わたしは、夏休みがはじまる前に死んでいた。
ずっと頭が痛かった。凪都と出会った去年の冬から、頭痛がひどくて痛み止めを飲んでいた。死にたがりの凪都に会って、お姉ちゃんのことを思い出したせいだと思っていたけど、ちがったみたいだ。
もともと、わたしは頭に爆弾を抱えていた。小さいときからそう言われて、無理をしないようにと釘を刺されていた。小学生のころ手術をして、治ったはずだった。
だけどこの歳になって再発した、らしい――。
頭痛は、その予兆だったみたいだ。わたしは、自分の身体が鳴らす警報を全部無視していた。わたしが弱かったせいで、お姉ちゃんは怒って家出して死んだ。だからまた、みんなに迷惑や心配をかけたくなかった。それで、ただの頭痛だって言い聞かせていたんだ。気にすることじゃない、すぐ治るから大丈夫って。
病院に行けば助かったかもしれないのに、わたしはそうしなかったし、だれにも不調を相談しなかった。その結果、死んだ。死ぬことをだれよりも嫌っていたくせに。
……そっか、そうなんだ。
「わたし、死んじゃったんだ」
ぽつりと言うわたしのとなりで、凪都は無言で座っていた。
中庭のベンチに座るわたしたちのまわりに、音はない。グラウンドから聞こえる運動部の声はいつのまにか消えていた。部活を終えて、帰る時間なんだ。諒さんも、もう帰ったのかな。
さっき、諒さんはとてもうろたえていた。そんな諒さんを、凪都が「頼むから、なにも聞かないで帰ってくれ」と追い払った。申し訳なかったな、と思う。諒さんはきっといまごろ、混乱してなにもできない状態になってるんじゃないかな。
幽霊を、見ちゃったんだもんね。
「……幽霊なんだね、わたし」
空に手をかざす。昼間の青さをなくして暗く沈んでいこうとする空に、わたしの手がのびる。
「普通の手に見えるのにな。半透明なんかじゃないし。凪都には、どう見えてるの?」
「……基本的には、普通。でもときどき、透けて見える」
「あ、そうなんだ」
「たまに、見えないこともあった。声も聞こえなくて」
「へえ」
「だれもいないと思ったのに、まばたきしたら、急に柚が目の前にいて、みたいな」
「うわ、なんか、ごめんね。めちゃくちゃびっくりするよね、それ」
凪都はうなずいた。いつもよりもずっと静かな凪都のとなりで、わたしは気まずく視線をさまよわせる。
「そっかあ、死んでたんだね。実感ないなあ」
となりで、凪都がぽつりと言った。
「……柚は、倒れたときのこと、覚えてる?」
「ううん。全然」
死んだときの記憶はない。凪都が言うには、わたしは夏休み直前に、校舎から寮に向かう道で倒れて病院に運ばれたけど、死んでしまったそうだ。実感も現実味も、いまのわたしにはなかった。この夏休み、普通に生きてきたわけだし。
でもきっと、うそじゃないんだ。だって凪都が、こんなに苦しそうな顔をしてる。
「夏休みに入ってからわたしが凪都に声をかけたとき、驚かせちゃったよね。ごめん」
死んでいるはずのわたしが、普通の顔をして声をかけてきたんだから、驚かないはずがない。……いや、どうだったかな。あのときの凪都、そこまで変な態度は取っていなかった気がする。
「柚に、なんでここにいるのって訊いたこと、覚えてる?」
そういえば、そんな会話をしたかもしれない。
『凪都がここにいるかな、と思って』
わたしはそう答えて、凪都は呆れたみたいに笑ったはずだ。
『俺に会いに来たってこと?』
『まあ、そんなところ。まだ……、ちゃんと生きているかな、って。夏休み、楽しめてるかな、って――』
『……なにそれ。柚はほんとおせっかい』
いま、となりにいる凪都も、同じような笑みを浮かべた。
「死んでるのは柚のくせに、俺が死なないかどうかの心配をして幽霊になってもどってきたのかって、呆れた。どれだけおせっかいなんだろうって」
「……ほんとだ。幽霊がなに言ってるんだって話だね」
思い返すと、恥ずかしい。
