つもりなのだ。
新しい視点と、平凡な人間の感性。

シヴァ様に出会った時には既に組織として裏にいた私や、(サーンプ)とも、不良として裏を知っていた三又槍(トリシューラ)とも、復讐心から裏へと落ちた(ナディ)とも全く違うそれら。

それを、シヴァ様は見出したのだ。

「シヴァ様はやはり流石ですね……」

走り去っていく松野翔の背中を見送りながらそう呟けば、シヴァ様は優しく微笑んで、

「僕なんてまだまだだよ。」

なんて仰る。とんだ謙遜だ。

(ああ、本当にこのお方には敵わない。)