そんなことがあって、寝不足で迎えた十七歳の誕生日の放課後。
僕は陽咲から「大晴に告白されて付き合うことになった」という報告か、「大晴に告白されたけどどうしたらいいと思う?」なんていう相談を受けることになるのだ。そして、間接的に失恋した昨日に引き続き、直接的に失恋する。
僕は教室の外で手招きしている陽咲を数秒見つめると、心の準備をしてから立ち上がった。
「ごめんね。蒼月に話したいことがあるんだけど、ちょっといいかな」
「いいよ。どこか移動して話す?」
「あー、うん。じゃあ、そうしてもらおうかな……」
陽咲が周囲を気にするように見ながら、小さく頷く。普通科は特進科とは階が違っていて、制服も女子はリボンの色が、男子はネクタイの色が違う。
普通科の生徒が特進の階に来ることはあまりないし、その逆も然りで。陽咲は、特進科の僕の教室の前で少し目立っていた。
「じゃあ、中庭……」
「うん」
僕が廊下に出て歩き出すと、陽咲が小走りで追いかけてくる。背中に感じるひさしぶりの陽咲の気配に、僕の心音はトクトクと高鳴っていた。
バカみたいだ。これから、フラれるのに。
前後に一メートルほど空けて、陽咲と中庭まで歩く。幸いにも、そこには誰もいなかった。
「で、話したいことって?」
半身だけ振り向きながら訊ねると、子どもの頃から物怖じしないタイプの陽咲が珍しくうつむいてモジモジとしていた。彼女が今から僕に何か言いにくいことを伝えようとしているのが、ひと目見ただけでわかる。
白い雲がマーブル状に混ざった水色の空に視線を向けて「あー」とか「うー」とか言葉を探して困っている陽咲を待っている時間がまるで拷問のようだった。
「僕に話したいのって、大晴のこと?」
耐え切れずにこちらから切り出したら、陽咲が「え?」と大きな目をますます大きく見開いた。
「大晴と何かあったの?」
そう言って小首を傾げてくるところを見ると、陽咲の話したかったことは、大晴から告白されたってことではないらしい。
「僕は別に、大晴とは何もないけど……」
大晴と「何かあった」のは陽咲のくせに。「僕は」を敢えて強調して含みを持たせてみたが、陽咲は「ふーん」と不思議そうに頷くだけで。天然でとぼけている彼女が少し憎らしかった。
「で、結局何の話?」
陽咲の話が大晴に告白されたという報告じゃないのだとしたら、彼女がわざわざ特進科まで僕に会いに来た目的は何だ……? 眉間を寄せると、陽咲が困ったように眉尻を下げた。
「そんな難しい顔しないでよ」
「別に、難しい顔なんてしてない」
「でも、さっきから眉間が寄ってる。突然呼び出したから、怒ってる?」
「怒ってはない」
眉間が寄っていたのだとしたら、それは何か考えているときの僕の癖だ。人差し指でメガネをあげつつ、そっと眉間を擦る。僕の仕草を見て、陽咲はちょっと苦笑いした。
「怒ってないならいいや。あのね、蒼月のことを呼び出したのは、今日の放課後の予定を知りたかったからなんだ」
「誰の?」
首を傾げると、陽咲がハハッとお腹に腕を回して笑う。
「蒼月って、クールぶってるけど、実は結構天然だよね」
「バカにしてる?」
「してない。むしろ、そういうところ見せられると安心する」
「安心……?」
「うん。高校生で特進科に行っちゃってから、ますます近寄りがたくなったと思ってたけど。やっぱり、蒼月は蒼月だよね」
ふふふっ、とまた笑い出す陽咲を不満顔で見ていると、彼女が「あー、ごめん」と眉尻を下げる。
「わたしが知りたいのは、蒼月の今日の放課後の予定。今日、誕生日だよね。おめでとう」
「あ、うん……」
思わず、心臓がドクンと鳴った。
