僕が生まれたのは七月七日の七夕だ。
天の川を挟んで引き裂かれた織姫と彦星が年に一回会うことを許された日。そんなロマンチックな伝説が有名だが、実際の僕の誕生日には、たいていロクなことが起きない。
僕が生まれた十七年前は、仕事に出ていた父が病院に駆けつけるのも困難なほど大雨が降っていたと聞くし。幼稚園のときに拾ってきて可愛がっていた犬の豆太が、首輪から抜けて逃げて返ってこなくなったのがちょうど七月七日だった。大好きだったばあちゃんが病気で死んだのも七月七日。幼なじみの青山陽咲とホタルを見に行って、帰る途中で迷ってケガをさせたのも七月七日だ。
とにかく、僕の人生における悪いことはだいたい決まって七月七日に起きる。
もしかしたら、天の川を挟んで引き裂かれた織姫と彦星の積年の恨みが、七夕生まれの僕のところに一気に全部降りかかってきてるのかもしれない。
十七回目の七月七日は、いったい何が起きるんだろう。大なり小なり、何かしらよくないことが起きる誕生日。朝起きたときから周囲を警戒して身構えていたら、放課後に陽咲に呼び出された。
「蒼月、ちょっといい?」
ホームルームが終わった教室で帰り支度をしていると、後ろ側のドアからちょこっと顔を覗かせた陽咲が、僕に小さく手招きをしている。
陽咲は僕の幼稚園時代からの幼なじみだ。同じく、幼稚園時代からの幼なじみの藤川大晴とともに、僕ら三人は小中高と同じ学校に進学してきたが、高校で特進科に進学した僕が普通科の陽咲や大晴たちと学校で関わることはほとんどない。
特に陽咲とは、近所に住んでいるのにもう何年もまともに口をきいていない。そんな陽咲がひさしぶりに声をかけてきたのが僕の誕生日だなんて。嫌な予感しかしなかった。
思い出すのは、昨日の夜に大晴から打ち明けられた告白の話。何年も疎遠になっている陽咲が僕に話したいことがあるのだとしたら、ネタはそれくらいしか思い浮かばない。
十七歳になる誕生日の前日。つまり、昨日のことだが。なぜかめずらしく、幼なじみの藤川 大晴が、塾帰りの僕を駅で待ち伏せしていた。
「何してんの?」
「んー、蒼月のお迎え〜」
なんて。 僕が聞いたら、にこにこ笑いながら言うのがちょっと気持ち悪い。
「一緒に帰ろう」と大晴が笑うから、僕は訝しく思いながらも頷いた。
ふたりで電車に乗って地元の駅で降りて、お互いの家がある方向に向かって歩きながら、大晴は僕に夏休みの予定を聞いてきた。
「蒼月、夏休みはなにすんの?」
「学校の補講と塾の夏期講習」
「なんだよ、それ。つまんねー。どっか出かけたりしないの?」
「どっか、って?」
「夏っぽいとこ。海とかプールとか祭りとか」
「特に予定はないね」
「じゃあさ、もし仮にだけど、蒼月は夏休みにデートするなら、どこ行きたい? 遊園地? 海? プール? お祭り? 花火?」
大晴がそわそわしながら訊ねてくるから、もしかしてとは思った。だけど、変に動揺するのもかっこ悪い。
「暑いのはあんまり好きじゃないから、涼しいとこに行きたいけど……。プールは人が多そうで嫌。僕は夕方の海で歩くくらいでいいよ。花火大会もお祭りも人が多いし……。花火は公園とかでちょっと手持ち花火で遊ぶくらいでいいや」
「ふーん、そんなもんかな」
僕の答えに、大晴が顎に手をあてながら頷く。そんな大晴の横顔を盗み見ながら、僕はさりげなく問いかけた。
「で? そんなこと聞いてくるってことは、そっちは夏休みにデートの予定があるの?」
平静を装う僕の隣で、大晴が髪をクシャクシャと触りながら「あー」とか「んー」とか言葉を濁す。けれど、しばらくしてから覚悟を決めたような目で僕を見た。
「蒼月、おれさ、陽咲に告った」
大晴がわざわざ僕を待ち伏せしてたのは、結局のところ、僕にこの報告をしたかったかららしい。
「へぇ」
