3、2、カンッ――。
保健室のベッドで横たわっていたわたしは、カチンコの合図でゆっくりと目を開けた。
『陽咲、よかった――』
耳元で、蒼月の少し掠れた声が聞こえる。声のほうに顔を向けると、予想よりも至近距離で蒼月と目が合って、心臓がドクンと跳ねた。
『あ、え……、や、矢野くん?』
第一声で言葉に詰まってしまうのを、なんとか誤魔化す。大晴の「カット」がかからなければいいけど……。
そう思ってヒヤヒヤしながら、わたしはなんとか映画のヒロインとしての青山陽咲を演じ続ける。
『わたし、どうして……。ここは……?』
『覚えてない? 君は事故に遭って、丸一日眠ってたんだ。よかった、目が覚めて……』
『事故……? わたし、よく覚えてない……』
『まだ無理しないで。陽咲が無事で、ほんとうによかった……』
起き上がって額を押さえる演技をすると、演技とは思えないくらいの切なさをたっぷりと含んだ声で蒼月が囁いて、そのままわたしの肩を遠慮がちに抱く。
無口で無表情で、最近ではクールな印象の蒼月。そんな彼が演技をできるのが意外すぎた。
主役のふたりはセリフだってそこそこあるのに、蒼月はほぼ完璧にそれを覚えてきている。そういえば、蒼月は昔から記憶力がいいほうだった。
小学校のときは漢字を覚えるのが早かったし、詩の暗唱のテストで花まるをもらっていた。でも、セリフに感情をのせるのまでうまいとは知らなかった。
家でかなり練習してきたのだろうか。蒼月のセリフの言い方があまりに自然すぎて、わたし自身に言われているような気がしてドキドキする。
わたしのほうは、完璧に暗記してきたつもりが結構うろ覚えで……。さっきから、あやめが出してくれているカンペをチラチラ確認しながらカメラの前で演技していた。
今撮影しているのは、事故に遭ったヒロイン、青山陽咲が病院のベッドで目覚めるシーン。事故で頭を打った陽咲は、事故のことも、目の前にいる矢野蒼月が恋人だったことも忘れてしまっている。
もともと、陽咲と蒼月は中学時代の同級生。同じクラスになったことはあるが、あまり親しくはない。
中学の頃の陽咲は、蒼月に密かに片想いをしていた。別々の高校に進学した陽咲は通学中の電車でたまに蒼月のことを見かけてドキドキしている。
ある朝、通学途中に気分が悪くてホームに座り込んでいた陽咲は、蒼月に助けられ、ふたりは親しくなる。
だが、事故で部分的に記憶をなくしている陽咲は、蒼月と親しくなったきっかけも、付き合っていたことも忘れてしまっている。彼女の記憶は、高校に入学したあたりで止まっているのだ。
だから、病院で目覚めたばかりの陽咲は、ずっと片思いしていた蒼月がお見舞いに来てくれていることに戸惑いを隠せない。
一方で、陽咲に自分と恋人だったときの記憶がないとわかった蒼月は、ショックを受ける。この時点では、蒼月が既に事故で死んでしまっていること、実は幽霊であることは明かされていない。
陽咲は片想いの相手を意識してドキドキしながら、蒼月は自分を忘れている恋人に対して慎重に言葉を選びながら、病室で会話をする。
面会時間が終わって別れの時間が近付くと、蒼月が遠慮がちに訊ねる。
『また明日も陽咲に会いに来ていい?』
『――、もちろんっ! だけど、矢野くんにその呼び方されるの、なんか慣れないな』
セリフを間違えないように気を付けながら、ちょっと不自然に照れ笑いするわたしに、蒼月が優しいまなざしを向けてくる。
ほんとうに好きな人を見つめているみたいな。そんな目だ。ドクンと胸を震わせるわたしを見つめながら、蒼月が台本通りのセリフを口にする。
『そうだよね……。でも、できたら、陽咲も僕のこと、名前で呼んでくれたら嬉しい』
『……名前で?』
『うん』
ひとつひとつのセリフをゆっくりと口にする蒼月は、わたしから少しも目をそらさない。
妙に緊張した空気の中で、わたしは何度も呼び慣れているはずの幼なじみの名前を呼んだ。
『――あ、つき』
蒼月のことなんて、幼稚園の頃から下の名前でしか呼んだことがないのに。カメラやみんなに見られているせいか、蒼月のやたらと優しい声音でセリフを言うせいか、演技じゃなくて本気で顔が火照ってくる。
『また明日ね、陽咲』
『また明日……』
最後までセリフを言ったところで、「カーット!」と大晴の大きな声が響く。カメラマン兼監督の大晴の声は、今撮ったシーンのしっとりとした甘い感じをぶち壊すくらい元気がいい。
撮り初めにカチンコを鳴らす前も何度も練習してやたらと張り切っていたし。カチンコを鳴らして「カーット」って言いたいだけなんじゃ……って気もする。
