七緒は中庭を駆け抜けようとして、近くまで来たところでやっとわたしの存在に気づいたみたいだ。あっと目を見開いて、足を止めた。

「柚……、教室、来てたの?」
「うん」
「凪都となにか話した?」

 わたしは口を開いたけど、結局なにも言えなかった。

 凪都が、わたしを見殺しにした。

 死んだときのことをまだ完全に思い出したわけじゃない。だけど断片的に頭に浮かぶ場面があった。想像にしてはリアルなそれは、きっと、記憶なんだ。わたしが倒れたとき、たしかに凪都が近くにいて、わたしを見下ろしていた。それで凪都が、わたしから目をそらして、どこかに行ってしまって。

「置いて、いかれた」

 わたしは見捨てられた。見殺しにされた。離れていく凪都の記憶が、たしかにあった。めまいがして気持ち悪くて、口を手で押さえた。血液が逆流しているみたいだ。身体が熱くて、痛くて、倒れそうだった。

「ああ、もう。最悪」

 七緒が忌々しそうに言って、校舎を見上げた。視線を追いかければ、窓からこっちを見ている生徒たちが何人かいるのが見えた。七緒のさっきの声が注意を引いたみたいだった。

「……いこ、柚」

 七緒がわたしの腕を引こうとする。だけど、その指先はわたしをすり抜けた。ぎゅっと眉を寄せた七緒は、もう一度「行こう」と言って歩き出す。わたしもうなずいて、七緒についていく。

 校舎の喧騒から逃げるみたいに、だれもいない寮の方角へ向かう。わたしが倒れた道を目指していた。

「教室にいたなら知ってると思うけど、グループチャットが更新されてた。匿名のアカウントが知らない間にグループに追加されてて、文章と写真をアップしてたの。……でもあの写真、夏祭りのでしょ」

 七緒が荒い歩幅で歩いていく。

 チャットに送られていた写真は、夏祭りの日の凪都だった。わたしも見覚えがある。たしか、七緒が撮って、みんなに共有した写真だ。写真を持っているのは、わたしと凪都と女子寮のみんなだけ。

「凪都、自分であのチャットを送ったんじゃないかな」

 七緒がそう言って、頭を乱暴にかく。

「それに、チャットだけじゃなかった」
「え?」
「SNSにも同じような投稿がされてた。病気で倒れた女子生徒がいて、それを見捨てた生徒がいたって。写真と、凪都の名前つき。……ありえないでしょ、SNSに個人情報載せたら、すぐに消せないよ。しかも炎上しそうな内容だし。拡散されたら、どうなるか。ほんと、なにやってんの、あいつ」

 ねえ、と七緒がわたしを見る。

「なんで凪都、こんなことしたの。書いてあること、本当? なに話してたの」
「それは……、わたしにも、わかんないよ」

 さっきの凪都の様子を思い出す。笑っていた。でも泣きそうだった。苦しそうだった。

 わたしを助けようとしなかったのは本当……だと思う。じゃあわたしは、凪都のせいで死んだってこと? 凪都があのとき、わたしに背を向けなかったら、わたしはまだ生きていられたかもしれない――、そういうことになるの?

 目の前が白く光って、身体がぐらついた。

 わたしは生きたかった。凪都と一緒に、生きていたかった。なのにあのとき凪都は、わたしを見捨てた。わたしのことなんて、どうでもよかったのかな。そんなの……。

「東坂さん!」

 女子寮から、春野さんが駆け出してきた。わたしの姿も見えているみたいだ。手にはスマホがあって、あせっているのか顔色は白かった。

「いま、宮さんから連絡があって。三芝くんのことで」
「宮先輩? もうそんなに話が広まってるんですか?」

 七緒が顔をゆがめた。春野さんがこくこくとうなずいてから訊く。

「三芝くんは?」
「……さっき、どこかに行っちゃって」

 わたしはうつむいた。いまにも泣いてしまいそうで、顔を隠したかった。

 だけど。

「東坂さん、聞いて! あの日、救急車を呼んだのは、わたしなの」
「え?」

 春野さんが、いつもの穏やかな話し方じゃなくて、早口で言った。余裕がないみたいで、目を見開くわたしと七緒には構わず、必死に話しつづける。

「あのとき、たしかに三芝くんもいた。倒れた東坂さんを最初に見つけたのは、彼だった。だけどね、三芝くんは――」

 きゅっと眉を寄せて泣きそうになりながら、わたしが死んだ日のことを話す春野さんの話を全部聞き終わったとき、わたしはまた混乱した。

 凪都の話すこと、春野さんが話すこと、わたしの覚えていること。頭の中をぐるぐるとかき混ぜられているみたいで、思考がまとまらない。胸で、こめかみで、耳もとで、鼓動が鳴りつづけていた。わからないことばかりで、苦しいことばかりで、意味がわからない。

 だけど、ふっと思い出した。

『ねえ柚。俺、死んじゃ、だめ?』

 わたしの部屋で、すがりついてきた凪都の弱さが、頭をよぎった。

「あ、柚……!」

 足は、自然と動いていた。

 そうだ、三芝凪都は、死にたがりでうそつきだ。わけがわからない状況だけど、ひとつだけ、確信があった。

 暗い瞳で笑っていた凪都はきっと、いま、死のうとしている。