8月25日。
夜。
セミももう寿命を迎えたのだろうか。
濁った音から、透き通った音に変わりつつある。
寮の裏。
一本の光に照らされた、2人が座るにはちょうどいいベンチが1つ。
けど、それを2人で使うものはいない。
なぜなら、絶妙なちょうど良さだから。
多少端にゆとりができても、絶妙な間がある。
その間は、こじれた友情関係や人間関係を表すのには十分すぎるもので。
机の横幅61センチほどあいたその間は、人一人が入るのは狭すぎる。
そのため、そこまで使われることのないベンチ。
そんなベンチをよく使うのは橋本唯一人。
そのことを知っているのは、橋本自身と、あるいは
砂利を蹴る音がする。
それは走っているものでも、歩いているものでもないような音を立てて近づいている。
その存在はすぐに分かった。
「お前がここに来るなんて、珍しいじゃねぇーか。」
日車くん。
眼の前にいるのは仁王立ちした日車ただ一人。
その表情は、暗闇でよく読めなかった。
「そっち、詰めろ。」
「え、すわんの?」
「立ち話もなんだしな。」
そのまま、横にズレていき、ちょうどいい距離で止まる。
「鈴虫が泣いてんぞ。」
「おう。」
「あーあって。」
「そうだな。」
「蝉はもう死んじまったな。」
「どっかで生きてるかもしんねぇぞ。」
「でも、終わってんだ。」
だから泣いてんだよ。
「なぁ、俺、いったよな?あいつ泣かせたら容赦しねぇって。」
「いったな。」
「お前だから、泣かせるところまではいかねぇと思ってた。いや、思いたかった。でもよ、これがお前の結果なんだろ?」
「そうだよ。」
「...吹っ切れた顔してんな。」
「この期に及んで嘘つく気力が、もう残ってないんだ。」
「じゃあ、その残り少ない気力を使ったとしてでも自分の気持ちは守りたいのかよ。」
「自分の気持ち?」
「はっ。無自覚のバカはあいつだけで十分なんだよ。今更しらばっくれても俺がお前の首締めるだけだぜ。」
「それは勘弁。」
「じゃあ大人しく言えばいいだろ。俺の好きな人はぁって。」
「そんな馬鹿な告白あるか?」
「あいつに馬鹿な告白をさせておいて?」
「...それもそうか。」
その瞬間、日車はすぐに立ち上がり、自販機を殴った。
「おい、手が、「今はどうでもいいだろ。」
日車は今、どんな表情をしているだろうか。
さっきは暗闇でよく読めなかった、そんな適当な理由こいて現実から目を背けた。
蝉が死んだことにも。
鈴虫が泣いたことにも。
今は、それが嫌にはっきり濃く見えるのに、何故か見たこともないほどぼやけていて。
これはなにかの罰なのか。それとも救いなのか。
そんなことは橋本にはわからない。
「ならなんであそこで言った。何が目的だ何が狙いだ!!!!!お前、あいつのこと好きなんだろ?おれはそんなに鈍くない、伊達にお前と3年近く一緒にいない。もうしらばっくれるのも、変にごまかすのも、なにもかもすべて無意味なんだよ!!!!!」
橋本は何も言えなかった。
人が怒るのは、爆発的なものであり、一瞬で、短く、そして長い。
花火のように呆気なく散って終わりなのに、心のなかではどくどくと余韻に溺れさせられる。
日車の怒り。
怒りと同時に、後悔が含まれる。赤くて青い、毒々しい程に染まった花火。
それを見た橋本の気持ちは、感動でもなく、驚愕でもなく、ただひたすらに儚く散った物への哀しみに近かった。
「あいつが、部屋に入ってきたとき、目が腫れてたんだよ。何があったって聞いたら。「先輩たちと、これで本当に野球できないだなって思って。」って言われたさ。その時の俺の感情は気が狂いそうなほど混合してた。あいつの言葉が、すぐに嘘だと気づいてしまった自分に対しての軽蔑。嘘でもそんなことを言い訳に使ったあいつへの怒り。自分にも、あいつにも同等の感情を向けていてどうすればいいのかわかんなかった。」