陽咲が特進科の教室に来た目的が僕にお祝いの言葉を伝えるためだったのが意外だ。でも、少し嬉しい。
咄嗟のことで愛想のない返事しかできなかったけど、もっとちゃんとお礼を言えばよかった。今さらなことを考えていると、陽咲がまんまるい目で僕のことをジッと見てくる。
「で、放課後の予定は空いてる?」
上目遣いに僕を見上げながら、陽咲がこてんと首を横に傾ける。少しあざとくも見えるその仕草が可愛くて、今度は心臓がさっきよりも激しくドクンと鳴った。
「空いてる、けど……」
「じゃあ、私と一緒にケーキ食べに行かない?」
「ケーキ……?」
「うん。蒼月の家では、今日は誕生日ケーキを食べないんだよね?」
「食べない」
長年の付き合いでわかっているはずのことを訊ねてくる陽咲に、僕は少し顔を引き攣らせながら頷く。
八年前の七月七日。同居していた父方の祖母が亡くなってから、僕の家では七月七日に誕生日のケーキを食べなくなった。ばあちゃんの命日に、ケーキやご馳走を用意して僕の誕生を祝うのは不謹慎だから。そんな理由で、八年前から、僕の誕生日は七月五日とか六日とか八日とか少し日にちをズラして祝われるようになったのた。
それを知った陽咲は、七月七日になると、駅前のケーキ屋のイチゴのショートケーキをひとつ、お小遣いで買って僕の家に届けてくれるようになった。だけどそれを陽咲から直接受け取っていたのは、中学に上がる前までの話だ。
ここ二〜三年は誕生日に陽咲からケーキをもらうことはなくなっていたし、彼女と話す機会が減っていた。そうなるように、少しずつ陽咲から距離を置くようにしていったのは僕だった。
それなのに、突然、しかも誕生日に僕に声をかけてくるなんて。いったい何の気まぐれだろう。
「ケーキ、嫌いじゃなかったよね……?」
無言で眉根を寄せていると、陽咲が不安そうな顔で訊いてくる。
「嫌いじゃないけど……。なんで急に?」
不思議に思って訊ね返すと、陽咲が「ホタルを見たから」と、唐突につぶやいた。
「もう一ヶ月くらい前のことなんだけどね、私、ホタルを見に行ったの。ほら、地元の奥のほうに名所あるでしょ」
陽咲の言葉に、僕は地元の街の北側に位置する、昔ながらの田園風景が広がるエリアを思い浮かべた。僕らの住む住宅街から車で十分ほど離れた場所にあるそのエリアは、開発されずに自然の風景が残っていて。田んぼや川や雑木林があり、蝶やトンボ、カブトムシなどの昆虫も多く、初夏にはホタルが舞う。
ホタルの存在は昔は地元の人にしか知られていなかったけれど、最近はインターネットの口コミのおかげで、ホタルの名所として市街の人にも認知されるようになってきているらしい。
「ホタル見てたらね、ふっと蒼月のこと思い出したんだ。もう七年くらい前だけど、ふたりでホタルを見に行ったよね」
首を傾げながら微笑みかけてくる陽咲の表情にドキッとした。
ちょうど七年前の七月七日。僕の十歳の誕生日。僕と陽咲は、ふたりだけでホタルを見に行った。覚えているし、忘れるわけない。
「あのときはいくら探してもホタルが見られなかったけど、時期がズレてたんだね。ピークに合わせて見に行ったら、田んぼや川辺にたくさん飛んでたよ」
「そうなんだ」
ホタル鑑賞のピークは、六月初旬。そんな知識もなかった僕たちは、七年前の七月七日の夜、全くホタルを見つけることができず……。諦めて帰ろうとしたときに、川辺をふらふらと弱々しく飛んでいくホタルらしき光をようやくひとつ見れただけだった。
今にも消えそうなたったひとつのホタルの光。それでも見れたことに感動したのは、陽咲が一緒だったからだろうか。それとも、苦労の結果出会えた一匹だったからだろうか。
