「あまね遅くね?」
それから更に十数分の待ち時間を経てちゃっかり出来上がったとんこつラーメンの乗ったトレイを両手で持ちながら周はようやく咲良の待つ席に向かった訳なのだが、開口一番のセリフには最早苦笑しか浮かばなかった。
「ごめんごめん、どうしても心惹かれるものがあって」
「別にそれはいいけど。ナンパされてんのかと思った」
「………それは咲良の方じゃない?」
店舗前に建てられた日除けの下にいくつか用意されている四人がけテーブルのうちの一つに周は腰を下ろした。ナンパ、ナンパ…と言葉と頭の中の情報をリンクさせながら呆れ気味に言うと咲良はむ、と眉を寄せた。
「あまねは可愛いんだからナンパされる」
「はは、無い無い。よーし食べよう。咲良のはまだ届いてない?」
「………多分もうちょい」
「そっか、俺の伸びちゃうやつだから先食べちゃうね。いただきます」
何やら納得していない咲良を置いて周は両手を合わせた。乳白色のスープに浮かぶ細麺やキクラゲ、漬け込まれた煮卵に薄切りだが量の多いチャーシュー、そして彩を与える紅生姜と青葱のコントラストに周はときめきを隠せなかった。
真夏にカレーが好まれるように周は真夏に食べるラーメンが、それもとんこつラーメンが大好きだった。こってりとした香りを吸い込んでから割り箸をぱき、と割ってまずはレンゲでスープを掬う。そして口に運ぶと途端に広がる濃厚なとんこつの香りとクリーミーなスープの味わいに目を細めた。
スープを味わった後に箸を伸ばしたのは極細ストレート麺だ。白さに期待が高まる。立ち昇る湯気に息を吹きかけて冷ましたあと、口に含んで一気に啜る。麺の歯応えも、噛んだ瞬間ふわりと香る小麦の風味も素晴らしくて周は感動すら覚えた。
「美味しい…」
しみじみと呟いて周はまた一口食べ進める。会話もそっちのけでラーメンの世界に没頭していた周だったが、ふと聞こえたシャッター音に顔を上げる。
「…今撮った?」
「撮った」
「なんで?」
「え、……思い出として」
妙に言い淀んだ咲良に周は首を傾げたが、丁度良いタイミングで咲良の番号が呼ばれた。「行ってくる」と席を立った咲良を見送ってまたラーメンと向き合おうとした周だったがふと近くに座る女子大生らしきグループの声が耳に入る。
「ねえあの子イケメンじゃない?」
「確かに。こんな田舎であんなイケメンとかロマンあるわ」
「でもああいうのって絶対引っ張りだこでしょ。めっちゃモテそうじゃん」
「それは間違いない」
「あーあー、一回でいいからああいうイケメンと付き合いたーい」
「わかるー」きゃらきゃらとミラーボールみたいに笑う女性たちの声を背に、周の食事の手が止まった。
(……なんで、こんなにもやもやしてるんだ…?)
胸の中に霧が立ち込めているようなそんな心地だった。けれど、と周は湯気の立つラーメンを見ながら考える。咲良のことを形容する言葉を聞くのは別にこれが初めてではない。
中学の時も部活で大会があった時は他校の女子に咲良はこそこそと騒がれていたし、高校に入ってからも女子から何度か咲良の連絡先や彼女の有無を問われたこともある。その時はなんとも思わなかった。むしろ「イケメンも大変だなぁ」と非常に他人事だった。それと今の状況はほとんど一緒なのに、どうしてこんなにも釈然としないのだろうか。
そこまで考えて、ふと何かに気付きそうになる。けれどそれに深入りする直前で後ろにいた女子大生のざわめきが聞こえて周は思考の海から顔を上げる。
「…でっかくない…?」
そこにいたのは明らかに通常サイズではないボリュームの、どちらかといえばすり鉢に近いサイズの丼を持った咲良だった。あまりの大きさに周囲の視線をチラホラと頂いているし、後ろの女子大生は咲良のそんなわんぱくな姿に若干引き気味であった。だが当の本人といえば夢にのようなサイズの肉の丼にテンションが上がっているのか目がキラキラと輝いている。
「一番でかいの頼んだ。すげえ重い」
「だろうねえ。写真撮っても良い? 母さんに送る」
