小学生の頃、課題で『将来の夢』を書く授業があった。

僕はその紙に大きくも小さくもない字で『誰かを守るヒーローになりたい』と書いた事をよく覚えている。

でも、そんな当時の僕に一つ言いたい。

「あぁ!?なんだテメェら!!」
「チャトランガだァゴルァ!?」

まず、その極度の口下手と動かない表情筋を治さないと、ヒーローになるどころか、将来何故か自称自警団の反社会組織のボスに祀り上げられ、そして後々、ヤクザやテロ組織と対峙することになる、と。

(……いや、なんでこうなった??)


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僕、芝崎(しばざき)(おう)の部下(不本意)達が暴れるのを眺めながら、思わず遠くに意識を飛ばしてしまう。

こんな現状になってしまったことを一言で説明するなら「チェスがしたかった。」で済む。

元々僕はチェスやオセロなどのボードゲームが好きだ。
人より鋭い目つきのおかげで中々友達のできない僕はせめてチェス仲間が欲しくて、ある時、『チェス』というグループに飛び入り参加したことがある。
俺にしては珍しく頑張ったと思う。

だが、これが最初の間違いだった。
この『チェス』というグループは、チェスクラブのではなく、チェスという名の組織だったのだ。

そんなことを一切知らない僕は、『キング』という、彼にチェスをさせたら負け知らずとも言われる人がいると小耳に挟み、彼らの集まる部屋にアポなしで行ってしまったのだ。

今思えばちゃんと調べてから行くべきだったのに、当時は「そんな強い人がいるなんて!」と早くチェスで対戦したいワクワクが勝ってしまった。

明らかにおかしい廃ビルの一室にルンルンで行ってしまった当時の僕を殴りたい。

「あなたがキングですか?」

と、突然現れたのは今思えば本当に不躾だったし、何ならボコボコにされていても文句は言えない状況だった。

僕より少し年上と思われる少年は椅子に座ったまま、目を見開いて驚いていた。
そんな彼の目の前にはチェス盤が置かれており、恐らく彼がキングなのだろう、と彼に視線を向けたまま

「キングに試合を申し込みます。」

と、告げた。
この時、僕の表情筋は珍しく仕事をしたと思う。
こんな強そうな人とチェスができるなんて!と口角が無意識に上がってしまった。

しかし、突然アポなしで押し入った挙句にニヤニヤしているやつなんて、完全に不審者で、同じく部屋にいた少女には「あなた何者よ!」と厳しい言葉と冷ややかな目を向けられた。

滅多に女子と会話をしない僕が、そんな冷ややかな目に耐えられるわけがない。
内心涙目になりながらも、どうしてもチェスをしたかった僕はキング……後に『チャトランガ』の幹部(サーンプ)となる神島(かしま)洸太(こうた)さんの向かいにある椅子に腰掛けた。

少しゆっくりとした動きになってしまったのはこれからの試合の期待と冷ややかな目を向けられている緊張があったからかもしれない。

そんな状態でよく乗り込んで来れたなと、自分でも思う。

それでも、僕はチェスがやりたかった。
何より強い人と!

それが1番の間違いだったけれど!

「始めましょうか。」と強引に試合を開始した自覚はあった。
けれども、優しいのか単にチェスバカ過ぎて呆れたのか、真相は分からないが、彼は僕とチェスの試合をしてくれた。

いくつも策を練っては、彼はそれをひらりと交していく。
罠や誘いにも中々乗らない。
時間制限のない無限にも思えるその試合。

彼は次どう来るのか。
どの駒を動かすのか。
自分に残っている駒はどれか。

考えれば考えるだけ楽しい。

(……これが、『キング』と呼ばれる人のチェス……!)

自分の集中力が最大限に引き出されているのがわかる。
今までにないくらいに、頭が、指先が、この試合を楽しいと叫んでいる。

しかし、始まりがあれば終わりもある。
ついに僕は、チェス盤のキングを追い詰めることが出来た。

「……チェックメイト。僕の勝ちですね、キング。」
「……ありえない……!」

本当にギリギリだった。
僕の陣営は2体多く相手に取られているし、ここで追い詰めることが出来なければ確実に負けていた。

「……それで、何が目的なんだ。ただ俺を負かして嘲笑いに来たわけじゃないだろう?」

試合の余韻に浸っていると、ふいに険しい顔をしたキングに、そう言われた。

当然、当時の彼からしてみれば突然組織に乗り込んできた不審者だ。警戒するのも当然であり、むしろチェスに付き合ってくれたことが奇跡だ。

しかし、当時の僕はここを未だにただのチェスクラブとしか思っておらず、突然飛び入り参加して、キングを負かしてしまったが、もしかして冷やかしに貶しに来たと思われているかもしれない!なんて頓珍漢なことを考えていた。

「そんなことはしませんよ。」

と、慌てて否定をするも当然彼の顔は険しいままだ。
安心させるには笑顔だよな、と頑張って口角を上げるも、険しさは増す一方。

何故この時点でお互いのすれ違いに気づけなかったのか。
明らかにおかしいって思ってよ僕!

