わたしは、出会った日のことを思い出しながらスマホを操作する。となりでは、凪都が本を読みはじめていた。

 結局あの日、凪都は死にたい理由を教えてくれなかった。いまも、聞けていない。理由がなんなのかわからないのに、彼が死にたがりということだけを知ったまま、時間だけが過ぎていた。

『高校生』『夏休み』『遊び』……。思いつく単語を組み合わせてインターネットで検索すると、商業施設や、水族館、公園の情報なんかがずらっと出てきた。

 ――ていうか、もう夏休み一週間過ぎたっけ?

 スマホの示す日付が、思ったよりも進んでいて驚いた。だらだら過ごしすぎたかも。ああ、夏休みが消費されていく……。こっそり、ため息をつく。

 しばらくして、凪都が立ち上がった。

「ジュース買ってくる。柚、なに飲みたい? おごるよ」
「え? いいよ。お構いなく」
「俺の買うついでだから、甘えときな。俺がおごるのはめずらしいよ」

 そこまれ言われると、断るのは逆に失礼な気がしてくる。

「じゃあ……えっと、なんでも大丈夫。ありがとう」

 凪都はうなずいて「ここで待ってて」と図書室を出ていった。

 ひとりになって、もう一度スマホを見る。凪都は、どんなことをすれば楽しいと思ってくれるかな。いつも淡々としているから、凪都の好みがよくわからない。でも楽しいこと、たくさんしてほしい。わたし、凪都の憂鬱そうな顔しか見たことがないし。

 ぎゅっと痛む心臓を、制服の上から押さえた。

 生きてて楽しい、って言わせてみせる。

 凪都はなかなか帰ってこなかった。中庭に自販機があるのに、外のコンビニまで行ったのかな。窓辺に寄って窓を開ければ風が入り込んだ。白いカーテンがはためいて、蝉の大合唱が耳にうるさい。

 あー、夏だ。ぼんやりと、空と海、ふたつの青を見つめた。

 夏だ。わたしの嫌いな夏。

 頭まで痛くなりだしたから、スカートのポケットから痛み止めを取り出して、二錠を口に放り込んだ。がりっと噛んで、そのまま飲み干す。

 それから三十分くらい経ったけど、やっぱり凪都は帰ってこない。さすがに遅すぎる。まさか倒れてる? ふらっと死にに行ったとかは……ないよね。でもどうしよう。連絡したほうがいいかな。なにかあったら困るし。

「ただいま」
「うわあっ! ……あ、凪都。びっくりした」

 スマホを手にしたところで、ちょうど凪都が帰ってきた。

「驚きすぎでしょ。オレンジかグレープ、どっちがいい? グレープは炭酸だけど」
「じゃあ、オレンジ。ありがとう。……遅かったね」

 わたしの声がすこしとがっていることに気づいたのか、凪都は居心地が悪そうに苦笑した。

「さっき、外で七緒(ななお)さんに会ったんだ。それで、すこし話してた」
「へえ……。ふたりが話すの、めずらしい」

 七緒は、寮でわたしと同じ部屋に住むクラスメイトだ。わたしたちは全員同じクラスだけど、凪都と七緒が話している印象はそんなにない。というか凪都は、特定の仲のいい同級生がいないみたいだった。

 ひんやりとしたペットボトルの蓋を開けて、ひと口飲む。図書室では椅子に座っている時の水分補給が許されているから、怒られることはない。大丈夫。ひとに迷惑はかけてない。

 凪都も炭酸を飲んで、また本を開いた。ぺらり、と本を読み進めていく音が心地いい。その本をわたしは知らなかったけど、古そうな表紙だった。

 夕方になると図書室を出て、ふたりで寮まで歩く。グラウンドや校舎は部活動に励む生徒の声がしていたけど、寮のまわりは静かだ。夏休みの間、寮生は原則実家に帰ることになっているから、普段に比べたら無人に近い状態だった。理由のある子だけがいまも寮に残っているけど、女子寮居残り組は、わたしを含めて五人だけ。

「柚……!」

 突然。女子寮の玄関から、そのひとりが飛び出してきた。かと思うと、ばっと抱きつかれて驚く。

「うわっ、七緒? なに、どうしたの」

 ルームメイトの七緒が、わたしの首筋に顔をうずめて、ぐすっと鼻を鳴らした。彼女の短い髪が頬に当たってくすぐったいし、ぎゅうぎゅうと抱きしめられて苦しい。いやでも、そんなことより。

「ど、どうしたの、七緒。なんで泣いてるの」
「……彼氏と喧嘩したんだってさ」

 となりにいた凪都が、肩をすくめた。

 あ、そういえば、飲み物を買いに行ったとき、七緒と会ったって言ってたっけ。帰りが遅かったのは七緒を慰めていたから? このふたり、そんなに仲よかったっけ?

 不思議に思いながら、わたしより身長の高い七緒の背をなでる。

「七緒、大丈夫?」
「ん。ごめん、柚。……あーあ、あいつ、絶対許さない。むかつく」

 やっと身体を離した七緒は、気を取り直すように、ぐいっと目もとをぬぐった。

「もう、わたし、この夏は柚といちゃいちゃする! あいつなんて知らん!」

 負けん気の強い七緒がそう叫んだところで、女子寮から三人の生徒が出てきた。

「あ、もう、七緒ちゃんってば、また泣いてない?」
「もう泣きやみましたー! わたしはこの夏、柚といちゃつきまーす!」

 みんな、七緒の状況を知っているみたいだ。まあまあ、と七緒を落ち着かせようとするのは三年生の宮先輩。その後ろで困り顔をしているふたりは、一年生の由香ちゃんと未央ちゃん。夏休み、寮に居残り組のメンバーだ。普段からよく話すから、寮メンバーは先輩後輩関係なく仲がいい。

「ねー、柚! わたしたち、最高の夏休みにしようね!」
「え? あ、うん、そうだね……?」

 そんなわたしと七緒のやり取りを見て、宮先輩が「相変わらず仲いいね」と笑った。

「まあ、そういうことなら、ふたりの愉快な夏休みに、わたしも貢献しようかな。こんな七緒ちゃん、ほっとけないし。全力でサポートするね!」

 ぐっと親指を立てる宮先輩。いつもは賑やかな由香ちゃんや未央ちゃんも、神妙にこくこくとうなずいてる。

「よし、早速計画立てよ。行くよ、柚ちゃん七緒ちゃん!」

 わたしがぽかんとしているうちに、宮先輩や七緒たちが寮に入っていく。なぜだか、こっちでも夏休み満喫計画がはじまってしまったみたいだ。

「今年の夏、謎に忙しくなりそうなんだけど。なんで?」

 わたしが言うと、黙って見守っていた凪都が笑った。

「そういう年だと思って諦めな。じゃ、俺も帰るから」
「あ、うん。おやすみ、凪都」

 女子寮と男子寮は離れていて、行き来するのに一分くらいかかる。凪都は、途中でふりかえった。

「七緒さんじゃなくて、柚のしたいこと、教えてよ」
「え?」
「いまの流れだと、柚は七緒さんのことを優先しそうだったから。俺はあくまで、柚のしたいことを手伝う。柚が最優先だから」

 じゃ、と今度こそ凪都は去っていった。

 でも……、あの言い方は、ずるくない?

 じわじわと体温が上がっていくのがわかる。多分、凪都にとってはただの暇つぶしなんだと思う。だけど、あそこまで言われると、わたしが特別扱いされているみたいで恥ずかしい。ぱたぱたと頬を手であおぐ。恋愛経験がないわたしには、刺激が強すぎる。

 ――凪都としたいこと、か。なにがあるかな。