初めてのデートは、多分成功に終わったんだと思う。と、周は自室のベッドに転がりながら思い返していた。壁側に体を向けて、枕を足の間に挟んで自分の左手をぼんやりと眺める。デートの日、咲良に握られた手だ。
 出掛けた日から三日が経った。あの日は最後まで楽しく過ごしたし、文句無しの成功だとも思った。もはやデートがどういうものなのかわからなくなっていたが、楽しく過ごすという点においては間違いなく百点満点だったはずだ。けれどそれならばなぜ「多分」になっているかというと、それは別れ際の咲良の行動のせいにあった。



「はー、久々に行くと楽しいもんだね」

 夕方になるまで道の駅周辺で楽しんだ二人は夜の防波堤沿いを歩いていた。街灯もほとんどない道は暗いけれど月が照らしてくれているから前が見えないという訳でもなく、それに慣れた道というのもあってのんびりと歩いていた。

「俺らの知らねえ名産品増えてたな」
「それ。ていうかいつの間にマスコットキャラとか出来てたんだろうねこの島」

 土産物売り場に置いてあった果物やそれを元にしたお菓子などは小さい頃から馴染みがあったが、それ以外にもよくわからない特産品が数多く出てきていて二人が顔を見合わせる場面もあった。
 あとはソフトクリームを食べたり海に行ってみたりと普段とあまり変わり映えしないが、それでも十分に楽しい時間を過ごして二人はバスに乗った。楽しい時間だったなと思いながら目の荒いコンクリートの道を歩いているとふと咲良の足が止まった。周の家まであと百メートルくらいの距離だった。

「?」
「あまねさん」
「はい、なんでしょうか」
「抱き締めてもいい?」
「えっ」

 思ってもいなかった言葉に周は目を大きく開いて硬直した。

「だってデートなんだろ、これ。じゃあバイバイするときのハグは当然じゃん」
「と、当然なの…?」
「うん」

 多分きっとそれは当然じゃないと頭ではわかっているのに、月明かりの中でもわかるくらい照れ臭そうにしている咲良を見て、また心臓がきゅうっと小さくなった気がした。

「で、でもここ、道だし」
「車も人もほとんど通らねえじゃん、ここ」
「でも、恥ずかしい、し」

 一歩、咲良の足が前に出る。すると二人の距離はほとんどなくなって、潮風に混ざってふわりと咲良の匂いがした。

「──嫌じゃねえんだ」

 周が自分の発言に気が付いてはっとすると、したり顔をしている咲良と目が合った。何かを言葉にするよりも早く両腕が背中に回って抱き締められる。体温と香りがさっきよりもずっと近くに感じられて、周の心臓が早鐘を打った。

「……汗の匂いする」
「嗅ぐな馬鹿っ」
「やだ。あまねのだから良い匂いだし」
「そんなわけない…っ」

 咲良の方が身長が高いから自然と髪に顔を埋めるようになるのだろう。囁かれた言葉に体温が上がった気がして周はどうにか咲良から離れようとするけれど、周よりもずっと力強い腕がそれを許さない。

「あまね、俺にこうされるの嫌じゃない?」

 強い力で抱き締められたまま問われた言葉に周は抵抗の手を緩めた。どう答えようか悩んだけれど、そう悩むこと自体が答えなのだと気がついて小さく息を吐いたあと、観念したように咲良の胸元に額を押し当てた。

「………いやじゃない」
「声ちっさ」
「笑うなよ!」

 途端に頭上から聞こえた吹き出す声にムキになって顔を上げると、ごく近い距離で視線が絡まって息が止まる。周りの音が消えたような感覚になり、周の目には咲良しか映らなくなった。
 顔の角度が変わって、距離が縮まる。それをただ見つめることしか出来なかったけれど、吐息がくちびるに触れた瞬間周は咄嗟に目をぎゅっと瞑った。けれど予期したものはそこには触れず、代わりに頬に柔らかなものが触れた。
 周が驚きに目を開くのと咲良が抱き締めていた腕を解くのはほとんど同じタイミングで、夏だというのに二人の間を通る風がやけに涼しく感じた。

