「エメラルド⋯⋯?」

 大きな緑色の宝石はエメラルドだろう。
 そして、左手の薬指はこの世界でも特別な意味を持つ指のはずだ。
 
「アレキサンドライトだよ。昼は僕の色⋯⋯夜は君の色に変わる」
 私の薬指を撫でながら囁くレオの甘い声色に色気を感じる。
 私は今までの攻略対象とは桁違いにルシアとレオの関係は進んでいると確信した。

(アレキサンドライトって昼はエメラルド、夜はルビーと言われる宝石だよね⋯⋯)
 
 レオの瞳は緑色をしていて、エメラルドのようだ。
 しかし、ルシアの瞳の色は薄紫色で宝石に当てはめるならアメジストだろう。
 ルビーといえば、赤色だ。

 その時、私は昨晩亡くなったカイロス・スグラ国王の瞳の色を思い出した。
(まさか、ルシアの出生の秘密をレオも知ってる?)

「レオ⋯⋯この指輪は貰えないよ。私はミカエルの婚約者なんだから⋯⋯」
 確信が持てないので滅多なことは言えない。
 それでも、常識的に婚約者のいる女が別の男から貰った指輪をつけていてはダメだろう。

「世間知らずのミカエルなんて、いくらでも騙せるだろう。今日はいつもの君らしくないね」

 『誘惑の悪女』のルシアは、レオの前では悪い女だったのだろうか。
 レオは次期国王であるミカエルを平気で馬鹿にしている。
(なんなの? この余裕は⋯⋯)

「もし、何か尋ねられたら⋯⋯いつも側に感じていたくて、ミカエルの瞳の色の指輪をつけているとでも言い訳するわ」

 ミカエルの瞳は碧色で、エメラルド色と似ている。
 この世界に来て割と自由に言葉を発していたが、今、私は危険を感じているのか言葉を選んでいる。
(人が亡くなったばかりだから? 何だか、レオは怖い⋯⋯)

 ゲームの中でレオは、一目惚れのルシアに夢中な大金持ちのお坊ちゃんでしかない。
 溌剌としたイメージで、このような大人のムードで迫ってくる印象はなかった。
 
 余計なことを言うのも怖いけど、元のルシアのフリはできない気がした。
 そもそも男性経験がない私が、色気で誘惑するルシアを演じるのは難しい。

 それ以上に、好きでもない相手から迫られるのが嫌だ。
(もう、橘茉莉花でぶつかるしかないわ)

「ルシア⋯⋯」
 私が沈黙していたからか、レオがまたキスをしようとしてきた。

 私は咄嗟にレオの口を手で塞いだ。

「レオ⋯⋯私、今そういう気分じゃないの」
 ヘラヘラ笑わず、真剣な顔で思ったことを言う。

 誰が何を考えているかなんて、想像するしかできない。
 それならば、私は私の思っている事をストレートに伝えるだけだ。

 また、私の行動のせいで予想外の出来事が起こるかもしれない。
 それでも、恐れていては何もはじまらない。

「やっぱり、実の父親が亡くなったら悲しくなった? なんの感情もないって言ってたのは強がりだったんだね⋯⋯」

 レオが私の銀髪をいじりながら言ってくる言葉に、心臓が一瞬止まったかと思った。
(私がカイロス国王の実子だってレオも知っているってこと?)

 レオはルシアと一緒になる予定だと言っていた。
 カイロス国王が亡くなったのは、やはり他殺でレオの言う「計画」と関係があるのだろうか。

「国王陛下に対して、なんの感情もないって言うのは本当よ。レオと私は本当に一緒になれるのかなあ?」

 どうやって彼は現在ミカエルの婚約者である私と一緒になるつもりなのだろう。
 そして、計画が変わったと言うのは私が火の魔力を披露したせいだろう。

「急に不安になっちゃった? だから、火の魔力を見せつけたの? まあ、ミカエルの相手が疲れるって言うのはわかるかな。僕も、彼と君が一緒にいると彼を殺してやりたくなるよ」

 私の髪を弄りながら余裕の表情で語るレオに恐怖を感じる。
 王族のミカエルを殺したいだなんて、誰かに聞かれたら反逆とられかねない。

「火の魔力を見せつけたのは、私の本当の力をみんなに見て欲しかっただけだよ」
 私は嘘をつくのが得意ではない。

 今、恐怖を感じながら会話をしているが、嘘など見破られそうだ。
 だから思った通りの言葉を出すことにした。
(レオは、ルシアのことが好きみたいだから、私に危害は及ぼさないよね⋯⋯)

