「みこさん、みこさん」
ある朝、クラスメートが慌てた様子でみこに話しかける。席に座っていたみこが振り返り、クラスメートを不思議そうに見上げた。
「どうしたの?」
クラスメートが口元に両手を当てて耳打ちする。
「なんかね、怖い子がみこさんを呼べって言ってきたの」
「怖い子?」
一年はクラスが三組までで、みこのように転校生でなければたいてい全員顔見知りになる。そのクラスメートが「怖い子」と表現するということは、一年ではない可能性が高い。
「ありがと。いってみる」
「気を付けてね! 何かあったら手を挙げて。すぐ先生呼ぶから」
「分かった」
みこが入口まで歩いてみると、確かに初めて見る顔がそこにいた。
「五十嵐美湖、だな」
「うん」
首を傾げて考えてみる。全く見覚えがない。しかし、相手は少なくとも自分の名前を知っている。どこかで会ったことがあるのだろうか。
「僕を知っているか」
みこは無表情のまま驚いていた。この質問、これが初対面ではないことが確定されてしまった。しかし、みこには全く覚えが無い。知っていると言った方がこの場は収まるだろう。ただ、みこは正直者であった。
「知らない」
「な……ッッ」
固まった男子児童にお辞儀をして、みこは教室へと戻った。先ほどのクラスメートが近寄ってくる。
「みこさん、平気だった?」
「うん。知らない子だった」
「そうなの? なんだろうね」
二人して首を傾げたが、知らないものを考えたところで解決するはずもなく、そのまま朝の会の時間になった。
一時間目、二時間目と過ぎ、中休みとなった。今日は少し寒いため、教室で遊ぼうと女子たちで集まった。教室に置かれている折り紙をみんなで分け合って折り始める。
「ひぃッ」
そのうちの一人が悲鳴を上げた。全員の視線が窓の外へ集中する。そこには桜の木が数本並んでいるだけだ。
「なつさん、どうしたの?」
「木の後ろに、逆さまになった首があったの!」
「やだぁッ」
みんなで抱き合って恐怖におびえる中、みこだけが冷静に木を観察した。
──なんにも無い。けど、何かいた空気はある。
ここでそれを言ったらもっと大騒ぎになる。みこはお口をチャックした。
「みこさんは怖くないの?」
「ちょっと、怖い」
「だよねぇ!」
きゃあきゃあ怖がりあって休み時間が終わった。
三時間目、四時間目も外を気にしてみたが、クラスメートの言う首が現れることはなかった。
給食の時間になって、みこは観察するのを止めた。何かの残り香から特に悪意は感じられなかった。元気な様子につられて遊びに来たというところだろう。
そして昼休み、朝やってきた男子児童がまたみこを訪ねてきた。朝の会話で終了したと思っていたみこは少なからず驚く。
「朝の人」
そう言うと、男子児童は顔を真っ赤にさせた。
「つ、付いてこい」
「なんで?」
「何でもだ!」
ずんずん歩き出す男子児童をぼーっと見送っていたら、付いてこないことに気が付いた男子児童がぷりぷり怒りながら戻ってきた。
「あと十五分しかないんだぞ! 来い!」
あまり付いていきたくなかったが、男子児童が泣きそうだったので仕方なく言うことを聞くことにした。
連れてこられたのは、昇降口を出て校庭とは反対側にある小さな中庭だった。すぐ横にはウサギ小屋がある。それを男子は不機嫌そうに見た。
──ウサギ嫌いなのかな。
みこはあやかしのウサギはみんな家族だと思い、動物のウサギは可愛いと思っている。どちらも大切な存在だ。だから、少しでも学校の飼育環境が良くなるよう、飼育委員に立候補し、当番の日は率先して掃除を行い、ここのウサギの好きな食べ物を教師に提案したりしている。
「あ、あの、ごほんッ」
男子児童が必死に話しかけようとしている間、みこは飛行機雲を眺めていた。
「まさか、僕のことを知らないなんてな」
「え?」
ようやく現実を思い出して前を向く。
「照れているのか? それとも、小さかったから忘れたか」
「みこ、君と会ったことあるの?」
