啓介が「解る」と口にしたのを、同情や慰めと受け取ったのかもしれない。直人はどうせ解かりっこないと、半ば諦めたように嗤った。

「テキトーなこと言ってんじゃねぇよ」
「適当じゃないってば」

 どう言えば伝わるのだろうと、啓介はもどかしくて自分の着ているシャツを皺になるほど握り締めた。脳をさらけ出して思考を読んで貰えたら、どれほど楽か。文を組み立てようとしてもどの単語もしっくりこなくて、選んだ端から捨てていく。
 懸命に言葉を探し、酸欠の金魚のように口を開いたまま直人を見た。直人の目は睨んでいてもどこか(すが)るようで、ジッと啓介の次の言葉を待っている。

 啓介は大きく息を吸って呼吸を整えた。例え伝わらなくても、考えていることを片っ端から喋っていこう。
 そう覚悟を決めて声を出そうとした矢先、背中に小石のような硬いものがコツンと当たった。それは頭に、肩に、頬に降り注ぎ、啓介は頭上でガラスでも割れたのかと慄いて身を縮める。

「うわッ。マジかよ」

 目の前の直人も、手をかざして同じように身をすくめていた。咄嗟に状況が理解できず立ち尽くしていると、一際大きく雷鳴が轟いた。バラバラと空から落ちてくる冷たい塊が容赦なく体を打ち付けてきて、啓介はたまらず悲鳴を上げる。

「い、いった。痛い痛い!」
「啓介、こっち」

 直人に腕を引かれ、啓介はアパートの階段の下に身を滑り込ませた。ビー玉よりも大きい氷の粒が、次から次へ落ちてくる光景に目を丸くする。カツンカツンと弾けるような音が辺りに響いて、啓介も直人も少しのあいだ呆気に取られた。

「なにこれ、雪じゃないよね」
「あぁ、(ひょう)だな」
「真夏なのに氷が降ってくるなんて、おかしくない?」
「何言ってんだ、雹は夏の風物詩だぞ。俳句の季語にもなってんだから」

 へぇ。と感心しながら、啓介はアスファルトに叩きつけられて砕ける氷を見つめる。

「雹が夏の季語だなんて知らなかった」
「じーちゃんが俳句好きでさ、いつの間にか俺まで詳しくなっちまった。じゃあ、雹のこと氷雨(ひさめ)って言うのも知らないだろ」
「うん、初めて聞いた。氷雨って、冬に降る冷たい雨のことじゃないの?」

 驚くような声をあげた啓介の反応が期待通りだったのか、直人は満足気に鼻を鳴らした。ほんの数分前まで掴み合いの喧嘩をしていたと言うのに、いつの間にか穏やかな空気が流れ始める。

「氷雨って書いて『ひょうう』って昔は読んだらしいよ。夏の季語だけど、辞書引くとお前のイメージ通り、初冬の冷たい雨とか(みぞれ)とも書いてあってさ。氷雨は冬の季語としてもアリって言う人もいて、賛否両論ぽいんだよね」

 それを聞いて改めて雹を見ると、なんとも複雑な気持ちが湧いた。目の前で粉々に砕けていく氷を、思わず自分に重ねてしまう。

「夏と冬、正反対なのに同じ季語ってややこしいね。雹に霙かぁ……。雨にも雪にもなれなくて、中途半端な僕みたい」

 吐き出した息が微かに震えて、それを誤魔化すように啓介は小さく咳払いをした。溶けだした氷でアスファルトが濡れ、埃っぽい匂いが辺りに漂う。
 少しの沈黙の後、直人が何かに気付いたように「あ」と短く声を発し、降り注ぐ雹の中へと走って行った。何をするのかと見ていたら、投げ捨てた雑誌を拾って再び啓介の隣に戻ってくる。

「あー。ちょっと濡れちった」

 着ているTシャツに表紙を擦りつけて拭い、直人は改めて啓介の載っているページを開いた。気恥ずかしくて啓介が目を逸らすと、「ごめんな」と直人の沈んだような声が聞こえてくる。徐々に雨へと変わりつつある雹に目線を向けたまま、啓介は尋ねた。

「何に対してのゴメンなの。殴ったこと? 雑誌を目の前で捨てたこと?」
「全部。……ホントはさ、啓介が俺に何か言おうとしてたのも気づいてた。でも、なんでだろうなぁ。聞きたくなかったんだよね。東京に行ったら、お前がお前でなくなっちゃう気がしてさ。多分、きっと俺は寂しいんだな」

 言いながら自分でも納得したような口ぶりだった。