◆
夏休みの思い出作りの話を聞かされたあと、コンビニの前にはわたしと蒼月のふたりだけが残った。
わたし達を呼び出した大晴は、「ちょっと用事がある」と言って、自転車に乗ってどこかへ走り去ってしまったのだ。あとは「一緒に映画撮りたいメンバーいたら他にも誘っといて」とも言っていた。自由奔放にも程がある。
大晴に置いて行かれたわたしと蒼月は、しばらく無言で立ち尽くしたあと、どちらからともなくお互いのほうを振り向いた。昔と違って、今のわたしと蒼月は、大晴がいてくれないとまともに会話もできない。
無言で見つめ合うわたしたちの耳に、ジー、ジーと蝉の声がうるさく響く。なにか、会話……。一生懸命言葉を探していると、
「帰る?」
蒼月がそんなふうに尋ねてきた。
「そうだね。帰ろっか」
蒼月の言葉に、わたしはほっとするのと同時に少し淋しい気持ちで頷いた。先に歩き出した蒼月の背中を追いかけながら、前髪の上からそっと額に触れる。
七年前の七月七日。蒼月の誕生日の日に、わたしと蒼月はふたりだけで秘密の冒険をした。それを、わたしは勝手に『ホタル事件』と呼んでいる。
『ホタル事件』で、わたしは額にケガをした。五針縫うくらいのけっこうなケガで、わたしにケガをさせた蒼月はお父さんやお母さんにひどく怒られたらしい。
蒼月がわたしにあまり話しかけてきてくれなくなったのは、それからだ。
蒼月を秘密の冒険に誘ったのはわたし。ケガをしたのだって、自分の責任。だから、蒼月は何も悪くない。あの日に蒼月を誘ったことを後悔してない。ケガしたときは痛かったけど、時間が過ぎれば痛みも消える。
ケガの痛みが消えるみたいに、蒼月とのわだかまりだって時間とともになくなると思ったのに……。わたしたちのあいだには、七年経った今でも距離がある。
それなのに、二週間前にわたしを助けてくれたのはどうしてだろう。
七年前の罪悪感が今も残っているから……?
それを確かめたくて何日か前に蒼月にラインしたけど、結局返事は来なかった。
昔と変わってしまった関係を寂しく思ったりモヤモヤしているのは、わたしだけなのかもしれない。
映画を撮ろうという大晴の提案にのったのはいいけど、こんな調子で、わたしは夏休みの間、蒼月とうまくやっていけるだろうか。
髪の毛や肌を焦がすような強い日差し。鼓膜を破るほどの蝉の声。モヤモヤと考えているうちに、アイスで冷やした身体が、また夏の暑さにやられ始める。頭がくらっとして、額を押さえる。そのとき、チリンと後ろから自転車のベルを鳴らされた。
「陽咲」
無関心そうに前を歩いていたはずの蒼月が振り向いて、わたしの肩を引き寄せる。そのそばを、つばの広い帽子を被った女性が、自転車で走り抜けていく。
蒼月がかばってくれなかったら、わたしはたぶん、自転車をうまく避けきれなかった。あやうく接触事故を起こすところだったと思うと、汗が冷えていく。
「あ、りがとう……」
「うん」
見上げてお礼を言うと、蒼月にさりげなく視線をそらされた。そのとき、さらりと揺れた蒼月の前髪の下から絆創膏が覗き見えた。
左側の眉毛の少し上あたり。ちょうど、わたしの額の傷と同じような場所に貼られている絆創膏を見て、胸がざわりとする。
「蒼月、その絆創膏ってもしかして……。この前の事故のときのケガ?」
横髪を指で掬って耳にかけながら、躊躇いがちに訊ねると、わたしの肩から手を離した蒼月が、「ああ」と、まるで今気付いたみたいに額の絆創膏を撫でた。
「お母さんたちから、蒼月がわたしのこと助けてくれたって聞いた。蒼月が庇ってくれてなかったら、あんな軽傷じゃすまなかったかもしれないって。お礼を言いたくてラインしたんだけど、蒼月、全然返事くれないから……。今さらだけど、ありがとう。と言っても……、わたし、事故のことは全然覚えてないんだけど……」
「みたいだね。大晴から聞いた。事故のときの後遺症かもって」