「ある」
これだけ自信満々なのだから、本当に会ったことがあるのだろう。しかし、一向に思い出せない。
「あれは忘れもしない二年前の桜が満開に咲いた三月のある日、僕たちは運命的な出会いを果たした」
何か自信満々に語り出した男子だったが、みこはすでに飽きて目が微睡み始めていた。
「──ということだ。思い出したか?」
「ううん」
「何故、だ!」
「ごめんね」
話を聞いていなかったことを言うのが可哀想で謝ってみる。男子が肩を落としてため息を吐いた。
「浅見光二郎」
「あさみ?」
「僕の名前だ」
せめて名前は憶えておこう。これ以上傷ついたら泣き出してしまうかもしれない。
「光二郎君」
「はうぁッッ」
みこが名前を呼んだ瞬間、光二郎が胸を押さえて倒れ込んだ。みこがしゃがんで尋ねる。
「具合悪い? 保健室行く?」
「い、いや、すこぶる健康だ……」
全然健康そうには見えないが、本人が平気というなら平気なのだろう。押さえている胸元をさすろうと腕を伸ばしたら、光二郎が顔を真っ赤にして後ろに跳んだ。
──顔は赤いけど元気そうだからいいか。
時計を確認すると、あと五分で昼休みが終わるところだった。
「時間だから戻るね」
みこが校舎の方へ足を向けると、光二郎がみこに向けて叫んだ。
「五十嵐美湖!」
もう一度光二郎へ向き直る。光二郎は先ほどよりもっと顔を赤くさせていた。みこはインフルエンザだと思った。
「あの」
「お熱無い?」
「無いから。それは平気だから」
目をきょろきょろさせながら、震える手をみこへと差し出した。
「お、お、お友だちになってください」
それはそよ風にも負けそうな声だった。俯く光二郎に、みこはその指先にちょこんと右手を触れさせた。
「いいよ」
「えッ、やっ」
光二郎の顔がさらに赤くなる。
「え、お友だち、僕と、美湖が」
「うん、お友だち」
「おとも、だち……」
ぼんっ。
みこが返事をして光二郎が理解した瞬間、光二郎がウサギに変身した。
「あ、ロップイヤー」
ある朝、クラスメートが慌てた様子でみこに話しかける。席に座っていたみこが振り返り、クラスメートを不思議そうに見上げた。
「どうしたの?」
クラスメートが口元に両手を当てて耳打ちする。
「なんかね、怖い子がみこさんを呼べって言ってきたの」
「怖い子?」
一年はクラスが三組までで、みこのように転校生でなければたいてい全員顔見知りになる。そのクラスメートが「怖い子」と表現するということは、一年ではない可能性が高い。
「ありがと。いってみる」
「気を付けてね! 何かあったら手を挙げて。すぐ先生呼ぶから」
「分かった」
みこが入口まで歩いてみると、確かに初めて見る顔がそこにいた。
「五十嵐美湖、だな」
「うん」
首を傾げて考えてみる。全く見覚えがない。しかし、相手は少なくとも自分の名前を知っている。どこかで会ったことがあるのだろうか。
「僕を知っているか」
みこは無表情のまま驚いていた。この質問、これが初対面ではないことが確定されてしまった。しかし、みこには全く覚えが無い。知っていると言った方がこの場は収まるだろう。ただ、みこは正直者であった。
「知らない」
「な……ッッ」
固まった男子児童にお辞儀をして、みこは教室へと戻った。先ほどのクラスメートが近寄ってくる。
「みこさん、平気だった?」
「うん。知らない子だった」
「そうなの? なんだろうね」
二人して首を傾げたが、知らないものを考えたところで解決するはずもなく、そのまま朝の会の時間になった。
一時間目、二時間目と過ぎ、中休みとなった。今日は少し寒いため、教室で遊ぼうと女子たちで集まった。教室に置かれている折り紙をみんなで分け合って折り始める。
「ひぃッ」
そのうちの一人が悲鳴を上げた。全員の視線が窓の外へ集中する。そこには桜の木が数本並んでいるだけだ。
「なつさん、どうしたの?」
「木の後ろに、逆さまになった首があったの!」
「やだぁッ」
