学校を出たわたし達の次の撮影地は駅前だった。
「蒼月とは何時に待ち合わせなの? わたしとあやめのシーンの撮影が押したから、長いこと待ってるんじゃない?」
あやめと並んで歩きながら、涼晴と一緒に前を歩く大晴に声をかける。涼晴にさっきスマホで撮影したばかりの映像を見せていた大晴は、肩越しにわたしを振り返ると「大丈夫、大丈夫」と笑って言った。
相変わらずの呑気な態度に、本当かなあとちょっと心配になる。
わたしの勝手な印象もあるかもしれないけど、蒼月の家はお父さんがお医者さんということもあって、昔から勉強に関して厳しい。蒼月のことを可愛がってたおばあちゃんが亡くなってからは特に、蒼月は学校のテストや塾の模試の結果をすごく気にしていた。蒼月のお兄ちゃんが頭が良くて優秀で、蒼月も負けないようにと勉強を頑張っていた。
夏休みは、きっと塾の夏期講習や特進科だけやっている夏期授業の課題で忙しいはずで……。映画撮影のために長いこと待たされたりするのは、迷惑なんじゃないかな。
蒼月と一緒のシーンを撮影をするのはわたしだから、彼の機嫌が悪くなければいいなと思う。
今年の夏休みは、映画の撮影という名目で、いつもの夏以上に蒼月と顔を合わせているけど、彼のわたしに対する態度は安定してない。
蒼月のセリフと演技は、毎回驚くほどにカンペキだけど、彼のわたしに対する態度は撮影の度に違うのだ。
挨拶しても無表情でよそよそしい日もあれば、わたしとの会話でほんの少し笑顔を見せてくれることもある。昔みたいに仲良くなれたと思うこともあれば、やっぱりわたしとはあまり関わりたくないのかなと思うこともある。
できればわたしは、小さい頃みたいに蒼月と接したいと思うけど、撮影の度に雰囲気の違う蒼月との距離の取り方が難しい。
「陽咲が心配することないって。今日は、蒼月も気持ちの整理をさせたい日みたいだから」
よほど深刻な顔をしていたらしい。わたしと目が合った大晴が、にこっと笑いかけてきた。
気持ちの整理をさせたい日――?
そんなふうに話す大晴は、蒼月のことがよくわかっているみたいだ。小さな頃みたいにしょっちゅうつるんでいるわけでもないのに、最近の大晴からは、たまに「蒼月のことならなんでも知ってる」とでも言いたげな、一種のマウントのようなものを感じるときがある。わたしは、会う度に雰囲気の違う蒼月が何を考えているかわからなくて、接し方に戸惑っているのに。
同じ幼なじみでも、わたしと大晴とでは全然立ち位置が違う。そのことにモヤモヤしたり、淋しいと思ってしまうのは、わたしのわがままだろうか。
「蒼月、北口改札にいるって。中央改札は人多いみたいだから、映像撮るなら北改札がいいかなあ」
駅が目の前に見えてくると、大晴がスマホを見ながらひとりごとみたいに話す。
「この時間、帰宅ラッシュだもんね」
涼晴がほんの少し眉をひそめる。夏休みといえど、夕方の時間は、通勤の大人たちや大きな部活カバンを持った学生達で駅前は混雑する。
メインの中央改札は電車が来る度に人の出入りが多くて、映画撮影ができるような雰囲気ではない。みんなで北口改札に回ると、そっちは中央改札に比べると人が少なかった。改札の近くで、制服姿の蒼月がスマホを見ながら待っている。
「蒼月、お待たせ〜」
大晴が手を振りながら声をかけると、蒼月が顔をあげる。大晴に向かって手を振りかえした蒼月が、その後ろにいるわたしの顔を見て目を見開く。
撮影でわたしが来ることはわかっているはずなのに。蒼月に、この場で会う予定のなかった人に出会ったときのような反応をされて微妙に傷付いた。
今さらこんなことを言ってもだけど、もしかしたら蒼月はわたしと恋人役を演じるのが嫌なのかもしれない。
「人通りが少ないタイミング見計らって、撮影始めようか」
勝手に少し沈んだ気持ちになってうつむいていると、大晴が蒼月の肩をポンと叩いて、立ち位置の指示を出してきた。