「暗闇の中にたくさん浮かぶ小さな光を見ながら、蒼月にも見せたいなーって思って。そういえば、ホタルを見に行ったのは蒼月の誕生日だったよなーって思い出して。それで……、今年の誕生日は一緒にケーキを食べようって誘ってみようかなーって思ったんだ」
陽咲が、僕をケーキに誘うことになった経緯を連想ゲームのように説明してくれる。
「あとね、一ヶ月前に学校の最寄り駅の近くにできたケーキ屋さん、カフェが併設されててモンブランとチョコレートケーキがすごく美味しいらしいの」
ケーキを食べる店は、すでにリサーチ済みらしい。もしかしたら陽咲は、僕の誕生日に託けて、新しくできたというケーキ屋のケーキが食べたいだけなのかもしれない。
僕が黙っていると、陽咲がカバンからスマホを取り出して「ほら、ここだよ」とケーキ屋のSNSを見せてくる。
映える写真ばかりが投稿された店のSNSは、一ヶ月前にオープンしたばかりだというのに、既にフォロワーの数がかなり多かった。人気だというモンブランとチョコレートケーキもオシャレなカップに淹れられたコーヒーと並べて投稿されていて、たしかにとても美味しそうだ。
「あんまり興味ない?」
SNSの写真にあまり反応を示さない僕の顔を、陽咲が少し不安そうに見てくる。
「いや、そんなことはないけど……」
本音を言えば、陽咲に誘われたこと自体は嬉しくてたまらない。彼女の真の目的がケーキを食べることだったとしても、誕生日を祝ってもらえることは嬉しい。
ただひとつ問題があるとすれば――。今日が僕の誕生日当日。七月七日であるということだ。
七月七日はロクなことが起きない。毎年そう決まっているのだ。そんな日に、陽咲とふたりで出かけたりしたら何が起こるか――。
「それ、絶対に今日じゃないとダメ?」
神妙な面持ちで訊ねると、陽咲がきょとんとした顔で目を瞬いた。
「ダメとかではないけど……。誕生日のケーキって、誕生日に食べるからこそ意味があるでしょう?」
「でも、七月七日はあまり良くないから……」
ボソリとつぶやくと、陽咲が口元に手をあてて、ふふっと可笑しそうに笑う。
「蒼月、未だにそんなこと言ってるんだ? 七月七日に、織姫と彦星の呪いが降りかかってくるってやつだよね」
「呪いじゃなくて、恨み」
「どう違うの?」
「全然違う」
「よくわからないけど……。でもそれって、蒼月のおばあちゃんが亡くなったのが、たまたまその日だっただけのことでしょう?」
「たまたまじゃないよ。全部七月七日だからだ。七年前に死にかけのホタルしか見れなかったのも、陽咲のケガも……」
「やっぱり、蒼月は七年前のこと今も気にしてるんだ?」
慌てて口を塞いだけれど、陽咲は僕の言葉を聞き逃さなかったようだ。
「蒼月がだんだんわたしのことを避けるようになったのって、七年前のことを気にしてるからだよね?」
「何の話?」
無表情で素っ気なく答える僕の顔を、陽咲が真っ直ぐに見つめてきた。目力の強い大きな瞳で見つめられているうちに、目尻や頬がチリチリと引き攣り始めて、僕の無表情が崩れる。
「やっぱりそうなんだ」
陽咲が小さくつぶやいて、僕に一歩近付いてきた。
「蒼月が気にすることじゃないよ。あれは、わたしの不注意でもあるんだし。それに、もうほとんど目立たない」
陽咲が右手で前髪をかきあげて、僕におでこを見せてきた。陽咲は「ほとんど目立たない」と言うが、綺麗な丘陵を描く陽咲の額の前髪の生え際にはまだ、古い傷痕がうっすらと残っている。
「七月七日は呪いの日なんかじゃない。心配しなくても、悪いことなんて起きないよ」
陽咲の声を聞きながら、彼女の額の傷跡をじっと見つめる。
何も起きない? ほんとうに――?