わたしの話に、蒼月が無表情でうなずく。
「蒼月、少し怒ってる?」
「なんで?」
「助けてもらったのに、なにも覚えてないから……」
お礼のラインをしたのに返事がなかっから、実は少し気になっていた。蒼月は何も覚えていない薄情なわたしに怒っているから、ラインの返事をしてくれないんじゃないかって。
夏休みが始まる二週間前。わたしは学校帰りに交通事故に遭った。地元の駅からの帰り道。居眠り運転の乗用車が、植え込みを乗り越えて、歩道に突っ込んできたのだ。そばにいた蒼月がとっさに庇ってくれたおかげで、わたしは頭を軽く打つ程度のケガで助かった。
といっても、事故のことはすべて、病院で目を覚ましてから両親に聞かされたことしか知らない。
わたしには事故の前後の記憶が失われてしまっていて、そのときにどうして蒼月がそばにいたのかまったくわからない。失われた記憶は事故のショックで一時的に忘れているだけかもしれないし、このまま思い出せないままかもしれないらしい。
蒼月は、事故のときに近くに居合わせた理由を、学校帰りにたまたま駅でいっしょになったのだとわたしの両親に説明したそうだ。
だけど、わたしに『ホタル事件』以来、あまり話すこともなかった蒼月がたまたまでもいっしょに帰っていたことが不思議で仕方なかった。
聞いた話だと、わたしが事故に遭ったのは、奇しくも七月七日。七年前にわたしと蒼月が疎遠になった『ホタル事件』が起きた日で……。蒼月の十七歳の誕生日だった。
「誕生日だったのにごめんね」
「気にしなくていいよ。もともと七月七日は厄日なんだ」
謝るわたしに、蒼月が眉間を寄せてそう言った。
七月七日は厄日。蒼月は昔から、自分の誕生日について悲観的に話す。
「蒼月、未だにそんなこと言ってるんだ? 七月七日に、織姫と彦星の呪いが降りかかってくるってやつだよね」
「呪いじゃなくて、恨み」
「どう違うの?」
「全然違う」
真顔で首を横に振る蒼月と、わたしは前にも同じようなやりとりをしたような気がした。
「よくわからないけど……。でもそれって、蒼月のおばあちゃんが亡くなったのが、たまたまその日だっただけのことでしょう?」
「たまたまじゃないよ。全部七月七日だからだ。七年前に死にかけのホタルしか見られなかったのも、陽咲のケガも、今回の事故も、陽咲の記憶が欠けてるのも……」
興奮気味に反論してきた蒼月が、やがてハッとしたように口を噤む。うつむいた蒼月は、気まずそうに鼻に指をあてるとメガネの縁を押し上げた。
七年前の七月七日、わたしのことで蒼月に彼には責任のない罪悪感を背負わせてしまった。そうして、七年経った同じ日に、わたしはまた蒼月の心に嫌な記憶を残してしまったのかもしれない。しかも、蒼月の額にケガまでさせた。
「……、ごめんね。また、余計な心配させて」
「陽咲はなにも悪くないよ」
「そうだったとしても……、わたしは蒼月の誕生日にはケーキとかプレゼントとか、いい思い出だけをあげたい」
七年前の蒼月の誕生日のときも、わたしはそう思っていたんだ。だから、夕方暗くなってからふたりで家を抜け出して、ホタルを探しに行った。
「ケーキならもらったよ」
蝉の声に混ざって、わたしの耳に蒼月の声が届く。
「え?」
首を傾げたわたしを見て、蒼月がわずかに目を細めた。
「事故のことは、僕も陽咲も無事だったんだから気にしなくていい。それよりも、今年の夏休みの問題は大晴だよ」
「映画撮ろうって話だよね。あんなの、どうせ一時的な気まぐれだよ。明日になったら忘れるんじゃない」
「……、そうかも」
一瞬考え込んたあとに、蒼月がふっと笑う。
蒼月が笑うところを、ひさしぶりに見た。
大晴の気まぐれが蒼月を笑わせたんだと思ったらちょっと悔しいけど、そのおかげで遠くなってしまった蒼月との距離は縮まるかもしれない。そんな期待が胸をよぎった。
