動画を見て終わると、しばらくみんな無言だった。
その無言を破ったのは、やっぱり落合先生だ。
「この動画を撮ったのは、菜摘が亡くなる数日前だ。この翌日から、菜摘は昏睡状態に陥った。この動画が、菜摘の遺言みたいなものだ。……ああ、それからこれ。あの日、菜摘からこれを預かった」
そう言って落合先生は、ポケットの中から小さな紙袋を私に手渡し、席を立つと私たちに背を向けた。ポケットからハンカチを出して顔にそれを当てている。きっと泣き顔を私たちに見られたくないのだろう。
私は先生から紙袋を受け取り、袋の封を開けた。
そこには、パワーストーンのストラップが入っている。淡いピンクの色をした石は、おそらくローズクォーツだろう。聞けばこれは、落合先生が叔母にプレゼントしたもので、叔母はこれをいつも肌身離さず持っていたのだという。
そんな大切なものを私がもらっていいのか迷ったけれど、落合先生は菜摘が君に託したんだから、君に持っていてほしいと言うので、そのままポケットの中へとしまった。
叔母の遺言……。病床から、未来の私へメッセージをくれたことが、素直に嬉しかった。
私は叔母に愛されていたと改めて実感する。叔母のメッセージが心に響いた。
「もしかしたら、未来が変わればこの動画も消えてしまうかもしれない。けれど、これは君宛てのメッセージだ」
落合先生はそう言うと、私のスマホに動画のデータを送った。
「香織ちゃん、僕たちの未来を変えよう」
先輩の言葉に、私は力強く頷いた。
過去へのリープに成功した私たちは、最初の写真を撮影された九月二十五日に過去へ行くことを取りやめた。まずは、これで先輩のドッペルゲンガー騒ぎが消えるかどうかを検証することにしたのだ。
そうすると案の定翌日には噂話が消え、先輩の姿を遠目で見たと言っていた佐々木先輩も、その話を聞いていたほかの写真部二年の先輩たちも「は? ドッペルゲンガー? 何それ?」とみんなが口をそろえて、何事もなかったことになっていた。
これで、イレギュラーを一つ消し込むことに成功した私たちは、事故が起こる十一月十二日に向けての作戦を練ることとなった。
七年前の事故が起こった後、私は怪我でしばらく入院しており、事故の調査に来た警察官とのやり取りは退院後となったけれど事故のショックで記憶が曖昧だった。
そのため七年経った今、当時の記憶を辿ることは困難だと判断した私たちは、事故当時の記事を徹底的に調べることにした。当時の新聞はネットから削除されている。ましてや地方都市の交通事故なんて日常茶飯事で、該当する記事を見つけるなんて困難を極める作業だ。
事故現場付近の防犯カメラは、警察に証拠として提出されているとのことだったけれど、それを私たちが見せてくれと言っても今さらだろう。防犯カメラが設置されていた近所のコンビニに、当時の映像が残っていないか聞いてみたけれど、そんな古い動画は残っていないとの回答だった。
でも、事故に関する当時の新聞記事は、母がその部分をスクラップして保存してくれていたので、私はその部分をスマホで撮影し先輩とデータを共有した。
そして当時、身元不明の命の恩人を取り扱ったニュースはメディアでも取り上げられたこともあり、母はその記事を取り上げた週刊誌のスクラップも保存してくれていた。
それらのおかげで、私たちは記事を元に事故が起こる時間や場所、状況などをある程度正確に把握することができた。
七年前のその日、私は学校が終わって一度帰宅すると、里緒菜ちゃんと遊ぶ約束をしていたという。親のおさがりのスマホを持って、写真を撮ったりすることがブームだった私たちは、外でもいろんなものを撮影していた。そのおかげで、写真フォルダには膨大な写真が残っている。事故当日の写真も日付と時間が残っているので、当時の足取りを掴むのは簡単だ。
私たちは、写真が撮られた場所、時間を紙に書き抜いていく。こうして七年前の事故当日、放課後の私の足取りを把握することができた。
書き抜きをしたメモの通り、その足取りを忠実に再現したかったけれど、現在の私たちは高校生で、小学生の下校時間よりも授業時間は長い。平日に検証することは無理だった。加えて中間考査や体育祭など行事が盛り沢山で、あっという間に月日は流れ、気が付けば十一月になっていた。
七限の授業が終わり、先輩たちはその後も補習授業がある。私は部活がある日は真面目に活動し、塾以外で部活のない日は図書室でその日の課題に取り掛かり、先輩を待つ。そうして一緒に下校することが日課となっていた。
この日も、授業が終わると図書室で課題に取り掛かり、一区切りついたところで先輩が迎えに来てくれた。
私は静かに席を立つと、一緒に図書室を後にする。
階段を下りながら、先輩が静かに口を開いた。
「もうすぐ、運命の日だね」
七年前の私の行動を辿ることは、結局叶わなかった。土曜日や日曜祝日に検証してみようと話をしたけれど、二学期は何かと忙しい。先輩はもちろんのこと私も模試が入っていたりして、なかなか都合がつかず、ずるずると今日になっている。
「香織ちゃんの、当時の足取りを辿るのは諦めるとしても、事故の起こる時間なら今からでも間に合う。ちょっと今から現場に行ってみようか。あ、もちろん『現在』で検証するんだよ」
先輩の言葉に、私は頷いた。
私たちは学校を出ると、現在の通学路である当時の事故現場へと足を運んだ。
