一時間後。僕らは学校の最寄り駅の近くにあるカフェで、注文したケーキが運ばれてくるのを待っていた。
SNSでも話題の店だと聞いていたとおり、カフェのお客さんは女性が多い。それも、大学生や子連れの若い主婦なんかが大半だ。なかには男女の若いカップルもいるけど、制服を着た高校生は僕たちだけ。その理由は、メニューを見た瞬間にすぐにわかった。
カフェの人気メニューだというモンブランもチョコレートケーキも、高校生がふらっと気軽に立ち寄るには躊躇うくらいの値段設定なのだ。
陽咲が食べたいと言うのでモンブランとチョコレートケーキに紅茶のついたドリンクセットをひとつずつ頼んだが、僕はどうもソワソワとして落ち着かなかった。
「こんなところでケーキなんて食べて大丈夫?」
メニューをたてて顔を隠しながら小声で尋ねると、陽咲が不思議そうに首を傾げる。
「どうして?」
「だってほら、ケーキも紅茶も随分と値段が……」
「そんなこと心配しなくても大丈夫。今日は蒼月の誕生日なんだから、もちろんわたしの奢りだよ。せっかくのお誕生日なんだから、いいケーキを食べなくちゃ」
僕の心配をよそに、陽咲がにっこりと頼もしい笑顔をみせる。
陽咲の申し出はありがたいけれど、僕はいろいろと不安だった。ケーキの値段が僕の金銭感覚からして高めだということはもちろん、七月七日に片想いの女の子とこんな贅沢をしたら、織姫と彦星の恨みを買ってあとでものすごくデカい反動がくるんじゃないだろうか……。そう思えて仕方ないのだ。
とにかく、ケーキを食べたらなるべく早くカフェを出て陽咲と別れなければ。
だが、高級ケーキを提供するカフェの店内には僕の焦りを揶揄するかのようにゆったりとした上品なクラッシック音楽が流れていて。店員たちもみんな音楽に操られるかのように優雅にゆったりとした動きをしていて。僕らの注文したケーキと紅茶はなかなか出てこない。
このカフェだけ外界と時間の流れがずれているのか、テーブルに置いたスマホに触れて何度時間を確かめても一向にデジタル時計の時は進まず。テーブルに着いてから十七回目の時間確認をしたとき、ようやくケーキと紅茶が運ばれてきた。
「わ、美味しそう」
陽咲が目の前に置かれたケーキに目を輝かせる。
「だね……」
「蒼月はモンブランとチョコレートケーキとどっちがいい? 誕生日だから、選んでよ」
「僕は別にどっちでも。それより、早めに食べて店から出よう」
時間を気にしながらそう言うと、細い長方形のカゴから僕の分までフォークを取り出した陽咲が「えー」と不服そうに唇を尖らせた。
「せっかくの誕生日ケーキなんだから、ゆっくり味わって食べようよ」
「僕の誕生日ケーキなんだよね?」
「でも、奢るのはわたし」
そう言われてしまうと、僕は口を閉ざすしかない。
「ほら、食べようよ。ケーキ、どっち?」
「だから、どっちでも……」
「じゃあ、蒼月がチョコレートね」
陽咲がにこっと笑って、僕が好きそうなほうを譲ってくれる。
表面がツヤツヤしたチョコレートでコーティングされたケーキ。柔らかそうなチョコレートのスポンジケーキには、イチゴとチョコレートクリームが挟まっている。
視覚情報だけでも充分に甘そうなチョコレートケーキをじっと見つめてから、僕は陽咲に手渡された銀色のフォークをケーキに刺した。一口大にしたチョコレートケーキを口に含むと、視覚でイメージしたよりもずっと上品でほろ苦い甘さが舌に広がる。
これはたしかに。SNS上で話題になるのも納得できる味だ。無言で二口目を掬おうとすると、ふふっと陽咲の笑い声が聞こえてきた。
「なに?」
人差し指でメガネをあげつつ眉間を寄せると、陽咲が笑いを堪えるように唇を歪めて首を横に振る。
「いや、なんか。蒼月っていつも無表情だし、甘いものなんて食べませんって顔してるのに、昔からチョコとか大好きだよね」
「バカにしてる……?」
「してない、してない。気にせず食べて」
陽咲は顔を顰める僕を見て、ふふふっと笑うと、モンブランにフォークをさした。
「ん、おいしい! 来てよかったね」
ほっぺたに手をあてた陽咲が幸せそうに目を細める。ひさしぶりに間近で見る陽咲の笑顔は可愛かった。
最近の陽咲は薄っすらとメイクもしているし、顔からは随分と幼さが抜けて綺麗になった。だけど目いっぱいに笑った顔は、小学生の頃の陽咲とあまり変わらない。じっと見ていると、夢中でケーキを頬張っていた陽咲が僕の視線に気付いて顔をあげた。
「ん? どうかした?」
「いや、別に」
陽咲に見惚れてたなんて言えるはずもないから、慌ててケーキに視線を落とす。うつむいた頬に熱が下りてきて顔だけがやけに熱かった。赤くなっていることがバレるだろうか。
「あ、わかった」
テーブルの向こうで陽咲が動く気配がして、ドキッとする。
やっぱり、バレたかな。右手のフォークをきつく握りしめてドキドキしていると、うつむいている僕の目の前にフォークに刺さったひとくちサイズのモンブランが差し出された。
「蒼月、こっちも食べたいんでしょ。いいよ、ひとくちあげる」
視線をあげると、陽咲がテーブルの上に身を乗り出すようにしながらにこっと無邪気に笑っていて。顔が赤いことがバレたんじゃないとわかってほっとしたけど、今度は別の意味で心臓がドクンと鳴った。
「ほら、あげる。だから、蒼月もひとくちちょうだい」
陽咲がにこにこしながら、モンブランの刺さったフォークを僕の口に近付けてくる。
陽咲は昨日大晴に告白されて、付き合うんだよな。それなのに、僕にこんなことやってていいの……?