なんと答えていいかわからなくて、とりあえずつぶやいたら、「反応薄くない?」と大晴が不満げに顔をしかめた。
僕の反応、薄いのか……。
だがそう言われても、僕の口から「へぇ」以外の言葉は出てきそうもなかった。そのたった二文字には、驚き、戸惑い、焦燥。到底うまく言葉にできそうもない僕の感情全てがのっかっていたから。
いつかこんな日が来ることはもう何年も前から予想できていたのに、「陽咲に告った」という大晴からの報告は、思った以上に僕を動揺させていた。しかもそれが、誕生日の前日なんて。狙ったとしか思えない。僕からしてみれば、とんだ前祝いだ。
「蒼月は、おれの報告を聞いてなんか言うことない?」
「なんか、って?」
「なんかって言ったら、なんかだよ。いろいろあるだろ、言いたいこととか聞きたいこと」
「聞きたいこと……」
普段よりも緩慢な僕の反応に、大晴が焦ったそうな顔をする。
「気になんないの? 陽咲がおれになんて返事したか」
もちろん、気になる。実際のところ、それが一番気になる。だけど、聞くのが怖かった。聞いてしまえば、きっと全てが終わるから。
無言で大晴を見ると、大晴がはぁーっとため息を吐いた。
「やめろよ。そんな顔されたら、罪悪感でここらへんチクチクしてくる」
大晴が困ったように眉根を寄せて、緩く握った拳を左胸にグリグリと押し当てる。
大晴の言う「そんな顔」がどんなのかはわからないけど、僕はよほどひどい顔をしているらしい。それもそのはずだ。僕は今まさに、失恋しようというところなんだから。
「おめでとう……」
風邪でもないのにヒリヒリと痛む喉を絞ってお祝いの言葉を伝えたら、大晴が嫌そうに顔を顰めた。
「いや、違うから。まだ、違う」
「違う?」
「告ったけど、まだ返事はもらってない」
大晴の言葉に、僕はなんとか生き延びた気持ちになった。
「そう、なんだ……」
「うん。だから、蒼月にも報告しにきた。ほんとうは抜け駆けせずに告るつもりだったのに、勢い余って先走っちゃったから」
「抜け駆け?」
「そう。フェアじゃないだろ。だって、蒼月だってずっと陽咲のこと好きじゃん?」
大晴が僕の顔を覗き込むように首を傾げる。
「僕の気持ちなんて、大晴が気にする必要ないだろ」
「気にするだろ。おれは陽咲のこと好きだけど、蒼月だっておれにとっては大事な幼なじみだし。陽咲のこと譲る気はないけど、無視できねーもん」
大晴が真面目な顔をして、恥ずかしげもなくそんなことを言う。
小さな頃から裏表がなくて、誰にでも素直に真っ直ぐぶつかっていける大晴は、僕にはいつも眩しくて少しだけ暑苦しくて、夏空に輝く太陽みたいだ。大晴が隣にいると、僕の存在なんて霞んで消えてしまう。
僕の気持ちなんて気にしなくても、陽咲はきっと大晴を選ぶ。ずっと前からわかっていることだ。心の中で言い聞かせたら、ようやく少し気持ちが落ち着いてきた。
「告白の返事、早くもらえたらいいな。もうすぐ夏休みだし。ふたりで出かけたりできるじゃん。遊園地に海にプールに……、あとは夏祭りだっけ?」
「だーかーら! 蒼月にそんなこと言ってもらいたくて待ってたわけじゃないんだって」
「じゃあ、なんで待ってたんだよ」
冷静に言葉を返すと、大晴が真顔で僕を見てきた。
「蒼月はこのまま何も伝えないつもりなのかよ」
「何の話?」
「だから、伝えないの? 陽咲に好きだ、って」
大晴の言葉に、ドクンと心臓が鳴る。
これまで誰にも……。陽咲にはもちろん、大晴にも言ったことがない気持ちをはっきりと言語化されて、心臓がバクバクと暴れた。
「僕は別に、陽咲のことはなんとも……」
「嘘ばっか。おれは、ちゃんと宣戦布告したからな」
僕に人差し指を突き付けて余裕そうに笑う大晴は、やっぱり眩しくて少し暑苦しくて。夏の太陽みたいだった。
大晴からの告白に少なからず動揺させられた僕は、うまく眠れないままに十六歳最後の夜を過ごした。