しかし、当時の僕はなんとか冷やかしではないことを伝えたくて、口下手なりに言葉を紡いでいく。

「ただ俺は、キングを取りに来ただけです。『チェス』のね。」

そしてこれが相手への勘違いを増させた要因だ。

相手のキングをとるのがチェスだ。
純粋に相手のキングを得る、チェスのゲームがしたかったのだと、当時の僕は伝えたかった。

「……なんのために?」
「純粋に気になりまして。いい試合を楽しめました。」

明らかに警戒している彼に、当時の僕は

(もしかして、負けた時にでも「このチェスグループのリーダーを辞めてしまえ!」みたいなこと対戦相手に言われた経験があるのかな……?)

それなら、ここまで警戒しているのも仕方ないよね、くらいに思っていた。

ただの馬鹿である。

「お前は何者だ。」

そして、彼のこの質問。
きっと組織に対して味方なのか敵なのかわわ問うたこの質問も、当時の僕は

(他のチェスクラブからの刺客てきな人間と疑われてる……!?)

と斜め上どころか180度違う考えにたどり着き、

(でも俺は他のチェスクラブに所属している訳でもないただの個人的な趣味でチェスをしている人間だし……)

質問に答えるにしても、ここではキングや、クイーンなどと言ったプレイヤー名を名乗っている人達に、本名を告げるのも茶化しのようで良くないだろうな、と余計な考えを巡らせた。

なぜ素直にチェスクラブに所属してないよ!って言えなかったのか当時の僕!

そうすれば向こうだってすれ違いに気がついてくれたかもしれないのに!

けれども、もちろんお互いそんな勘違いに気がつくはずもなく、事は進んでいく。
神よ、僕が何をした。

(……とは言っても、チェスの駒に由来した名前はもう使っているだろうし……)

このチェスクラブはかなりの人数がいると聞いていた当時の僕はもうすでにどの駒の名前でも使われているだろうと判断した。
ならば、特にチェスに関係の無い、愛称のようなものでもいいはずと考え、周りから呼ばれる『王様』というニックネームを名乗ろうとした。

「周りからはよく王と呼ばれますが、貴方も(キング)ですし……」

しかし、それだとキングと被ってしまうことに気づき、再び思考が振り出しに戻る。

(……んー、もういいの浮かばないし、苗字から文字るか。)

「ああ、適当にシバとでも名乗って起きますね。」

芝崎だから、シバ。
なんとも安直だが、咄嗟に呼ばれてもきっと反応できるだろう、なんて呑気に考えていた。

しかし、彼はその答えに

「そういうことを聞いてるんじゃねぇ!!一体なんの目的があってここに来たんだ!?」

と、今にも掴みかかりそうな勢いで怒鳴り散らした。今思えば当然の反応だ。

(えぇ!?なんでそんなに怒るの!?だから俺別に他のチェスクラブの人間じゃないって!)

しかし、ここで何かおかしい事に気づいていれば、僕は今組織のボスになんてなっていない。

「だから、(対戦相手の)キングが欲しかったんですよ。言ったじゃないですか。」

何故僕は普通にチェスがしたかったと言えなかったのか。

「(チェス)仲間、欲しかったんですよねぇ。」

だが、この時程楽しい試合は初めてだった。

きっと次対戦した時にはどっちに勝鬨が上がるかなんて分からないだろう。
僕がまた勝つかもしれないし、今度はキングが勝つかもしれない。
それくらい、お互いぎりぎりの、程よい緊迫感を持った試合だった。

出来ればキングには僕とまたチェスをして欲しいし、僕の周りにはチェスをする人がいないので、ここでチェス仲間が出来れば多くの人と対戦ができる。

と、当時の僕はチェスの事ですでに頭がいっぱいの馬鹿で。

「……わかった。」

そう言ったキングの言葉にも「誤解が解けてよかったー!」くらいにしか思っていなかった。

「俺は……いや俺達は今からあんたの元へ下る。」

しかし、その後に続いた言葉に、流石の僕も「え?」と固まる。

そんな負けたから君の下につくなんてどこの不良?
そんな強さによるカーストみたいなのこのチェスクラブにはあるの?

なんて、ようやく疑問を持ったというのに、

(……あ、でもそうすればまたキングとチェスできるか。)

ここでも僕はただのチェス馬鹿だった。

「よろしくお願いしますね。」

と素直に右手を差し出した当時の僕を誰か殴って。
きっとその口角は楽しい試合のことで頭がいっぱいで上がっていたことだろう。その顔面を殴りたい。

それから何故かチェスクラブの名前が『チャトランガ』と改名され、キングは幹部として(サーンプ)と名乗るようになった。
そして更に不思議なことに、他の幹部も何故か改名していた。

けれども僕は、

(プレイヤー名飽きたのかな?)

程度にしか思っていなかった。

いや気づけよ僕!


「……いや、ほんとどうしてこうなった……?」

そんな僕の呟きは喧嘩の騒音に飲まれて言った。