「ふふっ! 本当かな? そんな単純な理由なの? 隠し事が大好きな君らしくないけれど、何だか可愛い!」

 レオは心底愛おしそうに私のことを抱きしめてきた。

 何だかさっきまでの大人っぽい危険なムードはなくなった。
(私に色気がないのが、功を奏したっぽいわ⋯⋯)

「レオの隠し事を教えてくれる?」
「君に対して隠していることなんてないよ。隠してるとしたら君が思っている以上に、僕は君のことを好きってことかな」

 あまり重要なことは聞き出せなかった。
 恋人たちと言うのは、こういった意味のないやり取りをして遊ぶものなのだろう。

トントン。

 扉をノックする音がして、開けてみるとライアンが深刻そうな顔で立っていた。
「ルシア様⋯⋯至急ミカエル王太子殿下からお呼び出しがありまして⋯⋯」
「ルシア⋯⋯あと、少しの辛抱だ⋯行っておいで、僕の愛おしい人」

 後ろから私を抱きしめながら、レオが耳元で囁く。
(秘密の関係っぽかったのに、ライアンの前では良いのかしら)

 私はライアンに連れられて部屋を出た。

「ミカエルから呼び出しがあったって、どこに行けば良いのかしら?」
 私の質問にライアンは答えてくれない。

「ねえ、あなたって私の味方なの? それとも、ミカエルの味方?」
 ライアンに私の今の心情など理解できないだろう。
 異世界からきて、ここがピンク色の乙女ゲームの世界かと思っていたのに突然世界が殺伐としたものに変わった。

「それにしても、こんな特別な通路と隠し部屋みたいなところをレオは知ってたのね⋯⋯」
 レオ・ステラン公子とは何者なのか。

 彼は寮生でもないのに、学生が行き来しないような通路を知っていた。
 そして、隠し部屋のようなところに当然のようにルシアを案内した。

「何を⋯⋯してたんですか?」
 ライアンが一瞬何を聞いてきたのか分からなかった。

「話をしてたのよ」

 ライアンは不思議な存在だ。
 ミカエルの護衛騎士だったはずなのに、私の味方になってくれた。

 そして、今、身分社会において身分の差がある私に反抗的な目を向けている。
(なんなの? 本当に男の人って何を考えているか分からない)

 私は、うんざりしていた。
 柊隼人の呪縛のせいもあるが、この世界の男も私に恐怖と不信感を与えてくる。

 突然、乙女ゲームのメインヒーロとは思えない闇落ちをしたミカエル。
 ミカエルと友人関係だったはずなのに、私の味方になるというアルベルト。
 ただ、純粋にルシアに憧れているキャラだったはずなのに裏で暗躍しているレオ。

 目の前にいるライアンも、私には理解できない存在だ。

(彼は落ち着かせるように私にキスしてきたげど、あれ、私のファーストキスだ⋯⋯)

「海外生活すると、真面目ちゃんも、そんな奔放になるものなんだ⋯⋯マジかよ」
 ライアンは私には聞こえないように呟いたつもりだったと思う。
 それでも、彼の呟きはしっかりと私の耳に届いていた。

「マジかよ」は柊隼人の口癖だった。

「マジかよ、委員長って意外と面白いわ。仕草とかも可愛いしハマる」

 彼はことあることに勉強しか知らない私をおちょくるような事を言ってきた。
 適当な彼の言葉を本気にして告白したから、私は笑いものにされたのだろう。

 視界が歪んでくる。

(ライアンって柊隼人なの? 異世界だか、夢の世界だか分からないけど、こんなところまで現れて私を馬鹿にしにきたの?)

 私はいつの間にか膝をついていて、見上げるとライアンの顔があった。
 黒髪に黒い瞳の彼に柊隼人の顔が重なる。

「ライアン⋯⋯あなた、もう私の前に現れないで。あなたに守れる私なんていないから」

 私が柊隼人に囚われるあまり聞こえた幻聴だったのかもしれない。
 それでも、私はライアンの顔を2度と見たくないと思った。