俺、柊隼人は中学に入学した時から橘茉莉花が気になっていた。

 橘は中学1年の時は別のクラスにいたが、誰もが一目置く存在として知っていた。
 彼女は誰とつるむわけでもなく、割と1人いるけれど誰とでも仲良く話していたりした。

 俺は見た目が派手なこともあり、ヤンチャなグループに属していた。

 いわゆるスクールカーストではトップの集団だ。
 橘茉莉花は唯一スクールカーストに属さない人間だった。

 中学2年生の時、初めて彼女と同じクラスになった。
 彼女は当たり前のように学年首位を取り続けた。

 休み時間に本を読んでたりすると、オタクやガリ勉扱いされるのに彼女だけは別格だった。
 みんな、彼女が自分たちの事を相手にもしていないと分かっていた。
 常につるんで噂話や流行で盛り上がる自分たちとは別次元の存在だと認識していた。

 彼女は学校創立以来の才女と呼ばれ、県内トップの進学校に進むとみんなが思っていた。
 
「隼人! 今日はカラオケ行こうぜ!」
「俺、今日は用事があるから⋯⋯」

 俺はずっと不安だった。 
 チャラいグループと毎日のように遊んでいる生活。
(面白いかって言われれば、もう飽きた⋯⋯)

 そんな毎日に飽きていた俺は放課後図書室で勉強をしている橘茉莉花を訪ねた。

「委員長、どうして、そんな頭良いの? 勉強教えてよ」

 話しかける口実が見つからなくて吐いた言葉なのに、彼女は熱心に勉強を教えてくれた。

 今まで、誰かにここまで真剣に向き合って貰ったことはなかった。
 いつもその場限りのネタで笑い合って、面白いのかつまらないのか分からない時間を過ごしてきた。
 
 正直、つるむメンバーの1人が欠けても何とも思わなかったと思う。

 橘茉莉花と過ごす時間は全く違うものだった。

 ちょっとした雑談で彼女のことを聞けるだけで、俺は胸が高鳴った。
(あれ? 俺、彼女のこと好きになっているかも⋯⋯)
 
 彼女のことが知りたくて、図書室で小声で隙をみて趣味や家族構成を聞いた。
 趣味は辞書を読むことで、歳の離れた姉がいるらしい。

 歳の離れた姉はとてもモテるが、実は隠れオタクだと内緒話のように教えてくれる彼女が可愛かった。

 橘茉莉花も涼やかな美人でモテていたが、彼女自身周りを相手にしていない雰囲気があって一線引かれていた。

 県立トップの高校に進学して、そこの演劇部に入りたいと言っていた。

 その高校には毎年うちの中学から2人くらいしか行けないが、彼女なら確実に進学できる。

 俺は中学を卒業したら、彼女と離れ離れになるのが嫌だった。
(こんなの初めてだ⋯⋯俺、本当に彼女のこと好きなんだ⋯⋯)

「委員長、2人きりだね。茉莉花って呼んでも良い? 俺のことも隼人って呼んで! なんか、もう付き合っているみたいだよね⋯⋯俺たち」
 勇気を出して言った言葉は受け入れられて、俺たちは名前で呼び合う仲となった。

 成績下位だった俺も努力の結果か、中の上くらいの成績をとれるようになってきた。
(茉莉花に早く追いついて告白したい⋯⋯)

 そんな中学2年生のバレンタインデーの日だった。
 昼休みに茉莉花が先生からの呼び出しで、教室から出ていった。

「隼人! お前チョコいくつ貰ったの? お裾分けしてよ」
 俺は昔から30個くらいは平均してバレンタインチョコを貰っていた。
 それを知っている悪友からの要望だった。

「もう、そう言うこと大きい声で言うなよ。適当にこっそり取ってけって」
 俺は机の横に袋をかけて貰ったバレンタインチョコを入れていた。
(分かっていたけれど、茉莉花からはチョコを貰えなかったな⋯⋯)

「おっ! 引き出しの中にもあるぞ。さすが隼人! もうチョコレート屋開けよ」
 机の引き出しの奥から出てきた、可愛く包装された手作りチョコには見覚えがなかった。
(こっそり入れられた? 気がつかなかったわ⋯⋯)

「柊隼人様⋯⋯あなたのことが好きです⋯⋯橘茉莉花だって!」 
 悪友が手作りチョコの包装を破り、メッセージカードを読んでいた。

 俺は茉莉花が自分のことを好きだと言ってくれたことに胸がいっぱいになった。
(凄いストレートな茉莉花らしいメッセージだ⋯⋯)

「委員長、チョコなんて手作りするんだな? てっか、これ、本命チョコじゃん!」

「手作りチョコなんて、何入れられてるか分からなくて食べられねーよ」
 悪友の茶化すような言葉に照れて隠しに言った言葉を、俺は今後一生後悔するだろう。

 教室の扉を勢いよく開いた音がすると、俯いた茉莉花がいた。

 クラスの連中が一斉に茉莉花に注目する。

 彼女は俯きながら、自分のカバンに引き出しのものをしまうとそのまま教室を出ていってしまった。

「あれ? 橘はどうした?」

 それから、すぐに教室に入ってきた先生に皆「帰っちゃったのかも」「出てっちゃった」と口々に言った。
 超優等生の彼女がそのまま不登校になるなんて誰が予想しただろうか。