でもあのときは、凪都のことしか頭になかった。凪都が死んじゃわないか、本気で心配だった。ううん、あのときだけじゃない。この夏、わたしは凪都のことばかり考えていた。死にたがりの凪都が死なないことを見届けたくて、わたしは幽霊になった……のかもしれない。
「柚がここにいられるのは、この夏の間だけ、って思うんだ」
凪都が遠い目をして、つぶやいた。空と同じで、暗く沈んだ瞳。
「どういうこと?」
「俺が夏を過ごせるか。柚は、それだけを心配してるみたいに見えたから」
「あー、うん、それはそう」
「夏の終わりを見届けたら、柚はいなくなるんじゃないかって、思った」
凪都はすこし眉を寄せて、わたしを見つめた。その瞳に、いまはわたしが映っている。だけど、本当ならそこにわたしは映らないはずなんだ。死んでいるから。
「それに、夏休みのはじめより、どんどん柚が消えていってる気がする」
「……たしかに。最近は、みんなに無視されることが増えてたかも。声かけても気づいてくれないこと、多くなってた」
そっか、夏が終われば、わたしは消えちゃうのか。やっぱり実感はなくて、わたしは「そうなんだねえ」と中身のこもっていない言葉をこぼす。理解はできるけど、自分のことだとは思えない。だから、妙にのんびりとした声になってしまう。
「ねえ、凪都」
「ん?」
「わたしの願いを叶えるってゲーム、わたしのために提案してくれたの?」
凪都は無言になった。すこし考えて、ため息をつく。
「まあ……、そんなとこ。俺のために化けて出てきた柚に、なにかしてあげてもいいかなって思ったんだ。せめて、柚が夏を楽しんで、後悔を残さないようにしてあげられたらって」
凪都にとってメリットのないゲームをはじめた理由が、やっとわかった。それはきっと、死んだわたしへの情けで、凪都のやさしさだった。
パズルのピースがはまって絵が浮かび上がるみたいに、この夏休みの疑問が解けて、凪都の行動にも納得ができるようになってきた。
「七緒たちは? 女子寮のみんなは、わたしが死んでること、知らないの?」
「いや、みんな知ってる」
「凪都と七緒たちは、グルだったってこと?」
「言い方」
ほんのすこし、凪都は呆れたように笑った。
「でもまあ、そういうことになるかな。……柚は、自分が死んだことに気づいてなかっただろ。だったら、知らないままでいいと思ったんだ。知らないまま、夏休みを楽しめばいい……って。それで、俺から七緒さんに相談した」
幽霊のわたしとはじめて会った日。凪都がジュースを買いに行くって図書室を出ていったあと、七緒とわたしのことを話していたらしい。そういえば、帰ってくるのが遅いなあって思った気がする。柚が幽霊になって化けて出た、なんて話をするなら、そりゃあ時間がかかるよね。
「七緒は、すぐに信じたの?」
「いや。からかうなって怒られた。柚と自分を馬鹿にしてるのかって」
「ああー、まあ、そうなるよね」
「でも図書室の窓辺に柚がいるのが、外から見えて。それで七緒さんもわかってくれた。そのあとは、七緒さんから女子寮のメンバーにも相談してもらって、俺と、女子寮の居残り組の全員で、柚に夏休みを満喫させるってことになった」
「……みんなが今年の夏は妙に張り切ってたのって、わたしのためだったんだ」
夏祭りに行ったり、まくら投げしたり、タコパをしたり。ほかにも、たくさん。
「彼氏と喧嘩した七緒のためって言ってたのに。あれ、うそだったんだ」
きっと、わたしが自分の死を思い出さないように、みんな気をつかってくれていたし、わたしのためにたくさん夏休み満喫計画を考えてくれていたんだね。わたし、なにも知らなかった。
「なんか、ごめんね。みんなに迷惑かけちゃったかな」
言いながら、凪都の最近の態度を思い返す。一番引っかかっていたのは、諒さんと仲直りをしたときのこと。
『夏が終わっても――、文化祭とか、冬休みとか、まだまだ楽しいことたくさんあるから。笑っていて。わたしは、そういう凪都をずっと見ていたい』
