◆
夕方までカフェで時間を潰したあと、わたし達は再び浜辺に向かった。まぶしいくらいの明るい青色だった空は、陽が落ち始めてグレイシュッブルーへと変化している。
「もうちょっと太陽が落ちてきたら撮影しよう」
スマホカメラが映す海と空の色を確認しながら、大晴がわたし達に指示を出す。
いつ撮影が始まってもいいように、わたしと蒼月は波打ち際で向かい合うようにして立った。
水平線を見ながら無言で立つ蒼月の前髪を海風が微かに揺らす。
蒼月の顔なんて小さな頃から見慣れているはずなのに、静かに佇んでいるときの蒼月の横顔にはおとなっぽい雰囲気が漂っていてドキドキした。それでなくても、これから映画の大事なシーンの撮影が控えているから、余計に意識してしまうのかもしれない。
このあと、沈む夕日をバックに撮ろうとしているのはヒロインの告白のシーンだ。
デートの最後にヒロインが幽霊の恋人に「好き」だと伝えるが、その言葉は彼にとってはタブー。ヒロインは事故で忘れていた記憶を思い出して、恋人はヒロインの前から姿を消してしまう。ヒロインが忘れていた現実を突きつけて。
何も知らないままだったら、「好き」と伝えなければ、ふたりは空想の中でずっと一緒にいられたかもしれないのに。
このシーンを台本で読み返す度、わたしはとても複雑な気持ちになってしまう。
「よーし、いい感じに太陽沈んできた。そろそろいける?」
空とずっとにらめっこをしていた大晴が、わたし達を振り向いて合図を出す。
「こっちはいいよ〜」
「カンペもオッケー!」
涼晴とあやめが、両腕で大きく丸を作って返事する。
「蒼月と陽咲は?」
「大丈夫〜」
蒼月と目配せしあってから、わたしが頭の上にオッケーサインを作る。
「じゃあ、すぐ始めるよ〜。夕日最優先だから、なるべくセリフの失敗なしで! 3、2、……」
カンッ――。
合図を聞きながら、浅く息を吸い込む。このシーンの始まりは、ヒロインの陽咲のセリフからだ。
『今日はありがとう。すっごく楽しかった!』
『僕も……』
ふっと笑った蒼月の横顔にオレンジ色の光があたる。その表情がとても綺麗で、役の中の陽咲とともに現実のわたしの胸もドクンと鳴った。
『あのね、わたし、蒼月にずっと伝えたかったことがある』
陽咲が思いきって切り出すと、蒼月の表情はわずかに曇る。
『わたし、蒼月のことが好き……。前からずっと……』
わたしは、少し離れたところに立っているあやめのカンペを見ながら陽咲のセリフを言った。
少し声が震えて硬くなったのは、セリフを忘れたからじゃない。映画のヒロインのセリフだとわかっていても、幼なじみの蒼月に告白をするのは恥ずかしかった。
人生でまだ一度も告白なんてしたことがないのに、初めての告白が映画で演じる役のセリフなんて。女優でもないのに、こんな経験をしている高校生は、なかなかいないだろう。
羞恥心を取り払うために、すぐに大声で叫びたいけど、カメラが回っているのでなんとか堪える。
『うん……。僕も陽咲が好きだよ』
陽咲の告白に、蒼月はうっすらと微笑んでそう答える。
蒼月が台本通りのセリフを読んでいることはわかっているのに、胸がドキッとした。蒼月が『好きだ』と言ってくれた陽咲が、映画のヒロインのことなのか、わたし自身なのか一瞬よくわからなくなったのだ。
(こんなセリフ、前にもどこかで言われなかった――?)
