「お姫様抱っこだーーーーーー‼︎」

 委員長の代わりに実況を担っている二年生女子の声が高らかに響く。

「うおおおおおおおお‼︎」

 三年生のテントから猛烈な勢いで走って来るのはお調子者と名高い野球部の少年、そしてその腕に抱えられているのはいがぐり頭がキュートな見た目からして活発そうな野球少年だ。

「きゃああああああ‼︎」

 絹を裂くような悲鳴が聞こえる。発しているのはいがぐり少年だ。

「おおっとこれはなんということでしょう! 坊主が坊主を抱きかかえています! この状況をどう見ますか委員長!」
「いやぁ実に興味深いですねぇ。お題が気になるところです」

 休憩中だったはずの委員長が実況席に戻っていた。
 光が当たらない場所のはずなのに眼鏡がきらりと光ったような気がする。

「野球部ペアがこのまま一位を掻っ攫うのかー⁉︎ いいやまだまだ! 背後から猛然と三年牧田が追い縋る! 手に持っているのは…スカートだーーー! きましたスカートです! 白高名物女子に土下座してスカートを借りるという悪魔的カード! まさか三年のレースに潜んでいました! お姫様抱っこ野球部、速さで不利か⁉︎」

 野球部と三年牧田の魂の叫びがグラウンドに響き渡る。両名真剣な顔でゴールを目指しているのに腕に抱えられた生気のないもう一人の野球部と誰かのスカートがたなびく光景がシュール過ぎて最早芸術的なものにすら映る。
 ほぼ真横に並んだ状態でのゴール──勝者はスカートを天へと突き上げた。

「牧田選手だーーーーーー! 熾烈な戦いを制したのは牧田選手! 野球部ペアは惜しくも二位という結果に終わりました。それでは気になるお題の発表ですね」

 まだまだ競技の最中だがその場にいる全員の視線が野球部に向いた。用意されているマイクの側に行き、神妙な面持ちでくしゃくしゃになった指示書を係に渡す。それを受け取った係は内容をしかと確認した後に連れてこられた未だに生気のない顔のいがぐり頭と、生徒のテント方へと顔を向ける。
 そして再び野球部の方へと向き直り「お疲れ」と戦友を慰めるように肩を叩いた。

「ただいまのお題は──、同じ部活の中で一番可愛い子でした!」

 高らかに告げられたお題に野球部二人は膝から崩れ落ちた。周囲は爆笑である。これが男女混合の部活動であれば甘酸っぱい空気にでもなったかもしれないが我が白高野球部には男子しかいない。その状態であのカードを引いてしまうとこんな場面が出来上がってしまうのだ。
 周はその様子に同情の視線を向けていたが、隣に座る咲良は何やら真剣な顔をしていた。

「…俺、来年これ出る」
「え」
「かわいい人連れてこいとかってやつ引けたら、周と走れる」
「………」

 非常に真剣な顔をしていた。そうなる未来を信じて疑っていない曇りひとつない目でグラウンドを見ながら咲良はそう言った。周の顔は菩薩のように穏やかだ。

「咲良──」

 ぽん、と肩に手を置いた。

「仮に来年本当にそのお題が当たったとして、咲良が本当におれを連れ出すつもりなら」

 すう、と薄く目を開くと咲良の肩が猫のようにびくっと跳ねる。

「怒るよ」
「…はい」

 グラウンドではまだ競技が続いていた。



 ───



 体育祭も無事に終わり後片付けも終わった頃。
 この日ばかりは全校生徒の下校時間が同じである。まだ夕方にもならない時間帯の玄関の外には体操服姿のままの生徒が溢れており、この大多数が今日はバスではなく保護者の車で帰ることになるのだろう。
 周の親も見にきてはいたが家もそこまで遠くない為今日も自転車だ。いつもならゆっくりと帰るのだが、今日は少しだけ事情が違う。

 その理由は単純にして明快、体育祭の日は南家と錦系で集まって焼肉をすると決めているからである。周も咲良も健康な高校生男子、そして今日は体育祭という普段よりも格段に体を動かした後。つまり腹ペコだったのだ。
 普段自転車を漕ぐ音がキコキコなのだとしたら今はガシャガシャだ。立ち漕ぎ寸前の勢いで二人は猛然と坂すらも登っていくのだが、やはり限界は来るもので中腹辺りで自転車から降りて歩き出す。
 当然二人の息は荒いが足は止まらずなんなら無言のまま先へ進み、頂上に到達すると再び自転車に跨ってそこからは麓まで快適な道だ。

 山の中は濃い緑の匂いが立ち込めていて、頬を打つ風の温度も随分と温くなってきた気がする。猛スピードで坂を下りながら周は胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
 むせ返るような草木の匂いがする。夏がすぐそばにまで来ている、そんな香りだった。
 坂を下れば家までは早いもので五分程度ペダルを漕げば周の家に到着する。夕方前だというのに既に庭では周の両親が焼肉用の台と机などをセッティングしており、近所の漁師から貰ったらしい魚介類が焼かれていた。

「おかえり坊主共。先やってるよ」

 木陰に椅子を出して座っているひっつめ髪のおばあさん、フミがはきはきとした声を発して飲みかけのビールの缶を鷹揚に上げた。二人はそれに声を合わせて「ただいま」と答えるがフミを見た咲良の眉間には皺が寄っている。

「もう酒飲んでんのかよ早えよ」
「こんな上等なツマミがあるってのに飲まずにいられるかい。さああんた達もさっさと手洗ってこっちおいで」
「ばあちゃんここあまねの家」
「いいのよぉさっくん。ここはフミちゃんとさっくんの家でもあるもの」
「そういうこった。さあ早くおし、あたしゃ肉も食べたいんだよ」

 フミと祖母トメのやりとりに周は笑みをこぼして頷くとまだ少し納得していないような、ただ単に恥ずかしがっているだけのような顔をしている咲良の腕を引いて家の中へと連れて行く。
 本当ならすぐにでも風呂に入りたいところだが、これからすぐ炭の匂いに染まるのだと思えば風呂に入るだけ無駄だというのはもう二人とも経験から知っている。キッチンで忙しそうに色々やっている母に二人でただいまと告げて洗面所に向かい、まずは周が手を洗って次は咲良。
 それが終わると二人でキッチンに顔を出すのももう恒例行事だった。

「母さん、何か手伝う?」
「あー助かるー! さっくんはおにぎり持ってってくれるー? 周はみんなの分の割り箸と、あと紙コップ。紙皿なんかも持ってって。どうせ匂い嗅ぎつけて漁師共が来るんだから多めに持ってっていいわよ」
「はーい」

 バタバタと焼肉に向けての準備を進めていく。
 材料や箸などを持っていけば焼く係になっている父親から問答無用で二人ともおにぎりを口に放り込まれて小腹を満たす。それを食べ終えるとまた家に戻って何かを持ってきてを数回繰り返すと庭には立派な焼肉会場が出来上がった。

「焼けたのどんどん盛っていくから沢山食べるんだよー」

 周とそう変わらない身長だが全体的なフォルムが丸く、お腹がぽこりと出ている見るからに柔和な人物が首に掛けたタオルで汗を拭いながら笑顔で息子たちに焼けたばかりの肉が盛られた皿を渡す。

「ありがとおじさん」
「父さんもちゃんと食べるんだよ」
「焼きながら食べてるから大丈夫だよー」

 周の父、(まさる)はトメによく似た笑顔で頷いた。
 そして腹を空かせた高校生男子二人の意識はすっかり盛られた肉に向けられ、どちらともなく手を合わせると目を輝かせた。

「いただきます!」