あのとき凪都は、もう手遅れだって言った。すこし泣きそうな顔をして。死んでいるわたしが、ずっと凪都と一緒にいることはできないんだって、そう言いたかったのかもしれない。死んでる人間が未来を望んでも、それは叶えてあげられないよ、って。
「わたし、死んでるのは凪都なんじゃないかって、思ってたんだよ」
ひどい勘違いだ。情けなくて、笑いがこぼれる。
「……でもよかった、凪都じゃなくて」
凪都が小さく目をまたたく。ずっと不安だったんだ。凪都がもう死んでいたら、わたしはどうすればいいんだろうって。
「凪都が生きててくれて、よかった」
「……よくない」
わたしは首をかしげた。
「柚が死ぬことが、いいわけないだろ」
驚いて凪都を見つめると、彼は眉をひそめて、うつむいていた。たくさん言いたいことを抱えて、どうにか我慢しているみたいな顔だった。
――わたし、思っていたよりも凪都に好きになってもらえていたのかな。
この夏の時間を全部わたしに使おうとしてくれたり、わたしが死んでいることを悲しんでくれたり……。きゅっと胸がしめつけられた。申し訳なくて、――こんなこと思っちゃだめだけど、ほんのちょっと嬉しくて。それを越えるくらい、とてつもない後悔が押し寄せて。わたしも目を伏せた。
「凪都がそこまで言ってくれるなんて、思わなかった」
「……俺だって、こんなつもりじゃなかった」
凪都が、わたしとは反対方向に視線を逃がす。
「夏の間ずっと一緒にいたせいだ」
ため息をついて、凪都はまた空をあおぐ。
「柚はもっと生きてたほうがよかったのに、って思った。こんなはずじゃなかった。柚といるのがこんな、きつくなるなんて、思わなかった」
「……そっか」
そう思ってもらえるくらいに、凪都もこの夏を楽しんでいてくれたのかもしれない。それを知っちゃうと、悲しくて、でもやっぱりほんのすこし嬉しくて、もっともっと悲しくて。わたしは自分の心がわからなくなった。凪都と仲よくなれたって、わたしはもう死んでいるから、意味なんてないんだ。
「凪都、ごめんね」
凪都は黙っていたけど、すこしして立ち上がる。わたしを見た凪都の顔は、いつもと同じ表情にもどりかけていた。でも瞳には、暗い感情が見え隠れする。
「悪い、取り乱した。明日になったら、いままでどおりにもどるから」
凪都はうそつきだ。自分の感情にも、うそをついて平気なふりができる。
「柚の願いは、全部叶える。柚はなにも考えずに、夏休みを楽しめばいいよ」
この夏が終われば、わたしは消える。せめて最期にいい思いをさせてあげよう、ってことだよね。
終わっちゃうのか、あとちょっとで。夏休みは、残り二週間もない。
心がざわりと騒ぐ。
寮に帰ろう、って凪都がわたしに手を伸ばした。わたしはためらったあと、おそるおそるその手を取った。ちゃんと凪都の手に触れて、ほっとする。そのまま、手をつないで寮にもどると、七緒がいた。
「あ、おかえりー、柚! 遅いから、様子みにいこうと思ってた」
七緒はいつもの笑顔で出迎えてくれる。でも、わたしと凪都が手をつないでいるのを見てはっとすると、悪だくみをするみたいな顔になる。
「え、もしかして、ふたり、なんかあったの?」
「七緒さん、柚に全部話したから」
凪都が、七緒を遮るように言った。
「え?」
ぽかんとする七緒に、わたしはなんて言えばいいかわからなくて、曖昧に笑う。
「……ごめんね、七緒。いままで、ずっと迷惑かけちゃったみたいで」
七緒は、ゆっくりとわたしと凪都の顔を見比べる。凪都が一度だけうなずいた。
そのとたん、だった。七緒の顔から笑顔が消えた。わたしはその豹変に驚いて、固まってしまう。いつのまにか七緒に抱きしめられていた。
「柚……!」
「な、七緒? どうしたの?」
「なんで」
「え?」
きつくわたしを抱きしめて。
「なんで、死んじゃったの……っ!」
きっと、ずっと言えなかったことを叫んで、七緒は泣いた。
苦しい。その苦しさを、わたしは感じている。だけど七緒は、わたしの死を悲しんで泣いている。
ああ、死んじゃったんだなあ、と、わたしはぼんやり思った。
