真夜中、扉を遠慮がちにノックする音で目が覚める。

「イザベラ様、申し訳ございません。ルブリス王子殿下がお見えなので、応接室までいらっしゃってくれませんか?」
メイドのメイさんが、困ったように言ってくるので可哀想になった。

このような非常識な時間の訪問は断るべきだと分かっていても、相手が王族なのだから彼女にそれができる訳がない。

「メイさん、あなたが、謝ることではございません。お通しすることを悩まれたことは分かっております」

「イザベラ様、お着替えを手伝います」

「メイさん、お気遣いありがとうございます。そして、私がしっかりとルブリス王子に対応しなかったことで、このような事態を招いたことを謝らせてください。着替えについては自分でできるのでご心配なさらないでください。このような真夜中の訪問をご遠慮いただくよう私から伝えます。今日はもう夜遅いので、ゆっくり休んでくださいね」

「イザベラ様、お優しいお言葉ありがとうございます。恐れ多くも、ルブリス王子殿下に訪問の目的をお尋ねしたのですが、何もおっしゃってくださいません。よからぬ事があってはいけないので、公爵殿下か、カール様をお呼び致しましょうか?」

この場合のよからぬ事とは何だろうか。
どのような事態でも自分の対応の不備が招いた事なのだから、自分で解決すべきだ。

「不安にさせて申し訳ございません。私が対応すべき事なので、父やカールは呼ばなくても大丈夫です。おやすみなさい、メイさん」
私の言葉にメイさんはお辞儀をして去っていった。
私は手早く、ワンピースに着替えて応接室に向かった。

「ルブリス王子殿下に、イザベラ・ライトがお目にかかります」
ドレスを着ている時のように挨拶すると、急にルブリス王子に抱き締められた。

「お話しをお聞きするので、どうか離してください」

私が力いっぱい彼を押し返そうとするも、強い力で抱き込まれてて引き剥がせない。
私は彼が少し震えているのに気がついた。

「ルブリス王子殿下、私はあなたの味方です。苦しくて、これでは話ができません。どうかソファーに掛けてください」
私の言葉にやっと抱き締めている力が弱まる、私はその隙に彼から離れた。

「あと、お約束のない訪問は控えてくれると助かります。それに真夜中の訪問は非常識です。使用人も困惑していました。ルブリス王子殿下は王族として強い権力を持っています。周りはどのような非常識なことをされても、あなたに従うしかありません。従っているからといって、王子殿下の行動を正しいと思っているわけではございません。使用人も、殿下を公爵邸まで連れてきただろう御者も困惑したと同時に、殿下の行動に対して疑問を抱いたでしょう。自分のお立場を考えた行動をしていただけませんでしょうか」

「馬車ではなく、自分で馬に乗ってきたんだ。王宮から逃げ出したくて、イザベラに会いたくて明日まで耐えられなかった。時間的に非常識だなんて分かってる」

ルブリス王子殿下の翡翠色の瞳はすっかり光をなくし、傷ついているように見えた。
彼は今、絶望の中にいるのだろう。

私は前世で自分が絶望し消えてしまいたいと思った事がある。
それを思いとどまれたのは、守らなければならない弟の存在があったからだ。

「エドワード王子殿下との間に何かありましたか? エドワード王子殿下はルブリス王子殿下を嫌っているわけではありません。彼はライ国のことを考え、より良い国にしていきたいだけだと思います。ルブリス王子殿下の振る舞いによっては、あなたを支えたいと考えるかもしれません。私は卒業パーティーでの一件を騒ぎにするつもりはありません。多くの方に目撃されていることは確かです。ルブリス王子殿下は精神をコントロールされて、あのような行動をとったとは誰も思わないでしょう。3年間のアカデミー生活で恋仲になったフローラ・レフト男爵令嬢を愛おしく思うあまり、盲目的になり私に対して婚約破棄をを告げたと思う方がほとんどだと思います。卒業を祝う場で婚約者を断罪する姿は、次期国王になる王族としては不適格と考えられる方もいるでしょう。アカデミーに集っている学生は皆、未来の臣下です。彼らの心を取り戻すのに必要なのは、私のところに来ることではありません。今するべきことをしてください」

5年間、彼がどのような精神状態にあったかは私にもわからない。
しかし、今日卒業パーティーで彼がしたことは彼が全てを失いかねない危険なことだ。
彼の意思でしたことではないと私は知っているのだから、あの一件は責めるべきではない。

「イザベラ、私と婚約破棄したいのなら、卒業パーティーの一件を公にして私を断罪するのが近道だと分かっているはずだ。君は本当に優しいんだな。あれほど君を傷つけるナイフのような言葉を吐いた私のことをこんなに考えてくれるなんて」

ルブリス王子殿下が愛おしそうに私に手を伸ばしてくる。
世界中が敵のように感じて、助けを求めているような彼を見捨てることなどできない。
それでも、彼を突き離さなければサイラス様とは一緒にいられない。

「私が泣いたことが公になっては恥だから、卒業パーティーのことは伏せるだけです。決してルブリス王子殿下のことを考えてのことではございません。私は王子殿下の味方をしますが、私が好きなのはサイラス様です。私はルブリス王子殿下との婚約破棄を願っています。どうか私との婚約を破棄してください。婚約関係がなくなっても、私は殿下の味方である立場を変えません」

私は無礼と分かっていながら、彼の近づいてくる手を振り払った。