「ほら、早く食べてよ」
僕が戸惑っていると、にこにこしていた陽咲の顔が不満顔に変わる。グイグイと口にフォークを突き付けてくる陽咲に押されて、僕は流されるままに彼女の手からモンブランをひとくち分けてもらった。
「おいしいでしょ」
僕がモンブランを食べると、陽咲はそれをまるで自分が作ったかのように自慢げに笑った。
濃厚なマロンクリームの味が、さっきまで食べていたチョコレートケーキの味と混ざって口の中が糖分過多で正直モンブラン単独の味はよくわからなかったけど、陽咲が嬉しそうなので無言で頷く。
「チョコレートもちょっとちょうだい」
そう言って僕の皿かチョコレートケーキをひとくち拐っていく陽咲は、今のケーキの「あーん」で僕と間接的にキスしたことを気にも留めていないようだった。
よく考えてみれば、子どもの頃に同じコップやペットボトルから飲み物を飲んだこともあるし、陽咲にとってみればフォークの共有なんて今さら意識するようなことでもない。
同じ幼なじみでも、これから陽咲の恋人になれるのは大晴のほう。僕は初めから、陽咲に恋愛対象として意識されていないのだ。
それがわかっているから、大晴は昨日の夜に、わざわざ僕に「陽咲に告白した」なんて宣戦布告をしにきたのかもしれない。小学生のときも中学生のときもそして今も陽咲の一番近くにいるあいつは、結局のところ自信があるのだ。
僕は少し落ち込んだ気分で、残った甘くほろ苦いチョコレートケーキを平らげた。
ケーキを食べてカフェを出たあと、僕の十年以上の片想いが終わる。それが、僕の十七歳の誕生日に起きる不運だ。
SNSでも話題の店だと聞いていたとおり、カフェのお客さんは女性が多い。それも、大学生や子連れの若い主婦なんかが大半だ。なかには男女の若いカップルもいるけど、制服を着た高校生は僕たちだけ。その理由は、メニューを見た瞬間にすぐにわかった。
カフェの人気メニューだというモンブランもチョコレートケーキも、高校生がふらっと気軽に立ち寄るには躊躇うくらいの値段設定なのだ。
陽咲が食べたいと言うのでモンブランとチョコレートケーキに紅茶のついたドリンクセットをひとつずつ頼んだが、僕はどうもソワソワとして落ち着かなかった。
「こんなところでケーキなんて食べて大丈夫?」
メニューをたてて顔を隠しながら小声で尋ねると、陽咲が不思議そうに首を傾げる。
「どうして?」
「だってほら、ケーキも紅茶も随分と値段が……」
「そんなこと心配しなくても大丈夫。今日は蒼月の誕生日なんだから、もちろんわたしの奢りだよ。せっかくのお誕生日なんだから、いいケーキを食べなくちゃ」
僕の心配をよそに、陽咲がにっこりと頼もしい笑顔をみせる。
陽咲の申し出はありがたいけれど、僕はいろいろと不安だった。ケーキの値段が僕の金銭感覚からして高めだということはもちろん、七月七日に片想いの女の子とこんな贅沢をしたら、織姫と彦星の恨みを買ってあとでものすごくデカい反動がくるんじゃないだろうか……。そう思えて仕方ないのだ。
とにかく、ケーキを食べたらなるべく早くカフェを出て陽咲と別れなければ。
だが、高級ケーキを提供するカフェの店内には僕の焦りを揶揄するかのようにゆったりとした上品なクラッシック音楽が流れていて。店員たちもみんな音楽に操られるかのように優雅にゆったりとした動きをしていて。僕らの注文したケーキと紅茶はなかなか出てこない。
このカフェだけ外界と時間の流れがずれているのか、テーブルに置いたスマホに触れて何度時間を確かめても一向にデジタル時計の時は進まず。テーブルに着いてから十七回目の時間確認をしたとき、ようやくケーキと紅茶が運ばれてきた。
「わ、美味しそう」
陽咲が目の前に置かれたケーキに目を輝かせる。
「だね……」
「蒼月はモンブランとチョコレートケーキとどっちがいい? 誕生日だから、選んでよ」
「僕は別にどっちでも。それより、早めに食べて店から出よう」
時間を気にしながらそう言うと、細い長方形のカゴから僕の分までフォークを取り出した陽咲が「えー」と不服そうに唇を尖らせた。
「せっかくの誕生日ケーキなんだから、ゆっくり味わって食べようよ」
「僕の誕生日ケーキなんだよね?」
「でも、奢るのはわたし」
そう言われてしまうと、僕は口を閉ざすしかない。
「ほら、食べようよ。ケーキ、どっち?」