保健室のベッドで横たわっていたわたしは、カチンコの合図でゆっくりと目を開けた。
『陽咲、よかった――』
耳元で、蒼月の少し掠れた声が聞こえる。声のほうに顔を向けると、予想よりも至近距離で蒼月と目が合って、心臓がドクンと跳ねた。
『あ、え……、や、矢野くん?』
第一声で言葉に詰まってしまうのを、なんとか誤魔化す。大晴の「カット」がかからなければいいけど……。
そう思ってヒヤヒヤしながら、わたしはなんとか映画のヒロインとしての青山陽咲を演じ続ける。
『わたし、どうして……。ここは……?』
『覚えてない? 君は事故に遭って、丸一日眠ってたんだ。よかった、目が覚めて……』
『事故……? わたし、よく覚えてない……』
『まだ無理しないで。陽咲が無事で、ほんとうによかった……』
起き上がって額を押さえる演技をすると、演技とは思えないくらいの切なさをたっぷりと含んだ声で蒼月が囁いて、そのままわたしの肩を遠慮がちに抱く。
無口で無表情で、最近ではクールな印象の蒼月。そんな彼が演技をできるのが意外すぎた。
主役のふたりはセリフだってそこそこあるのに、蒼月はほぼ完璧にそれを覚えてきている。そういえば、蒼月は昔から記憶力がいいほうだった。
小学校のときは漢字を覚えるのが早かったし、詩の暗唱のテストで花まるをもらっていた。でも、セリフに感情をのせるのまでうまいとは知らなかった。
家でかなり練習してきたのだろうか。蒼月のセリフの言い方があまりに自然すぎて、わたし自身に言われているような気がしてドキドキする。
わたしのほうは、完璧に暗記してきたつもりが結構うろ覚えで……。さっきから、あやめが出してくれているカンペをチラチラ確認しながらカメラの前で演技していた。
今撮影しているのは、事故に遭ったヒロイン、青山陽咲が病院のベッドで目覚めるシーン。事故で頭を打った陽咲は、事故のことも、目の前にいる矢野蒼月が恋人だったことも忘れてしまっている。
もともと、陽咲と蒼月は中学時代の同級生。同じクラスになったことはあるが、あまり親しくはない。
中学の頃の陽咲は、蒼月に密かに片想いをしていた。別々の高校に進学した陽咲は通学中の電車でたまに蒼月のことを見かけてドキドキしている。
ある朝、通学途中に気分が悪くてホームに座り込んでいた陽咲は、蒼月に助けられ、ふたりは親しくなる。
だが、事故で部分的に記憶をなくしている陽咲は、蒼月と親しくなったきっかけも、付き合っていたことも忘れてしまっている。彼女の記憶は、高校に入学したあたりで止まっているのだ。
だから、病院で目覚めたばかりの陽咲は、ずっと片思いしていた蒼月がお見舞いに来てくれていることに戸惑いを隠せない。
一方で、陽咲に自分と恋人だったときの記憶がないとわかった蒼月は、ショックを受ける。この時点では、蒼月が既に事故で死んでしまっていること、実は幽霊であることは明かされていない。
陽咲は片想いの相手を意識してドキドキしながら、蒼月は自分を忘れている恋人に対して慎重に言葉を選びながら、病室で会話をする。
面会時間が終わって別れの時間が近付くと、蒼月が遠慮がちに訊ねる。
『また明日も陽咲に会いに来ていい?』
『――、もちろんっ! だけど、矢野くんにその呼び方されるの、なんか慣れないな』
セリフを間違えないように気を付けながら、ちょっと不自然に照れ笑いするわたしに、蒼月が優しいまなざしを向けてくる。
ほんとうに好きな人を見つめているみたいな。そんな目だ。ドクンと胸を震わせるわたしを見つめながら、蒼月が台本通りのセリフを口にする。
『そうだよね……。でも、できたら、陽咲も僕のこと、名前で呼んでくれたら嬉しい』
『……名前で?』
『うん』
ひとつひとつのセリフをゆっくりと口にする蒼月は、わたしから少しも目をそらさない。
妙に緊張した空気の中で、わたしは何度も呼び慣れているはずの幼なじみの名前を呼んだ。
『――あ、つき』
蒼月のことなんて、幼稚園の頃から下の名前でしか呼んだことがないのに。カメラやみんなに見られているせいか、蒼月のやたらと優しい声音でセリフを言うせいか、演技じゃなくて本気で顔が火照ってくる。
『また明日ね、陽咲』
『また明日……』
最後までセリフを言ったところで、「カーット!」と大晴の大きな声が響く。カメラマン兼監督の大晴の声は、今撮ったシーンのしっとりとした甘い感じをぶち壊すくらい元気がいい。
撮り初めにカチンコを鳴らす前も何度も練習してやたらと張り切っていたし。カチンコを鳴らして「カーット」って言いたいだけなんじゃ……って気もする。