天の川を挟んで引き裂かれた織姫と彦星が年に一回会うことを許された日。そんなロマンチックな伝説が有名だが、実際の僕の誕生日には、たいていロクなことが起きない。
僕が生まれた十七年前は、仕事に出ていた父が病院に駆けつけるのも困難なほど大雨が降っていたと聞くし。幼稚園のときに拾ってきて可愛がっていた犬の豆太が、首輪から抜けて逃げて返ってこなくなったのがちょうど七月七日だった。大好きだったばあちゃんが病気で死んだのも七月七日。幼なじみの青山陽咲とホタルを見に行って、帰る途中で迷ってケガをさせたのも七月七日だ。
とにかく、僕の人生における悪いことはだいたい決まって七月七日に起きる。
もしかしたら、天の川を挟んで引き裂かれた織姫と彦星の積年の恨みが、七夕生まれの僕のところに一気に全部降りかかってきてるのかもしれない。
十七回目の七月七日は、いったい何が起きるんだろう。大なり小なり、何かしらよくないことが起きる誕生日。朝起きたときから周囲を警戒して身構えていたら、放課後に陽咲に呼び出された。
「蒼月、ちょっといい?」
ホームルームが終わった教室で帰り支度をしていると、後ろ側のドアからちょこっと顔を覗かせた陽咲が、僕に小さく手招きをしている。
陽咲は僕の幼稚園時代からの幼なじみだ。同じく、幼稚園時代からの幼なじみの藤川大晴とともに、僕ら三人は小中高と同じ学校に進学してきたが、高校で特進科に進学した僕が普通科の陽咲や大晴たちと学校で関わることはほとんどない。
特に陽咲とは、近所に住んでいるのにもう何年もまともに口をきいていない。そんな陽咲がひさしぶりに声をかけてきたのが僕の誕生日だなんて。嫌な予感しかしなかった。
思い出すのは、昨日の夜に大晴から打ち明けられた告白の話。何年も疎遠になっている陽咲が僕に話したいことがあるのだとしたら、ネタはそれくらいしか思い浮かばない。
十七歳になる誕生日の前日。つまり、昨日のことだが。なぜかめずらしく、幼なじみの藤川 大晴が、塾帰りの僕を駅で待ち伏せしていた。
「何してんの?」
「んー、蒼月のお迎え〜」
なんて。 僕が聞いたら、にこにこ笑いながら言うのがちょっと気持ち悪い。
「一緒に帰ろう」と大晴が笑うから、僕は訝しく思いながらも頷いた。
ふたりで電車に乗って地元の駅で降りて、お互いの家がある方向に向かって歩きながら、大晴は僕に夏休みの予定を聞いてきた。
「蒼月、夏休みはなにすんの?」
「学校の補講と塾の夏期講習」
「なんだよ、それ。つまんねー。どっか出かけたりしないの?」
「どっか、って?」
「夏っぽいとこ。海とかプールとか祭りとか」
「特に予定はないね」
「じゃあさ、もし仮にだけど、蒼月は夏休みにデートするなら、どこ行きたい? 遊園地? 海? プール? お祭り? 花火?」
大晴がそわそわしながら訊ねてくるから、もしかしてとは思った。だけど、変に動揺するのもかっこ悪い。
「暑いのはあんまり好きじゃないから、涼しいとこに行きたいけど……。プールは人が多そうで嫌。僕は夕方の海で歩くくらいでいいよ。花火大会もお祭りも人が多いし……。花火は公園とかでちょっと手持ち花火で遊ぶくらいでいいや」
「ふーん、そんなもんかな」
僕の答えに、大晴が顎に手をあてながら頷く。そんな大晴の横顔を盗み見ながら、僕はさりげなく問いかけた。
「で? そんなこと聞いてくるってことは、そっちは夏休みにデートの予定があるの?」
平静を装う僕の隣で、大晴が髪をクシャクシャと触りながら「あー」とか「んー」とか言葉を濁す。けれど、しばらくしてから覚悟を決めたような目で僕を見た。
「蒼月、おれさ、陽咲に告った」
大晴がわざわざ僕を待ち伏せしてたのは、結局のところ、僕にこの報告をしたかったかららしい。
「へぇ」