ずっと頭が痛かった。凪都と出会った去年の冬から、頭痛がひどくて痛み止めを飲んでいた。死にたがりの凪都に会って、お姉ちゃんのことを思い出したせいだと思っていたけど、ちがったみたいだ。
もともと、わたしは頭に爆弾を抱えていた。小さいときからそう言われて、無理をしないようにと釘を刺されていた。小学生のころ手術をして、治ったはずだった。
だけどこの歳になって再発した、らしい――。
頭痛は、その予兆だったみたいだ。わたしは、自分の身体が鳴らす警報を全部無視していた。わたしが弱かったせいで、お姉ちゃんは怒って家出して死んだ。だからまた、みんなに迷惑や心配をかけたくなかった。それで、ただの頭痛だって言い聞かせていたんだ。気にすることじゃない、すぐ治るから大丈夫って。
病院に行けば助かったかもしれないのに、わたしはそうしなかったし、だれにも不調を相談しなかった。その結果、死んだ。死ぬことをだれよりも嫌っていたくせに。
……そっか、そうなんだ。
「わたし、死んじゃったんだ」
ぽつりと言うわたしのとなりで、凪都は無言で座っていた。
中庭のベンチに座るわたしたちのまわりに、音はない。グラウンドから聞こえる運動部の声はいつのまにか消えていた。部活を終えて、帰る時間なんだ。諒さんも、もう帰ったのかな。
さっき、諒さんはとてもうろたえていた。そんな諒さんを、凪都が「頼むから、なにも聞かないで帰ってくれ」と追い払った。申し訳なかったな、と思う。諒さんはきっといまごろ、混乱してなにもできない状態になってるんじゃないかな。
幽霊を、見ちゃったんだもんね。
「……幽霊なんだね、わたし」
空に手をかざす。昼間の青さをなくして暗く沈んでいこうとする空に、わたしの手がのびる。
「普通の手に見えるのにな。半透明なんかじゃないし。凪都には、どう見えてるの?」
「……基本的には、普通。でもときどき、透けて見える」
「あ、そうなんだ」
「たまに、見えないこともあった。声も聞こえなくて」
「へえ」
「だれもいないと思ったのに、まばたきしたら、急に柚が目の前にいて、みたいな」
「うわ、なんか、ごめんね。めちゃくちゃびっくりするよね、それ」
凪都はうなずいた。いつもよりもずっと静かな凪都のとなりで、わたしは気まずく視線をさまよわせる。
「そっかあ、死んでたんだね。実感ないなあ」
となりで、凪都がぽつりと言った。
「……柚は、倒れたときのこと、覚えてる?」
「ううん。全然」
死んだときの記憶はない。凪都が言うには、わたしは夏休み直前に、校舎から寮に向かう道で倒れて病院に運ばれたけど、死んでしまったそうだ。実感も現実味も、いまのわたしにはなかった。この夏休み、普通に生きてきたわけだし。
でもきっと、うそじゃないんだ。だって凪都が、こんなに苦しそうな顔をしてる。
「夏休みに入ってからわたしが凪都に声をかけたとき、驚かせちゃったよね。ごめん」
死んでいるはずのわたしが、普通の顔をして声をかけてきたんだから、驚かないはずがない。……いや、どうだったかな。あのときの凪都、そこまで変な態度は取っていなかった気がする。
「柚に、なんでここにいるのって訊いたこと、覚えてる?」
そういえば、そんな会話をしたかもしれない。
『凪都がここにいるかな、と思って』
わたしはそう答えて、凪都は呆れたみたいに笑ったはずだ。
『俺に会いに来たってこと?』
『まあ、そんなところ。まだ……、ちゃんと生きているかな、って。夏休み、楽しめてるかな、って――』
『……なにそれ。柚はほんとおせっかい』
いま、となりにいる凪都も、同じような笑みを浮かべた。
「死んでるのは柚のくせに、俺が死なないかどうかの心配をして幽霊になってもどってきたのかって、呆れた。どれだけおせっかいなんだろうって」
「……ほんとだ。幽霊がなに言ってるんだって話だね」
思い返すと、恥ずかしい。