「ん」
どしん、と置かれた丼を見ると余計に迫力が増して「おお」と感嘆の声が漏れた。早速カメラを起動して嬉しそうな咲良と丼とのツーショットを撮り終えると手を合わせていただきますをした咲良が早速大きな一口でローストビーフ丼を口に運ぶ。
咲良はそう口数が多い方ではないし、表情に出るという訳でもない。ただそんな咲良が誰が見ても幸せそうに食事を楽しむ姿はもしかして世界を平和に導けるんじゃないかなと思うくらいには穏やかだった。周はもちろんそんな咲良の写真も撮った。
ローストビーフとチャーシューの交換をしたりお互いに一口食べあったりしていれば量的にも時間的にも先に食べ終わったのは周の方で、手を合わせてご馳走様をすればちょうどいいタイミングで持っていたブザーが鳴る。
「まだなんか買ってたの?」
「うん、あれ」
もぐもぐと咀嚼しながら聞いてきた咲良に周が指差したのは未だに長蛇の列が並ぶキッチンカー。その列の長さと幟に書かれた文字に咲良は納得したように頷いた。
「ドーナツ。あまねが好きなやつじゃん」
「そう。咲良の分も買ったんだけど…食べれそう?」
「余裕」
「さすがすぎる」
じゃあ取ってくるねと伝えて周は席を立った。こんな田舎にやって来たキッチンカーには食事時だというのもあって、ちょっと見ないくらいの人数が並んでいて驚く。番号の書かれたブザーを持っていけば笑顔の素敵な店員からドーナツの入った袋を渡されて受け取る。それを手に席に戻ると先ほどまで咲良のことを噂していた女子大生たちの姿はなく、周はそれに安心している自分がいることに気がついて、思わず足を止めた。
「あまね?」
席のすぐそばで止まったせいか咲良が不思議そうに声を掛けてきた。それにハッとして周は笑顔を作って首を振りそのまま椅子に座る。少ししか離席していなかった筈なのに随分と量の減った気のする丼を見るとさっき足を止めた原因のことも忘れて周は目を丸くした。
「咲良ちゃんと噛んで食べてる?」
「食べてる。もうちょいで食い終わるからドーナツ待ってて」
「待つからゆっくり食べていいよ」
待ち時間もあったからかちょうど今が正しい昼飯時。二人が来た時よりも賑わいを見せる普段は閑散としているはずの道の駅の全く違う姿に周は純粋に驚いた。それから咲良が特盛のローストビーフ丼を平らげたのは五分後のことで、平気な顔でドーナツまで完食した様子にもう周は感心して拍手を送るほかなかった。
「…今日の目当てが終わってしまった」
そして食べ終えて食器を片付けた後に周は気がついてしまったのである。今日のメインテーマはデートであると同時に美味しいものを食べるということに。一切のデートらしさもなく、いつも通りに食事を楽しんでしまったということは既に今日の目的の大半を終えているということ。己の無計画さに周は愕然とした。衝撃を受けていると言ってもいい。
「? 何言ってんの」
「だ、だって今日その、一応デートなのにそれっぽいの全然してない」
「……」
周の言葉に咲良は目を丸くした。
「…俺もデートとかしたことねえから“それっぽい”がどんなのかわかんねえけど」
そのあと涼しげな目が優しく、慈しむように細まった。
「好きな人と休みの日に出掛けて、美味いもん食って、かわいい顔見れて、少なくとも俺は今日がめちゃくちゃ楽しい。あまねは違うの?」
好きだと伝えられた日から、時折咲良は周が見たことのない顔をするようになった。言葉通り嬉しくて楽しくて仕方がないみたいな顔は、やっぱり記憶をどう探しても出てこない。こんなに顔いっぱいで好きだと伝えてくる咲良を周は知らない。
「…ち、がわない」
気付いたら周はそう返していた。その言葉に咲良は見ているこっちが恥ずかしくなるくらいの甘い顔で笑うから、周の頬がかあっと赤くなる。
「かわいい」
「それはない」
「俺にはかわいいんだよ」
二人で並んで歩いている中、指先が触れ合った。手を繋ぐなんてできなかったけれど、夏の暑さとはまた違う熱を感じながら静かに、ひっそりと二人は指先を繋いだ。