そんなことあるはずもないのに、妄想的な既視感がわたしの胸を締め付けて苦しくさせる。
どうして、わたし、蒼月から前にこのセリフを言われたなんて思うんだろう。夏休みの前にわたしに告白してくれたのは、蒼月じゃなくて大晴だ。
妙な既視感に囚われてしまったのは、蒼月のセリフが大晴に告白されたときの記憶に重なったせいかもしれない。こんなときに、わたしはなにを考えているんだろう。
しばらく無言になったわたしに、少し離れたところに立ったあやめがカンペを振って見せてくる。不自然に黙ったわたしが、セリフを忘れたと思ったらしい。
あやめの動きを横目に見ながら、わたしは映画のヒロインを演じることに集中する。
台本だと、ここで陽咲は蒼月と両想いになったことを喜んで笑顔になる。それから、衝動的に彼に抱きつかなければいけない。
『よかった……。嬉しい……!』
頑張って作った笑顔を張り付けて、正面から突進するみたいに蒼月に抱きつく。だが、陽咲の両腕は虚空を切り、蒼月の身体をすり抜けてしまう。(ここは、大晴がうまく編集するらしい)
夕陽が沈むのをバックに撮影するこのシーンは撮り直しがきかない。蒼月にとびつくとき少しぎこちない動きになってしまった気がするけれど、大晴のカットはかからなかった。
『え……?』
何が起きたわからず驚く陽咲に蒼月が泣きそうに笑いかける。
『僕も陽咲が好きだよ。すごく好き……』
蒼月がせつなそうな目で陽咲を見つめる。そのまなざしも、苦しそうに話す声も全部演技なはずなのに、シンプルな告白の言葉が陽咲だけでなくわたしの胸をも締めつけた。
ぎこちないわたしと違って、蒼月の演技はやっぱりすごい。まなざしや声のせつなさが真に迫ってきて、本気で告白されているみたいに胸がドキドキする。
台本を読んでいるわたしは、このあとの展開がどうなるかがわかっているのに。ヒロインの陽咲の気持ちで、蒼月の告白を喜んでしまう。
もしこれが映画の台本じゃなくてほんとうの告白だったら、素のわたしはどんな反応をしていただろう。
ふわふわとした気持ちで余計なことを考えていると、不意に蒼月のまなざしが険しくなった。
『だけど、ごめん……。僕にはもう、君を抱きしめる術がない。僕はもうこの世にはいないんだ……』
蒼月の口から紡がれたセリフに、わたしはハッとして、頭の中のスイッチをリアルな自分から映画の陽咲へと切り替えた。
『ウソ、何言ってるの……? 冗談だよね? だって、さっきまでふつうに触れてた』
ストーリーの結末は、悲しいけれどハッピーエンドではない。混乱する陽咲に、蒼月は残酷な現実を告げる。
『今まで触れ合えたように感じたのは、陽咲の脳の誤作動によるものだよ』
『どういうこと?』
『陽咲が僕のことを生きている人間だと思い込んでいたから、触れ合えているように感じでただけ。今の僕は、陽咲にしか見えていない。陽咲への未練と執着だけが残した幽霊なんだよ』
耳を塞ぐようにして頭を抱えた陽咲に、事故で忘れていた記憶が徐々に蘇ってくる。(このあたりは、大晴が編集して回想シーンを入れるらしい)
数ヶ月前に、蒼月とともに事故に遭ったこと。陽咲を庇った彼が重傷を負って亡くなったこと。そのショックで、陽咲が部分的に記憶喪失を起こしていたこと。
すべてを思い出した陽咲の目からは涙がこぼれる。
この演技がうまくできるか、それがとても心配だった。うまく泣けなければ、大晴に編集で涙を足してもらうつもりだった。
でも……、ヒロインの陽咲の気持ちに浸りきったら、自然に泣けた。わたしも、少しは演技力がついたらしい。
泣いている陽咲に、蒼月が愛おしそうに手を伸ばす。
『神様に猶予をもらったんだよ。陽咲が僕を思い出すまで、そばに居させてくださいって。陽咲と過ごせた時間は幸せだった。ありがとう……』
