大事なシーンの撮影が終わったあと、空が完全に暗くなるまでみんなで浜辺で遊んだ。昼間に比べると水温はかなり下がっていて、海に入ると冷たくて寒い。

 大晴と涼晴は、お互いに海の水をかけ合っては、「つめてー」と悲鳴をあげていた。それを見て、あやめはケラケラ笑っている。

 みんなが楽しそうに遊ぶ様子を、わたしは大晴のスマホを借りてこっそり動画に撮ったおいた。あとで気付いた大晴が、エンディングにでも使ってくれたらいいと思う。

 スマホのカメラを回していると、海に入って遊ぶ三人から離れたところで蒼月が砂山を作っていた。おとなしい蒼月は、子どもの頃から、ふと見ると集団から離れてひとり遊びをしていることがよくあった。

「何してるの?」

 近付いて行って、砂山を挟んで向かい合うようにしゃがむと、蒼月がおもむろに顔をあげる。それから、きょろきょろと周囲を見渡すと、そばに落ちていた割れた貝がらを砂山のてっぺんに無造作にのせた。

「お誕生日おめでとう」

 唐突に言われて、頭の上に疑問符が浮かぶ。けれどしばらくして、目の前の砂山がケーキで、上に置かれた貝がらはイチゴがロウソクに見立てられているのだと気が付いた。

「ありがとう。ケーキだ……! いただきまーす」

 ふたりだけの秘密のお誕生日会みたいで、ちょっと嬉しい。子どもの頃におままごとしたときのように「パクパク〜」と食べたフリをして、手で砂山を崩す。

「甘くておいしかったです」

 最後に手を合わせて「ごちそうさま」をすると、蒼月が唇を歪めて苦笑した。

「なに? 先におままごと設定を持ちかけてきたのは蒼月じゃん」

 わたしの対応をバカにするとは……。軽く憤慨していると、蒼月が鼻筋に指をあてながら「ごめん」と笑う。

「ふつうにのってくれると思わなかった。僕も陽咲にケーキをあげたかったなって……。食べてくれてありがとう」
「ケーキなら、カフェでサプライズしてくれたでしょ」
「あれは、全部大晴の提案だから」

 悔しそうに眉を寄せる蒼月に、わたしはちょっと笑ってしまった。

「蒼月って結構負けず嫌いだよね」
「違う」
「そうだよ。でも嬉しかった。ありがとう」

 そっけない態度をとられる時もあったけど、誕生日ケーキのサプライズで大晴に対抗心を燃やすくらいには、蒼月もわたしを気にかけてくれている。そのことが、なんだかとても嬉しかった。

 今日は、最近では一番に蒼月に近付けている気がする。頬に手を当てて少しニヤけていると、「そういえば……」と蒼月が口を開いた。

「さっき、藤澤さんに週末の夏祭りに誘われた」

 淡々とした口調で話す蒼月は、まるで他人の話でもしているみたい。でも、文脈的にあやめに誘われたのは他の誰でもなくて蒼月本人だ。

 そういえば、ケーキを食べたカフェから浜辺に戻ってくるとき、あやめが蒼月となにか話していたような気がする。

 あやめと蒼月は映画撮影前から顔見知りだけど、ふたりが特別仲が良かったという印象はない。それなのに夏祭りに誘うなんて、あやめは蒼月のことが好きなのだろうか。

 幼なじみと親友の恋の可能性に、胸がざわついた。

「で?」

 少し尖った声で詰めると、蒼月がゆっくり首をかしげる。

「で、って?」
「誘われて、どうしたの?」
「断ったよ。たぶん、行けないと思うから」

 蒼月が足元の砂を握って、ぱらぱらと落とす。白砂が砂時計のように蒼月の手から落ちていくのを見つめながら、わたしは密かにほっとしていた。

 人見知りな蒼月は、昔からほんとうに行きたいと思う誘いにしかのらない。

 親友の恋が応援できないなんて薄情だけど、蒼月があやめの誘いを断ってくれてよかった。そう思ってしまうわたしは、性格が悪いのかもしれない。

「そ、っか。お祭りの日も夏期講習なの?」
「確認してみないとわからない。でも、僕には先の約束はできないから」

 蒼月が、なんだか悲観的な言い方をする。それは、蒼月が自分の誕生日について語るときのトーンと同じだった。

「そんな大げさな。明後日の話だよ」
「うん。でも、今日と明日は繋がってない」

 ぼそりとつぶやく蒼月が自嘲気味に笑う。また、蒼月がわけのわからないことを言っている。

「陽咲は行かないの? 今年の夏祭り」

 眉根を寄せたわたしに、蒼月が何気なくと言ったふうに訊ねてきた。

「あー、えっと……、わたしは……」

 大晴との約束が頭をよぎる。つい言い淀んだのは、大晴との約束を碧月に知られたくないと思ってしまったからだ。

「陽咲は大晴と行くの?」

 だから、蒼月のほうから訊かれてヒヤッとした。子どものときに、悪いことをして親にバレたときみたい。実際のわたしはなにか悪いことをしてるわけでもないのに、指先から血の気が引いていく。

「なんで、知ってるの……?」
「なんとなく、そうかなって。大晴と楽しんできてね」

 手のひらで握った砂をぱらぱらと落としながら、蒼月が下を向いて口角だけで笑う。顔も見ずに突き放すような言い方をされて、胸がズキンとなる。蒼月の言葉に少し傷ついたし、彼の言葉についイラッとした。

