夏祭りの日は、お母さんが浴衣を出して着せてくれた。

「浴衣で夏祭りなんて小学生のとき以来よね。大晴くんと蒼月くんと行くの?」
「蒼月は来ないよ。大晴とふたりだけ」

 わたしが答えると、背中で帯を整えてくれていたお母さんが「そうなの、残念ね〜」と眉を下げた。

「三人で仲良かったのなんてもう昔のことだよ。蒼月と遊ぶこととか、最近はほとんどないから」

 蒼月に対してモヤモヤした気持ちをかかえているわたしは、ふてくされた声でそう言ってうつむいた。

 実を言うと、わたしは昨日、蒼月にラインを送っていた。海に撮影に行った日の終わりに蒼月と話してうやむやなままになっていることが、どうしても気になったからだ。

【七月七日のこと、詳しく教えてほしい。わたしが忘れてることって何? 事故の前に何があったの?】

 夏休み前の事故の日のことを知っているのは、蒼月だけだ。

 消えてしまったわたしの記憶。お医者さんやお母さんの話によると、それはいつか思い出せるかもしれないし、このまま思い出さないかもしれない。

 海から帰ったあとネットで少し検索をかけたら、なにか「トリガー」のようなものがあれば、それをきっかけに思い出すことがあるらしいとわかった。だったら、蒼月から事故の日のことを聞けばなにか思い出せるかもしれない。

 七月七日。蒼月の十七歳の誕生日。

 高校生になってからは特に疎遠になっていたわたしと蒼月が、その日に限ってどうして一緒にいたのか。事故に遭う前、わたしと蒼月はどこで何をしていたのか。それを時系列的にでも教えてもらえばと思ったが、送ったメッセージに蒼月からの返事はない。

 そういえば、事故に遭った直後に助けてくれたお礼のラインをしたときもそうだった。あのときも、『ホタル事件』以来、疎遠になっていた蒼月がどうしてわたしと一緒にいたのかが不思議で、お礼ついでに訊いたのだ。

【助けてくれてありがとう。あの日、どうしてわたしと一緒だったの?】

 あのときも、蒼月からの返信はなかった。そのことにモヤモヤしたけれど、今は返信がないことにあのとき以上にモヤモヤとする。

 蒼月は、わたしのことなんてどうでもいい——?

 既読スルーのトーク画面を見る度、被害妄想に駆られて胸が痛くなる。

 だけど、今日は蒼月のことはなるべく考えないようにしなきゃいけない。今日は、大晴とふたりで夏祭りに行くんだから。

「陽咲、ちょっと待って」

 家を出る前に玄関の姿見で着崩れがないか最終チェックしていると、お母さんが奥の部屋から出てきた。

「衣装ケースを整理してたら、こんなのが出てきたの。付けていったら?」

 お母さんが、ゆるくおだんごにまとめたわたしの髪に、ピンクゴールドの髪飾りを挿す。

「覚えてる? これ、小学生のときの誕生日に蒼月くんがくれたでしょ。一度だけ夏祭りにつけていってたけど、それきりよね」
「それ、いつ頃だっけ……?」

 髪飾りに指で触れながら訊ねる。ドクンと、胸が震えた。蒼月がくれたという髪飾りにも、それを付けていった夏祭りにも覚えがなかったからだ。

「いつ頃……? 小学校の高学年だったとは思うけど。あー、ほら。あのとき。陽咲と蒼月くんが夕方にふたりで家を抜け出したときがあったでしょう。あのあとじゃないかな。ケガさせたお詫びもかねてって、蒼月くんが陽咲にくれたのよ。そのときの夏祭りは、たしか大晴くんと蒼月くんと涼晴くんと四人で出かけたんじゃない?」
「そう、だっけ……」
「もしかして……、覚えてない?」 

 反応の薄いわたしを見て、お母さんの表情が曇る。

「え、まさか。ちゃんと覚えてるよ」

 お母さんを心配させたくなくて、とっさにウソをついた。

「そう、よかった」

 ほっとしたように頬をゆるめるお母さんに笑い返しながら、髪飾りに触れるわたしの指はわずかに震えていた。

 また、知らないうちに消えてる――。

 覚えていない記憶が、わたしを不安にさせる。

 なかには、忘れてしまってもいいような記憶もあるかもしれないが、それでも知らないあいだになくなっているかもしれないと思うと怖い。

 わたしから欠けていくのは、いつのどの部分なんだろう。今のところ、過去の記憶が欠けているように思うけれど、そのうち、現在の記憶も欠けていったりするのだろうか。

 このままどんどん記憶が欠けていって、空っぽになってしまったらどうしよう。

 なくなったら嫌だ。なくなったことに気付けないのも嫌だ。消したくない。消えてほしくない。特に――。

 わたしはスマホを取り出すと、大晴にメッセージを打った。

【ごめん。やっぱり、今日は一緒に行けない】

 送った瞬間から既読がついて、大晴からメッセージが届く。わたしは、それを見なかった。

 大晴のことは好きだ。なんでも言えて気兼ねがないし、一緒にいて楽しい。でも、大晴への好きは恋じゃない。ほんとうは、初めからわかっていた。わかっていたから、曖昧にしてきた。

 薄情にも、わたしが一番消えてほしくないと思ってしまったのは蒼月との記憶ばかりで。もしもわたしの頭から全てが消えても、蒼月への想いだけは残ってほしいと願ってしまった。

 だから、大晴とは一緒にいけない。

 気持ちを伝えに行かなきゃいけない。これ以上、わたしの中の記憶が消えてしまう前に。