尖った石でぶつけて切ってしまい、五針は縫ったという傷痕。七年前、陽咲の額に傷をつけてしまったのは僕だ。
僕は陽咲から「大晴に告白されて付き合うことになった」という報告か、「大晴に告白されたけどどうしたらいいと思う?」なんていう相談を受けることになるのだ。そして、間接的に失恋した昨日に引き続き、直接的に失恋する。
僕は教室の外で手招きしている陽咲を数秒見つめると、心の準備をしてから立ち上がった。
「ごめんね。蒼月に話したいことがあるんだけど、ちょっといいかな」
「いいよ。どこか移動して話す?」
「あー、うん。じゃあ、そうしてもらおうかな……」
陽咲が周囲を気にするように見ながら、小さく頷く。普通科は特進科とは階が違っていて、制服も女子はリボンの色が、男子はネクタイの色が違う。
普通科の生徒が特進の階に来ることはあまりないし、その逆も然りで。陽咲は、特進科の僕の教室の前で少し目立っていた。
「じゃあ、中庭……」
「うん」
僕が廊下に出て歩き出すと、陽咲が小走りで追いかけてくる。背中に感じるひさしぶりの陽咲の気配に、僕の心音はトクトクと高鳴っていた。
バカみたいだ。これから、フラれるのに。
前後に一メートルほど空けて、陽咲と中庭まで歩く。幸いにも、そこには誰もいなかった。
「で、話したいことって?」
半身だけ振り向きながら訊ねると、子どもの頃から物怖じしないタイプの陽咲が珍しくうつむいてモジモジとしていた。彼女が今から僕に何か言いにくいことを伝えようとしているのが、ひと目見ただけでわかる。
白い雲がマーブル状に混ざった水色の空に視線を向けて「あー」とか「うー」とか言葉を探して困っている陽咲を待っている時間がまるで拷問のようだった。
「僕に話したいのって、大晴のこと?」
耐え切れずにこちらから切り出したら、陽咲が「え?」と大きな目をますます大きく見開いた。
「大晴と何かあったの?」
そう言って小首を傾げてくるところを見ると、陽咲の話したかったことは、大晴から告白されたってことではないらしい。
「僕は別に、大晴とは何もないけど……」
大晴と「何かあった」のは陽咲のくせに。「僕は」を敢えて強調して含みを持たせてみたが、陽咲は「ふーん」と不思議そうに頷くだけで。天然でとぼけている彼女が少し憎らしかった。
「で、結局何の話?」
陽咲の話が大晴に告白されたという報告じゃないのだとしたら、彼女がわざわざ特進科まで僕に会いに来た目的は何だ……? 眉間を寄せると、陽咲が困ったように眉尻を下げた。
「そんな難しい顔しないでよ」
「別に、難しい顔なんてしてない」
「でも、さっきから眉間が寄ってる。突然呼び出したから、怒ってる?」
「怒ってはない」
眉間が寄っていたのだとしたら、それは何か考えているときの僕の癖だ。人差し指でメガネをあげつつ、そっと眉間を擦る。僕の仕草を見て、陽咲はちょっと苦笑いした。
「怒ってないならいいや。あのね、蒼月のことを呼び出したのは、今日の放課後の予定を知りたかったからなんだ」
「誰の?」
首を傾げると、陽咲がハハッとお腹に腕を回して笑う。
「蒼月って、クールぶってるけど、実は結構天然だよね」
「バカにしてる?」
「してない。むしろ、そういうところ見せられると安心する」
「安心……?」
「うん。高校生で特進科に行っちゃってから、ますます近寄りがたくなったと思ってたけど。やっぱり、蒼月は蒼月だよね」
ふふふっ、とまた笑い出す陽咲を不満顔で見ていると、彼女が「あー、ごめん」と眉尻を下げる。
「わたしが知りたいのは、蒼月の今日の放課後の予定。今日、誕生日だよね。おめでとう」
「あ、うん……」
思わず、心臓がドクンと鳴った。
