まだ午前中だというのに、晴れた夏空からの陽射しが肌を刺すように痛い。額や鼻の頭にじんわりと汗が滲み、日焼け止入りの下地クリームの上にのせたファンデーションが浮いてきそうだ。

 小学校の校門の壁が作った小さな日陰の内側へと逃げるように横に二歩移動すると、焦れるような気持ちでスマホで時間を確かめる。

 約束の待ち合わせ時間は、ゆうに過ぎていた。五分前に送ったラインは未読のままだ。

 自分から呼び出しておいて、忘れてしまったのだろうか。それも、大晴(たいせい)ならあり得る。この待ち合わせのために、わたしは緊張で普段よりも一時間早く目覚めてしまったというのに。

「そういえば今日だったっけ?」と。あっけらかんと笑う幼なじみの顔があたりまえみたいに想像できてしまって、わたしは少し苦笑いした。

 高二の夏休みが始まった日の夜。幼なじみの藤川(ふじかわ) 大晴(たいせい)が、スマホに電話をかけてきた。

「明日の十時半に、小学校の前まで出てこれる? 話したいことがある」

 幼なじみの大晴とわたしは、同じマンションに住んでいる。最寄りの電車の駅からバスで十五分くらいの閑静な住宅街の中にある、七階建てのマンションだ。

 大晴のお母さんとわたしのお母さんは、お互いに妊婦のときに、近くの産婦人科で開催されていた母親学級で知り合いになった。ともに八月生まれのわたしと大晴は出産予定日も近くて、誕生日は一週間違い。

 そんなわたしたちは、生まれる前からの幼なじみというやつで。わたしのお母さんが持っているスマホの写真フォルダの中には、新生児だった頃からのわたしと大晴の写真がたくさん保存されている。

 藤川家とうち──、青山家は小さな頃から今も家族ぐるみの付き合いだ。だからなにか話したいことがあるなら、直接うちに来ればいい。

 それなのに、わざわざ暑い中、自宅から歩いて十分のところにある小学校前にわたしを呼び出したのは、大晴の話が親には聞かれたくない内容のものだからだろう。

 昨日の夜に電話をもらった時点で、大晴の話がなんなのかは、なんとなく予想がついている。彼が聞きたいのはたぶん、わたしからの告白の返事。

 夏休みに入る数週間前、わたしは大晴に告白されていた。

「おれ、陽咲のこと好きなんだ」

 一学期の期末テストが終わって、わたしの友達と大晴の友達と、男女四人グループでカラオケで遊んであとの帰り道。母校である小学校の近くにあるコンビニの手前で足を止めた大晴が、わたしの手をつかんで突然そう言ってきた。

 告白は突然だったけど、全く予兆がなかったわけでもない。

 小さな頃から毎日顔を合わせていて、小中高と同じところに進学したわたしと大晴。友達というか、きょうだいというか。そんな感覚でいつもそばにいた大晴が、高校二年生になってから、やたらとわたしをデートっぽいイベントに誘ってくるようになったのだ。

 ふたりで図書館でテスト勉強したり、男女四人のグループで映画を見に行ったり、遊園地に出かけたり。それから、わたし達の家の近所から自転車で十五分くらいのところにあるホタルの名所にも行った。

 ホタルの名所には家族連れもいたけれど、男女ふたりで来ている人たちも多くて。田んぼや畑に囲まれた田舎道の土手をゆらゆらと飛び回るホタルを大晴の隣で眺めながら、なんだかすごく居心地の悪い気分になった。

 はっきりとした二重の目に、筋のとおった鼻。大晴は、手のひらで顔の下半分を覆えばかなりのイケメンに見える。笑うと特に大きく見える口が顔の上半分のバランスを少し崩してしまうけど、大晴の見た目は全体的には悪くない。 