「なるべく関係ない人が映り込まないように、改札から少し離れたこの辺で。陽咲はひとりで立ってる蒼月に駆け寄って行って声をかける。ここでは、それだけ撮れたらオッケーだから」
「わかった」
このあとの公園でのデートシーンはたくさん会話があるけど、駅前で撮る待ち合わせのシーンにはほとんどセリフがない。
立っている蒼月の名前を呼んで、会えるのが嬉しくてたまらないって気持ちで彼に駆け寄る。嬉しそうに。笑顔で。
『ごめんね、待った?』
息を弾ませながら訊ねた陽咲に、蒼月が『大丈夫だよ』って優しく笑う。ただそれだけの、短いシーン。だけど、わたしにはすごく難しいシーンでもある。
本心では、蒼月はわたしと恋人役をすることを嫌がっているかもしれない。そんな彼の前で、自然になんて笑えない。
「じゃあ、始めるよ〜」
わたしの不安な気持ちに気付いていない大晴は、スマホを横に構えると笑顔で撮影を開始しようとしていた。大晴が、手を上げてカウントを始める。
どうしよう。でも、考えても仕方がない……。
わたしは深呼吸すると、ゼロカウントで、蒼月に向かって走り出した。
『蒼月……!』
手を振って名前を呼ぶと、蒼月が顔をあげる。わたしを見る彼の目にはなんの感情もなくて。わたしは、少し怯んでしまう。
これまでの蒼月は、大晴がカメラを回すと完璧にヒロインの恋人になりきっていた。だけど今日の蒼月は、映画の役に気持ちが入っていないみたい。
「悪い、いったん止める」
わたしの演技が大根なのは今に始まったことじゃないけど、大晴も今日の蒼月の演技がイマイチなことが気になったらしい。
「蒼月、陽咲に呼ばれたときにもうちょっと嬉しそうな顔してよ。陽咲も、もっと笑顔で蒼月のこと呼んで。このふたりは、お互い好きって思ってんだよ。それなのに、蒼月も陽咲も表情暗すぎ」
「えー。蒼月くんたち、そこまで悪くなかったじゃん」
涼晴が苦笑いでフォローしてくれるけど、最近の大晴はこだわりを持って映画撮影をしている。部活で同好会のメンバーでないわたし達が、文化祭で流すだけの映画だけど、ひとつひとつのシーンの撮影にこだわって、絶対に手を抜かない。
「陽咲は、最初の立ち位置にもどって。そこからもう一回撮り直そう」
大晴に言われてわたしが最初の立ち位置に戻ろうとしたとき、
「陽咲」
蒼月が声をかけてきた。振り向くと、蒼月がメガネの奥の瞳を細めてわたしを見つめる。
「なに……?」
「いや、えっと……。陽咲は、無事だったんだよね?」
「無事、って……?」
蒼月がなにを聞きたいのかよくわからない。首を傾げると、蒼月が少しうつむいて、メガネを指でぐっと押し上げる。
「ケガとかは……?」
「ケガ? 別にしてないけど。わたしは元気だよ。どうしてそんなこと聞くの?」
よそよそしい態度をとってきたかと思えば、突然ケガの心配なんて。ますます、よくわからない。怪訝に眉を寄せるわたしを見て、蒼月が小さく首を横に振る。
「いや、なんでもない。ほんとうに無事だったんなら、いいんだ。ただ、ぼくが少し混乱してだだけで……」
鼻筋に指を押し当てたまま、蒼月がひとりごとみたいにつぶやく。それから少しして顔をあげた蒼月が、わずかに目を細めた。
「さっきはごめん、陽咲。次は大晴のオッケーが出るように頑張るから」
蒼月の言葉に、わたしの胸からスーッと不安が消えていく。頑張るってことは、わたしとの撮影が嫌なわけじゃないってことだよね……。
「わたしも頑張る。次でオッケー貰おうね」
「うん」
勝手に前向きに解釈して笑うわたしに、蒼月が控えめに笑い返してくれる。そんな些細なことが、バカみたいに嬉しくてドキドキする。口元がニヤけそうになるのをグッと堪えて、今度こそ、初めの立ち位置に向かう。
わたしと蒼月がスタンバイしたのを確認してから、大晴が腕をあげる。
3、2、……。
大晴の指が動くのを見ながら、心の中でカウントする。ワンテイク目は不安でいっぱいだった胸が、ドキドキと高鳴る。高揚感を伴う緊張で。
ゼロカウントになる寸前で、大きく息を吸い込む。大晴の合図を横目に意識しながら、わたしは蒼月に向かって駆けた。