なんと答えていいかわからなくて、とりあえずつぶやいたら、「反応薄くない?」と大晴が不満げに顔をしかめた。
僕の反応、薄いのか……。
だがそう言われても、僕の口から「へぇ」以外の言葉は出てきそうもなかった。そのたった二文字には、驚き、戸惑い、焦燥。到底うまく言葉にできそうもない僕の感情全てがのっかっていたから。
いつかこんな日が来ることはもう何年も前から予想できていたのに、「陽咲に告った」という大晴からの報告は、思った以上に僕を動揺させていた。しかもそれが、誕生日の前日なんて。狙ったとしか思えない。僕からしてみれば、とんだ前祝いだ。
「蒼月は、おれの報告を聞いてなんか言うことない?」
「なんか、って?」
「なんかって言ったら、なんかだよ。いろいろあるだろ、言いたいこととか聞きたいこと」
「聞きたいこと……」
普段よりも緩慢な僕の反応に、大晴が焦ったそうな顔をする。
「気になんないの? 陽咲がおれになんて返事したか」
もちろん、気になる。実際のところ、それが一番気になる。だけど、聞くのが怖かった。聞いてしまえば、きっと全てが終わるから。
無言で大晴を見ると、大晴がはぁーっとため息を吐いた。
「やめろよ。そんな顔されたら、罪悪感でここらへんチクチクしてくる」
大晴が困ったように眉根を寄せて、緩く握った拳を左胸にグリグリと押し当てる。
大晴の言う「そんな顔」がどんなのかはわからないけど、僕はよほどひどい顔をしているらしい。それもそのはずだ。僕は今まさに、失恋しようというところなんだから。
「おめでとう……」
風邪でもないのにヒリヒリと痛む喉を絞ってお祝いの言葉を伝えたら、大晴が嫌そうに顔を顰めた。
「いや、違うから。まだ、違う」
「違う?」
「告ったけど、まだ返事はもらってない」
大晴の言葉に、僕はなんとか生き延びた気持ちになった。
「そう、なんだ……」
「うん。だから、蒼月にも報告しにきた。ほんとうは抜け駆けせずに告るつもりだったのに、勢い余って先走っちゃったから」
「抜け駆け?」
「そう。フェアじゃないだろ。だって、蒼月だってずっと陽咲のこと好きじゃん?」
大晴が僕の顔を覗き込むように首を傾げる。
「僕の気持ちなんて、大晴が気にする必要ないだろ」
「気にするだろ。おれは陽咲のこと好きだけど、蒼月だっておれにとっては大事な幼なじみだし。陽咲のこと譲る気はないけど、無視できねーもん」
大晴が真面目な顔をして、恥ずかしげもなくそんなことを言う。
小さな頃から裏表がなくて、誰にでも素直に真っ直ぐぶつかっていける大晴は、僕にはいつも眩しくて少しだけ暑苦しくて、夏空に輝く太陽みたいだ。大晴が隣にいると、僕の存在なんて霞んで消えてしまう。
僕の気持ちなんて気にしなくても、陽咲はきっと大晴を選ぶ。ずっと前からわかっていることだ。心の中で言い聞かせたら、ようやく少し気持ちが落ち着いてきた。
「告白の返事、早くもらえたらいいな。もうすぐ夏休みだし。ふたりで出かけたりできるじゃん。遊園地に海にプールに……、あとは夏祭りだっけ?」
「だーかーら! 蒼月にそんなこと言ってもらいたくて待ってたわけじゃないんだって」
「じゃあ、なんで待ってたんだよ」
冷静に言葉を返すと、大晴が真顔で僕を見てきた。
「蒼月はこのまま何も伝えないつもりなのかよ」
「何の話?」
「だから、伝えないの? 陽咲に好きだ、って」
大晴の言葉に、ドクンと心臓が鳴る。
これまで誰にも……。陽咲にはもちろん、大晴にも言ったことがない気持ちをはっきりと言語化されて、心臓がバクバクと暴れた。
「僕は別に、陽咲のことはなんとも……」
「嘘ばっか。おれは、ちゃんと宣戦布告したからな」
僕に人差し指を突き付けて余裕そうに笑う大晴は、やっぱり眩しくて少し暑苦しくて。夏の太陽みたいだった。
大晴からの告白に少なからず動揺させられた僕は、うまく眠れないままに十六歳最後の夜を過ごした。