先輩の言う通りだ。白いTシャツの上に、虫が付着している。うちわの風で掃えるだろうか。ちょっと強めに扇いでみたけれど、虫は微動だにしない。これを掃うには、先輩の背中に触れなければならないようだ。

「先輩、ちょっとごめんなさい」

 私は先に断りを入れ、先輩の背中に手を伸ばすと、虫が張り付いている箇所を軽く叩いた。

 虫は私の手に驚いたのか、羽音を立てて飛び去って行く。

「あ、やっぱり背中に虫がついてた?」

 首を背後に向けながら先輩が私に問いかける

「はい。でも、もう大丈夫です」

「ありがとう。屋外に出るときは虫よけスプレーが必須アイテムだね」

「ですね。……あ、もうそろそろ花火が上がりますよ」

 花火大会の会場で、アナウンスがあったようだ。スピーカーで拡張しているけれど、喧騒にかき消されて何を言っているかは聞き取れない。けれど、そろそろ花火が打ち上がる時間だ。

 私たちは、並んで打ち上げ花火を眺めた。

 ひゅんっと音がしたと思ったら、大爆音とともに、暗黒の夜空に大輪の花が咲く。花火は数秒後に儚く散りゆくけれど、その存在感は圧巻だ。眩しさのあまり、瞼の裏に残像が焼き付いている。花火に遅れて、火薬のにおいと煙がこちらに向かってくるけれど、これも夏の風物詩だ。

 連続して花火が打ち上がり、花火大会にやってきた人のほとんどが、花火にくぎ付けだ。

 少しして花火の打ち上げが休止すると、屋台は再び賑わいを見せる。

 花火が打ち上っている途中に、お目当てのものを買うため屋台に並ぶ観客もいたけれど、その差は歴然としている。

 私たちは人混みから少し離れた場所にいるため、人間ウォッチングに勤しんでいる。

 かき氷を食べ終えて体内温度が下がったはずなのに、気が付けばお互い大汗をかいている。うちわで扇ぐ風は熱風なので、正直言って気持ち悪い。

「香織ちゃん、すぐ戻るから、ちょっとここで待っていてくれる?」

 先輩はそう言うと、私が返事をする間もなく、さっき一緒に食べたかき氷のカップを手に取り、人混みの中へと駆け出した。

「え? あの、先輩?」

 私の声は、先輩の背中には届かない。先輩はあっという間に屋台が並ぶ人混みの中へと紛れていく。

 先輩の言葉を信じて、私はこの場を離れずポーチの中からスマホを取り出した。
 せっかくだから、花火をカメラで撮影してみよう。

 一眼レフとは勝手も違うし精度も落ちるけれど、撮影のコツを学んだ今、それまでのお粗末な写真とはきっと一味違うものが撮れるだろう。

 スマホのロックを解除してカメラアプリを起動させると、手振れしないようガードレールの上でスマホを固定させた。試しに目の前の人混みを撮影し、画像の露出などを調整する。

 画面に集中していたら、いつの間にか先輩が戻ってきたことに気付かず、急に声を掛けられて体が大きく跳ねた。

「何をそんなに夢中になってるの?」

「わぁっ!!」

 驚きのあまり手を滑らせて、うっかりスマホを落としてしまった。

「ごめん! スマホ大丈夫?」

 私は急いでその場に屈むと、落としたスマホを拾い上げ、画面にひびが入っていないかを確認した。よかった、何とか無事だ。

「液晶にひびは入っていないので、多分大丈夫かと……。そこまで衝撃もなかったみたいだし」

 スマホにカバーを付けていたのと、高さもそこまでなかったので、スマホ本体にも傷はついていなさそうだ。

「ああ、良かった……。それ、最新の機種でしょ? 壊れたらどうしようってひやひやしたよ」

 私はスマホの画面を開いて、他の機能もきちんと使えるかネットを繋いでみたりした。無事に普通通り起動している。

「うん、動作も問題ないです」

 私の言葉に、先輩も安どの表情を見せた。