昨日の夜、「陽咲に告った」と伝えてきた大晴は、抜け駆けがどーのこーのと言っていたけど。ホタルのこともグループデートも図書館でのテスト勉強の話も、僕には話してくれなかった。

 告白に至るまでにそこまで抜け駆けしてたなら、わざわざ「陽咲に告った」なんて僕に報告せずに、最後まで抜け駆けしきればよかったのに。

 眩しくて少し暑苦しくて、夏の太陽みたいな大晴の笑顔。それを思い出して、口の端がわずかにあがる。

「大晴がそんな回りくどいことするなんて意外。あいつは、好きな子に対してもっとストレートに攻めるタイプだと思ってた」
「好きな子、って……。もしかして蒼月は、昨日報告される前から大晴の気持ちを知ってた?」

 赤い顔をして尋ねてくる陽咲に、小さく頷く。

「うん、まあ。知ってたかな」

 小学生の頃から、大晴の陽咲への好意は誰の目から見てもわかりやすかったと思う。人懐っこくて優しい大晴は女子の友達も多かったけど、大晴が陽咲を見るときのまなざしや声音は特別に優しくて。大晴の表情からは、彼女を好きだという気持ちが溢れ出ていた。

「僕はずっと、陽咲も大晴の気持ちをわかっていつも一緒にいるんだと思ってた」

 そんな感想を述べると、陽咲がむっとした顔でわずかに唇を尖らせた。

「わかってなかったよ。ホタルを見に行こうって誘われたり、ダブルデートしたりするまでは……。大晴なんて、小さい頃から一緒にいるのがあたりまえだったし」
「ふーん。陽咲って、鈍いのか聡いのかよくわかんないな」
「そういう蒼月は、昔からときどき嫌味で意地悪だよね」
「どうせ僕は、大晴みたいに優しくない」

 嫌味に嫌味を返すと、陽咲が顔を顰めて深いため息を吐いた。

「ああ、なんか……、わたし、すごく失敗しちゃったかも」

 そう言って、陽咲が僕のことを恨めしげに見てくる。

「わたしね、大晴に告白されたときに、ほんの一瞬、蒼月のことを考えた」

 陽咲が投げやりに口にした言葉に、ドクン、と。僕の胸が震えた。

「なんで?」

 少しの自惚と期待。それから不安。次々と胸に競り上がってくる感情を押さえ込むように、低い声のトーンで訊ねると、眉尻を下げた陽咲がわずかに口端を引き上げた。

「絶対ありえない話だから、ひかないでね」
「それは、内容による」
「ひかないって約束してくれないなら言わない」
「じゃあ、ひかない……」

 僕に無理やりそんな約束をさせると、陽咲は逡巡するように視線を左右に彷徨わせたのちに口を開いた。

「もし蒼月だったら、わたしはどう思ったのかなって」

 小さく揺れる陽咲の声に、僕の胸の中で自惚れと期待が少しずつ膨らみ始め、ドクドクト心音が速くなる。

「大晴のことも蒼月のことも幼なじみとして好きだけど、告白してきたのが蒼月でも、わたしは同じようにその好きの気持ちが恋愛感情かどうかわからないって思うのかな、って」

 陽咲がそう言い終えた瞬間、僕の喉がひゅっと鳴った。

 緊張で顔が強張り、胸が詰まって、うまく声が出せない。それなのに、心臓だけが僕の身体の中で暴れくるっていて、口を開けばすぐにでも飛び出してきそうだ。

「黙らないでよ。約束したでしょ、ひかないって。蒼月がわたしのことなんとも思ってないことくらい、わかってるから」

 怖い顔で立ちすくむ僕を見て、陽咲が眉をハの字に下げてちょっと泣きそうに笑う。

「ごめん、変なこと言って。大晴の告白のことは、ちゃんと自分で考える」

 それからすぐに明るい声で言うと、僕から顔を背けた。早足で、少し先に見えている横断歩道のほうに向かって歩きながら、陽咲が横髪を指で掬って耳にかける。その背中を見つめる僕の耳に、ふと昨日の大晴の言葉が蘇った。

『蒼月はこのまま何も伝えないつもりなのかよ』

 七年前の七月七日。僕のせいで、陽咲が大きなケガをした。

 両親にひどく怒られたこともショックだったけれど、十歳だった僕は、目の前で血を流している陽咲に何もできなかったことが怖かった。あのまま誰の助けも来なければ、もしかしたら陽咲は血が止まらなくて死んでしまったかもしれない。