陽咲が特進科の教室に来た目的が僕にお祝いの言葉を伝えるためだったのが意外だ。でも、少し嬉しい。
咄嗟のことで愛想のない返事しかできなかったけど、もっとちゃんとお礼を言えばよかった。今さらなことを考えていると、陽咲がまんまるい目で僕のことをジッと見てくる。
「で、放課後の予定は空いてる?」
上目遣いに僕を見上げながら、陽咲がこてんと首を横に傾ける。少しあざとくも見えるその仕草が可愛くて、今度は心臓がさっきよりも激しくドクンと鳴った。
「空いてる、けど……」
「じゃあ、私と一緒にケーキ食べに行かない?」
「ケーキ……?」
「うん。蒼月の家では、今日は誕生日ケーキを食べないんだよね?」
「食べない」
長年の付き合いでわかっているはずのことを訊ねてくる陽咲に、僕は少し顔を引き攣らせながら頷く。
八年前の七月七日。同居していた父方の祖母が亡くなってから、僕の家では七月七日に誕生日のケーキを食べなくなった。ばあちゃんの命日に、ケーキやご馳走を用意して僕の誕生を祝うのは不謹慎だから。そんな理由で、八年前から、僕の誕生日は七月五日とか六日とか八日とか少し日にちをズラして祝われるようになったのた。
それを知った陽咲は、七月七日になると、駅前のケーキ屋のイチゴのショートケーキをひとつ、お小遣いで買って僕の家に届けてくれるようになった。だけどそれを陽咲から直接受け取っていたのは、中学に上がる前までの話だ。
ここ二〜三年は誕生日に陽咲からケーキをもらうことはなくなっていたし、彼女と話す機会が減っていた。そうなるように、少しずつ陽咲から距離を置くようにしていったのは僕だった。
それなのに、突然、しかも誕生日に僕に声をかけてくるなんて。いったい何の気まぐれだろう。
「ケーキ、嫌いじゃなかったよね……?」
無言で眉根を寄せていると、陽咲が不安そうな顔で訊いてくる。
「嫌いじゃないけど……。なんで急に?」
不思議に思って訊ね返すと、陽咲が「ホタルを見たから」と、唐突につぶやいた。
「もう一ヶ月くらい前のことなんだけどね、私、ホタルを見に行ったの。ほら、地元の奥のほうに名所あるでしょ」
陽咲の言葉に、僕は地元の街の北側に位置する、昔ながらの田園風景が広がるエリアを思い浮かべた。僕らの住む住宅街から車で十分ほど離れた場所にあるそのエリアは、開発されずに自然の風景が残っていて。田んぼや川や雑木林があり、蝶やトンボ、カブトムシなどの昆虫も多く、初夏にはホタルが舞う。
ホタルの存在は昔は地元の人にしか知られていなかったけれど、最近はインターネットの口コミのおかげで、ホタルの名所として市街の人にも認知されるようになってきているらしい。
「ホタル見てたらね、ふっと蒼月のこと思い出したんだ。もう七年くらい前だけど、ふたりでホタルを見に行ったよね」
首を傾げながら微笑みかけてくる陽咲の表情にドキッとした。
ちょうど七年前の七月七日。僕の十歳の誕生日。僕と陽咲は、ふたりだけでホタルを見に行った。覚えているし、忘れるわけない。
「あのときはいくら探してもホタルが見られなかったけど、時期がズレてたんだね。ピークに合わせて見に行ったら、田んぼや川辺にたくさん飛んでたよ」
「そうなんだ」
ホタル鑑賞のピークは、六月初旬。そんな知識もなかった僕たちは、七年前の七月七日の夜、全くホタルを見つけることができず……。諦めて帰ろうとしたときに、川辺をふらふらと弱々しく飛んでいくホタルらしき光をようやくひとつ見れただけだった。
今にも消えそうなたったひとつのホタルの光。それでも見れたことに感動したのは、陽咲が一緒だったからだろうか。それとも、苦労の結果出会えた一匹だったからだろうか。