目の前で必死に訴えかけてきている日車に、一言でもいいから返さなければならない。
それでも、橋本は無言のまま。
「なぁ、お前はどうしたいんだよ...。口に出さずに、いつもどっかで飲み込んで。俺達が頼りねぇって言うんなら、もっと他の大人を頼れよ。お前が善意でやってると思ってることが、人を振り回してんのがわかんねぇのか!!!!」
「んなことわかってんだよ!!!!」
橋本の顔からは、いつもの余裕さは感じられない。
すこし若返ったようにも見える表情をしている。
けれど、これが年相応の顔なのだ。
橋本の眼の奥に、黒い花火が散った気がした。
「俺は、これが一番いいことだと思ってない!!!!一度も思ったことがない!!」
「じゃあなんでやるんだよ!!!!」
「そんなことわかるわけねぇだろ!!!お前らと同じだ!!!おれは、自分がしたいことが理解できない....」
風が、俺を殺そうとしていると思った。
多少肌寒いほどの風が吹き抜けた。
俺の口をめがけて、吹き抜けようとしている。
ここで顔をそむけてしまえば現実からも目を背けることになるのだろうか。
言いたい。発したい。伝えたい。
それをどんなに願ったことだろう。
それでもやっと紡いだ言葉は、ポリエステルのように、不要なものがすぐついて、離れなかった。
「こうしたいには、理由が存在する。俺も大概ある。それから直結するんだ。あのときの食堂での出来事だって、理由ならあったさ。しょうもねぇ理由だけどな。でも、それを行動にいざ起こしてみると自分のしたいことが消えて行くんだ。眼の前にあったはずの明確な理由をこなすため、ルートを進んでいったら、いつの間にか消えてるんだよ。これが。」
ある意味の呪なのかもしれない。
相手を緊縛する代わりに、自分は目的を見失う。
行き過ぎた愛情、歪んだ執念。
それをひっくるめての恋愛。
彼の中でのレンアイ感情。
「なんで食堂でいったんだよ。」
「あれはさ、見せつけってやつだよ。もうちょっとましな事あったんじゃないかって言われそうだけど、俺の中ではあれが一番効果的だったんだよ。」
「...お前は思考より先に行動が動くから見失うんじゃね?」
「そうかも知れないな。」
二人の間に、先程までの景色は存在していなかった。
軽く、碧く、静か。
それでいて、対等。
61センチの距離がここまで透けた空気をまとった事があっただろうか。
彼らは今、確実に対等で、高校生だ。
紛れもない、精神が例え大人びていようが、先輩だろうが、プロ志望だろうが。
彼らはただの高校生でいられるときだった。
「全部承知の上で聞くけどよ。」
「おう。」
「なんで好きなら自分も好きだって言わねぇんだ?」
「は?」
「だってよ、好きなんだろ?それで行動に悩んでんだろ?だったらよ、もう好きって伝えちまったほうがいろいろ楽なんじゃねーか。」
「まず、恋愛は楽、苦楽できめるもんじゃねーだろ。」
「漢前なこと言いやがって...。」
「いや、それが理由じゃないけどさ。」
「じゃあなんだよ。」
「夏の最期まではバッテリーでいたかったんだよ。」
「は?」
「あいつの好きって事がわかったのは6月ぐらいだろ?っていうか、ばらしたのは俺だけど。まだ、甲子園行きも決まってないけど、地方大会で負けようが、甲子園で負けようが、俺は負ける日までバッテリーでいたかったんだよ。」
バッテリーってさ、特別な関係だと思わねぇ?