「蒼月とは何時に待ち合わせなの? わたしとあやめのシーンの撮影が押したから、長いこと待ってるんじゃない?」
あやめと並んで歩きながら、涼晴と一緒に前を歩く大晴に声をかける。涼晴にさっきスマホで撮影したばかりの映像を見せていた大晴は、肩越しにわたしを振り返ると「大丈夫、大丈夫」と笑って言った。
相変わらずの呑気な態度に、本当かなあとちょっと心配になる。
わたしの勝手な印象もあるかもしれないけど、蒼月の家はお父さんがお医者さんということもあって、昔から勉強に関して厳しい。蒼月のことを可愛がってたおばあちゃんが亡くなってからは特に、蒼月は学校のテストや塾の模試の結果をすごく気にしていた。蒼月のお兄ちゃんが頭が良くて優秀で、蒼月も負けないようにと勉強を頑張っていた。
夏休みは、きっと塾の夏期講習や特進科だけやっている夏期授業の課題で忙しいはずで……。映画撮影のために長いこと待たされたりするのは、迷惑なんじゃないかな。
蒼月と一緒のシーンを撮影をするのはわたしだから、彼の機嫌が悪くなければいいなと思う。
今年の夏休みは、映画の撮影という名目で、いつもの夏以上に蒼月と顔を合わせているけど、彼のわたしに対する態度は安定してない。
蒼月のセリフと演技は、毎回驚くほどにカンペキだけど、彼のわたしに対する態度は撮影の度に違うのだ。
挨拶しても無表情でよそよそしい日もあれば、わたしとの会話でほんの少し笑顔を見せてくれることもある。昔みたいに仲良くなれたと思うこともあれば、やっぱりわたしとはあまり関わりたくないのかなと思うこともある。
できればわたしは、小さい頃みたいに蒼月と接したいと思うけど、撮影の度に雰囲気の違う蒼月との距離の取り方が難しい。
「陽咲が心配することないって。今日は、蒼月も気持ちの整理をさせたい日みたいだから」
よほど深刻な顔をしていたらしい。わたしと目が合った大晴が、にこっと笑いかけてきた。
気持ちの整理をさせたい日――?
そんなふうに話す大晴は、蒼月のことがよくわかっているみたいだ。小さな頃みたいにしょっちゅうつるんでいるわけでもないのに、最近の大晴からは、たまに「蒼月のことならなんでも知ってる」とでも言いたげな、一種のマウントのようなものを感じるときがある。わたしは、会う度に雰囲気の違う蒼月が何を考えているかわからなくて、接し方に戸惑っているのに。
同じ幼なじみでも、わたしと大晴とでは全然立ち位置が違う。そのことにモヤモヤしたり、淋しいと思ってしまうのは、わたしのわがままだろうか。
「蒼月、北口改札にいるって。中央改札は人多いみたいだから、映像撮るなら北改札がいいかなあ」
駅が目の前に見えてくると、大晴がスマホを見ながらひとりごとみたいに話す。
「この時間、帰宅ラッシュだもんね」
涼晴がほんの少し眉をひそめる。夏休みといえど、夕方の時間は、通勤の大人たちや大きな部活カバンを持った学生達で駅前は混雑する。
メインの中央改札は電車が来る度に人の出入りが多くて、映画撮影ができるような雰囲気ではない。みんなで北口改札に回ると、そっちは中央改札に比べると人が少なかった。改札の近くで、制服姿の蒼月がスマホを見ながら待っている。
「蒼月、お待たせ〜」
大晴が手を振りながら声をかけると、蒼月が顔をあげる。大晴に向かって手を振りかえした蒼月が、その後ろにいるわたしの顔を見て目を見開く。
撮影でわたしが来ることはわかっているはずなのに。蒼月に、この場で会う予定のなかった人に出会ったときのような反応をされて微妙に傷付いた。
今さらこんなことを言ってもだけど、もしかしたら蒼月はわたしと恋人役を演じるのが嫌なのかもしれない。
「人通りが少ないタイミング見計らって、撮影始めようか」
勝手に少し沈んだ気持ちになってうつむいていると、大晴が蒼月の肩をポンと叩いて、立ち位置の指示を出してきた。
「なるべく関係ない人が映り込まないように、改札から少し離れたこの辺で。陽咲はひとりで立ってる蒼月に駆け寄って行って声をかける。ここでは、それだけ撮れたらオッケーだから」