 好きな子を自分のせいで傷付けてしまった。また、同じことが起きてしまったらどうすればいいのだろう。それが怖くて、僕は少しずつ陽咲から距離を置いた。

 僕がいなくても陽咲には大事に思ってくれる家族や友達がいるし、大晴がいる。

 大晴は正義感が強くてちょっとうっとおしいときもあるけど、いい奴だ。小さな頃からずっと陽咲のことを大切にしているし、僕がいようといまいと、陽咲はきっといつか、大晴と付き合って幸せになる。ふたりの親同士も仲がいいし、もしかしたらそのまま結婚だってするかもしれない。

 大晴は、僕と違って陽咲のことを傷付けない。だから僕の陽咲への想いは大晴に預けてしまえばいい。

 だけど、頭と心はいつもうらはらで。距離を置くようにしてからも、陽咲に対する特別な感情は消えなかった。大晴のそばで笑っている陽咲を遠くから見つめる僕の心には、年を追うごとに彼女のことを好きな気持ちだけが募っていった。

 この気持ちは、僕が僕の中だけで抑え込んで消してしまわなければいけないのに。消しきれない感情を、どうすればいいんだろう。

『伝えないの? 陽咲に好きだ、って』

 大晴の言葉が、立ちすくむ僕の心を揺らす。

 伝えていいのか。僕も。

 視線の先で、陽咲がゆっくりと僕を振り返る。

「蒼月、早く帰ろう」

 その声に弾かれたように、僕は陽咲に向かって駆けた。

「陽咲」

 横断歩道の手前で、陽咲のことを引きとめる。

「僕にも……。僕にも、まだ陽咲と一緒に夏休みに海に行くチャンスは残されてる?」

 陽咲の細い手首に縋るようにぎゅっとつかむと、彼女が大きく目を見開いた。

「陽咲のこと、好きなんだ……」

 胸が、声が。もう、全身が震える。

 一生分の覚悟を決めたくらいの僕の告白を陽咲はどう思ったのか。目を見開いてしばらく固まったあと、顔を耳まで真っ赤にして目を伏せた。僕につかまれていないほうの手の指が、何度も横髪を掬って耳を撫でる。

「え、っと……。あの、えっと……」

 めちゃくちゃ動揺している陽咲の手首をさらに強くつかむと、彼女が上目遣いに僕を見てきた。

「わたし、今、自分でもびっくりするくらい動揺してて。なんかすごく、いっぱいいっぱいで……。ちょっと、家に着くまでに気持ちを、整理させてもらってもいいですか……」

 陽咲に敬語で返されて、僕は勢いまかせに自分の気持ちをぶちまけてしまったことを少し後悔した。

「ごめ……」
「あの、誤解しないで」 

 いきなり、変なこと言って悪かった。謝ろうと思ったら、陽咲が慌てたように首を横に振って僕の言葉を遮った。

「なんか今、わたし、ものすごくちゃんとわかっちゃったっていうか。だからその……、蒼月に好きって言ってもらえたこと、すごく嬉しい」

 ひとつひとつ、ゆっくりと言葉を選ぶように言ってから、陽咲が僕のことを真っ直ぐに見つめてふわりと微笑む。陽咲の笑顔はとても綺麗で。その一瞬、僕と彼女の気持ちはたしかにお互いのほうを向いて混ざり合っていた。

「陽咲は……」

 ただ、感じるだけのお互いの気持ち。それを言葉にして確かめようとしたとき、すぐ近くでガンッと頭が痛くなるほどの衝撃音がした。

 陽咲とふたりでビクッと体を揺らした直後、歩道に立っていた僕たちの目の前に黒の乗用車が乗り上げて迫ってくる。

 何が起きているのか理解できないままに、身体全体に痛みともわからない衝撃が走る。

 咄嗟に陽咲の肩を引き寄せながら、ああ、なんで……と遠のく意識の中でつぶやいた。

 ひさしぶりに陽咲と話したせいだ。カフェで高級ケーキを食べたからだ。自惚れた僕が告白なんかしてしまったから……。だって今日は、七月七日なのに。

 毎年織姫と彦星の恨みを引き受けてきた僕の誕生日。そんな日が、ハッピーエンドで終わるはずがない。