みんなで抱き合って恐怖におびえる中、みこだけが冷静に木を観察した。
──なんにも無い。けど、何かいた空気はある。
ここでそれを言ったらもっと大騒ぎになる。みこはお口をチャックした。
「みこさんは怖くないの?」
「ちょっと、怖い」
「だよねぇ!」
きゃあきゃあ怖がりあって休み時間が終わった。
三時間目、四時間目も外を気にしてみたが、クラスメートの言う首が現れることはなかった。
給食の時間になって、みこは観察するのを止めた。何かの残り香から特に悪意は感じられなかった。元気な様子につられて遊びに来たというところだろう。
そして昼休み、朝やってきた男子児童がまたみこを訪ねてきた。朝の会話で終了したと思っていたみこは少なからず驚く。
「朝の人」
そう言うと、男子児童は顔を真っ赤にさせた。
「つ、付いてこい」
「なんで?」
「何でもだ!」
ずんずん歩き出す男子児童をぼーっと見送っていたら、付いてこないことに気が付いた男子児童がぷりぷり怒りながら戻ってきた。
「あと十五分しかないんだぞ! 来い!」
あまり付いていきたくなかったが、男子児童が泣きそうだったので仕方なく言うことを聞くことにした。
連れてこられたのは、昇降口を出て校庭とは反対側にある小さな中庭だった。すぐ横にはウサギ小屋がある。それを男子は不機嫌そうに見た。
──ウサギ嫌いなのかな。
みこはあやかしのウサギはみんな家族だと思い、動物のウサギは可愛いと思っている。どちらも大切な存在だ。だから、少しでも学校の飼育環境が良くなるよう、飼育委員に立候補し、当番の日は率先して掃除を行い、ここのウサギの好きな食べ物を教師に提案したりしている。
「あ、あの、ごほんッ」
男子児童が必死に話しかけようとしている間、みこは飛行機雲を眺めていた。
「まさか、僕のことを知らないなんてな」
「え?」
ようやく現実を思い出して前を向く。
「照れているのか? それとも、小さかったから忘れたか」
「みこ、君と会ったことあるの?」
「ある」
これだけ自信満々なのだから、本当に会ったことがあるのだろう。しかし、一向に思い出せない。
「あれは忘れもしない二年前の桜が満開に咲いた三月のある日、僕たちは運命的な出会いを果たした」
何か自信満々に語り出した男子だったが、みこはすでに飽きて目が微睡み始めていた。
「──ということだ。思い出したか?」
「ううん」
「何故、だ!」
「ごめんね」
話を聞いていなかったことを言うのが可哀想で謝ってみる。男子が肩を落としてため息を吐いた。
「浅見光二郎」
「あさみ?」
「僕の名前だ」
せめて名前は憶えておこう。これ以上傷ついたら泣き出してしまうかもしれない。
「光二郎君」
「はうぁッッ」
みこが名前を呼んだ瞬間、光二郎が胸を押さえて倒れ込んだ。みこがしゃがんで尋ねる。
「具合悪い? 保健室行く?」
「い、いや、すこぶる健康だ……」
全然健康そうには見えないが、本人が平気というなら平気なのだろう。押さえている胸元をさすろうと腕を伸ばしたら、光二郎が顔を真っ赤にして後ろに跳んだ。
──顔は赤いけど元気そうだからいいか。
時計を確認すると、あと五分で昼休みが終わるところだった。
「時間だから戻るね」
みこが校舎の方へ足を向けると、光二郎がみこに向けて叫んだ。
「五十嵐美湖!」
もう一度光二郎へ向き直る。光二郎は先ほどよりもっと顔を赤くさせていた。みこはインフルエンザだと思った。
「あの」
「お熱無い?」
「無いから。それは平気だから」
目をきょろきょろさせながら、震える手をみこへと差し出した。
「お、お、お友だちになってください」
それはそよ風にも負けそうな声だった。俯く光二郎に、みこはその指先にちょこんと右手を触れさせた。
「いいよ」
「えッ、やっ」
光二郎の顔がさらに赤くなる。
「え、お友だち、僕と、美湖が」
「うん、お友だち」
「おとも、だち……」
ぼんっ。
みこが返事をして光二郎が理解した瞬間、光二郎がウサギに変身した。
「あ、ロップイヤー」