でもあのときは、凪都のことしか頭になかった。凪都が死んじゃわないか、本気で心配だった。ううん、あのときだけじゃない。この夏、わたしは凪都のことばかり考えていた。死にたがりの凪都が死なないことを見届けたくて、わたしは幽霊になった……のかもしれない。
「柚がここにいられるのは、この夏の間だけ、って思うんだ」
凪都が遠い目をして、つぶやいた。空と同じで、暗く沈んだ瞳。
「どういうこと?」
「俺が夏を過ごせるか。柚は、それだけを心配してるみたいに見えたから」
「あー、うん、それはそう」
「夏の終わりを見届けたら、柚はいなくなるんじゃないかって、思った」
凪都はすこし眉を寄せて、わたしを見つめた。その瞳に、いまはわたしが映っている。だけど、本当ならそこにわたしは映らないはずなんだ。死んでいるから。
「それに、夏休みのはじめより、どんどん柚が消えていってる気がする」
「……たしかに。最近は、みんなに無視されることが増えてたかも。声かけても気づいてくれないこと、多くなってた」
そっか、夏が終われば、わたしは消えちゃうのか。やっぱり実感はなくて、わたしは「そうなんだねえ」と中身のこもっていない言葉をこぼす。理解はできるけど、自分のことだとは思えない。だから、妙にのんびりとした声になってしまう。
「ねえ、凪都」
「ん?」
「わたしの願いを叶えるってゲーム、わたしのために提案してくれたの?」
凪都は無言になった。すこし考えて、ため息をつく。
「まあ……、そんなとこ。俺のために化けて出てきた柚に、なにかしてあげてもいいかなって思ったんだ。せめて、柚が夏を楽しんで、後悔を残さないようにしてあげられたらって」
凪都にとってメリットのないゲームをはじめた理由が、やっとわかった。それはきっと、死んだわたしへの情けで、凪都のやさしさだった。
パズルのピースがはまって絵が浮かび上がるみたいに、この夏休みの疑問が解けて、凪都の行動にも納得ができるようになってきた。
「七緒たちは? 女子寮のみんなは、わたしが死んでること、知らないの?」
「いや、みんな知ってる」
「凪都と七緒たちは、グルだったってこと?」
「言い方」
ほんのすこし、凪都は呆れたように笑った。
「でもまあ、そういうことになるかな。……柚は、自分が死んだことに気づいてなかっただろ。だったら、知らないままでいいと思ったんだ。知らないまま、夏休みを楽しめばいい……って。それで、俺から七緒さんに相談した」
幽霊のわたしとはじめて会った日。凪都がジュースを買いに行くって図書室を出ていったあと、七緒とわたしのことを話していたらしい。そういえば、帰ってくるのが遅いなあって思った気がする。柚が幽霊になって化けて出た、なんて話をするなら、そりゃあ時間がかかるよね。
「七緒は、すぐに信じたの?」
「いや。からかうなって怒られた。柚と自分を馬鹿にしてるのかって」
「ああー、まあ、そうなるよね」
「でも図書室の窓辺に柚がいるのが、外から見えて。それで七緒さんもわかってくれた。そのあとは、七緒さんから女子寮のメンバーにも相談してもらって、俺と、女子寮の居残り組の全員で、柚に夏休みを満喫させるってことになった」
「……みんなが今年の夏は妙に張り切ってたのって、わたしのためだったんだ」
夏祭りに行ったり、まくら投げしたり、タコパをしたり。ほかにも、たくさん。
「彼氏と喧嘩した七緒のためって言ってたのに。あれ、うそだったんだ」
きっと、わたしが自分の死を思い出さないように、みんな気をつかってくれていたし、わたしのためにたくさん夏休み満喫計画を考えてくれていたんだね。わたし、なにも知らなかった。
「なんか、ごめんね。みんなに迷惑かけちゃったかな」
言いながら、凪都の最近の態度を思い返す。一番引っかかっていたのは、諒さんと仲直りをしたときのこと。
『夏が終わっても――、文化祭とか、冬休みとか、まだまだ楽しいことたくさんあるから。笑っていて。わたしは、そういう凪都をずっと見ていたい』