夏休みの思い出作りの話を聞かされたあと、コンビニの前にはわたしと蒼月のふたりだけが残った。
わたし達を呼び出した大晴は、「ちょっと用事がある」と言って、自転車に乗ってどこかへ走り去ってしまったのだ。あとは「一緒に映画撮りたいメンバーいたら他にも誘っといて」とも言っていた。自由奔放にも程がある。
大晴に置いて行かれたわたしと蒼月は、しばらく無言で立ち尽くしたあと、どちらからともなくお互いのほうを振り向いた。昔と違って、今のわたしと蒼月は、大晴がいてくれないとまともに会話もできない。
無言で見つめ合うわたしたちの耳に、ジー、ジーと蝉の声がうるさく響く。なにか、会話……。一生懸命言葉を探していると、
「帰る?」
蒼月がそんなふうに尋ねてきた。
「そうだね。帰ろっか」
蒼月の言葉に、わたしはほっとするのと同時に少し淋しい気持ちで頷いた。先に歩き出した蒼月の背中を追いかけながら、前髪の上からそっと額に触れる。
七年前の七月七日。蒼月の誕生日の日に、わたしと蒼月はふたりだけで秘密の冒険をした。それを、わたしは勝手に『ホタル事件』と呼んでいる。
『ホタル事件』で、わたしは額にケガをした。五針縫うくらいのけっこうなケガで、わたしにケガをさせた蒼月はお父さんやお母さんにひどく怒られたらしい。
蒼月がわたしにあまり話しかけてきてくれなくなったのは、それからだ。
蒼月を秘密の冒険に誘ったのはわたし。ケガをしたのだって、自分の責任。だから、蒼月は何も悪くない。あの日に蒼月を誘ったことを後悔してない。ケガしたときは痛かったけど、時間が過ぎれば痛みも消える。
ケガの痛みが消えるみたいに、蒼月とのわだかまりだって時間とともになくなると思ったのに……。わたしたちのあいだには、七年経った今でも距離がある。
それなのに、二週間前にわたしを助けてくれたのはどうしてだろう。
七年前の罪悪感が今も残っているから……?
それを確かめたくて何日か前に蒼月にラインしたけど、結局返事は来なかった。
昔と変わってしまった関係を寂しく思ったりモヤモヤしているのは、わたしだけなのかもしれない。
映画を撮ろうという大晴の提案にのったのはいいけど、こんな調子で、わたしは夏休みの間、蒼月とうまくやっていけるだろうか。
髪の毛や肌を焦がすような強い日差し。鼓膜を破るほどの蝉の声。モヤモヤと考えているうちに、アイスで冷やした身体が、また夏の暑さにやられ始める。頭がくらっとして、額を押さえる。そのとき、チリンと後ろから自転車のベルを鳴らされた。
「陽咲」
無関心そうに前を歩いていたはずの蒼月が振り向いて、わたしの肩を引き寄せる。そのそばを、つばの広い帽子を被った女性が、自転車で走り抜けていく。
蒼月がかばってくれなかったら、わたしはたぶん、自転車をうまく避けきれなかった。あやうく接触事故を起こすところだったと思うと、汗が冷えていく。
「あ、りがとう……」
「うん」
見上げてお礼を言うと、蒼月にさりげなく視線をそらされた。そのとき、さらりと揺れた蒼月の前髪の下から絆創膏が覗き見えた。
左側の眉毛の少し上あたり。ちょうど、わたしの額の傷と同じような場所に貼られている絆創膏を見て、胸がざわりとする。
「蒼月、その絆創膏ってもしかして……。この前の事故のときのケガ?」
横髪を指で掬って耳にかけながら、躊躇いがちに訊ねると、わたしの肩から手を離した蒼月が、「ああ」と、まるで今気付いたみたいに額の絆創膏を撫でた。
「お母さんたちから、蒼月がわたしのこと助けてくれたって聞いた。蒼月が庇ってくれてなかったら、あんな軽傷じゃすまなかったかもしれないって。お礼を言いたくてラインしたんだけど、蒼月、全然返事くれないから……。今さらだけど、ありがとう。と言っても……、わたし、事故のことは全然覚えてないんだけど……」
「みたいだね。大晴から聞いた。事故のときの後遺症かもって」