「蒼月は、わたしが誰と夏祭りに行こうとどうでもいい?」

 ついそんなふうに言ってしまって、慌てて口を押さえる。

 ものすごく傲慢な聞き方だと思った。こんなの、蒼月がわたしに興味がないことを責めているみたいだ。

 わたしと蒼月が恋人なのは映画の中の話で、現実ではわたし達の気持ちが交わることなんてない。そもそもわたしは蒼月とは昔みたいに友達に戻れたらと思っていただけで、それ以外の感情で彼を縛りたいわけじゃない。それなのに、どうしてあんなことを言ってしまったんだろう。

 ずっと、最近の蒼月の様子が少し変だと思っていた。でも、少し変なのはわたしのほうじゃないか……。

「ごめん、今のは忘れて……」

 指で横髪を掬って耳にかけながら、作り笑いで誤魔化す。そんなわたしを見て、蒼月がふっと儚く笑いかけてきた。

「心配しないで、ちゃんと忘れるから。陽咲は大晴に告白されてるんだもんね」

 蒼月の言葉に、ドキッとする。

 やっぱり、蒼月はわたしが大晴に告白されたことを知っていたんだ。大晴と蒼月は、この頃ふたりでいることも多かったみたいだし。正直者の大晴が、蒼月に言わずにいられるはずがない。

「そのこと、大晴に聞いた?」
「……うん」
「……どう、思った?」

 そう口にしてから、何を聞いているんだとまた反省する。

 大晴への告白の返事を、わたしはまだちゃんと決めきれていない。だからと言って、蒼月に意見を求めたってどうしようもないのに。

「ごめん、やっぱり――」
「いいんじゃないかな」

 質問を取り消そうとしたとき、蒼月が笑いながらそう言った。

「ふたりとも昔からすごく仲良いし、似合ってると思う」
「それって、蒼月はわたしが大晴と付き合ったほうがいいって思ってるってこと?」

 即座に聞き返したわたしの目元が、じわっと熱くなった。急に涙が浮かんできた理由を、自分でもうまく説明できない。よくわからないけれど、蒼月にわたしと大晴が付き合うことをあっさりと「いいんじゃない?」と肯定されたことが嫌だった。

 だからといって、大晴とのことを否定されたり反対されたかったわけでもない。だけど、少しくらいは悲しそうな顔をしたり、困ったりしてほしかった。そんなことを蒼月に望んでしまうのは、どうしてだろう。

 涙目で睨むと、蒼月が困ったように瞳を揺らす。

「だって……、陽咲が聞いてきたんだよ。どう思うか、って」
「そうだけど……。でも、前に相談したときは、蒼月はわたしに――」

 そこまで言いかけて、ふと言葉に詰まった。

 相談って、わたしはいったい何を言っているんだろう。大晴からの告白のことを蒼月と話すのはこれが初めてなのに。

 違う。そうじゃない。わたしは、なにかとても大切なことを忘れてる気がする。

 急にズキンと頭が痛くなって、こめかみを押さえる。そんなわたしを、蒼月が狼狽えた様子で見つめてきた。

「陽咲、どうしたの? もしかして……。事故の前のこと何か思い出してる……?」
「思い出すって、何を?」

 やっぱり、わたしは何かを忘れてるんだ……。それが何かはわからないけれど、胸がざわざわする。

 こめかみを指で押しながら視線をあげると、蒼月が小さく震えるように首を横に振った。

「……あ、いや。ごめん、なんでもない」

 蒼月の顔は、薄闇の中でももわかるくらいに青ざめていて「なんでもない」という感じではない。

「教えて。事故の前のことって……」

 それがわかれば、すべてのことに説明がつく気がする。蒼月があやめに夏祭りに誘われたと知ってモヤモヤしたことにも、大晴と付き合うことを肯定されて涙が出てしまったことにも。

 だって、この気持ちはきっと蒼月への嫉妬と焦燥で。わたしはたぶん――。

「どうした、ふたりとも。なんかもめてる?」

 蒼月に食い下がろうとしたとき、頭上からそんな声が聞こえてきた。

 わたしの隣にすとんと腰をおろして、蒼月との会話に割って入ってきたのは大晴で。彼の登場にほっとしたように、蒼月の表情がゆるむ。

「いや、大丈夫だよ。僕、ちょっと海で手を洗ってくる」

 立ち上がった蒼月が、手を叩いて軽く砂をはらう。

 渇いた砂を触っていた蒼月の手は、そこまで汚れているふうではなかったのに。都合の悪いことから逃げるための口実なのか、わたしを大晴とふたりきりにして歩き去ってしまう。

 蒼月は、絶対にわたしに何かを隠してる。そして、おそらく大晴も。

「ふたりして深刻そうな顔してたけど、何話してたの?」
「たいしたことじゃないよ」

 大晴に訊かれて、わたしは崩れた砂のケーキを横目に見ながら笑った。

 何を話してたかなんて、大晴に言えるわけない。だって、気付いてしまった。自分の気持ちの矛先が、どこを向いているのか……。

 そのあとは、蒼月と全く話ができなかった。

 海を出て電車の駅まで歩くときも、電車の中でも、蒼月は大晴と涼晴のそばにずっといて、話しかけるタイミングをつかめなかった。というより、蒼月はわたしとふたりになることを避けていた。小学生のときの『ホタル事件』以来、蒼月には何度も避けられているから、そういう空気はすぐわかる。

 蒼月と最後に目を合わせて交わした言葉は、別れ際の「バイバイ」だった。