唯一お互いが向かい合って、俺達だけのサインで繋がれてるんだぜ。
そんなポジション、満喫しねぇともったいねぇだろ。
「東峰のやつも、きっとそうおもってたんじゃねーかな。だから、告白してこなかったんじゃねーかと思ってんだよね。」
「ああ。そういうの気にしそうだよな、あいつ。」
「そうだろ?どっちかっていうと、あいつの思いも尊重したつもりだった。」
「...そうか。」
これを話すと、終わりということが突きつけられる。
変えようのない事実だ。
「思い出して悲しくなっちゃった?日車くん?」
「うるせぇ、んなわけねえだろ。」
そういうお前はどうなんだよ。
「この際もう正直に言うぜ?」
「おう」
「おれはさ、甲子園で負けたとき、悔しいと同時に」
嬉しいと思ったんだよね。
「お前、正気か?」
「そんな怒らずに聞いてほしいんだけどさ。」
「無理な話だが一応聞こう。」
「あざす。」
橋本の話はこうだった。
「おれはさ、最期まで東峰とバッテリーでいたかった。それは本心だ。だから、当然負けて悔しかった。東峰だって、ご存知の通り大号泣だ。いつもは見せないくせに、マウンドで跪いて肩震わせながら泣いてさ。それなのに、おれが甲子園を敗退した瞬間思ったことは何だったと思う?」
これで、俺達はもうなんでもない。バッテリーという関係でもない。
これで俺達は縛りから開放されるって。
「その瞬間、不覚にも笑っちまったよ。それが嬉しさなのか、こんな馬鹿な考えをした俺への嘲笑いなのかわかんなかったけど。眼の前のあいつはないてんのに、何俺は考えてるんだって。俺はその日以来、もう自分が許せなかった。」
日車は軽く見ていた、こいつの愛も、執念も。
「俺はさ、日車。あいつを思った以上に歪んだ眼で見てたんだなって気付いたよ。」
出てくる感情が、心配より歓喜。
掛ける言葉は、上辺だけ。
「それと同時に、あいつにこんな感情を向けられないことだって気づいたさ。だから、もうどうしようももねーんだ。今の俺じゃ、あいつに顔向けができねぇ。」
拒絶もされた。これ以上、何を重ねられる。
日車は、自分はいままでなにを知った気になっていたのだろうかと過去の自分を懺悔した。
こいつは、こいつだって人間だ。
後押しする人間はいるだろ。
あいつの後ろには誰もいない。
気にしたことすらなかった。
だから。
いま、全てがリセットされたいま、俺は後ろに回るんだ。
こいつの背中を守るんだ。
「んなこと、あいつだって承知の上でおまえのこと好きになってんだろうが。」
「いつものお前の性格の悪さに比べたら可愛いもんだろ。」
“強気な心を持てよ。価値観にも、感情にも左右されるな。ただ、気持ちに真っ直ぐであれ。”
歪んだ眼は、何かを取り戻す。
空は輝く。
風は吹き抜ける。
星は見えないけれど、月も見えないけれど。
何かに照らされて、道が見えた。
ような気がした。
「おう。」
そう言ったか橋本の顔は、エースに似ていたんだ。
俺達のエースに。
夜。
セミももう寿命を迎えたのだろうか。
濁った音から、透き通った音に変わりつつある。
寮の裏。
一本の光に照らされた、2人が座るにはちょうどいいベンチが1つ。
けど、それを2人で使うものはいない。
なぜなら、絶妙なちょうど良さだから。
多少端にゆとりができても、絶妙な間がある。
その間は、こじれた友情関係や人間関係を表すのには十分すぎるもので。
机の横幅61センチほどあいたその間は、人一人が入るのは狭すぎる。
そのため、そこまで使われることのないベンチ。
そんなベンチをよく使うのは橋本唯一人。
そのことを知っているのは、橋本自身と、あるいは
砂利を蹴る音がする。
それは走っているものでも、歩いているものでもないような音を立てて近づいている。
その存在はすぐに分かった。
「お前がここに来るなんて、珍しいじゃねぇーか。」
日車くん。
眼の前にいるのは仁王立ちした日車ただ一人。
その表情は、暗闇でよく読めなかった。
「そっち、詰めろ。」
「え、すわんの?」
「立ち話もなんだしな。」
そのまま、横にズレていき、ちょうどいい距離で止まる。
「鈴虫が泣いてんぞ。」
「おう。」
「あーあって。」
「そうだな。」
「蝉はもう死んじまったな。」
「どっかで生きてるかもしんねぇぞ。」
「でも、終わってんだ。」
だから泣いてんだよ。
「なぁ、俺、いったよな?あいつ泣かせたら容赦しねぇって。」
「いったな。」
「お前だから、泣かせるところまではいかねぇと思ってた。いや、思いたかった。でもよ、これがお前の結果なんだろ?」
「そうだよ。」
「...吹っ切れた顔してんな。」
「この期に及んで嘘つく気力が、もう残ってないんだ。」
「じゃあ、その残り少ない気力を使ったとしてでも自分の気持ちは守りたいのかよ。」
「自分の気持ち?」
「はっ。無自覚のバカはあいつだけで十分なんだよ。今更しらばっくれても俺がお前の首締めるだけだぜ。」
「それは勘弁。」
「じゃあ大人しく言えばいいだろ。俺の好きな人はぁって。」
「そんな馬鹿な告白あるか?」
「あいつに馬鹿な告白をさせておいて?」
