その日、家に帰ってから訊いてみた。
「ねえ、お母さん。わたしの頭、事故の日の記憶がない以外は異常なかったんだよね?」
「……、そのはずだけど。なにかあったの?」
お母さんが質問に答えるまでに、微妙な間があった。蒼月と大晴だけでなく、わたしはお母さんにも何か隠し事をされているのかもしれない。
「話したら、お母さんが知っていることをちゃんとわたしに教えてくれる?」
お母さんはしばらく考えるように黙りこんだあと、「わかった」と頷いた。
「陽咲に何か気になってることがあるなら、教えてほしい」
お母さんに言われて、わたしは最近何度か感じている違和感について話した。
友達と一緒にいるときに、ときどき自分がまったく覚えていない話をされることがある。
中学生のときのバトミントンの試合の対戦相手を覚えていなかったことや、小学生のときの海洋体験でのできごと、大晴や蒼月との思い出の一部が欠けていてまったく思い出せないこと。
日常生活を送るのに困るわけではないが、みんなの思い出話と自分の記憶にあまりにも乖離があると不安になることなどを訴えると、話を聞いてくれたお母さんが「うーん……」と考え込んだ。
「病院で目を醒ましたあなたに事故当日の記憶がないとわかったとき、検査では脳に異常がなかったの。前にも話したとおり、事故の日の記憶はいつか思い出すかもしれないし、このまま思い出さないかもしれない。それから……」
その話は、前から聞いている。わたしが知りたいのは、たぶんそこから先のこと。
「もしかしたら、頭をぶつけた後遺症でほかにも記憶障害が出ることがあるかもしれない。お医者さんからは、そういう話も少しされたの」
「そうなの?」
「そう。でも、ちょっとした物忘れって誰にでもあるでしょう? お医者さんに言われたのはあくまでも可能性の話で、何も起きてないのに陽咲に余計な心配をさせたくなかったから黙ってたのよ。ごめんね」
お母さんが申し訳なさそうに目を伏せる。
「ううん、わたしのこと心配してくれてありがとう」
お母さんの言うとおり、「あなたの記憶はこれからだんだん消えていくかもしれません」といきなり宣告されていたら、もしかしたら毎日眠れないくらい不安になっていたかもしれない。
わたしの記憶はわたしが知らないうちに欠けていく。いつ、どの記憶が消えたのかもわからない。誰かと共有していた記憶でなければ、自分の記憶がなくなったことにも気付けない。それが、絶対に忘れたくない大切な記憶だったとしても。
もしかしたら、もっと他にも消えてしまった記憶があるのかもしれない。そう思うと、ぞっと背筋が寒くなった。
「気になるなら、精密検査を受けに行ってみる?」
お母さんが、青ざめるわたしの方にそっと手をのせる。
「お医者さんからは、万が一、生活に支障をきたすような物忘れ症状が現れたら相談に来てくださいって言われてる。どうしようか……」
生活に支障をきたすような物忘れって、どの程度だろう。わたしが覚えていない記憶は、それを忘れているからといってものすごく困るわけじゃない。だけど、蒼月と一緒にいて苦しい気持ちになるのは、わたしが事故の日の記憶を忘れているからだ。
七月七日。蒼月の十七歳の誕生日。学校帰りに事故に遭って、蒼月に助けてもらったその日に、忘れてはいけない大切な何かがあったのだと思う。精密検査を受けたら、それを思いだすことができるんだろうか。
「……少し、考えてみる」
「わかった。なにかあれば、すぐに相談してね」
お母さんの心配そうな顔を見つめ返しながら、わたしは小さく頷いた。
「ねえ、お母さん。わたしの頭、事故の日の記憶がない以外は異常なかったんだよね?」
「……、そのはずだけど。なにかあったの?」
お母さんが質問に答えるまでに、微妙な間があった。蒼月と大晴だけでなく、わたしはお母さんにも何か隠し事をされているのかもしれない。
「話したら、お母さんが知っていることをちゃんとわたしに教えてくれる?」
お母さんはしばらく考えるように黙りこんだあと、「わかった」と頷いた。
「陽咲に何か気になってることがあるなら、教えてほしい」
お母さんに言われて、わたしは最近何度か感じている違和感について話した。
友達と一緒にいるときに、ときどき自分がまったく覚えていない話をされることがある。
中学生のときのバトミントンの試合の対戦相手を覚えていなかったことや、小学生のときの海洋体験でのできごと、大晴や蒼月との思い出の一部が欠けていてまったく思い出せないこと。
日常生活を送るのに困るわけではないが、みんなの思い出話と自分の記憶にあまりにも乖離があると不安になることなどを訴えると、話を聞いてくれたお母さんが「うーん……」と考え込んだ。
「病院で目を醒ましたあなたに事故当日の記憶がないとわかったとき、検査では脳に異常がなかったの。前にも話したとおり、事故の日の記憶はいつか思い出すかもしれないし、このまま思い出さないかもしれない。それから……」
その話は、前から聞いている。わたしが知りたいのは、たぶんそこから先のこと。
「もしかしたら、頭をぶつけた後遺症でほかにも記憶障害が出ることがあるかもしれない。お医者さんからは、そういう話も少しされたの」
「そうなの?」
「そう。でも、ちょっとした物忘れって誰にでもあるでしょう? お医者さんに言われたのはあくまでも可能性の話で、何も起きてないのに陽咲に余計な心配をさせたくなかったから黙ってたのよ。ごめんね」
お母さんが申し訳なさそうに目を伏せる。
「ううん、わたしのこと心配してくれてありがとう」
お母さんの言うとおり、「あなたの記憶はこれからだんだん消えていくかもしれません」といきなり宣告されていたら、もしかしたら毎日眠れないくらい不安になっていたかもしれない。
わたしの記憶はわたしが知らないうちに欠けていく。いつ、どの記憶が消えたのかもわからない。誰かと共有していた記憶でなければ、自分の記憶がなくなったことにも気付けない。それが、絶対に忘れたくない大切な記憶だったとしても。
もしかしたら、もっと他にも消えてしまった記憶があるのかもしれない。そう思うと、ぞっと背筋が寒くなった。
「気になるなら、精密検査を受けに行ってみる?」
お母さんが、青ざめるわたしの方にそっと手をのせる。
「お医者さんからは、万が一、生活に支障をきたすような物忘れ症状が現れたら相談に来てくださいって言われてる。どうしようか……」
生活に支障をきたすような物忘れって、どの程度だろう。わたしが覚えていない記憶は、それを忘れているからといってものすごく困るわけじゃない。だけど、蒼月と一緒にいて苦しい気持ちになるのは、わたしが事故の日の記憶を忘れているからだ。
七月七日。蒼月の十七歳の誕生日。学校帰りに事故に遭って、蒼月に助けてもらったその日に、忘れてはいけない大切な何かがあったのだと思う。精密検査を受けたら、それを思いだすことができるんだろうか。
「……少し、考えてみる」
「わかった。なにかあれば、すぐに相談してね」
お母さんの心配そうな顔を見つめ返しながら、わたしは小さく頷いた。