 中学3年生になっても、一向に茉莉花は学校に来なかった。
 彼女の連絡先なんて知らなくて、先生にプリントを彼女の家に持って行くと申し出て彼女に会いに行った。

 緊張しながらインターホンを押す。

「こんにちは。3年2組の柊隼人と申しますが、茉莉花さんにプリントを届けに来ました」

「わかりました。そこで待っててください」

 しばらくして出てきたのは茉莉花のお姉さんだろう。
 茶髪に巻き髪の彼女は女子大生くらいに見える。
 
「ちょっとお話ししたいことがあるんで、ついて来てください」

 彼女の凍りつくような冷やな声と視線に恐怖を感じた。
 優しいお姉さんと聞いていたが、今は優しさのかけらも感じない。

 無言で連れられた公園には人気がなかった。

「あんたさ⋯⋯人の手作りのものは食べたことないんだ⋯⋯生野菜しか食べないとか? じゃあ、その辺の草でも食べてろよ、このクソが」

 振り向いた彼女が開口一番に発した言葉に、一瞬時が止まった。
 平和にヘラヘラ生きてきた毎日で、ここまで攻撃的な言葉を浴びたことがなかった。

 その時、茉莉花を最後に見た日に自分が最後に発した言葉を思い出した。
(「手作りチョコなんて、何入れられてるか分からなくて食べられねーよ」)

「あの⋯⋯茉莉花のお姉さん、誤解なんです」
 俺は嬉しくて照れてしまっただけで、悪気があってあんな事を言ったつもりがない。
 それに、茉莉花の不登校の原因が自分だと思った事もなかった。

 彼女はいつも背筋が伸びてて強い人に見えたから、そんな些細な言葉で傷ついたりしないはずだ。

 学校に来ないのも、きっと俺の知らない事情があると思ってた。
(だって、周りの奴だって俺が茉莉花の不登校の原因なんて誰も言ってない⋯⋯)

「傷つける側って、本当に加害者意識ないんだね。でも、やられた側は一生覚えてるし、私もあんたを一生許さないから。お前のせいで、茉莉花の将来がめちゃくちゃになりそうなんだよ。2度とその苛つくツラ、見せんな!」

 茉莉花のお姉さんは目に涙を溜めながら俺を恫喝すると、手に持っていたプリントをかっさらって立ち去った。

 俺はその場をしばらく一歩も動けなかった。

 俺はどうしても茉莉花と会いたくて、彼女の目指してた高校に入ろうと猛勉強した。
 そして、無事に彼女が進学したいと言っていた県内トップの進学校に入学した。
 しかし、茉莉花と会うことはできず、彼女は高校から海外に行ったと風の噂で聞いた。

 高校生になっても、彼女のことを忘れることはできなかった。

 2度と会いたくないと思われていても、弁明して自分も彼女を好きだったと告白したいと思っていた。

 彼女が日本に戻ってくる保証はなかったが、俺はひたすら勉強をした。
 特別優秀だった彼女と自分の行く先がぶつかる可能性をひたすらに夢見た。

 彼女が選びそうな大学に合格すると、帰国子女枠で橘茉莉花という子が入ってくるという情報を掴んだ。
 俺は偶然を装って、彼女の登校日の初日に通学経路の途中で待ち伏せした。

「え? 同じ大学なの? よかったら、案内するよ。あと、4年以上前に貰ったチョコだけど凄くおいしかった。包装紙とかメッセージカードも全部取ってあるんだ⋯⋯」
 何を話そうか考えながらシュミレーションした。

(バレンタインチョコの話はしない方が良いだろうか⋯⋯まずは、謝罪からした方が良いかもしれない⋯⋯)
 
 そう考えながら目の前の道路を眺めていたら、茉莉花が凄い勢いで俯いて走っているのが見えた。

 走ってくるトラックに轢かれそうになっているのが見えて、俺は慌てて彼女を助けようと彼女の体を押した。

 ♢♢♢

「はあ、ルシアはどうしたんだ。こんな直前に逢う予定をキャンセルしてくるなんて⋯⋯」
 目を開けるとヨーロピアン風の豪華絢爛な部屋で、頭を抱えながらウロウロする王子っぽい金髪碧眼のイケメンがいた。

「会う直前にキャンセルって、大切な相手にはやらないだろうな⋯⋯」
 俺が思わず呟いた言葉に、王子風の男が真っ青になって俺の肩をゆすってきた。

「ライアン! 無口なお前が声を出してまで俺に伝えたかったのがソレなのか⋯⋯」
 目の前の美しい男には見覚えがあった。
(妹がリビングのテレビを陣取ってやっていた乙女ゲーム『誘惑の悪女』のミカエル王太子にそっくりだ⋯⋯)