「...それもそうか。」
その瞬間、日車はすぐに立ち上がり、自販機を殴った。
「おい、手が、「今はどうでもいいだろ。」
日車は今、どんな表情をしているだろうか。
さっきは暗闇でよく読めなかった、そんな適当な理由こいて現実から目を背けた。
蝉が死んだことにも。
鈴虫が泣いたことにも。
今は、それが嫌にはっきり濃く見えるのに、何故か見たこともないほどぼやけていて。
これはなにかの罰なのか。それとも救いなのか。
そんなことは橋本にはわからない。
「ならなんであそこで言った。何が目的だ何が狙いだ!!!!!お前、あいつのこと好きなんだろ?おれはそんなに鈍くない、伊達にお前と3年近く一緒にいない。もうしらばっくれるのも、変にごまかすのも、なにもかもすべて無意味なんだよ!!!!!」
橋本は何も言えなかった。
人が怒るのは、爆発的なものであり、一瞬で、短く、そして長い。
花火のように呆気なく散って終わりなのに、心のなかではどくどくと余韻に溺れさせられる。
日車の怒り。
怒りと同時に、後悔が含まれる。赤くて青い、毒々しい程に染まった花火。
それを見た橋本の気持ちは、感動でもなく、驚愕でもなく、ただひたすらに儚く散った物への哀しみに近かった。
「あいつが、部屋に入ってきたとき、目が腫れてたんだよ。何があったって聞いたら。「先輩たちと、これで本当に野球できないだなって思って。」って言われたさ。その時の俺の感情は気が狂いそうなほど混合してた。あいつの言葉が、すぐに嘘だと気づいてしまった自分に対しての軽蔑。嘘でもそんなことを言い訳に使ったあいつへの怒り。自分にも、あいつにも同等の感情を向けていてどうすればいいのかわかんなかった。」
目の前で必死に訴えかけてきている日車に、一言でもいいから返さなければならない。
それでも、橋本は無言のまま。
「なぁ、お前はどうしたいんだよ...。口に出さずに、いつもどっかで飲み込んで。俺達が頼りねぇって言うんなら、もっと他の大人を頼れよ。お前が善意でやってると思ってることが、人を振り回してんのがわかんねぇのか!!!!」
「んなことわかってんだよ!!!!」
橋本の顔からは、いつもの余裕さは感じられない。
すこし若返ったようにも見える表情をしている。
けれど、これが年相応の顔なのだ。
橋本の眼の奥に、黒い花火が散った気がした。
「俺は、これが一番いいことだと思ってない!!!!一度も思ったことがない!!」
「じゃあなんでやるんだよ!!!!」
「そんなことわかるわけねぇだろ!!!お前らと同じだ!!!おれは、自分がしたいことが理解できない....」
風が、俺を殺そうとしていると思った。
多少肌寒いほどの風が吹き抜けた。
俺の口をめがけて、吹き抜けようとしている。
ここで顔をそむけてしまえば現実からも目を背けることになるのだろうか。
言いたい。発したい。伝えたい。
それをどんなに願ったことだろう。
それでもやっと紡いだ言葉は、ポリエステルのように、不要なものがすぐついて、離れなかった。
「こうしたいには、理由が存在する。俺も大概ある。それから直結するんだ。あのときの食堂での出来事だって、理由ならあったさ。しょうもねぇ理由だけどな。でも、それを行動にいざ起こしてみると自分のしたいことが消えて行くんだ。眼の前にあったはずの明確な理由をこなすため、ルートを進んでいったら、いつの間にか消えてるんだよ。これが。」
ある意味の呪なのかもしれない。
相手を緊縛する代わりに、自分は目的を見失う。
行き過ぎた愛情、歪んだ執念。
それをひっくるめての恋愛。
彼の中でのレンアイ感情。
「なんで食堂でいったんだよ。」
「あれはさ、見せつけってやつだよ。もうちょっとましな事あったんじゃないかって言われそうだけど、俺の中ではあれが一番効果的だったんだよ。」
「...お前は思考より先に行動が動くから見失うんじゃね?」
「そうかも知れないな。」
二人の間に、先程までの景色は存在していなかった。
軽く、碧く、静か。
それでいて、対等。
61センチの距離がここまで透けた空気をまとった事があっただろうか。
彼らは今、確実に対等で、高校生だ。
紛れもない、精神が例え大人びていようが、先輩だろうが、プロ志望だろうが。
彼らはただの高校生でいられるときだった。
「全部承知の上で聞くけどよ。」
「おう。」
「なんで好きなら自分も好きだって言わねぇんだ?」
「は?」
「だってよ、好きなんだろ?それで行動に悩んでんだろ?だったらよ、もう好きって伝えちまったほうがいろいろ楽なんじゃねーか。」
「まず、恋愛は楽、苦楽できめるもんじゃねーだろ。」
「漢前なこと言いやがって...。」
「いや、それが理由じゃないけどさ。」
「じゃあなんだよ。」
「夏の最期まではバッテリーでいたかったんだよ。」
「は?」
「あいつの好きって事がわかったのは6月ぐらいだろ?っていうか、ばらしたのは俺だけど。まだ、甲子園行きも決まってないけど、地方大会で負けようが、甲子園で負けようが、俺は負ける日までバッテリーでいたかったんだよ。」
バッテリーってさ、特別な関係だと思わねぇ?