それから更に十数分の待ち時間を経てちゃっかり出来上がったとんこつラーメンの乗ったトレイを両手で持ちながら周はようやく咲良の待つ席に向かった訳なのだが、開口一番のセリフには最早苦笑しか浮かばなかった。
「ごめんごめん、どうしても心惹かれるものがあって」
「別にそれはいいけど。ナンパされてんのかと思った」
「………それは咲良の方じゃない?」
店舗前に建てられた日除けの下にいくつか用意されている四人がけテーブルのうちの一つに周は腰を下ろした。ナンパ、ナンパ…と言葉と頭の中の情報をリンクさせながら呆れ気味に言うと咲良はむ、と眉を寄せた。
「あまねは可愛いんだからナンパされる」
「はは、無い無い。よーし食べよう。咲良のはまだ届いてない?」
「………多分もうちょい」
「そっか、俺の伸びちゃうやつだから先食べちゃうね。いただきます」
何やら納得していない咲良を置いて周は両手を合わせた。乳白色のスープに浮かぶ細麺やキクラゲ、漬け込まれた煮卵に薄切りだが量の多いチャーシュー、そして彩を与える紅生姜と青葱のコントラストに周はときめきを隠せなかった。
真夏にカレーが好まれるように周は真夏に食べるラーメンが、それもとんこつラーメンが大好きだった。こってりとした香りを吸い込んでから割り箸をぱき、と割ってまずはレンゲでスープを掬う。そして口に運ぶと途端に広がる濃厚なとんこつの香りとクリーミーなスープの味わいに目を細めた。
スープを味わった後に箸を伸ばしたのは極細ストレート麺だ。白さに期待が高まる。立ち昇る湯気に息を吹きかけて冷ましたあと、口に含んで一気に啜る。麺の歯応えも、噛んだ瞬間ふわりと香る小麦の風味も素晴らしくて周は感動すら覚えた。
「美味しい…」
しみじみと呟いて周はまた一口食べ進める。会話もそっちのけでラーメンの世界に没頭していた周だったが、ふと聞こえたシャッター音に顔を上げる。
「…今撮った?」
「撮った」
「なんで?」
「え、……思い出として」
妙に言い淀んだ咲良に周は首を傾げたが、丁度良いタイミングで咲良の番号が呼ばれた。「行ってくる」と席を立った咲良を見送ってまたラーメンと向き合おうとした周だったがふと近くに座る女子大生らしきグループの声が耳に入る。
「ねえあの子イケメンじゃない?」
「確かに。こんな田舎であんなイケメンとかロマンあるわ」
「でもああいうのって絶対引っ張りだこでしょ。めっちゃモテそうじゃん」
「それは間違いない」
「あーあー、一回でいいからああいうイケメンと付き合いたーい」
「わかるー」きゃらきゃらとミラーボールみたいに笑う女性たちの声を背に、周の食事の手が止まった。
(……なんで、こんなにもやもやしてるんだ…?)
胸の中に霧が立ち込めているようなそんな心地だった。けれど、と周は湯気の立つラーメンを見ながら考える。咲良のことを形容する言葉を聞くのは別にこれが初めてではない。
中学の時も部活で大会があった時は他校の女子に咲良はこそこそと騒がれていたし、高校に入ってからも女子から何度か咲良の連絡先や彼女の有無を問われたこともある。その時はなんとも思わなかった。むしろ「イケメンも大変だなぁ」と非常に他人事だった。それと今の状況はほとんど一緒なのに、どうしてこんなにも釈然としないのだろうか。
そこまで考えて、ふと何かに気付きそうになる。けれどそれに深入りする直前で後ろにいた女子大生のざわめきが聞こえて周は思考の海から顔を上げる。
「…でっかくない…?」
そこにいたのは明らかに通常サイズではないボリュームの、どちらかといえばすり鉢に近いサイズの丼を持った咲良だった。あまりの大きさに周囲の視線をチラホラと頂いているし、後ろの女子大生は咲良のそんなわんぱくな姿に若干引き気味であった。だが当の本人といえば夢にのようなサイズの肉の丼にテンションが上がっているのか目がキラキラと輝いている。
「一番でかいの頼んだ。すげえ重い」
「だろうねえ。写真撮っても良い? 母さんに送る」
「ん」