「わかった」
このあとの公園でのデートシーンはたくさん会話があるけど、駅前で撮る待ち合わせのシーンにはほとんどセリフがない。
立っている蒼月の名前を呼んで、会えるのが嬉しくてたまらないって気持ちで彼に駆け寄る。嬉しそうに。笑顔で。
『ごめんね、待った?』
息を弾ませながら訊ねた陽咲に、蒼月が『大丈夫だよ』って優しく笑う。ただそれだけの、短いシーン。だけど、わたしにはすごく難しいシーンでもある。
本心では、蒼月はわたしと恋人役をすることを嫌がっているかもしれない。そんな彼の前で、自然になんて笑えない。
「じゃあ、始めるよ〜」
わたしの不安な気持ちに気付いていない大晴は、スマホを横に構えると笑顔で撮影を開始しようとしていた。大晴が、手を上げてカウントを始める。
どうしよう。でも、考えても仕方がない……。
わたしは深呼吸すると、ゼロカウントで、蒼月に向かって走り出した。
『蒼月……!』
手を振って名前を呼ぶと、蒼月が顔をあげる。わたしを見る彼の目にはなんの感情もなくて。わたしは、少し怯んでしまう。
これまでの蒼月は、大晴がカメラを回すと完璧にヒロインの恋人になりきっていた。だけど今日の蒼月は、映画の役に気持ちが入っていないみたい。
「悪い、いったん止める」
わたしの演技が大根なのは今に始まったことじゃないけど、大晴も今日の蒼月の演技がイマイチなことが気になったらしい。
「蒼月、陽咲に呼ばれたときにもうちょっと嬉しそうな顔してよ。陽咲も、もっと笑顔で蒼月のこと呼んで。このふたりは、お互い好きって思ってんだよ。それなのに、蒼月も陽咲も表情暗すぎ」
「えー。蒼月くんたち、そこまで悪くなかったじゃん」
涼晴が苦笑いでフォローしてくれるけど、最近の大晴はこだわりを持って映画撮影をしている。部活で同好会のメンバーでないわたし達が、文化祭で流すだけの映画だけど、ひとつひとつのシーンの撮影にこだわって、絶対に手を抜かない。
「陽咲は、最初の立ち位置にもどって。そこからもう一回撮り直そう」
大晴に言われてわたしが最初の立ち位置に戻ろうとしたとき、
「陽咲」
蒼月が声をかけてきた。振り向くと、蒼月がメガネの奥の瞳を細めてわたしを見つめる。
「なに……?」
「いや、えっと……。陽咲は、無事だったんだよね?」
「無事、って……?」
蒼月がなにを聞きたいのかよくわからない。首を傾げると、蒼月が少しうつむいて、メガネを指でぐっと押し上げる。
「ケガとかは……?」
「ケガ? 別にしてないけど。わたしは元気だよ。どうしてそんなこと聞くの?」
よそよそしい態度をとってきたかと思えば、突然ケガの心配なんて。ますます、よくわからない。怪訝に眉を寄せるわたしを見て、蒼月が小さく首を横に振る。
「いや、なんでもない。ほんとうに無事だったんなら、いいんだ。ただ、ぼくが少し混乱してだだけで……」
鼻筋に指を押し当てたまま、蒼月がひとりごとみたいにつぶやく。それから少しして顔をあげた蒼月が、わずかに目を細めた。
「さっきはごめん、陽咲。次は大晴のオッケーが出るように頑張るから」
蒼月の言葉に、わたしの胸からスーッと不安が消えていく。頑張るってことは、わたしとの撮影が嫌なわけじゃないってことだよね……。
「わたしも頑張る。次でオッケー貰おうね」
「うん」
勝手に前向きに解釈して笑うわたしに、蒼月が控えめに笑い返してくれる。そんな些細なことが、バカみたいに嬉しくてドキドキする。口元がニヤけそうになるのをグッと堪えて、今度こそ、初めの立ち位置に向かう。
わたしと蒼月がスタンバイしたのを確認してから、大晴が腕をあげる。
3、2、……。
大晴の指が動くのを見ながら、心の中でカウントする。ワンテイク目は不安でいっぱいだった胸が、ドキドキと高鳴る。高揚感を伴う緊張で。
ゼロカウントになる寸前で、大きく息を吸い込む。大晴の合図を横目に意識しながら、わたしは蒼月に向かって駆けた。