「……今、キスした」
「口じゃねえからいいだろ」

 暗くてよく見えないが、きっと咲良の顔は今の周と同じくらい赤いはずだ。片手で顔を隠し、周と目も合わせようとしないのがその証拠だった。

「そういう問題じゃ」
「あんな顔されたら、我慢とか出来ねえし」

 どんな顔なんだと訊こうとした周だったが、墓穴を掘りそうな気がしてやめた。微妙な沈黙のあと、二人はまたゆっくりと歩き出す。家までの短い距離はすぐに埋まり、また足が止まる。今度は二人とも同じタイミングだった。

「……じゃあ、今日はありがとう」
「ん」

 そう言って離れた周の手を咲良が強く掴んで引っ張った。

「あまね」

 耳のすぐそばで掠れた声が聞こえた。さっきとは比べ物にならないくらいの力強さで抱き締められて、だからこそ咲良の心臓が早く動いているのにも気がつく。

「だいすき」

 切ないとも思える響きで伝えられた想いに目を見開いた。すると腕が離れ「またな」と咲良が目も合わさず去っていくのを見つめる。その姿が闇の中に消えたのを見てから、周は膝を抱えるようにしてその場に座り込んだ。
 全身が熱くて、特に耳は発火しそうだと思った。
 ああどうしよう。周はうるさいくらいにどきどきと跳ねる心臓と、耳の奥で何度も繰り返される咲良の声に堪らない気持ちになっていた。そして、初めて咲良に告白された次の日のことを鮮明に思い出していた。

(いやじゃない)

 もう無視が出来ないほどの感情が、自分の中に育っていることを周は自覚した。

(抱き締められるのも、キスも、好きだって言われるのも、全部いやじゃない)

 それどころか、と周はさっき想いを囁かれた耳を指先で触れた。

(……嬉しいって、思っちゃった)

 元々咲良から告白されたのはもちろん、触れられることも嫌ではないと頭ではわかっていた。わかっていたけれどそれはあくまで頭ではだ。実際にはどうなるかなんてわからなかった。けれど、今日それがはっきりとしてしまった。
 咲良とキスも、それ以上も周は出来てしまう。それくらい咲良と触れ合うのが周には違和感が無い。それどころか触れられたことに嬉しさまで感じた。そう実感してしまった。ああ、ああ、と頭の中で意味のない言葉が音になっては消えていく。

「……好き、だなぁ」

 ぽつりと無意識に出た言葉に周自身が一番驚いた。けれどそれが本心なのだと、周はもう認めざるを得なかった。




「いやだからってチョロすぎるでしょ…!」

 デートの別れ際を鮮明に思い出した周はベッドの上でゴロゴロと悶えた。思い出しただけで全身がカッと熱くなるし、スマホで咲良の名前を見るだけでどっと心臓が騒ぎ出す。周は恋なんてしたことがない。けれどこのむず痒さや所在の無さを説明するには恋としか言いようがない、と自分の中でも結論が出ていた。
 出ていたけれど。

「……今更なんて言ったらいいんだ…!」

 周は恋愛初心者だった。そして恥ずかしがり屋でもある。もちろん生まれてこの方人に好意を伝えたことはないし、記憶にある限り咲良以外に好意を向けられたこともない。デートの時は腹も括れていれば肝も据わっていたからなんとか敢行出来たが、あの時と今ではまるで状況が違う。
 先日のデートは本当に咲良と付き合えるのか、という検証をする為に行ったものだ。その結果周はまんまと咲良への気持ちを自覚し、今に至る。そして問題が起きたのだ。

 この気持ちをどう伝えたらいいのかさっぱり皆目見当もつかないのである。
 恋とは実に厄介だ。自覚する前までは些細なことで馬鹿なやりとりが出来ていたのに、好きだと思った途端それまで自分がどうやって咲良に接していたのかがわからなくなった。だからメッセージのやり取りは目に見えて減った。これじゃダメだと思うのに、周はどうしても勇気が出なかった。
 でも、と根が真面目な周は天井をきっと強く睨んだ。

「次、次咲良から連絡が来たら、ちゃんと言おう」

 自分から動けないのが情けないが、こればかりは咲良からのキッカケが欲しいと周は心の中で咲良に謝った。
 ──けれどそれから一週間経っても咲良からはなんの連絡も来ず、八月になろうとしていた。