その無言を破ったのは、やっぱり落合先生だ。
「この動画を撮ったのは、菜摘が亡くなる数日前だ。この翌日から、菜摘は昏睡状態に陥った。この動画が、菜摘の遺言みたいなものだ。……ああ、それからこれ。あの日、菜摘からこれを預かった」
そう言って落合先生は、ポケットの中から小さな紙袋を私に手渡し、席を立つと私たちに背を向けた。ポケットからハンカチを出して顔にそれを当てている。きっと泣き顔を私たちに見られたくないのだろう。
私は先生から紙袋を受け取り、袋の封を開けた。
そこには、パワーストーンのストラップが入っている。淡いピンクの色をした石は、おそらくローズクォーツだろう。聞けばこれは、落合先生が叔母にプレゼントしたもので、叔母はこれをいつも肌身離さず持っていたのだという。
そんな大切なものを私がもらっていいのか迷ったけれど、落合先生は菜摘が君に託したんだから、君に持っていてほしいと言うので、そのままポケットの中へとしまった。
叔母の遺言……。病床から、未来の私へメッセージをくれたことが、素直に嬉しかった。
私は叔母に愛されていたと改めて実感する。叔母のメッセージが心に響いた。
「もしかしたら、未来が変わればこの動画も消えてしまうかもしれない。けれど、これは君宛てのメッセージだ」
落合先生はそう言うと、私のスマホに動画のデータを送った。
「香織ちゃん、僕たちの未来を変えよう」
先輩の言葉に、私は力強く頷いた。
過去へのリープに成功した私たちは、最初の写真を撮影された九月二十五日に過去へ行くことを取りやめた。まずは、これで先輩のドッペルゲンガー騒ぎが消えるかどうかを検証することにしたのだ。
そうすると案の定翌日には噂話が消え、先輩の姿を遠目で見たと言っていた佐々木先輩も、その話を聞いていたほかの写真部二年の先輩たちも「は? ドッペルゲンガー? 何それ?」とみんなが口をそろえて、何事もなかったことになっていた。
これで、イレギュラーを一つ消し込むことに成功した私たちは、事故が起こる十一月十二日に向けての作戦を練ることとなった。
七年前の事故が起こった後、私は怪我でしばらく入院しており、事故の調査に来た警察官とのやり取りは退院後となったけれど事故のショックで記憶が曖昧だった。
そのため七年経った今、当時の記憶を辿ることは困難だと判断した私たちは、事故当時の記事を徹底的に調べることにした。当時の新聞はネットから削除されている。ましてや地方都市の交通事故なんて日常茶飯事で、該当する記事を見つけるなんて困難を極める作業だ。
事故現場付近の防犯カメラは、警察に証拠として提出されているとのことだったけれど、それを私たちが見せてくれと言っても今さらだろう。防犯カメラが設置されていた近所のコンビニに、当時の映像が残っていないか聞いてみたけれど、そんな古い動画は残っていないとの回答だった。
でも、事故に関する当時の新聞記事は、母がその部分をスクラップして保存してくれていたので、私はその部分をスマホで撮影し先輩とデータを共有した。
そして当時、身元不明の命の恩人を取り扱ったニュースはメディアでも取り上げられたこともあり、母はその記事を取り上げた週刊誌のスクラップも保存してくれていた。
それらのおかげで、私たちは記事を元に事故が起こる時間や場所、状況などをある程度正確に把握することができた。
七年前のその日、私は学校が終わって一度帰宅すると、里緒菜ちゃんと遊ぶ約束をしていたという。親のおさがりのスマホを持って、写真を撮ったりすることがブームだった私たちは、外でもいろんなものを撮影していた。そのおかげで、写真フォルダには膨大な写真が残っている。事故当日の写真も日付と時間が残っているので、当時の足取りを掴むのは簡単だ。
私たちは、写真が撮られた場所、時間を紙に書き抜いていく。こうして七年前の事故当日、放課後の私の足取りを把握することができた。
書き抜きをしたメモの通り、その足取りを忠実に再現したかったけれど、現在の私たちは高校生で、小学生の下校時間よりも授業時間は長い。平日に検証することは無理だった。加えて中間考査や体育祭など行事が盛り沢山で、あっという間に月日は流れ、気が付けば十一月になっていた。
七限の授業が終わり、先輩たちはその後も補習授業がある。私は部活がある日は真面目に活動し、塾以外で部活のない日は図書室でその日の課題に取り掛かり、先輩を待つ。そうして一緒に下校することが日課となっていた。
この日も、授業が終わると図書室で課題に取り掛かり、一区切りついたところで先輩が迎えに来てくれた。
私は静かに席を立つと、一緒に図書室を後にする。
階段を下りながら、先輩が静かに口を開いた。
「もうすぐ、運命の日だね」
七年前の私の行動を辿ることは、結局叶わなかった。土曜日や日曜祝日に検証してみようと話をしたけれど、二学期は何かと忙しい。先輩はもちろんのこと私も模試が入っていたりして、なかなか都合がつかず、ずるずると今日になっている。
「香織ちゃんの、当時の足取りを辿るのは諦めるとしても、事故の起こる時間なら今からでも間に合う。ちょっと今から現場に行ってみようか。あ、もちろん『現在』で検証するんだよ」
先輩の言葉に、私は頷いた。
私たちは学校を出ると、現在の通学路である当時の事故現場へと足を運んだ。