あのとき凪都は、もう手遅れだって言った。すこし泣きそうな顔をして。死んでいるわたしが、ずっと凪都と一緒にいることはできないんだって、そう言いたかったのかもしれない。死んでる人間が未来を望んでも、それは叶えてあげられないよ、って。
「わたし、死んでるのは凪都なんじゃないかって、思ってたんだよ」
ひどい勘違いだ。情けなくて、笑いがこぼれる。
「……でもよかった、凪都じゃなくて」
凪都が小さく目をまたたく。ずっと不安だったんだ。凪都がもう死んでいたら、わたしはどうすればいいんだろうって。
「凪都が生きててくれて、よかった」
「……よくない」
わたしは首をかしげた。
「柚が死ぬことが、いいわけないだろ」
驚いて凪都を見つめると、彼は眉をひそめて、うつむいていた。たくさん言いたいことを抱えて、どうにか我慢しているみたいな顔だった。
――わたし、思っていたよりも凪都に好きになってもらえていたのかな。
この夏の時間を全部わたしに使おうとしてくれたり、わたしが死んでいることを悲しんでくれたり……。きゅっと胸がしめつけられた。申し訳なくて、――こんなこと思っちゃだめだけど、ほんのちょっと嬉しくて。それを越えるくらい、とてつもない後悔が押し寄せて。わたしも目を伏せた。
「凪都がそこまで言ってくれるなんて、思わなかった」
「……俺だって、こんなつもりじゃなかった」
凪都が、わたしとは反対方向に視線を逃がす。
「夏の間ずっと一緒にいたせいだ」
ため息をついて、凪都はまた空をあおぐ。
「柚はもっと生きてたほうがよかったのに、って思った。こんなはずじゃなかった。柚といるのがこんな、きつくなるなんて、思わなかった」
「……そっか」
そう思ってもらえるくらいに、凪都もこの夏を楽しんでいてくれたのかもしれない。それを知っちゃうと、悲しくて、でもやっぱりほんのすこし嬉しくて、もっともっと悲しくて。わたしは自分の心がわからなくなった。凪都と仲よくなれたって、わたしはもう死んでいるから、意味なんてないんだ。
「凪都、ごめんね」
凪都は黙っていたけど、すこしして立ち上がる。わたしを見た凪都の顔は、いつもと同じ表情にもどりかけていた。でも瞳には、暗い感情が見え隠れする。
「悪い、取り乱した。明日になったら、いままでどおりにもどるから」
凪都はうそつきだ。自分の感情にも、うそをついて平気なふりができる。
「柚の願いは、全部叶える。柚はなにも考えずに、夏休みを楽しめばいいよ」
この夏が終われば、わたしは消える。せめて最期にいい思いをさせてあげよう、ってことだよね。
終わっちゃうのか、あとちょっとで。夏休みは、残り二週間もない。
心がざわりと騒ぐ。
寮に帰ろう、って凪都がわたしに手を伸ばした。わたしはためらったあと、おそるおそるその手を取った。ちゃんと凪都の手に触れて、ほっとする。そのまま、手をつないで寮にもどると、七緒がいた。
「あ、おかえりー、柚! 遅いから、様子みにいこうと思ってた」
七緒はいつもの笑顔で出迎えてくれる。でも、わたしと凪都が手をつないでいるのを見てはっとすると、悪だくみをするみたいな顔になる。
「え、もしかして、ふたり、なんかあったの?」
「七緒さん、柚に全部話したから」
凪都が、七緒を遮るように言った。
「え?」
ぽかんとする七緒に、わたしはなんて言えばいいかわからなくて、曖昧に笑う。
「……ごめんね、七緒。いままで、ずっと迷惑かけちゃったみたいで」
七緒は、ゆっくりとわたしと凪都の顔を見比べる。凪都が一度だけうなずいた。
そのとたん、だった。七緒の顔から笑顔が消えた。わたしはその豹変に驚いて、固まってしまう。いつのまにか七緒に抱きしめられていた。
「柚……!」
「な、七緒? どうしたの?」
「なんで」
「え?」
きつくわたしを抱きしめて。
「なんで、死んじゃったの……っ!」
きっと、ずっと言えなかったことを叫んで、七緒は泣いた。
苦しい。その苦しさを、わたしは感じている。だけど七緒は、わたしの死を悲しんで泣いている。
ああ、死んじゃったんだなあ、と、わたしはぼんやり思った。