「暗闇の中にたくさん浮かぶ小さな光を見ながら、蒼月にも見せたいなーって思って。そういえば、ホタルを見に行ったのは蒼月の誕生日だったよなーって思い出して。それで……、今年の誕生日は一緒にケーキを食べようって誘ってみようかなーって思ったんだ」
陽咲が、僕をケーキに誘うことになった経緯を連想ゲームのように説明してくれる。
「あとね、一ヶ月前に学校の最寄り駅の近くにできたケーキ屋さん、カフェが併設されててモンブランとチョコレートケーキがすごく美味しいらしいの」
ケーキを食べる店は、すでにリサーチ済みらしい。もしかしたら陽咲は、僕の誕生日に託けて、新しくできたというケーキ屋のケーキが食べたいだけなのかもしれない。
僕が黙っていると、陽咲がカバンからスマホを取り出して「ほら、ここだよ」とケーキ屋のSNSを見せてくる。
映える写真ばかりが投稿された店のSNSは、一ヶ月前にオープンしたばかりだというのに、既にフォロワーの数がかなり多かった。人気だというモンブランとチョコレートケーキもオシャレなカップに淹れられたコーヒーと並べて投稿されていて、たしかにとても美味しそうだ。
「あんまり興味ない?」
SNSの写真にあまり反応を示さない僕の顔を、陽咲が少し不安そうに見てくる。
「いや、そんなことはないけど……」
本音を言えば、陽咲に誘われたこと自体は嬉しくてたまらない。彼女の真の目的がケーキを食べることだったとしても、誕生日を祝ってもらえることは嬉しい。
ただひとつ問題があるとすれば――。今日が僕の誕生日当日。七月七日であるということだ。
七月七日はロクなことが起きない。毎年そう決まっているのだ。そんな日に、陽咲とふたりで出かけたりしたら何が起こるか――。
「それ、絶対に今日じゃないとダメ?」
神妙な面持ちで訊ねると、陽咲がきょとんとした顔で目を瞬いた。
「ダメとかではないけど……。誕生日のケーキって、誕生日に食べるからこそ意味があるでしょう?」
「でも、七月七日はあまり良くないから……」
ボソリとつぶやくと、陽咲が口元に手をあてて、ふふっと可笑しそうに笑う。
「蒼月、未だにそんなこと言ってるんだ? 七月七日に、織姫と彦星の呪いが降りかかってくるってやつだよね」
「呪いじゃなくて、恨み」
「どう違うの?」
「全然違う」
「よくわからないけど……。でもそれって、蒼月のおばあちゃんが亡くなったのが、たまたまその日だっただけのことでしょう?」
「たまたまじゃないよ。全部七月七日だからだ。七年前に死にかけのホタルしか見れなかったのも、陽咲のケガも……」
「やっぱり、蒼月は七年前のこと今も気にしてるんだ?」
慌てて口を塞いだけれど、陽咲は僕の言葉を聞き逃さなかったようだ。
「蒼月がだんだんわたしのことを避けるようになったのって、七年前のことを気にしてるからだよね?」
「何の話?」
無表情で素っ気なく答える僕の顔を、陽咲が真っ直ぐに見つめてきた。目力の強い大きな瞳で見つめられているうちに、目尻や頬がチリチリと引き攣り始めて、僕の無表情が崩れる。
「やっぱりそうなんだ」
陽咲が小さくつぶやいて、僕に一歩近付いてきた。
「蒼月が気にすることじゃないよ。あれは、わたしの不注意でもあるんだし。それに、もうほとんど目立たない」
陽咲が右手で前髪をかきあげて、僕におでこを見せてきた。陽咲は「ほとんど目立たない」と言うが、綺麗な丘陵を描く陽咲の額の前髪の生え際にはまだ、古い傷痕がうっすらと残っている。
「七月七日は呪いの日なんかじゃない。心配しなくても、悪いことなんて起きないよ」
陽咲の声を聞きながら、彼女の額の傷跡をじっと見つめる。
何も起きない? ほんとうに――?
尖った石でぶつけて切ってしまい、五針は縫ったという傷痕。七年前、陽咲の額に傷をつけてしまったのは僕だ。