唯一お互いが向かい合って、俺達だけのサインで繋がれてるんだぜ。
そんなポジション、満喫しねぇともったいねぇだろ。
「東峰のやつも、きっとそうおもってたんじゃねーかな。だから、告白してこなかったんじゃねーかと思ってんだよね。」
「ああ。そういうの気にしそうだよな、あいつ。」
「そうだろ?どっちかっていうと、あいつの思いも尊重したつもりだった。」
「...そうか。」
これを話すと、終わりということが突きつけられる。
変えようのない事実だ。
「思い出して悲しくなっちゃった?日車くん?」
「うるせぇ、んなわけねえだろ。」
そういうお前はどうなんだよ。
「この際もう正直に言うぜ?」
「おう」
「おれはさ、甲子園で負けたとき、悔しいと同時に」
嬉しいと思ったんだよね。
「お前、正気か?」
「そんな怒らずに聞いてほしいんだけどさ。」
「無理な話だが一応聞こう。」
「あざす。」
橋本の話はこうだった。
「おれはさ、最期まで東峰とバッテリーでいたかった。それは本心だ。だから、当然負けて悔しかった。東峰だって、ご存知の通り大号泣だ。いつもは見せないくせに、マウンドで跪いて肩震わせながら泣いてさ。それなのに、おれが甲子園を敗退した瞬間思ったことは何だったと思う?」
これで、俺達はもうなんでもない。バッテリーという関係でもない。
これで俺達は縛りから開放されるって。
「その瞬間、不覚にも笑っちまったよ。それが嬉しさなのか、こんな馬鹿な考えをした俺への嘲笑いなのかわかんなかったけど。眼の前のあいつはないてんのに、何俺は考えてるんだって。俺はその日以来、もう自分が許せなかった。」
日車は軽く見ていた、こいつの愛も、執念も。
「俺はさ、日車。あいつを思った以上に歪んだ眼で見てたんだなって気付いたよ。」
出てくる感情が、心配より歓喜。
掛ける言葉は、上辺だけ。
「それと同時に、あいつにこんな感情を向けられないことだって気づいたさ。だから、もうどうしようももねーんだ。今の俺じゃ、あいつに顔向けができねぇ。」
拒絶もされた。これ以上、何を重ねられる。
日車は、自分はいままでなにを知った気になっていたのだろうかと過去の自分を懺悔した。
こいつは、こいつだって人間だ。
後押しする人間はいるだろ。
あいつの後ろには誰もいない。
気にしたことすらなかった。
だから。
いま、全てがリセットされたいま、俺は後ろに回るんだ。
こいつの背中を守るんだ。
「んなこと、あいつだって承知の上でおまえのこと好きになってんだろうが。」
「いつものお前の性格の悪さに比べたら可愛いもんだろ。」
“強気な心を持てよ。価値観にも、感情にも左右されるな。ただ、気持ちに真っ直ぐであれ。”
歪んだ眼は、何かを取り戻す。
空は輝く。
風は吹き抜ける。
星は見えないけれど、月も見えないけれど。
何かに照らされて、道が見えた。
ような気がした。
「おう。」
そう言ったか橋本の顔は、エースに似ていたんだ。
俺達のエースに。