涙でぼやける蒼月の目にも、涙が溜まっているような気がする。わたし達、お互いになかなか演技派かもしれない。
大晴の「カット」の声がかかると、わたしと蒼月は顔を見合わせてお互いにふっと笑った。
映画の役柄を通して、わたし達の気持ちも繋がってる。そんなふうに思った。
夕方までカフェで時間を潰したあと、わたし達は再び浜辺に向かった。まぶしいくらいの明るい青色だった空は、陽が落ち始めてグレイシュッブルーへと変化している。
「もうちょっと太陽が落ちてきたら撮影しよう」
スマホカメラが映す海と空の色を確認しながら、大晴がわたし達に指示を出す。
いつ撮影が始まってもいいように、わたしと蒼月は波打ち際で向かい合うようにして立った。
水平線を見ながら無言で立つ蒼月の前髪を海風が微かに揺らす。
蒼月の顔なんて小さな頃から見慣れているはずなのに、静かに佇んでいるときの蒼月の横顔にはおとなっぽい雰囲気が漂っていてドキドキした。それでなくても、これから映画の大事なシーンの撮影が控えているから、余計に意識してしまうのかもしれない。
このあと、沈む夕日をバックに撮ろうとしているのはヒロインの告白のシーンだ。
デートの最後にヒロインが幽霊の恋人に「好き」だと伝えるが、その言葉は彼にとってはタブー。ヒロインは事故で忘れていた記憶を思い出して、恋人はヒロインの前から姿を消してしまう。ヒロインが忘れていた現実を突きつけて。
何も知らないままだったら、「好き」と伝えなければ、ふたりは空想の中でずっと一緒にいられたかもしれないのに。
このシーンを台本で読み返す度、わたしはとても複雑な気持ちになってしまう。
「よーし、いい感じに太陽沈んできた。そろそろいける?」
空とずっとにらめっこをしていた大晴が、わたし達を振り向いて合図を出す。
「こっちはいいよ〜」
「カンペもオッケー!」
涼晴とあやめが、両腕で大きく丸を作って返事する。
「蒼月と陽咲は?」
「大丈夫〜」
蒼月と目配せしあってから、わたしが頭の上にオッケーサインを作る。
「じゃあ、すぐ始めるよ〜。夕日最優先だから、なるべくセリフの失敗なしで! 3、2、……」
カンッ――。
合図を聞きながら、浅く息を吸い込む。このシーンの始まりは、ヒロインの陽咲のセリフからだ。
『今日はありがとう。すっごく楽しかった!』
『僕も……』
ふっと笑った蒼月の横顔にオレンジ色の光があたる。その表情がとても綺麗で、役の中の陽咲とともに現実のわたしの胸もドクンと鳴った。
『あのね、わたし、蒼月にずっと伝えたかったことがある』
陽咲が思いきって切り出すと、蒼月の表情はわずかに曇る。
『わたし、蒼月のことが好き……。前からずっと……』
わたしは、少し離れたところに立っているあやめのカンペを見ながら陽咲のセリフを言った。
少し声が震えて硬くなったのは、セリフを忘れたからじゃない。映画のヒロインのセリフだとわかっていても、幼なじみの蒼月に告白をするのは恥ずかしかった。
人生でまだ一度も告白なんてしたことがないのに、初めての告白が映画で演じる役のセリフなんて。女優でもないのに、こんな経験をしている高校生は、なかなかいないだろう。
羞恥心を取り払うために、すぐに大声で叫びたいけど、カメラが回っているのでなんとか堪える。
『うん……。僕も陽咲が好きだよ』
陽咲の告白に、蒼月はうっすらと微笑んでそう答える。
蒼月が台本通りのセリフを読んでいることはわかっているのに、胸がドキッとした。蒼月が『好きだ』と言ってくれた陽咲が、映画のヒロインのことなのか、わたし自身なのか一瞬よくわからなくなったのだ。
(こんなセリフ、前にもどこかで言われなかった――?)