 明るくてよく笑うし、サッカーをやってて運動は人並み以上にできるし、進学校になんなく合格できたくらいには頭もいい。人あたりがよくて同級生だけじゃなく先輩や後輩とも適度に仲良くできるし、優しいからそれなりに女子にもモテる。

 そんな大晴を見て、わたしの周囲の女子達はよく、「パーフェクト幼なじみだね」っていう。わたしと大晴が一緒にいるところを見て「付き合ってるの?」って声をかけてくる子も少なくない。

 告白をされるまで、わたしは大晴のことを恋愛対象として特別に意識したことはなかった。はたから見たら「パーフェクト」な幼なじみなのかもしれないけれど、小さな頃からずっと一緒にいるわたしにとって、大晴は大晴で、それ以上でも以下でもない。

 でも——、紺色に移り行く空に包まれ始めた夏の夕暮れ。灯されたばかりの街頭の光に照らされて少しうつむく大晴がひどく真面目な顔付を見て、ドクンと胸が騒いだ。

 大晴と一緒にいて、胸がドクンと音をたてたのは初めてだった。これは大晴を意識しているわたしの胸の鼓動なのだろうか、それとも——。ふと、ぼんやり脳裏に浮かぶものがあって、大晴への返事に迷う。

 大晴のことは好きだ。嫌いなわけない。だけど、すぐに答えは出せなかった。

「少し考えていい?」と聞いたら、大晴は「もちろん」と笑った。

「でも、夏休みまでには返事がほしい。できれば、夏休み中にデートしたいし」

 ほっとしたような、少し照れくさそうな笑顔を浮かべる大晴に、わたしは小さく頷いた。

 約束したとおり、夏休みが始まるまでに大晴に告白の返事をするつもりだった。だけど、結局それができないままに夏休みが始まってしまい……。今、母校でもある地元の小学校の前に呼び出されている。

「暑いな……」

 告白の返事をするのに普段着のTシャツとデニム短パンではよくないと思って、ちゃんとメイクをして、シフォンブラウスに白いスカートを合わせてきたけど。こんなにも待たされて汗だくになるくらいなら、普段着のTシャツで来ればよかった。

 ため息をこぼしつつ、道路を挟んで向かい側にあるコンビニに視線を向ける。
 
 冷たい飲み物でも買って、少し涼んでから帰ろうかな。

 未だ既読にならないラインのメッセージをもう一度チェックしてコンビニに移動しようとしたとき、小学校の校庭側の曲がり角から、わたしと同じくらいの年の男がふたり、並んで出てきた。ひとりが歩いて自転車を押していて、それを挟んで反対側にもうひとり。

「陽咲~、お待たせ」

 自転車を押しながら手を振ってきたのが、わたしを呼び出した藤川 大晴。その隣を気だるそうに歩いてくるのは、同級生の矢野(やの) 蒼月(あつき)だった。

 どうして、告白の返事をするのに蒼月まで……。二十分以上も人を炎天下で待たせたうえに、告白の返事とは無関係な人まで連れてきてへらへら笑っている大晴が何を考えているのかまるでわからない。

 高校生になってから校則に引っかからないくらいの茶色に染めた髪をふわりと揺らして笑っている大晴を少し離れたところから無言で睨みつけると、蒼月のほうがわたしのことを無表情でジッと見てきた。

 蒼月と顔を合わすのは、二週間ぶりくらいだ。夏休み前に一度話したくてラインをしたら、既読はついたけれど、蒼月から返信はなかった。

 わたしが軽く挨拶するように頭を下げると、蒼月が無表情のままほんの少し目を眇める。

 メガネの奥からわたしを見据える蒼月のまなざし。切れ長で一重のキリッとした蒼月の目は、無表情だと少し怖い。きれいだけれど、感情がイマイチ読めない。

 それとなく蒼月から視線をはずしながら、昔はここまで感情の読めない子ではなかったのになと思う。

 矢野 蒼月はわたしと大晴の住むマンションの近くに住んでいる、幼稚園時代からの幼なじみだ。蒼月のお父さんはわたし達の家の近所で内科のクリニックを開業している。お母さんはクリニックで看護師として働いていて、わたしや大晴のお母さんともそこそこ親しい。