わたしの話に、蒼月が無表情でうなずく。
「蒼月、少し怒ってる?」
「なんで?」
「助けてもらったのに、なにも覚えてないから……」
お礼のラインをしたのに返事がなかっから、実は少し気になっていた。蒼月は何も覚えていない薄情なわたしに怒っているから、ラインの返事をしてくれないんじゃないかって。
夏休みが始まる二週間前。わたしは学校帰りに交通事故に遭った。地元の駅からの帰り道。居眠り運転の乗用車が、植え込みを乗り越えて、歩道に突っ込んできたのだ。そばにいた蒼月がとっさに庇ってくれたおかげで、わたしは頭を軽く打つ程度のケガで助かった。
といっても、事故のことはすべて、病院で目を覚ましてから両親に聞かされたことしか知らない。
わたしには事故の前後の記憶が失われてしまっていて、そのときにどうして蒼月がそばにいたのかまったくわからない。失われた記憶は事故のショックで一時的に忘れているだけかもしれないし、このまま思い出せないままかもしれないらしい。
蒼月は、事故のときに近くに居合わせた理由を、学校帰りにたまたま駅でいっしょになったのだとわたしの両親に説明したそうだ。
だけど、わたしに『ホタル事件』以来、あまり話すこともなかった蒼月がたまたまでもいっしょに帰っていたことが不思議で仕方なかった。
聞いた話だと、わたしが事故に遭ったのは、奇しくも七月七日。七年前にわたしと蒼月が疎遠になった『ホタル事件』が起きた日で……。蒼月の十七歳の誕生日だった。
「誕生日だったのにごめんね」
「気にしなくていいよ。もともと七月七日は厄日なんだ」
謝るわたしに、蒼月が眉間を寄せてそう言った。
七月七日は厄日。蒼月は昔から、自分の誕生日について悲観的に話す。
「蒼月、未だにそんなこと言ってるんだ? 七月七日に、織姫と彦星の呪いが降りかかってくるってやつだよね」
「呪いじゃなくて、恨み」
「どう違うの?」
「全然違う」
真顔で首を横に振る蒼月と、わたしは前にも同じようなやりとりをしたような気がした。
「よくわからないけど……。でもそれって、蒼月のおばあちゃんが亡くなったのが、たまたまその日だっただけのことでしょう?」
「たまたまじゃないよ。全部七月七日だからだ。七年前に死にかけのホタルしか見られなかったのも、陽咲のケガも、今回の事故も、陽咲の記憶が欠けてるのも……」
興奮気味に反論してきた蒼月が、やがてハッとしたように口を噤む。うつむいた蒼月は、気まずそうに鼻に指をあてるとメガネの縁を押し上げた。
七年前の七月七日、わたしのことで蒼月に彼には責任のない罪悪感を背負わせてしまった。そうして、七年経った同じ日に、わたしはまた蒼月の心に嫌な記憶を残してしまったのかもしれない。しかも、蒼月の額にケガまでさせた。
「……、ごめんね。また、余計な心配させて」
「陽咲はなにも悪くないよ」
「そうだったとしても……、わたしは蒼月の誕生日にはケーキとかプレゼントとか、いい思い出だけをあげたい」
七年前の蒼月の誕生日のときも、わたしはそう思っていたんだ。だから、夕方暗くなってからふたりで家を抜け出して、ホタルを探しに行った。
「ケーキならもらったよ」
蝉の声に混ざって、わたしの耳に蒼月の声が届く。
「え?」
首を傾げたわたしを見て、蒼月がわずかに目を細めた。
「事故のことは、僕も陽咲も無事だったんだから気にしなくていい。それよりも、今年の夏休みの問題は大晴だよ」
「映画撮ろうって話だよね。あんなの、どうせ一時的な気まぐれだよ。明日になったら忘れるんじゃない」
「……、そうかも」
一瞬考え込んたあとに、蒼月がふっと笑う。
蒼月が笑うところを、ひさしぶりに見た。
大晴の気まぐれが蒼月を笑わせたんだと思ったらちょっと悔しいけど、そのおかげで遠くなってしまった蒼月との距離は縮まるかもしれない。そんな期待が胸をよぎった。