そんなことあるはずもないのに、妄想的な既視感がわたしの胸を締め付けて苦しくさせる。
どうして、わたし、蒼月から前にこのセリフを言われたなんて思うんだろう。夏休みの前にわたしに告白してくれたのは、蒼月じゃなくて大晴だ。
妙な既視感に囚われてしまったのは、蒼月のセリフが大晴に告白されたときの記憶に重なったせいかもしれない。こんなときに、わたしはなにを考えているんだろう。
しばらく無言になったわたしに、少し離れたところに立ったあやめがカンペを振って見せてくる。不自然に黙ったわたしが、セリフを忘れたと思ったらしい。
あやめの動きを横目に見ながら、わたしは映画のヒロインを演じることに集中する。
台本だと、ここで陽咲は蒼月と両想いになったことを喜んで笑顔になる。それから、衝動的に彼に抱きつかなければいけない。
『よかった……。嬉しい……!』
頑張って作った笑顔を張り付けて、正面から突進するみたいに蒼月に抱きつく。だが、陽咲の両腕は虚空を切り、蒼月の身体をすり抜けてしまう。(ここは、大晴がうまく編集するらしい)
夕陽が沈むのをバックに撮影するこのシーンは撮り直しがきかない。蒼月にとびつくとき少しぎこちない動きになってしまった気がするけれど、大晴のカットはかからなかった。
『え……?』
何が起きたわからず驚く陽咲に蒼月が泣きそうに笑いかける。
『僕も陽咲が好きだよ。すごく好き……』
蒼月がせつなそうな目で陽咲を見つめる。そのまなざしも、苦しそうに話す声も全部演技なはずなのに、シンプルな告白の言葉が陽咲だけでなくわたしの胸をも締めつけた。
ぎこちないわたしと違って、蒼月の演技はやっぱりすごい。まなざしや声のせつなさが真に迫ってきて、本気で告白されているみたいに胸がドキドキする。
台本を読んでいるわたしは、このあとの展開がどうなるかがわかっているのに。ヒロインの陽咲の気持ちで、蒼月の告白を喜んでしまう。
もしこれが映画の台本じゃなくてほんとうの告白だったら、素のわたしはどんな反応をしていただろう。
ふわふわとした気持ちで余計なことを考えていると、不意に蒼月のまなざしが険しくなった。
『だけど、ごめん……。僕にはもう、君を抱きしめる術がない。僕はもうこの世にはいないんだ……』
蒼月の口から紡がれたセリフに、わたしはハッとして、頭の中のスイッチをリアルな自分から映画の陽咲へと切り替えた。
『ウソ、何言ってるの……? 冗談だよね? だって、さっきまでふつうに触れてた』
ストーリーの結末は、悲しいけれどハッピーエンドではない。混乱する陽咲に、蒼月は残酷な現実を告げる。
『今まで触れ合えたように感じたのは、陽咲の脳の誤作動によるものだよ』
『どういうこと?』
『陽咲が僕のことを生きている人間だと思い込んでいたから、触れ合えているように感じでただけ。今の僕は、陽咲にしか見えていない。陽咲への未練と執着だけが残した幽霊なんだよ』
耳を塞ぐようにして頭を抱えた陽咲に、事故で忘れていた記憶が徐々に蘇ってくる。(このあたりは、大晴が編集して回想シーンを入れるらしい)
数ヶ月前に、蒼月とともに事故に遭ったこと。陽咲を庇った彼が重傷を負って亡くなったこと。そのショックで、陽咲が部分的に記憶喪失を起こしていたこと。
すべてを思い出した陽咲の目からは涙がこぼれる。
この演技がうまくできるか、それがとても心配だった。うまく泣けなければ、大晴に編集で涙を足してもらうつもりだった。
でも……、ヒロインの陽咲の気持ちに浸りきったら、自然に泣けた。わたしも、少しは演技力がついたらしい。
泣いている陽咲に、蒼月が愛おしそうに手を伸ばす。
『神様に猶予をもらったんだよ。陽咲が僕を思い出すまで、そばに居させてくださいって。陽咲と過ごせた時間は幸せだった。ありがとう……』
涙でぼやける蒼月の目にも、涙が溜まっているような気がする。わたし達、お互いになかなか演技派かもしれない。
大晴の「カット」の声がかかると、わたしと蒼月は顔を見合わせてお互いにふっと笑った。
映画の役柄を通して、わたし達の気持ちも繋がってる。そんなふうに思った。