どしん、と置かれた丼を見ると余計に迫力が増して「おお」と感嘆の声が漏れた。早速カメラを起動して嬉しそうな咲良と丼とのツーショットを撮り終えると手を合わせていただきますをした咲良が早速大きな一口でローストビーフ丼を口に運ぶ。
咲良はそう口数が多い方ではないし、表情に出るという訳でもない。ただそんな咲良が誰が見ても幸せそうに食事を楽しむ姿はもしかして世界を平和に導けるんじゃないかなと思うくらいには穏やかだった。周はもちろんそんな咲良の写真も撮った。
ローストビーフとチャーシューの交換をしたりお互いに一口食べあったりしていれば量的にも時間的にも先に食べ終わったのは周の方で、手を合わせてご馳走様をすればちょうどいいタイミングで持っていたブザーが鳴る。
「まだなんか買ってたの?」
「うん、あれ」
もぐもぐと咀嚼しながら聞いてきた咲良に周が指差したのは未だに長蛇の列が並ぶキッチンカー。その列の長さと幟に書かれた文字に咲良は納得したように頷いた。
「ドーナツ。あまねが好きなやつじゃん」
「そう。咲良の分も買ったんだけど…食べれそう?」
「余裕」
「さすがすぎる」
じゃあ取ってくるねと伝えて周は席を立った。こんな田舎にやって来たキッチンカーには食事時だというのもあって、ちょっと見ないくらいの人数が並んでいて驚く。番号の書かれたブザーを持っていけば笑顔の素敵な店員からドーナツの入った袋を渡されて受け取る。それを手に席に戻ると先ほどまで咲良のことを噂していた女子大生たちの姿はなく、周はそれに安心している自分がいることに気がついて、思わず足を止めた。
「あまね?」
席のすぐそばで止まったせいか咲良が不思議そうに声を掛けてきた。それにハッとして周は笑顔を作って首を振りそのまま椅子に座る。少ししか離席していなかった筈なのに随分と量の減った気のする丼を見るとさっき足を止めた原因のことも忘れて周は目を丸くした。
「咲良ちゃんと噛んで食べてる?」
「食べてる。もうちょいで食い終わるからドーナツ待ってて」
「待つからゆっくり食べていいよ」
待ち時間もあったからかちょうど今が正しい昼飯時。二人が来た時よりも賑わいを見せる普段は閑散としているはずの道の駅の全く違う姿に周は純粋に驚いた。それから咲良が特盛のローストビーフ丼を平らげたのは五分後のことで、平気な顔でドーナツまで完食した様子にもう周は感心して拍手を送るほかなかった。
「…今日の目当てが終わってしまった」
そして食べ終えて食器を片付けた後に周は気がついてしまったのである。今日のメインテーマはデートであると同時に美味しいものを食べるということに。一切のデートらしさもなく、いつも通りに食事を楽しんでしまったということは既に今日の目的の大半を終えているということ。己の無計画さに周は愕然とした。衝撃を受けていると言ってもいい。
「? 何言ってんの」
「だ、だって今日その、一応デートなのにそれっぽいの全然してない」
「……」
周の言葉に咲良は目を丸くした。
「…俺もデートとかしたことねえから“それっぽい”がどんなのかわかんねえけど」
そのあと涼しげな目が優しく、慈しむように細まった。
「好きな人と休みの日に出掛けて、美味いもん食って、かわいい顔見れて、少なくとも俺は今日がめちゃくちゃ楽しい。あまねは違うの?」
好きだと伝えられた日から、時折咲良は周が見たことのない顔をするようになった。言葉通り嬉しくて楽しくて仕方がないみたいな顔は、やっぱり記憶をどう探しても出てこない。こんなに顔いっぱいで好きだと伝えてくる咲良を周は知らない。
「…ち、がわない」
気付いたら周はそう返していた。その言葉に咲良は見ているこっちが恥ずかしくなるくらいの甘い顔で笑うから、周の頬がかあっと赤くなる。
「かわいい」
「それはない」
「俺にはかわいいんだよ」
二人で並んで歩いている中、指先が触れ合った。手を繋ぐなんてできなかったけれど、夏の暑さとはまた違う熱を感じながら静かに、ひっそりと二人は指先を繋いだ。