「だから、どっちでも……」
「じゃあ、蒼月がチョコレートね」
陽咲がにこっと笑って、僕が好きそうなほうを譲ってくれる。
表面がツヤツヤしたチョコレートでコーティングされたケーキ。柔らかそうなチョコレートのスポンジケーキには、イチゴとチョコレートクリームが挟まっている。
視覚情報だけでも充分に甘そうなチョコレートケーキをじっと見つめてから、僕は陽咲に手渡された銀色のフォークをケーキに刺した。一口大にしたチョコレートケーキを口に含むと、視覚でイメージしたよりもずっと上品でほろ苦い甘さが舌に広がる。
これはたしかに。SNS上で話題になるのも納得できる味だ。無言で二口目を掬おうとすると、ふふっと陽咲の笑い声が聞こえてきた。
「なに?」
人差し指でメガネをあげつつ眉間を寄せると、陽咲が笑いを堪えるように唇を歪めて首を横に振る。
「いや、なんか。蒼月っていつも無表情だし、甘いものなんて食べませんって顔してるのに、昔からチョコとか大好きだよね」
「バカにしてる……?」
「してない、してない。気にせず食べて」
陽咲は顔を顰める僕を見て、ふふふっと笑うと、モンブランにフォークをさした。
「ん、おいしい! 来てよかったね」
ほっぺたに手をあてた陽咲が幸せそうに目を細める。ひさしぶりに間近で見る陽咲の笑顔は可愛かった。
最近の陽咲は薄っすらとメイクもしているし、顔からは随分と幼さが抜けて綺麗になった。だけど目いっぱいに笑った顔は、小学生の頃の陽咲とあまり変わらない。じっと見ていると、夢中でケーキを頬張っていた陽咲が僕の視線に気付いて顔をあげた。
「ん? どうかした?」
「いや、別に」
陽咲に見惚れてたなんて言えるはずもないから、慌ててケーキに視線を落とす。うつむいた頬に熱が下りてきて顔だけがやけに熱かった。赤くなっていることがバレるだろうか。
「あ、わかった」
テーブルの向こうで陽咲が動く気配がして、ドキッとする。
やっぱり、バレたかな。右手のフォークをきつく握りしめてドキドキしていると、うつむいている僕の目の前にフォークに刺さったひとくちサイズのモンブランが差し出された。
「蒼月、こっちも食べたいんでしょ。いいよ、ひとくちあげる」
視線をあげると、陽咲がテーブルの上に身を乗り出すようにしながらにこっと無邪気に笑っていて。顔が赤いことがバレたんじゃないとわかってほっとしたけど、今度は別の意味で心臓がドクンと鳴った。
「ほら、あげる。だから、蒼月もひとくちちょうだい」
陽咲がにこにこしながら、モンブランの刺さったフォークを僕の口に近付けてくる。
陽咲は昨日大晴に告白されて、付き合うんだよな。それなのに、僕にこんなことやってていいの……?
「ほら、早く食べてよ」
僕が戸惑っていると、にこにこしていた陽咲の顔が不満顔に変わる。グイグイと口にフォークを突き付けてくる陽咲に押されて、僕は流されるままに彼女の手からモンブランをひとくち分けてもらった。
「おいしいでしょ」
僕がモンブランを食べると、陽咲はそれをまるで自分が作ったかのように自慢げに笑った。
濃厚なマロンクリームの味が、さっきまで食べていたチョコレートケーキの味と混ざって口の中が糖分過多で正直モンブラン単独の味はよくわからなかったけど、陽咲が嬉しそうなので無言で頷く。
「チョコレートもちょっとちょうだい」
そう言って僕の皿かチョコレートケーキをひとくち拐っていく陽咲は、今のケーキの「あーん」で僕と間接的にキスしたことを気にも留めていないようだった。
よく考えてみれば、子どもの頃に同じコップやペットボトルから飲み物を飲んだこともあるし、陽咲にとってみればフォークの共有なんて今さら意識するようなことでもない。
同じ幼なじみでも、これから陽咲の恋人になれるのは大晴のほう。僕は初めから、陽咲に恋愛対象として意識されていないのだ。
それがわかっているから、大晴は昨日の夜に、わざわざ僕に「陽咲に告白した」なんて宣戦布告をしにきたのかもしれない。小学生のときも中学生のときもそして今も陽咲の一番近くにいるあいつは、結局のところ自信があるのだ。
僕は少し落ち込んだ気分で、残った甘くほろ苦いチョコレートケーキを平らげた。
ケーキを食べてカフェを出たあと、僕の十年以上の片想いが終わる。それが、僕の十七歳の誕生日に起きる不運だ。