 両親がともに忙しかったため、同居のおばあちゃんが蒼月と蒼月のお兄さんの世話をしていて。とりわけ蒼月は、おばあちゃんに懐いていた。

 幼稚園の送り迎えのときはいつもおばあちゃんにひっついて背中に隠れるようにしていたし、おばあちゃんが買い物や散歩に出かけるときは、必ずくっついて一緒に行っていた。

 引っ込み思案な蒼月は、クラスでも必要なこと以外はあまり話さず、教室の隅っこで車や電車のおもちゃでひとり遊びをしていることが多い目立たない子だった。そんな蒼月に「遊ぼう」と初めに声をかけたのが大晴で。それ以来、蒼月と大晴は仲がいい。

 大晴と仲の良かったわたしは、そのついでみたいにふたりの遊び仲間に入れてもらうことも多かった。小学校の四年生くらいまでは、わたしと大晴と蒼月の三人で仲がよかったし、蒼月はわたしにふつうに話しかけたり笑いかけたりしてくれていた。

 でも、中学に入る前くらいから蒼月はあまりわたしに話しかけてこなくなった。高校生になった今では、顔を合わせても会釈を交わし合うくらいでほとんど会話しない。

 わたしと大晴と蒼月は通っているのは同じ私立高校は同じだけど、頭のいい蒼月は特進科。同じ学校でもわたし達のいる普通科とは校舎が違うので、ほとんど会わない。

 わたしとは最近少し疎遠気味な蒼月だけど、大晴とは今もふつうに仲がいいみたいだ。

 蒼月がわたしを避けるようになったのは、やっぱり小学生のときのあのできごとが原因なのだろうか。

 特に会話をするわけでもなく並んで歩いてくるふたりを見つめながら、汗の滲む額に触れる。何年も前にできた傷跡は、今はもうファンデーションで隠さなくても目立たないくらいに薄くなっている。だからもう、蒼月が気に止むことなんてないのに……。

「だいぶ待った?」

 ぼんやりしていると、自転車を引いてわたしのそばまでやってきた大晴が、にこっと笑いかけてきた。額にうっすらと汗をかいている大晴だったが、その笑顔は不快指数ゼロってくらいに爽やかだ。

「待ったに決まってるじゃん。遅れるなら連絡くらい入れてよね」
「ごめん、ごめん」
「それより、話ってなに?」

 悪びれのない顔で笑う大晴に尋ねつつ、彼の横の蒼月にちらっと視線を向ける。偶然出会ったのかなんなのかはわからないが、蒼月は大晴の隣にあたりまえみたいに立っていて、立ち去ろうとする気配はない。

 大晴がわたしを呼び出したのは、告白の返事がほしかったからではないのだろうか。いくらあけすけな性格の大晴でも、さすがに仲のいい幼なじみのいる前で告白の返事は求めてこないように思う。

 首を傾げていると、大晴が道路の向こうにあるコンビニを指差した。

「とりあえず、あっちのコンビニのほうに移動しよ」

 にこっと笑うと、大晴が自転車を押して歩き始めた。それに流されるように、蒼月がついていく。

 移動するなら、初めからコンビニ前で待ち合わせにしてくれればよかったのに。そうすれば、むだに汗をかかずにすんだ。

「陽咲ー、何してんの?」

 しばらく恨めしい気持ちで大晴の背中を見つめていると、向こう側の道路に渡る横断歩道の前に立った大晴が手を振ってくる。

 二十分以上も待たされたうえ、大晴の呼びかけに素直に従うのは癪だ……。でも、大晴がわざわざわたしを呼び出してまでしたかった話が何なのかは気になる。

 ふぅっとため息ともつかない息を吐くと、わたしは日陰から出て大晴達のあとを追った。